【案内】小説『エクストリームセンス』について

 小説『エクストリームセンス』は、本ブログを含めていくつか掲載していますが、PC、スマフォ、携帯のいずれでも読みやすいのは、「小説家になろう」サイトだと思います。縦書きのPDFをダウンロードすることもできます。

 小説『エクストリームセンス』のURLは、 http://ncode.syosetu.com/n7174bj/

2012年9月29日土曜日

小説『エクストリームセンス』 No.9

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 埼玉県川口市の南部、荒川と京浜東北線が交差する辺りに小さな鉄工所があった。6人の従業員で、孫請けかあるいはもっと下請けなのか、とにかくそれを見ただけではどんな製品になるのかさっぱり分からない金属部品を製造していた。
 この鉄工所の経営者、田中龍男(たなか たつお)64歳のもとに、前田煙火工業の山中(やまなか)という男から電話が入った。
 「新型の花火を開発中なんだけど、これは今までのものとぜんぜん発射方式が違って、専用の発射台が必要なんですよ。いろいろ当たったら、田中さんは腕もいいし仕事も速いっていうので、これを作るのをお願いしたいんですよ」
 花火の発射台…… なかなか面白そうな仕事だった。
 「どんな花火なん?」
 「それは企業秘密ですけど、8月の花火大会でドーンと打ち上げる予定ですから、その時にはご招待しますよ。とにかく、見たらぶったまげるような花火なんですよ」
 「ほう、それはすごいね。ほんで設計図はあるん?」
 「ええ、これから伺ってもいいですかね?」
 こんなやりとりをして、田中は少しウキウキした気分で男を待つことになった。

 

 7月13日火曜日の19時過ぎ、捜査部長の里中涼はSOP本部の自席でデスクトップPCを操作し、対テロ国際情報ネットワークの情報を閲覧していた。これは、国連を中心とする国際協力の中で構築されたもので、加盟各国の情報機関、警察、軍隊などが保有するテロ情報を共有するための基盤となっている。日本においては、対テロの基幹組織となるSOP――警察庁戦術法執行部隊が情報の集約、展開のための起点としてこのネットワークに加わっていた。
 里中が海外の退行主義過激派の動向について検索していると、「里中さ~ん」という甘い声音とともに私服に着替えた星恵里が現れた。
 「やあ、恵里さん。あがりですか?」
 星は里中のデスクに腰掛けて答えた。
 「うん。もう疲れたぁ…… 40時間も待機させられたわ」
 口をアヒルのようにしている星の顔は、とてもSOP史上最強の戦士には見えなかった。
 「お疲れ様」
 「まだ終わらないの? おなかすいたよ」
 「恵里さんがそう言うなら、帰りましょうか」
 里中がそう言うと、PCから新着情報を告げる効果音が鳴った。里中と星が共に画面へと視線を移すと、ポップアップウィンドウが画面の隅に表示されていた。
 Alerting information: Missile has been deprived.
 二人は口をそろえて、「ミサイル!?」とつぶやいた。それはアメリカ軍から高機動誘導ミサイル、HMG-2が奪われたことを伝えるメッセージだった。

 

 高機動誘導ミサイル、HMG-2(High Mobile Guided missile - 2)が持つパワー、精密さ、破壊力を意のままに操ることのできる自分に、パク・ジファンは大きな誇りを感じていた。彼はOUアーミー(オリエント連合陸軍)の上等兵として、中国国境付近に駐屯する第4地上打撃団に所属し、HMG-2の射手(しゃしゅ)として任務についていた。
 パクは、コリアン民国の徴兵制度で初めて軍隊を経験した時に、俗世間と乖離(かいり)した世界に強い魅力を感じた。そこはこれまでの無秩序な世界と異なり、厳格な規律が支配する世界だった。軍隊では規律に従っていれば文句を言われることはない。しかし、世間ではルールを守ろうとすればするほどバカをみる。そして、軍隊には明確な組織目標があり、成果は正当に評価された。彼は国を愛し、軍を信じ、誰よりもうまくHMG-2を操れるようになったのだ。
 そんなパクに悲劇が訪れる。ある日、パクは上官たちに誘われて酒を飲んでいた。すると、悪酔いした上官の一人が若い女たちのグループに絡み出した。パクは上官をいさめようとしたが、その行為はむしろ上官の愚行をエスカレートさせた。いつの間にか他の上官たちは姿を消し、醜態をさらす上官とパクだけが残された。上官は女の胸をつかんだ。泣き出す女。パクは上官を殴った。
 次の日、パクは暴行罪などの容疑で軍の警務官に逮捕された。当然パクは無実を主張したが、張本人の上官も被害者の女も、すべてはパクの仕業と証言した。どんなからくりかは分からないが、この世にはびこる私欲の連鎖はパクを有罪に仕立て上げ、その結果、執行猶予こそついたが軍を不名誉除隊処分になった。忠誠を誓った軍に裏切られたパクの自尊心や正義感はズタズタに引き裂かれ、それは深い憎しみとなってパクの心に焼きつけられた。
 7月14日水曜日の18時過ぎ、ソウルの物流センターで日雇いの仕事を終えたパクが繁華街で夕飯は何にしようかと歩いていると、欧米人が話しかけてきた。
 「パク・ジファンさんですね。探してました」
 「誰だ、あんた?」
 「HMG-2の射手を探している者です」
 「なにっ!?」
 「どうです? 食事でもしながら話しませんか?」
 パクはイム・チョルに大金を渡した欧米人とともに焼き肉屋へと入っていった。

 

