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2009年11月7日土曜日

小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(3)

 次の日の日曜日、昼近くになってやっと目を覚ました沢木は、テレビのスイッチを入れるとニュースにチャンネルを合わせ、コーヒーを入れるためにやかんを火にかけた。その時、アナウンサーは次のようなニュースを読みあげていた。
「昨夜の午後七時半ごろ、神奈川県三浦市の三戸海岸で、二人の男性の溺死体が発見されました。警察のこれまでの調べによりますと、二人の男性の遺体からはかなりの量のアルコール分が検出されており、酔った勢いで海に入ったために、溺れたものと考えられています」
 沢木はつぶやいた。
「バカな連中だ」

 七月三十一日、月曜日。沢木は幾分重い足取りでいつもより早く本社に出社した。といっても、それは普通の社員ならとっくに仕事に取りかかっている午前九時だった。彼には特に定められた出社時間などないのだ。相模重工において、このようなことが許されているのは、重役たちと沢木のみであった。
 沢木は東京工業大学の工学部制御システム工学科を卒業した後、アメリカのマサチューセッツ工科大学に留学し、機械をいかにして制御するか、ということの研究にさらなる磨きをかけていた。その研究過程で、彼は経験を反映することができるコンピューター・システムの基礎論理を構築した。EFC論理と呼ばれるこのアイデアに、最初に飛びついたのはアメリカの航空機メーカーのボーイング社だった。
 当時ボーイング社では、ボーイング747-400型(最新型ジャンボジェット機)の飛行制御システムの再検討を進めていた。400型は機関士を必要とせず、機長と副操縦士の二名で運行するように設計されている。しかし、機関士を搭乗させないことは危険だと、有益な市場である日本の航空会社の労働組合が、400型導入に対して猛反対していた。400型の飛行制御システムの見直しは、これへの対応の一環として検討されていた。そんなボーイング社に、沢木の研究論文が舞い込んで来たのだ。
 ボーイング社は十分過ぎるほどの環境を沢木に与え、そして、SFOS(ソフォス:Sawaki's Flight Operating System)が完成された。
 このシステムは、あるパイロットが行った離陸から着陸までの操縦手順と実際の機体の動作、気象データ、機体のトラブルとその対処方法などを記録し、それがある程度蓄積されたところでパターン化(学習)する。このパターン・データ(経験)を次のフライトに反映させて、パイロットの負担や事故を減らそうとする制御システムである。
 例えば、離陸の際に蓄積されたパターン・データと違う操作をパイロットがしたとする。するとSFOSは直ちに与えられた条件(機体のコンディションや気象データなど)を検討し、その操作がふさわしくないと判断した時、自動的に誤操作を修正するのである。また、これらパイロット特有のパターン・データ(癖など)は、直径五インチの光磁気ディスクに保存し持ち運ぶことができるので、SFOSを搭載した別の400型に搭乗した時にも、データを読み込ませれば扱い慣れた機体に変身させることができる。しかも、SFOSはメモリーの許す限りパターン化を繰り返す。したがって、SFOSは使えば使うほど、経験を積めば積むほどに、より信頼性が向上するという画期的なシステムであった。
 このSFOSにより沢木の名は世界中の関係者に知られることとなり、さまざまな企業が彼の才能を欲しがった。そんな中で彼を射止めたのが、当時の相模重工社長・白石功三だった。
