沢木はやっとエアコンのスイッチを入れた。
この土曜日は、読みかけの本を片付けたり、じっくりとピアノを弾いたりして、久し振りの休日らしい休日をのんびり過ごそうと思っていた。しかし、昨夜の白石会長の話しを聞いて以来、頭の中は見山人美のことで一杯だった。
エアコンから吹き出される涼しい風は、彼の頭を冷やし汗を乾かした。その風を頭に受けながら、再び考えを巡らした。
超能力とは存在するのだろうか? いやいや、超能力とは限らない。それ以外の超自然的な力―心霊現象なのかも知れない。それとも、奇妙な偶然の一致?
沢木は窓を閉めるために歩きだした。
ある意味では俺も超能力を信じる。でもそれは、いわゆる超能力というものとは少し違う。スプーンを曲げたり、ものを体にくっつけたり、そんなくだらないものが超能力だなんて思えない。俺の考える超能力とは、人間の奥深くにある精神的な作用―例えば、何かを愛する気持ちや信じる気持ち、そういう心が、精神が、自分や他人に影響を及ぼした時に現れるようなもの―そう、そんな精神作用により、病気が回復に向かったりするようなことだ。しかし、案外超能力なんてくだらないものなのかも知れない
窓の前まで来ると、セミの声は一層けたたましく頭に響いた。
「うるさいセミだなぁ」
沢木は窓をぴしゃりと閉め、ガラス越しに見える海を見つめながら思考を続けた。
昔から言われる言葉の中には結構不思議なものがある。袖触り合うも多生の縁―これは仏教思想からきている言葉だが、つまりは輪廻転生のことだ。同じく仏教にまつわる以心伝心は、現代風にいえばテレパシーだろう。虫の知らせや正夢は、一種の予知能力―こんな言葉が何の根拠もなしに生まれ、使われてきたとは思えない。超自然的現象といわないまでも、何かそれに近いことがあるからこそ、そう人々に感じさせる何かがあるからこそ、こうした言葉が生まれたに違いない…
沢木は愛好のセブンスターを取り出し、それに火をつけた。
きっと何かあるんじゃないだろうか。それとも人類の想像の産物なのだろうか。数々の事象の出来事から巧みに物事を関連づけて想像する。そんな人間の想像力のせいなんだろうか…
さらに沢木は、少女の能力を確かめるためにはどうすればよいのか、それが確かめられたとして、どう対処するのか。また、それらを一切少女に悟られることなく進めるにはどうすればよいのか、そんなことを考え頭を痛めた。しかし、久し振りに刺激的なテーマに出会ったことに、ある種の興奮を抱いているのも事実だった。
「とにかく真実を」
沢木はそうつぶやくと、心の中で続けた。
超能力云々を信じる信じないの前に、まずは事実関係を明らかにしていかなくては。まずはそれからだ…
夏休みに入った見山人美は、毎日のように友達と近くの海に遊びに行っていた。もうじき両親はアメリカに行ってしまい、自分はしばらくの間一人で、父親の友人の家に居候しなければならないことなど、少しも気にしていなかった。
人美の家は神奈川県の横須賀、居候先は葉山だから、高校へはちょっと遠くなる程度で通えるし、当然、友達とも今までどおり会うことができる。白石のおじさんはちょっと怖そうに思えたが、それでも全く知らない人ではないし、奥さんは対照的にとても優しそうな人だという印象がある。卒業してからアメリカに行ってしまい、友達と別れるのは少しさびしいが、アメリカでの生活への期待は、そんなさびしさを吹き飛ばすに十分だった。 人美がこの夏夢中になっているのは、岩場付近を素潜りすることである。海中の光景はとても美しく、小さな魚たちはとても愛らしく、時折出くわすクラゲの隊列は愛敬たっぷりだった。中でも彼女が特に気に入っているのは、海中から見た海面の光景である。それは上から見るのとは全く違う光景で、差し込む日の明かりがゆらゆらと揺らめき、吸い込まれてしまうような、何かとても気持ちを落ち着かせてくれるものだった。人美は水中眼鏡越しに、その光景を息が続くまで見続けていた。
日も落ちてきて、友達がもう帰ろうと言った。人美を含めた二人の少女は、夕暮れの中を家路についた。
日中は大勢の人でにぎわう海岸も、夕日に照らされるこの時間になるとその数は一気に減ってしまう。このため、浜辺からバス通りに出るまでの細い道には、人美たち以外の人の姿はなかった。
ちょうど公園の前に来た時に、人美たちの前に突然二人の若い男が現れた。彼らは人美たちをにらんでいる。よく見ると、先ほど自分たちに声をかけてきた二人だった。人美はひるむことなく前進し、友達は人美の後を恐る恐る着いて行った。男たちも彼女たちのほうへ直進して来た。一メートルほどまでに両者が接近した時に、人美は男の一人と目と目が合った。その目は悪意に満ちた冷たい目だった。彼女の直感はこの場を早急に離れなければならないことを告げていた。人美は後ろの友達のほうを振り返り声をかけた。
「急ごう!」
そう言いながら見た友達の目は、既に恐怖の瞬間を捕らえていた。男の腕が人美の首に巻きつき、もう片方の手が口を押さえた。友達も男に捕まり、二人は草むらのほうに強引に連れ込まれ、人美は男に押し倒された。その時、口を押さえていた手が外れた。人美は渾身の力を振り絞って叫んだ。
運がよかった。ちょうど海の家から引き上げて来た、三人の中年男がその悲鳴を聞きつけた。彼らは一目散に草むらに駆け込むと、若い男たちを蹴り飛ばして人美たちを救った。彼女たちを襲った二人は大慌てで駐車場のほうへ走って行き、止めてあった車であっという間に逃げて行った。
人美たちはその後の帰り道で、先ほどの事件のことを冗談混じりに話し合っていた。少女たちには、ついさっきまでの恐怖を、笑いに変えてしまうエネルギーがあった。
続く…
見山人美のモデルとなったのは、デビュー当時の内田有紀。海の帰り道で男たちに襲われるシーンは、物語の伏線となるものですが、人美の心理描写をもっと細かくすべきだったかなぁ、と思っています。
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