 7月16日、金曜日。岡林敦の取材をするに当たって、まずは彼の働く職場を見てみたいという杉本美花は、14時ちょうどに相模重工本社ビル1階のエントランス・ホールで岡林と待ち合わせした。この日の杉本は、白いノースリーブにスカート、髪はアップといういでたちで、うなじから肩、腕と流れる美しい曲線に岡林は胸を躍らせた。そして、先端技術開発本部がある23階に上るエレベーターの中で、人混みに押されて杉本の柔らかな胸が数回岡林の二の腕に当たると、今日はいい日だなぁ…… とささやかな幸福感に包まれた。
 「ここはプロジェクト管理部。その名の通り各種プロジェクトのマネジメントと本部の総務がこの部署の役割です。あそこに座っているのは秋山さん。沢木さんのフィアンセだよ。で、奥のガラス張りの部屋が沢木さんのオフィス」
 そこには沢木聡の姿があった。世界の沢木、日本の頭脳、制御システムの神様――そんな風に形容される人間を目にし、杉本は少し緊張した。
 「紹介するよ」
 その声に杉本は気後れした。
 「大丈夫なの?」
 「心配ないよ。気さくな人だから」
 杉本が沢木と名刺を交換すると、沢木は「あなたの記事は何度か読んだことがあります。技術に対して愛情を感じます。どうか岡林のこともよく書いてやってください」と笑顔で語りかけてくれた。
 技術に愛情…… 私の記事を認めてくれるんだ。世界の沢木が……
 杉本は例えお世辞でも沢木の言葉をうれしく思ったが、同時に後ろめたさも感じた……
 岡林と杉本が沢木のオフィスを出て行くと、秋山美佐子が代わりに入ってきて言った。
 「随分かわいい記者さんね。岡林君メロメロ……」
 沢木は笑いながら答えた。
 「そうだね。あれじゃ岡林、聞かれたことには何でも答えてしまいそうだ」
 岡林に案内された杉本は、中階段を下りてASMOS運用管理センターのある22階に通された。
 「このフロアの目玉はASMOS運用管理センター。世界中のASMOS系システムとネットワークでつながっていて、24時間365日、学習データを洗練化して世界中のシステムにデータを配信してるんです」
 説明を受けながら、杉本は幾つかあるセキュリティ・ゲートを抜け、センターの中に入った。
 「あのガラスの向こうにあるのがASMOSコアと呼ばれる基幹サーバー群。OSはLinuxをベースに僕らが改良したFuture Base。開発言語はエクスフィール。トータル6,000コアでメモリは60テラバイト。計算速度は30ペタフロップス。ただし、これは現時点のスペックで、ASMOSコアはスケールアウトによってほぼリニアに性能をアップしていけます。すごいでしょ! だから、その気になればスーパー・コンピュータの世界ランクを取ることだって可能なんですよ。ただし、フロアのスペースや床荷重の関係で、そろそろサーバーの追加も限界に来ているから、先端技術開発本部ごと移転する構想もあるんです」
 そう話す岡林の顔は輝いていた。世界最先端の現場で生き生きと働く岡林の姿に、杉本は好感を持った。
 「移転ですか。候補地などはあるんですか?」
 「みんな好き勝手なことを今は言ってます」
 岡林は笑いながら続けた。
 「沖縄がいいとか、北海道がいいとか、海外とか。うちは独身の若手が多いので、まともな答えは返ってこないですね」
 「みなさんで決めるんですか?」
 「沢木さんがみんなのアイデアを聞きたいって社内SNSでつぶやいたらそんな反応です。以来、この件について沢木さんがSNSでつぶやくことはなくなりました」
 杉本は笑顔を返した。
 「先端技術開発本部って、もっと堅い印象だったんですけど」
 「うちは雰囲気いいですよ。沢木さん流のマネジメントのおかげかな?」
 「それはどんな?」
 「一言で言えばクロス・ファンクション組織。それを支えるITで沢木さんからペーペーまで、全員のスケジュールやミッションがオープンになっていて、社内SNSによるコミュニケーションが盛んです。後、ラインの管理職の機能がプロジェクト管理部という組織に集約されてるから、ペーペーの立場からすると直の上司がいないんです。だからPM(プロジェクト・マネージャー)と直の上司に2回報告するみたいな煩わしさがない。例えば、僕がAとBの二つのプロジェクトに関わっていて、Aプロジェクトが遅れ出して優先度を変更しなければいけないとすると、AとBのPMが調整した結果から僕に指示が出ます。プロジェクト間の利害関係をちゃんとプロジェクト管理部が調整してくれますから、エンジニアは技術を発揮することに集中できるんですよ」
 何もかもが違う。杉本はそう思った。杉本はもともとはシステム・エンジニアになることを目指していた。そして実際システム開発会社に就職したのだが、そこは岡林の住む世界とは正反対だった。ラインの上司は技術を知らず、技術系の上司はマネジメントの素人……
 「ちょっと座って休みましょうか?」
 ASMOS運用管理センターを出た二人は、22階に設けられたリフレッシュ・ルームに移動した。窓際のソファにコーヒーを手に落ち着いたところで、杉本は岡林に質問した。
 「岡林さんと沢木さんの出会いはどのようなものだったんですか?」
 「専門学校を出て、ダメ元で相模の採用試験を受けたら合格しました。とにかくプログラミングが好きだったから、どんな仕事でもゴリゴリとコーディングしてましたよ。周りのプログラマーはなかなか品質が出せなくて苦労してたけど、僕はテスト駆動でやってたんで、バグの入ったプログラムをビルドすることなんてなかったです。でも、だからといってそれほど高い評価はしてもらえませんでした。まあ、それもそうですよね。バグがないのが当たり前ですから…… それに、テスト駆動だとテストを書くぶん周りに比べて効率が悪いように見える。トータル的な生産性は僕の方がいいはずなんだけど、当時の上司とはソフトウェア開発に対する考え方に大きな違いがあって、職業プログラマーというものにだんだん魅力を感じなくなってきてたんです。ゲーム会社にでも転職しようかなぁ、何て考えていた時に、沢木さんが入社してきて、開発スタッフを社内から選考する、そんな話題で周りは盛り上がってたけど、沢木さんみたいなエリートが僕みたいな人間に興味持つわけないよな、何て勝手に決め込んでしらけてました。何せ相手は東京工大からMIT。こっちは専門学校ですから。そしたら沢木さんから呼び出されたんです。で、沢木さんのオフィスに行ったら、いきなり分厚い設計書を渡されて、感想を明日聞かせてくれって言うんです。それが、SMOS(ソモス)の設計書だったんですよ。興奮したよ。夢中になって読んで気がついたら朝だった。それから沢木さんのところに出向いて、すごいですねって面白くも何ともない感想を言ったら、やってみるか? って聞くんだよね。だから、はいって答えてその日の夕方には沢木さんの下に異動になりました。後で沢木さんから聞いたら、僕の開発経歴、開発手法、実際のソースまで見てこいつだって思ってくれたらしいです。うれしかったですよ。神様はちゃんと見てるんだなぁ~、って実感しました」
 神様かぁ…… 私のことも神様は見ているのだろうか……?
 杉本は、最初に就職したソフトウェア開発会社でマニュアルを執筆する仕事を与えられた。まあ、一人前になるまではどんな仕事でもしなくては、と思い手を抜くことなく努力した。すると、彼女の意に反してその文才が認められ、いつの間にかテクニカル・ライターという肩書きで技術文書の執筆をするのがメインの仕事になった。しかし、それは悪い仕事ではなかった。むしろ自分では気がつかなかった自身の強みを発見できたと前向きに捉え、更に伸ばしていこうとインダストリアル・ニュースに1年前に転職したのだ。そして上司に相模重工を取材すると言えば、すんなりとOKがもらえるくらいの信用を得て、先端技術の最前線をこうして取材できるのだから、決して不遇とはいえないだろう。しかし、杉本には背負っているものがあった。それを考えると、神の存在は希薄に感じられた……
 17時38分、取材を終えた杉本を見送るために乗ったエレベーターの中で、岡林はどうしようかと考えていた。もう少しこの楽しい時間、杉本と一緒にいる時間を楽しみたかった。食事に誘うべきか否や。断られて今後の取材が気まずくなるのは嫌だし…… 岡林の脳は相当なスピードで様々なケースをシミュレーションしたが、結論として当たって砕けろというシンプルな答えにたどり着いた。
 エントランスホールに着くと、以外にも杉本の方から切り出してきた。
 「私、今日は直帰なんです。岡林さんの都合がいいならご飯でも行きませんか?」
 助かった、という安堵(あんど)感とヤッターという喜び、それは「はいっ!」という一言に集約された。岡林は「ちょっと待っててください」というとダッシュで23階に戻り、就業管理システムの退社処理もせずに杉本のもとへと戻った。

 「んん、あの女は誰だ?」
 出先から進藤章とともに戻ってきた情報管理室の室長、渡辺昭博(わたなべ あきひろ)は、岡林と杉本の後ろ姿を見て言った。
 「ああ、多分記者だと思いますよ。岡林さんに取材願が出てましたから……」
 「記者? 随分と仲良さそうじゃないか」
 渡辺は上着の内ポケットからスマートフォンを取り出し、専用アプリから相模重工のネットワークに接続して取材申請の内容を確認した。
 「インダストリアル・ニュース、杉本美花。今日が取材初日か……」
 進藤はうれしそうな顔で言った。
 「岡林さん、もう口説いちゃったんですかね?」
 「そんな行動力があるとは思えないな……」
 渡辺は楽しそうに歩く二人の後ろ姿を今一度確認すると、心の中でつぶやいた。
 念のため、調べてみるか……