 沢木は鳴り物入りで相模重工に入社するやいなや、SFOSの汎用版であるSMOS(ソモス:Sagami Multiple Operating System)を完成させた。現在、SMOSは原子力発電所や船舶、F-15Jイーグル戦闘機など、ほとんどの相模製品に実装されている。
 沢木が籍を置く総合技術管理部は、通称“沢木組”と呼ばれている部署で、相模重工内で開発されたさまざまな技術を、相互に応用できるように管理運営することを目的としている。もちろん、SMOSの強化改良型であるASMOS(アスモス)など、沢木組独自の研究開発も行っている。また、通称に彼の名の冠が付いていることから分かるように、この部の部長には沢木が着任している。沢木組のスタッフ数は一二〇名で、皆、沢木自身により選ばれ、白石会長の鶴の一声により集められた、精鋭中の精鋭だった。それだけに、相模内のある勢力からは強い反発もあった。
 沢木は朝のあいさつをしながら自分のオフィスに入って行き、皮張りの茶色い肘掛け椅子に座ると、早速今日行うことの準備に取りかかった。
 相模重工本社は横浜市中区の官庁街の一角にある。港と高速道路に囲まれたこの辺りは、横浜ベイスターズのホームグラウンドである横浜スタジアムや、山下公園、中華街などがあることで知られているが、それと同時に多くの官庁施設や公共施設が点在している。神奈川県庁、横浜地方裁判所、神奈川県警察本部、横浜税関、県立博物館、県民ホールなどなどである。そしてすぐ近くの西区では、横浜市が進めている都心臨界部総合整備計画“みなとみらい21”の名のもと大規模な開発が進められ、その一つのシンボルとして、日本最高の高さを誇るランドマークタワーがそびえ建っていた。この街は神奈川県の中枢であり、シンボルであると同時に、そこで生まれ育った相模重工のホームタウンでもあった。
 山下公園道り沿いにある相模重工本社ビルは、地上三十六階建て、高さ一四七メートルの超高層ビルであり、その二十三階に沢木のオフィスはあった。この階とその下の二十二階は総合技術管理部に独占されており、例え相模の社員であっても部外の者は立ち入ることができない。といっても、規則や警備員により規制されているわけではない。部外者の行く手を阻むものは、エレベーターを降りてすぐにある鋼鉄の扉のアイID識別式電子ロックである。これにより、あらかじめ眼球の虹彩パターンが登録された人物以外は、ロックを解除することができないのである。
 沢木組の中枢であるこのフロアを構成するのは、部長室―すなわち沢木のオフィス、部長秘書室、スタッフ用の広いオフィス、会議室、開発室七部屋、電算室、休憩ラウンジなどである。内装はほとんどが白で統一されているが、これは部長秘書室長の秋山美佐子の趣味により決定された。
 沢木のオフィスはおよそ二十畳の広さがある。ドアを入った正面には大きな机があり、その脇にはIBMのコンピューターが置いてある。机の後ろには腰の高さから天井くらいまでの窓があり、そこからは横浜港が一望できる。その窓に沿って右手奥のほうに目を移すと、皮張りのソファに囲まれたガラス板のコーヒー・テーブルがあり、その近くには三十二インチのテレビとビデオデッキなどが置かれていた。
 ノックが聞こえて扉が開くと、コーヒーの香ばしい香りが部屋の中に広がった。秋山がコーヒーを持って入って来たのである。
「今日は珍しく、お早い出社ですね」
 秋山は沢木をからかうように言った。こんな時、いつもの沢木なら気の利いた冗談で言い返し、彼女を笑わすのだが、今日の彼は真剣な顔をして言った。
「これから厄介な仕事に取りかかることになる。秋山さんもたいへんになると思うからそのつもりでいてね」