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.8

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

第2章


 北アフリカの西部、北太平洋側に位置する小国カルダーラ共和国は、ほとんど資源を持たない国であったが、唯一、カタ湖といわれる湖の豊富な水量により、その地の民は生かされていた。しかし、あらゆる用途の水をカタ湖に求めたことと地球温暖化の影響を受けた結果、西暦2000年を過ぎたころから急激に水量が減少し、命の水の枯渇は時間の問題とされていた。カルダーラ政権はカタ湖のくみ上げ規制を実施したが、この政策は失敗し、農業用水の不足から深刻な食糧不足へと問題を拡大させてしまった。このため、カルダーラの国民は幾つかのグループに分かれて対立し、やがて国土の北東部に展開していた陸軍が反政府ゲリラの支援に回ると、渇きと飢えをめぐる争いは激しい内戦へと拡大していった。さらに、イスラム原理主義者のグループがカルダーラ政府要人の暗殺を開始すると、政権は瞬く間に崩壊し無政府状態に陥った。
 これに対しアメリカ政府は、人道支援と民主主義の回復を理由に武力介入し、旧政権を中心とした暫定政府を発足させた。その後、国連平和維持軍が派遣されたことで内戦は鎮静化に向かって進み出し、日本政府は根本的な問題を解決するために、ODAによる海水淡水化プラントの建設を決定した。
 このプラントの建設と運営を受注した相模重工は、カルダーラの海岸に世界最大規模となる20基もの淡水化プラント群を建設した。プラントで生成された水はカルダーラを潤し、水と食糧の問題をかなり解消することに成功した。また、この水はカルダーラの周辺諸国にも輸出され、カルダーラは世界で最初に国家レベルで水ビジネスに成功した国となった。しかし、国民の審判を得ていないカルダーラ暫定政権は腐敗が進み、水の恵みは恣意的にコントロールされるようになっていった。当然のことながら、暫定政権の打倒を目指すグループの活動は活発化し、元カルダーラ正規軍のヘルバン・サイード大佐が率いる元陸軍を中心とした反抗グループは、カタ派と名乗り祖国を取り戻すための戦いを繰り広げた。
 カタ派のカタはカタ湖に由来する。彼らの主張は、カタ湖の恵みを分かち合いながら平和に暮らしていた昔のように、プラントの水と利益を国民に平等に分配しようというものだった。主張は極めて正当であり、よって国民の支持を広く得たカタ派だったが、強過ぎる正義感は過激なゲリラ活動となって行使され、国内情勢は再び混乱へと進んでいった。
 カルダーラ北東部のフルムという街は、カタ派の重要拠点となっていた。アルジェリアと国境を接するこの地域は、アルジェリア経由でロシアと中国からの支援を受けるカタ派の生命線である。そのフルムから西に15キロほど離れた暗闇と砂に囲まれた渓谷で、男たちは息を潜めて獲物が来るのを待っていた。時刻は7月5日月曜日の1時(日本時間同日10時)。その獲物とは、アメリカ軍がフルムの西にあるベースキャンプに配備するために輸送している誘導ミサイルだった。
 数日前、サイード大佐のもとにカルル・アリヴィアーノヴィチ・バビチェフと名乗るロシア人の男がやって来た。この男は、カタ派を支援するロシアの諜報(ちょうほう)機関――ロシア対外情報庁のエージェントから紹介された男で、流暢(りゅうちょう)なアラビア語で次のような取引を持ち掛けてきた。
 「アメリカ軍は高機動誘導ミサイル、HMG-2を3機、西のベースキャンプに配備し、大佐を暗殺しようとしています。私はそのミサイルの輸送ルートに関する詳細な情報を持っています。そこで、大佐にお願いがあるのですが、そのミサイルを奪っていただきたいのです。そして、私にそれを譲ってほしいのです。もちろん、報酬はお支払いします」
 カルルは更に「報酬は全額前払いします」と言って札束をサイード大佐の前に山積みにした。そして、C-17輸送機から搬出されるHMG-2の衛星写真と、搬送ルートを記した地図を見せながら、HMG-2は2台のハンヴィー(高機動多用途装輪車両)とたった6人の兵士によって、待ち伏せに格好な渓谷を通って搬送されると説明した。
 「話が出来過ぎている」
 サイード大佐がそう言うと、男はにやりと笑ってこう言った。
 「その通りです。半分はこちらが用意したシナリオですから…… つまり、私はどうしてもHMG-2が欲しいのです」
 「どうしてロシア人のあんたがアメリカの情報を持っている」
 「私はロシア人であると同時にオルグのメンバーです。オルグは国際的なネットワークを持ち、秘密裏に様々な活動を行っています。もちろん、オルグにはアメリカ人もたくさんいます。これでは答えになりませんか?」
 サイード大佐はオルグという秘密結社のうわさを聞いたことがあった。退行主義を実現するために、世の中の裏舞台で暗躍する集団と聞いている。
 オルグかぁ…… そんなやつらならこのくらいのことは平気でできるのかもな。それに……
 目の前に積まれた金はサイード大佐にとって魅力的なものだった。これだけあれば、診療所の設備や医薬品、発電機などを買い増しすることができるし、子供たちに本や鉛筆を買ってやることができる。サイード大佐は条件を出した。
 「ミサイルを無事に持って帰ってくるまで、あんたを拘束する。それで良ければ引き受けよう」
 ロシア人は笑顔で答えた。
 「どうぞご自由に。どのみち私はミサイルを受け取りに来なければなりませんから……」
 こうして、サイード大佐自らが率いる14名のカタ派ゲリラたちは、渓谷を走る道路を上から攻撃できる斜面の両側に、息を潜めてハンヴィーがやって来るのを待つことになった。そして……
 暗闇の中を車の音とヘッドライトの光が近づいてきた。サイード大佐は暗視スコープで予定通り2台のハンヴィーが近づいてくることを確認し、作戦開始を無線で指示した。ハンヴィーが襲撃ポイントに近づくと、ゲリラの一人が道路の中央に向かって対戦車ミサイルを撃ち込んだ。すさまじい爆音と舞い上がる砂ぼこりで先頭のハンヴィーが急停車すると、後続のハンヴィーは前の車両に追突した。敵だっ! という認識を持つ時間はあっただろう。しかし、その後アメリカ兵たちは考える時間も、反撃する時間も与えられずにゲリラたちの放つAKS-47の銃弾で体を裂かれながら死んでいった。
 「打ち方止めっ!」
 サイード大佐は無線でそう命じると、暗視スコープで蜂の巣になったハンヴィーを確認したが、そこにはもう敵の姿はなかった。サイード大佐は「よし、行け!」と命じ、自らも斜面を駆け下りハンヴィーに近づいた。部下が二人がかりで長さ1.8メートル、重さ60キロのケースを一つ、ハンヴィー後部の荷台から下ろし、それを開けるとU.S. ARMY HMG-2と刻まれたミサイルがフラッシュライトの明かりに浮かび上がった。
 約30分が過ぎたころ、通信の途絶えたハンヴィーの捜索にアメリカ陸軍のアパッチ攻撃ヘリが1機現場にやって来た。仲間の仇(かたき)を討つべくアパッチは電子装備を使ってしばらく周辺を索敵したが、ラクダとラクダの引く荷車で移動しているサイード大佐たちを見つけることはできなかった。
 サイード大佐はラクダに揺られながらつぶやいた。
 「拍子抜けするくらい、楽な仕事だった。しかし、これを何に使うんだ……」

 

 7月12日、月曜日。岡林敦はいつものように起床し、電車に乗ってみなとみらい線の日本大通り駅を降りると、相模重工本社までの道中にあるコンビニでおにぎりと野菜ジュースを買い、自分のデスクでインターネットのニュースを読みながら朝食をとるという朝の恒例行事を済ませた。そして始業時間になると、ASMOS運用管理センターに出向き、システムの状態についてオペレーターと確認し合うことがもう一つの日課だった。
 ASMOS運用管理センターには、ASMOSコアと呼ばれるコンピュータ・システムが設置されていた。これにはEYE’sが収集した人美のデータから旧世代制御システムであるSMOS(ソモス)の学習データ、市場投入されたASMOSや実験中のSOP-X1まで、あらゆるASMOS系システムから集められた学習データのすべてが蓄積され、各種のローカル・システムでは処理しきれない学習データの再生成が強力なEFC(Experience Feedback Control:経験帰還制御)エンジンによって24時間365日行われていた。
 例えば、EYE’sを例にもう少し説明すると、人美の脳波はスマートフォンに送られ、そこで学習データと比較することで人美の状態――サイパワーを使っているのか否か、それはどのように使われているのか――を認識し、制御波をバイオフィードバックしている。この時用いる学習パターンの生成は、非力なハードウェアであるスマートフォン――それは搭載するCPUやメモリ容量、消費電力の問題などで、スマートフォンの容積では搭載できる性能に限界がある――では実行することができない。そこで、EYE’sは一定容量に達した脳波データをASMOSコアに送信し、ASMOSコアは既に蓄積されている学習データを参照しながら新たな学習データを再生成することでデータの洗練化を行い、これをスマートフォンが再受信することで学習データを更新している。制御対象によって処理フローの違いはあるが、基本的な流れはすべてのASMOS系システムで同じであり、ASMOSコアは、その名の通りASMOSを機能させるための核であり、同時にあらゆる制御対象の学習パターンが蓄積されたASMOSデータストアを併せ持っている。
 岡林はASMOSコアが正常に動作していることを15分ほどで確認すると、今度は沢木がエクストリームセンスと名付けた新システムの開発に没頭し、時刻が終業を告げると家路についた。定時退社、この当たり前に思える行動も、岡林にしてみれば久しぶりに迎えた通常の就業モードである。開発が佳境を迎えれば、会社に泊まることも日常茶飯事であり、数か月会社で生活していたことさえあった。もちろん、相模重工の就業規則、労使協定、沢木の指導はそのような岡林の行動を支持するものではなかったが、彼の開発者としての情熱がそうさせていたのだ。
 岡林が相模重工本社の1階にあるセキュリティゲートを抜けロビーを歩いていると、自分の名を呼ぶ声に脚を止められた。声の方に首を向け、白いスーツ姿の髪の長い女を認めた岡林は、いつものように素直な感想を心に浮かべた。
 うわ! かわいい……
 その女は「岡林敦さんですね。私、インダストリアル・ニュースの杉本美花(すぎもと みか)といいます」と言いながら名刺を出した。インダストリアル・ニュースはインターネット配信専門の産業ニュース・メディアであり、大手の経済新聞社が運営しているサイトの一つだった。岡林は業界でも知名度のあるニュース・メディアの記者と杉本を認めると、改めて彼女の顔に目をやった。幼さの残る顔立ち、少し厚めの下唇、薄茶色の流れるような長い髪、スーツに窮屈そうに収まった胸、そのどれもが岡林の好む範囲に収まっていた。
 「そうだけど、僕に何か?」
 答える岡林に杉本が言った。
 「ASMOSに関する記事を企画中なのですが、そこではASMOSの開発に携わった技術者の声をお聞きしたいのです。岡林さんは沢木さんの片腕として、ASMOSのソースコードの多くを書いていると聞いていますので、是非、取材させていただきたいのです」
 悪い話ではなかった。岡林は沢木聡にこそ認められてはいるものの、そのあまりにも大きな沢木の存在のために、岡林にスポットライトが当たることは社内外を通じて少なかった。しかし、ASMOS開発をはじめとする相模重工への貢献度に一定の自負を持つ彼にしてみれば、もう少し日の目が当たってくれてもいいのではないか、というささやかな野心があった。そして、今回の取材の話は彼のささやかな野心を十分に満足させるものだった。要は目立てばいい。彼の野心とはそのような類のものだった。それに加えて取材となれば、幾ばくかの時間をこの自分好みの女性と過ごすことになるのだろう、という期待からも、杉本の申し出を断る理由は見当たらなかった。しかし……
 「個人的には断る理由はないけれど、うちの会社は結構細かい取材規程があるんですよ。僕の判断だけでは取材に応じられるかお答えできないですね。すみませんが、広報を通してください」
 杉本は答えた。
 「もちろん、必要な手続きはきちんと行います。今日は、岡林さんへのごあいさつ、というより、個人的な興味もあってお目にかかりたいと思ってお待ちしていたのです」
 岡林は魅力的なフレーズに反応した。
 「個人的な興味というと?」
 「エクスフィールで書かれたソースは数百万行になる規模と聞いていますが、そのような規模の画期的なソフトのプログラム構造設計と実装、テストケースを主導しているのが岡林さんであれば、その能力は天才を支えるもう一人の天才なのでは? という考えからいつか取材したいと思っていたのです」
 岡林は照れながら言った。
 「いやぁー、天才なんて程のものではありませんけど、確かにプログラム・レベルの設計からコーディングまでがチームでの僕の基本的な役割です。最近は製品実装のためのインテグレーションも多くなってきましたけど」
 杉本は岡林に一歩近づくと、にっこりと笑いながら明るい声で尋ねた。
 「岡林さん、よろしければ食事でもいかがでしょう? 正式な取材願は明日にでも手続きしますが、今日伺える範囲でお話できたらと。ASMOSというと沢木さんのEFC論理や思考検出デバイスにスポットライトが当たりがちですが、私は大規模ソフトウェア開発プロジェクトを成功裏に導いている岡林さんの功績を世の中に伝えたいのです。もちろん、岡林さんや相模重工の許可なく記事にしたりはしません。お約束します。いかがでしょう?」
 悪い話ではなかった。このまま帰れば誰もいないマンションの一室で、オンラインゲームをしながらビールとカップラーメンの夕食。そんな私生活が寂しいわけではなかったが、刺激がないのは間違いない。杉本美花、このかわいらしい記者と食事をしながら自分の強みについて語るというのは、岡林のみならず、多くの男にとって魅力的なことかもしれない。
 「いいですよ。じゃあ、せっかくだから、おいしいものを食べましょうか」
 岡林が笑顔で答えると、杉本は「はい」と元気よく明るい声音を発した。
 この後、二人は中華街で食事をしながら談笑し、多少のアルコールを口にした岡林は上機嫌で開発者としての武勇伝を語った。途中、上着を杉本が脱ぐと、白いブラウスに透けた黒い下着の陰が岡林の目にとまった。そして視線を彼女の顔に移すと、満面の笑みで自分を見つめている。29歳独身、彼女いない歴数年。そんな岡林が杉本に興味を持たないはずはなかった。しかし、今日はここまで。駅前で杉本と別れた岡林は、今日見た彼女の姿を思い浮かべながら幸せな気分で家路についた。
 この翌日、相模重工の広報・IR課に岡林への取材願が提出され、その目的、方法が明らかにされると、経営企画部長、経営本部長、沢木と承認フローが回り、その日の夕方にはインダストリアル・ニュースへの取材許可が下りた。広報・IR課と杉本からのメールを確認した岡林は、鼻歌を歌いながらコーヒーを取りに席を立った。