 沢木はスタッフを集めることから始めた。まず、沢木組の中からは部長秘書室長の秋山美佐子をはじめ、“センサーの魔術師”と異名を取る片山広平。プログラマーの岡林敦。東京大学付属病院の脳神経外科師から相模に転身した松下順一郎の四人。
 外部からは、相模重工総合研究所の人間工学研究室に所属し、人間が機械に関わる時に生じるストレスの研究を専門としている桑原久代。相模重工が保有するさまざまな機密情報の外部流出を、独自に防ぐために設置された情報管理室の室長、渡辺昭寛の計六人であった。
 沢木は以上の六人に連絡を取ると、午後五時から自分のオフィスで会議を行うことを告げ、皆それに同意した。

 そして、午後四時五十分。沢木のオフィスに人が集まり始めた。
 最初にやって来たのは松下順一郎であった。彼は五十五歳で、身長は一七〇くらい、眼鏡をかけ、ヒョロっとした風貌は、神経質そうな印象を周囲に与えた。彼は沢木が抱えているプロジェクトのひとつ、ASMOS計画を推進する上で重要な人物である。
 ASMOSとは Advanced SMOSの略であり、その名の示すとおり、先進的なSMOS、次世代SMOSとして現在開発中のものである。このASMOSは、従来のSMOSに比べて処理能力が大幅に向上されていて、それだけでも十分な“売り”になるのだが、沢木はこれに思考検知システムを加えようとしていた。人が思考した命令をセンサーで検知し、それをコンピューターで処理し、機械を制御するという試みである。松下の仕事は、思考を検知する際の医学的な分野での技術開発を進めることである。
 笑いながら入って来たのは岡林敦だった。秘書室にいる秋山をはじめとする女性たちでもからかって来たのだろう、と沢木は思った。岡林は童顔で、背丈は一六〇と小柄なため、一見すると頼りなさそうな、おとなしそうな印象を与えるが、実は非常におしゃべりで、人を笑わそうとすることばかり考えている男である。しかし、彼はその性格によらず、地道な作業をコツコツとするタイプで、沢木の無理難題な注文をいつも鮮やかに切り抜けてきた。彼は二十七歳。プログラマーとしては一番油の乗った年齢かも知れない。
 油が染み込みよれよれになったオレンジ色の作業着、それを着て入って来たのは片山広平であった。“センサーの魔術師”と異名を取る彼は、沢木組のナンバー2であり、沢木のよきパートナーであった。また、沢木と同じ年齢ということもあってか、私的部分で彼と馬が合った。片山は松下よりも少し背が高く、細面の顔はクールな印象を人に与えた。彼は今、松下と協力してASMOSの思考検知用センサーの開発に没頭している。
 何で俺がこんなところに呼び出されるんだ、という顔をしてやって来たのは、渡辺昭寛であった。三十六歳の彼は、一八〇近い背丈とたくましい肉体を持つ屈強そうな男だった。 今から三年ほど前、SMOS関連の機密情報を奪取せんと、産業スパイが相模重工に送り込まれる、という事件が起きた。相模重工にはSMOS以外にも、同業者が喉から手が出るほど欲しいような先進技術がたくさんある。これらの技術の不正流出を防ぐために、事件後情報管理室が設置された。
 渡辺に関して沢木はある噂を聞いていた。その噂とは、彼がかつてSOP(ソプ)の隊員であった、というものだ。
 SOPとはSpecial Operation Policeの略で、テロ犯罪の抑止、鎮圧を目的として警察機構内に創設された特殊部隊であり、その監督は首相や法務大臣をはじめとするSOP総括委員会により行われている。SOP創設の理由は、八〇年代後半から相次いで起こったテロ犯罪への対抗である。外国人労働者が大量流入したことによるナショナリズムの高まりと右派勢力の拡大、それに対する国内極左及びアジア諸国の反抗。西側先進諸国の思惑を顕著に表す、日本の経済支援に対する発展途上国の反感。国内外を問わずテロの動機はいくつもあった。事態を重く見た政府はテロ対策法を制定し、その実践部隊として近代兵器と先進技術により武装されたSOPを配備した。
 今回の計画では、情報管理や事件、事故の詳細な調査活動が必要になると判断し、沢木は渡辺に声をかけた。
 続いて桑原久代が入って来た。彼女は沢木を見つけると歩み寄り、初対面のあいさつを始めた。彼女は若くは見えるが、おそらく四十代後半くらいの年齢だろうと沢木は思った。美人とはいえないまでも、きりりと引き締まった顔立ちは、賢そうな、いかにもキャリアウーマンといった感じだった。身長は一五五くらい、ほっそりと小柄な女性だった。
 沢木は彼女と関わるのは今回が初めてだが、彼女の書いた研究報告書はいつも興味深く読ませてもらっていた。今回の計画では、人美の心理面からの考察が非常に重要になるだろうと考え、心理学を専門とする彼女に迷わず声をかけた。
 最後に人数分のコーヒーを持って入って来たのは秋山美佐子である。彼女は大学で航空宇宙工学を学んだ後に相模重工へ入社し、宇宙関連事業に技術者として携わることを夢見ていた。しかし、配属されたのは期待に反して秘書室だった。彼女の夢は入社と同時に破れたのだ。だが、相模重工の重役秘書ともなれば、技術関連の知識も無駄にはならないだろうと自分を励まし、新しい目標に向かって歩み出した。その一年後に沢木が入社してきて、秋山は彼のアシスタントに抜擢された。沢木の仕事は非常に高度かつ大きなプロジェクトばかりで、当然彼女の仕事も楽しくなった。総合技術管理部創設の際にも彼女の意見は積極的に採用され、沢木のもと彼女の才能は開花された。
 長い髪をバレッタで後ろに束ねた髪型と、あどけない顔立ちが印象的な彼女は現在二十八歳、聡明かつ美しい女性だった。

続く…

1 件のコメント:

  1.  この作品は「縦書き」仕様なので、数字が漢数字である場合が多いです。修正しようかとも考えたのですが、まずはオリジナルのままとしました。
     SFOS、SMOS、ASMOS、SOPは、オリジナルでは「読み」をあえて入れませんでしたが、今回は読みやすさを考え、ソフォス、ソモス、アスモス、ソプと加えることにしました。

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