 

 男と女は獣のように激しく愛し合っていた。互いの体は汗で光り、男の額を流れる汗は女の揺れる胸にポタポタと垂れ続けた。男の鍛えられた筋肉は極度に緊張し、女の弾力のある体はつま先だけが緊張していた。男の名はイム・チョル、元北朝鮮人民軍の兵士で37歳。女はユン・ヨンといい27歳だった。
 この日、イムは久しぶりに大きな仕事を得て、その前金として2,000万アジアもの大金を手に入れた。正確にいえば、仲間を雇わなければならないのですべてを自分のものにできるわけではないが、成功すれば更に3,000万アジア。手元には少なくとも2,000万アジアは残るとイムは考えていた。大金の入った紙袋を小わきに抱え、イムは走ってユンの待つアパートに帰ってきた。そしてユンの前に紙袋に入った札束をばらまくと、「仕事だ、ヨン。いい仕事が舞い込んできた」と言ってユンを抱きしめた。貧しさからだろうか、最近は愛し合う回数が減っていた彼らだったが、大金が入ったことによる心の緩みは彼らを燃え上がらせた。そして、もうこれ以上は無理だというところまで汗をかくと、二人はシャワーを浴び、高級料理店で食事をし、酒を飲んだ。
 上機嫌のイムは大きな声で尋ねた。
 「ヨン、楽しいか?!」
 ユンは「うん」とうなずいてイムに抱きついた。その姿をいとおしく思いながら、イムは心の中でつぶやいた。
 この仕事が終わったら、結婚しようなヨン……
 コリアン民国の首都、ソウル特別市東大門区(トンデムン=グ)にある清凉里駅(チョンニャンニ=ヨク)は、正確には鉄道公社とソウルメトロの二つの駅がある。その清凉里駅から歩いて数分の清凉里青果物市場近くの古びたアパートに、イムとユンは二人で暮らしていた。
 二人は北朝鮮北部の咸鏡北道(ハムギョンプク=ト)清津市(チョンジン=シ)で出会った。そこは朝鮮人民軍陸軍第9軍団の駐屯地であり、イムは軍人として、ユンは軍団司令官の世話係としてそこにいた。
 当時の駐屯地はひどい状況だった。ろくに食べ物もなく、厳しい訓練だけは毎日続き、多くの下級兵士が戦闘ではなく飢餓で死んでいった。当然兵士の士気は落ち、上官に反抗する者も出てくるが、そのような兵士は上官にリンチされて死んでいった。イムの仲間の中には、いっそ死んでしまった方が楽だ、どうせなら仲間を殺した上官を道連れに死んでやる、といって自ら死を選ぶ者もいたが、当時26歳のイムは、いつかはこんな状況も変わるはずだと信じて歯を食いしばって生き続けた。
 そんな厳しい駐屯地での毎日であったが、時折見かける少女にイムは好意を持っていた。もっとも、駐屯地で唯一の女性がその少女であるのだから、すべての男が少女に何らかの関心を持っていただろう。その少女がユンであり、当時16歳だった。イムの目に映るユンは、表情がなくいつもうつろな目をしていた。笑ったらどんなにかわいいだろう? イムはユンの笑顔をいつか見てみたいと願っていた。
 現在のイムは、日雇いの肉体労働で生計を立てていたが、北朝鮮の崩壊から朝鮮半島統一、OEC(オリエント経済共同体)設立などの混乱期には、金のためなら何でもやって生き抜いてきた。特に、旧北朝鮮の復活を夢見る元軍人たちを”狩る”仕事では、警察やコリアン軍、OUF(オリエント連合軍)、CIAなどに情報を売って小遣いを稼いでいた。しかし、そのような仕事がいつまでもできるわけがない。身の危険を感じたイムはユンと仲間のキム・ウォンの三人でソウルに移ってきたのだ。その彼の前に、昔世話になったCIAのエージェントが突然現れ仕事を頼まれた。その内容は驚くべきものだったが、マフィアとなった軍人たちの報復を恐れることなくユンと幸せに暮らすことを夢見るイムは、一世一代の賭を決意した。そして、大金を手にしたのだ。

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.7

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 江田克は自分の予感が的中したことにほくそ笑んだ。ニール・エマーソンの電子メールを読んだ江田は、皮算用をしながら最もよい取引相手は誰かと思案した。彼の思惑は、エクストリームセンスの情報を良き取引相手に買い取らせ、大金を得ようとするものだった。幾つかの取引相手が思いついたが、相模重工のライバルにして世界第2位の重工業メーカーであるアメリカのAHIが良いだろうという結論に達した。AHIの上級副社長であるスティーブン・シンプソンとは、EMSアメリカの時代にボディーガードを務めたことにより信頼を得て以来、これまで何度か情報を売って小遣いを稼いだことがある。きれい過ぎず、やば過ぎず、最もバランスの良い相手と彼は判断した。しかし、どうやってエクストリームセンスの情報を得るか? しかも、エマーソンは沢木の考え方まで求めている。そして、いざという時に自分に足が着くのはごめんだ。思案の結果、彼はかつて世話になった橋本浩一に協力を仰ごうと彼の携帯をコールした。
 EMSの日本進出に大きく関わっているのが田宮(たみや)石油である。田宮石油は、石油産出国での施設警備や石油タンカーの航路での警備にEMSのサービスを利用していた。そして、EMSが日本進出の検討を始めると、田宮石油は出資すると同時にビジネス・プランの策定に協力し、この時、江田は橋本と出会った。EMSオリエントの守備範囲は日本列島と朝鮮半島。それだけに多くの”兵隊”を必要としたのだが、橋本は現役OBを問わず、軍人や警察官など使える人間を数多く紹介してくれた。あれだけの人材を集められる人間が、堅気の人間とは江田には思えなかった。詳しい素性は分からないが、あいつならば今の課題にも良い知恵を貸してくれるだろうと考えたのだ。
 江田が橋本に電話をすると、橋本はビジネスの話ならいつでも歓迎だ、と言って早速今晩会おうと約束してくれた。時間になり江田が指定された居酒屋におもむくと、通された個室の座敷には、橋本がビンビールを飲みながら待っていた。
 しばし世間話などをした後、橋本が「でぇ」と言うので、江田は本題を切り出した。
 「相模重工の沢木聡という技術者は知っているか」
 「沢木? 随分と面白い名前を口にするな」
 「知っているのか」
 「まあ、ちょっとな」
 「その沢木がエクストリームセンスという新システムを開発しているんだが、この情報が欲しい。それに沢木がこのシステムで何をしようとしているかも」
 「何をしようとしているか? そりゃ、金もうけだろ。あいつが特許でそれだけの大金を手にしてるか知ってるか?」
 「とにかくスポンサーのオーダーなんだ。俺が直接動くわけにはいかないし、あんたの知恵を借りたいんだ」
 「金はあるんだろうな? かなりかかるぞ」
 「多分、あんたが考えてる額は出せると思う」
 「んん。それなら最も脆弱(ぜいじゃく)なセキュリティを突くのがいいだろう」
 「最も脆弱?」
 「人間の心だよ」
 「なるほど……」
 「新システムの開発に絡んでいる人間の下調べはできてるのか?」
 「俺が調べたのは沢木以外ではこの三人だけだ」
 言いながら江田はスーツの内ポケットから資料を取り出して橋本に渡した。
 「白石浩三、年寄りは駄目だ。秋山美佐子、沢木の女か。仕掛けに相当時間がかかるな。岡林敦。んーん、手頃な獲物だな。分かった、引き受けてもいいだろう。で、予算は幾らあるんだ?」
 「相模に膨大な利益をもたらしているASMOSをも上回るとなれば、相当な額でさばけると思う。とりあえず、あんたの言い値を聞かせてくれ」
 「手付けで1,000万。後は状況次第だ」
 「分かった。明後日(あさって)以降、いつでも渡せるように準備しておく」
 「商談成立だな」
 二人はビールで乾杯した。

 江田と分かれた橋本は、自分の事務所に帰るべく川崎のネオン街を歩きながら考えていた。
 沢木かぁ…… これも定めか。鮫島(さめじま)、やっとお前の仇(かたき)を討てるかもなぁ……
 橋本浩一は、千葉県の田舎町に生まれた。小学生のころはおとなしい性格で、それが災いしてかいじめに遭っていた。中学生になったある日、彼は父親の薦めで空手道場に通い出した。最初は嫌で嫌で仕方がなかったが、彼には格闘技の資質がありみるみる強くなっていった。ある時、小学生時代のいじめっ子と偶然街で遭った時、彼はかつあげされそうになった。しかし、今やいじめっ子よりも体格がよく、武道をたしなんでいた彼の敵ではなかった。いじめっ子を蹴散らすと、彼は自信を持った。「力があれば、あんな屈辱に遭うことはないんだ」と。彼はその後も空手に打ち込み、幾つかの大会で優勝した。地元ではもはや無敵の橋本として知られるようになっていた。その後も、高校、大学と空手を続け、全国大会でもチャンピオンになった彼は、ある上場企業の空手部から誘いを受けた。それに応じた彼は東京に出て、格闘家としての本格的な人生を歩み始めたのだが、練習中にけがをし、格闘家としての道を断念せざる負えなくなった。仕方なく、彼は総務部の総務課という部署で働き始めるのだが、武道に専念してきた彼にはできないことだらけで、上司や同僚は彼を煙たがり、仕事を教えるどころかバカにした。
 自分はこんなにも何もできない人間なのか?
 それまでの彼の自信は大きく揺らいだ。そして退職して手にした幾ばくかの退職金を持って、繁華街をさまよい歩いた。格闘家としてはその目を絶たれた彼も、ルールのないストリート・ファイトとなればその強さは最強と思えるほどだった。彼は酒を飲み、チンピラに絡み、次々とけんかを仕掛けてはその相手を倒していった。
 ある時、その街を仕切るヤクザに彼は誘われた。それは、借金の取り立てや、島を荒らす連中を排除する仕事だった。その日暮らしをしていた彼は、雇用主が誰であろうと、一定の収入が得られるその仕事に飛びついた。すっかりヤクザの仲間入りをした橋本だったが、彼のうわさを聞きつけた千葉を地盤とする国会議員に、ボディーガード兼運転手として雇われることになった。議員は、なぜか橋本をかわいがった。
 「いいか、橋本。腕っ節の強さだけではこの世の中は生きていけない。これからは頭を鍛えろ。まずは、新聞を隅から隅まで読むことから始めるんだ。運転手には待ち時間がたくさんある。しっかり勉強するんだぞ」
 そう議員から言われた橋本は、素直に勉強した。そして、今までの自分は何と無知だったのかと恥じた。そうだ、何事も鍛錬だ。いじめられなくなったのは強くなったからだ。頭を鍛えれば、俺の人生も変わるはずだ。数ヶ月後、橋本の努力を認めた議員は、彼をボディーガード兼運転手から、秘書兼ボディーガードに昇格させた。
 「いいか、橋本。世の中には表と裏がある。それらは表裏一体、つまり、その二つで世の中は成り立っているということであり、そのどちらにも通じていなければ生きていくことなどできない。奇麗事を言う連中は所詮は二流、お前は一流を目指せ」
 更に続けた。
 「重要なのは頭だ。金を手にするのも、人を使うのも、地位や名誉を得るのもその源泉は頭だ。これからも勉強を怠るなよ」
 橋本はその教えに従った。そして、特に議員の裏の仕事を任された彼は、次第に裏社会とのコネクションを広げていった。
 ある日、彼は議員から一人の人物を紹介された。
 「これから会う方は、日本を誇り高い国に変えようと活動されている方で、我々の強力な支援者だ。粗相のないようにな」
 その人物とは、田宮石油会長の田宮総吉(たみや そうきち)。〈民の証〉と称する裏組織を仕切る人物だった。横浜市の料亭で、橋本は初めて田宮と会った。橋本の目に映る田宮は、オーラというのか、何か得体の知ないすごみというものを感じさせた。と、突然田宮が切り出した。
 「どうだね、橋本君。今度は私のところで勉強してみないか? もっといろいろな世界に触れられると思うよ」
 田宮の問いかけに議員が言った。
 「こんないい話はないぞ! 私のことは気にしなくていい。田宮さんのところでお世話になりなさい」
 その後、橋本は田宮石油に正社員として採用され、田宮の秘書として仕事を始めた。その仕事とは、田宮の裏の仕事を切り盛りすることだった。そして今、彼は田宮の元から独立し、川崎の雑居ビルでセキュリティ・コンサルタントの事務所を開業している。もちろんそれは、世を忍ぶ仮の姿であり、今も田宮とはつながりを持っていた。
 橋本は自分のオフィスからネオンに包まれた歓楽街を見下ろし、物思いに浸った。

 気がつくと、生きていた。好むと好まざるとに関わらず、人はこの世に生を受け、親を持ち、人と関わり、学校に行き就職し、泣いたり笑ったり、競争に勝ったり負けたりしながら生き続ける。自ら死を選ぶというオプションはいつでも行使できるはずなのに、これが行使されることはまれだ。基本的に人は生き続ける――なぜだろう?
 人は死を恐れる。死を恐れる以上、生きる以外にそれを逃れる方法はないのだが、死を自ら選ぶ者とは、死の恐怖以上に生きることが恐怖となるのだろうか? だとすれば、人は生きることと死ぬことの恐怖を計りにかけ、恐怖の少ない方を選択するといえるのか……
 子供のころは夜が怖かった。闇の中から未知なる物が自分を襲う…… 孤独で冷たく、目に見える物が少ないから妄想が頭の中を駆け巡る。怪奇現象の本や友達が話していた怖い話、いろいろなことが思い出したくもないのに思い出されてくる。闇は視覚などの情報を奪う代わりにイマジネーションを増幅させる。闇から生まれるイマジネーションは、そのほとんどが恐怖だ。そして朝になり、学校へ行く支度をするころには、トイレに行くための廊下も全く怖くはなくなっている。
 闇とは逆に、光はたくさんの情報を与える。見える、という安心感は、外部からの情報処理能力を活性化させる代わりに、イマジネーションを減少させる。そう、今の日本は光に包まれた国だ。だからそこで暮らすほとんどの人間は、イマジネーションが欠如している。恐怖に対して鈍いのだ。ならば、もう一度闇の恐怖を教えてやる必要があるのではないか。
 俺は、何のために生きるのだろう? このまま生き続けても、行き着くところは死だ。いずれは死ぬという唯一絶対の定めの中で、今日死ぬことと、10年後、20年後に死ぬこととの違いは何なのだろう? 豊かな人生? 意味が分からない…… というよりも、なぜこの世には生物などというものが存在するのか? しかし、考えてみると死が訪れるのは生物だけではない。形あるものはいつか壊れる。太陽はいつか燃え尽き、地球もいつかは消えてしまうのだろう…… つまり、永遠が約束されたものなどこの世にはないということだ。言い換えれば、死こそが唯一の約束なのだ。ならば、約束を果たすことに手を貸すことには正当性があるはずだ。
 人類はたくさんいる。多少の犠牲など取るに足らないことだ。死をリアルに体感することで恐怖がよみがえることによりイマジネーションが豊かになれば、もっと死に向き合う人間が多くなるはずだ。そうなれば、生きることの意味はもっとシンプルに理解されていくだろう…… そして、この世は変わるはずだ……
 橋本浩一、彼もまた、退行主義過激派の思想を持つ者の一人だった。

 

 橋本が物思いに浸っているころ、月明かりに照らされた白石邸の広い庭の真ん中に立ち、見山人美は3メートルほど離れたところに置いたバスケットボールを見つめていた。そして呼吸が整うと、人美はEYE’sの制御モードをセーフティからノーマルに変更し、ボールをコントロールすることに集中した。人美のサイパワーがボールに伝わると、それはスーッと静かに浮かび上がり、彼女の周りを衛星のように回り始めた。完璧なコントロールだった。人美は徐々にボールの円周軌道を広げていき、同時に軌道の高度を上げたり下げたりした。これは、人美が独自に考え出したトレーニング方法だった。最初は紙を丸めた小さな球体から始め、ビニールボール、ソフトボールと徐々に大きさと重さを変えていき、今はバスケットボールでトレーニングしている。
 人美はこのトレーニングを通じて、物の大きさや重さはサイパワーの行使には関係ないことを学んでいた。現に、人美は白石のベンツを数センチ持ち上げたり、建設現場に置かれたパワーシャベルを持ちあげたりすることができた。そして、坂道をマウンテンバイクで上がる泉彩香が「疲れたよ」と言うと、人美はサイパワーで彩香を牽引(けんいん)した。
 大丈夫、いつもと同じ。うまく使えてるわ、と心で言った人美は、大空へのチャレンジを開始した。人美はEYE'sの制御モードをパフォーマンス・モードに切り替えると足元を見た。そしてイメージした、地面から足が離れるところを…… その瞬間、風の動きを感じた後、脚は突然軽くなった。
 よし……
 人美は10センチほど宙に浮いている。
 次は、このまま前に移動……
 そう念じると、人美の体は動く歩道に乗っているかのように、滑らかに水平に移動した。
 少し高く……
 人美は失敗した時のことを考えプールの中央付近に移動し、体の高度を少しずつ上げていった。1メートル、2メートル、3メートル。極めて順調だった。
 OK。今日は調子いいかも……
 そう感じた人美はクリスタル・フィールドを展開した。これで誰かに見られる心配はない。人美はホバリングしているような状態で高度を更に上げ、5メートルほどの高さに上昇した。
 さあ、次はゆっくり小さく旋回……
 しかし、体は思うようには動かない。まるで小回りのきかない大型トラックのように大きな弧を描かないと旋回できない。
 イメージが足りないんだよなぁ…… 鳥になった気分にならないと……
 人美は両手を広げ、左旋回する時に翼を模した両腕を左に大きく傾けてみた。すると、スムーズに小さな旋回が始まった。
 「やったっ!」
 思わず声が出た。しかし、人美の体は左に大きく傾き続け、脚が頭より高くなると……
 バシャーン! 大きな水しぶきを上げ、人美はプールに落下した。
 クリスタル・フィールドに守られた人美はフワフワとプールの水面に浮かんでいた。
 「墜落かぁ~ 鳥って、すごいなぁ~」
 そうつぶやきながら、人美はあおむけに寝転がった。クリスタル・フィールドによって水面に浮かぶ人美の姿は、まるでエアマットで浮かんでいるようだった。人美の目に月が見える。
 絶対飛べると思うんだよなぁ~ 無理なのかなぁ~
 サイパワーが覚醒してからというもの、人美の試行錯誤が続いていた。

 

 ニューヨークのシンボルの一つ、マンハッタン橋。そのマンハッタン島側イースト川のほとりにAmerican Heavy Industries, LTD.(AHI)の本社はあった。執務室で江田克のメールを読んだAHIの上級副社長、スティーブン・シンプソンは怒りに震えた。
 ASMOSを超えるほどのシステムだと。沢木め、どこまで俺に逆らう……
 沢木聡のEFC論理が発表された時、シンプソンは沢木をAHIに誘った。しかし、沢木はボーイング社とのフライトシステム開発を選びシンプソンの誘いを断った。そして2回目は、沢木がMITを卒業し相模重工を選んだ時だった。そして相模は革新的制御システムの製品実装で次々と成功し、大きな利益を上げると同時にライバルを振り切った。AHIは相模に次ぐ世界第2位とはいえ、売り上げはダブルスコア以上離されている。
 これ以上、相模にやられるわけにはいかない。
 AHIの製品開発を統括するシンプソンには焦りがあった。金に糸目はつけない。詳細な情報を入手しろとシンプソンは江田に返信した後、同志に電話をした。同志とは、アメリカ上院議員のアーノルド・クーパーで、反日派の急先鋒(せんぽう)と知られる人物である。クーパーは、今日はニューヨークに滞在している。いいタイミングだ、彼に相談しよう。シンプソンはクーパーの泊まるホテルで会う約束をした。
 1985年にプラザ合意が行われたことでも有名なプラザホテル。そのスイートのリビングルームでブランデーを飲み交わしながら二人は会話をしていた。
 AHIの上級副社長、シンプソンが言った。
 「EMSオリエントになかなか使える日本人がいるんだが、そいつから相模重工がまた新しいシステムの開発に着手しているというニュースを聞いたよ。全く沢木さえ獲得できていれば立場は逆だったものを」
 上院議員のクーパーは葉巻を吹かしながら答えた。
 「なぁーに、ゲームは終わった訳じゃなかろう。逆転のチャンスはまだあるさ」
 「例の法案、何とかならないだろうか?」
 「残念だが、今の腰抜け政権にそんな度胸はないさ。それに、国内シュアを取り戻したところで、君は満足しないだろう」
 「確かに。世界シュアの奪還こそ、AHI、いや、オルグが目指すべきものだ。何としても新システムの情報を手に入れて、巻き返しを図らなければ」
 「オルガナイザーは使えないのか?」
 「私の知る範囲では、相模にオルガナイザーはいない。アジアは開拓が不十分だ。EMSオリエントの男がやってくれることを祈るだけだ」
 「ならば、もっと大きな取り組みも我々には必要ではないかね?」
 「もっと大きな?」
 「そうだ。沢木を手に入れたいのなら、相模ごと手に入れるということもできる」
 「買収ということか? しかし、相模の時価総額は600億ドルだぞ」
 「高いものは値を下げればいいだろう」
 「どうやって?」
 「たたきのめすのさ…… OEC(オリエント経済共同体)の好景気をいいことに、極東の連中はいい気になり過ぎている。まるで世界の中心はアジアとでも言わんばかりだ。見せしめのために、相模はちょうどいいではないか……」

 

続く……

2012年9月26日水曜日

小説『エクストリームセンス』 No.6

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 7月4日、日曜日の9時。沢木聡が自宅の研究室でエクストリームセンスの設計を見直していると、スマートフォンが見山人美の来訪を告げた。人美は研究室にやってくると、昨日見た夢について語り始めた。
 「沢木さんと初めて会った時のこと覚えてる? 私が自転車で散歩している時に、たまたま沢木さんの弾くピアノを聞いて、その音に呼び寄せられて沢木さんの家に行った時のこと」
 「もちろん、覚えているよ。あの時弾いていた曲はオネスティだ」
 「そう、昨日その時の夢を見たの。でも、あの時とは違って、沢木さんの横に女の人が立ってたの」
 「何だかちょっと怖いね」
 「でも、きれいで優しそうな人よ。身長は160センチくらい、とっても細い人。多分40キロ台前半かなぁ……」
 「随分と鮮明な夢だね」
 「ええ、近くによって会話もしたわ」
 「どんな?」
 「あなたは誰? って声をかけたら、驚いたような顔をしているから、何をしているの? って聞いたの。そしたら立ち去ろうとしたから、彼女の前に出たの」
 「表情まで読み取れたんだ。夢とは思えないね」
 「うん、すべてが鮮明だった。で、もう一度あなたは誰って聞いたら名前を教えてくれたわ」
 「何ていうの?」
 「ズオメイって聞こえた」
 「ほう、中国的な名前だね」
 「彼女は迷い込んでしまったの。だからもう行くわって言ってその場から消えていった。私はとてもいい人に思えたから、もう迷い込まないでねって言いながら手を振って見送ったの」
 「ほう…… しかし人美さんの見る夢なんだから、ただの夢ではなさそうだね。そのズオメイという人をESで調べてみようか?」
 人美はニコッとして答えた。
 「沢木さんならそう言うと思ったわ」
 人美はリクライニング・シートに座ると、リラックスできる姿勢に背もたれの角度を調整し、人美とASMOSとのインターフェースとなるヘッドアセンブリと、心拍を測定するための指センサーを左手の人差し指に装着した。このヘッドアセンブリは、大小10個の白いパッドで構成され、一つひとつのパッドにPPS(サイコロジカル・パルス・デバイス)が数個から数十個埋め込まれ、それらのパッドはゴム製のバンドと通信ケーブルでつながれていた。そして、後頭部を覆う一番大きなパッドからは、ASMOSとつながるインターフェース・ケーブルや電源ケーブルが接続されている。人美の座るリクライニングシートの近くには沢木のデスクがあり、その上のFuture Baseマシンによってシステムがコントロールされる。デスクの正面の壁には、ESの動作をモニターするための60インチ液晶ディスプレイが2台掛けられていて、そこに映る様々な情報をもとに、沢木は人美のESをリードする。
 準備が整うと、沢木はヘッドセットのマイクに言った。
 「2021年7月4日、9時38分。沢木ラボにて見山人美さんによるESを開始する。では人美さん、始めていいかな?」
 音声は記録として録音されていた。
 「はい、OKです」と言って人美が目を閉じると、沢木は天窓のブラインドをリモコン操作で閉め、室内を暗くした。そして、人美とASMOSがオンラインになると、部屋の隅のラックにマウントされた10台のサーバーからファンのうなる音があがった。人美、ヘッドアセンブリ、研究室のFuture Baseマシンとサーバー、そして相模重工本社のASMOS。これらが一体となったエクストリームセンスが稼働を開始したのだ。すると、人美の脳裏には青白く光る大きな球体が現れた。そこに沢木の声が届く。
 「さて、人美さん。さっきも言ったようにズオメイは中国的な発音だ。まずは、この発音に該当する漢字を探しだそう」
 人美は「ズオメイ」、「中国語」、「発音」などの検索キーワードをASMOSに送った。すると、青白い光の中から関連する文字や映像、音声情報などが次々と浮かび上がり、やがてそれらの情報は大小様々な情報の塊――インフォキューブ(Info Cube)となって青白い光の中をクルクルと回り出した。
 インフォキューブは、人美の意識が作り出すASMOSのフィードバックを認識する際のイメージであり、関連性の強い情報がサイコロのような立方体となったものである。そのインフォキューブはフラクタルな構造(情報が集まりインフォキューブを作り、そのインフォキューブが集まり再びインフォキューブを作る、という構造)になっていて、全体のことを情報の浮かぶ雲――インフォクラウド(Info Cloud)と沢木たちは呼んでいた。人美はこのインフォクラウド上のインフォキューブをトレースしながら、情報のつながりが作り出す意味を理解することができるのだ。
 ESがインターネットの検索エンジンと根本的に違うところは、人間が持つ高度な情報処理能力をASMOSが学習し、人間の脳の情報処理能力を拡張するような形でネットワーク上からかき集めた膨大な量の情報を処理できるところにある。例えば、「渋滞」と「事故」という情報があった時、人間は「渋滞の原因となるのは事故、よって事故により渋滞」というように単なる二つの単語から意味を推論することができる。さらに、「雨によるスリップ事故」という情報があれば、「事故によって渋滞が起こっているのは雨が降っている地域」と推論を膨らますことができ、このような情報の意味的つながりを様々に処理することによって、最終的には事実にたどり着くことができる。このような情報処理の手法自体は、ES以前にもあったが、情報の意味づけを辞書のようなものによってコンピュータに理解させるため、十分な性能を発揮することができなかった。しかし、ESは人間の脳による高度な意味推論をリアルタイムで学習し、これを即座にフィードバックして更にその結果を学習するという画期的な要素によって、同種のシステムをはるかに凌駕(りょうが)する情報処理能力を有しているのだ。人の情報処理能力の限界をテクノロジーで突破するという点で、このシステムはまさに超感覚――エクストリームセンスというにふさわしかった。
 しかし、ESの効用はこれだけではなかった。ASMOSと一体化した人美のサイパワーは通常時の力をはるかに超え、空間を超えてサイパワーを行使することができた。そして、その力が初めて発揮されたのが、東京国際フォーラムに押し入ったテロリストが持つ短機関銃を無効化した時だった。あの時、人美は沢木とこの研究室でESをテストしていた。ESによって活性化された人美の脳は、インフォクラウドの膨大の情報を自身の記憶や知識で補完することによって、後にサイバーワールドと呼ぶことになる仮想世界を脳内に展開したのだ。その時、テロ発生のニュースがインフォキューブに現れ、この情報を詳しく収集し始めた人美は、政府のセントラルネットをクラッキングし、SOPのネットワークから関連情報を入手することによってテロ現場の状況を理解し、更にテロリストの持つ短機関銃をサイコキネシスによって発射不能にするという離れ技をやってのけたのだ。
 沢木はESによって整理された情報をディスプレイで確認しながら言った。
 「OK、人美さん。こちらのディスプレイでも人美さんの捉えた情報がモニターできたよ。もう答えに近づいているようだね」
 ESを操る人美の出した推論はこのようなものだった。
 「ズオメイ」の「メイ」は「美」という漢字。中国の女性の名によく使われる。名前は二文字が多いので、「ズオ」を一文字とすると発音が近いのは「奏」という漢字。「奏美」の発音はZoumay。片仮名表記としては「ズオメイ」より「ズウォメイ」の方が発音に近い。
 そして人美が「Zoumay」で検索すると、Zoumay Emersonがヒットしその写真がインフォキューブと沢木の見るモニターに映し出された。
 「この人だわ。間違いない……」
 人美のその声を受け沢木は詳細情報に目をやった。
 「ニール・エマーソンの娘。彼女はアメリカの民間軍事会社の娘だよ」
 人美はESによって、ニール・エマーソンやEMSについて瞬時に理解した。
 「どうしてこの人が夢に出てきたんだろう? EMSなんて初めて知ったわ」
 「人美さんのパワーが何かを暗示している可能性があるね」
 「ズウォメイさんって、養女なんだね」
 「ニール・エマーソンはもともと武運に恵まれている男だったが、養女を得てからは更に会社が発展してる。今では世界一の民間軍事会社だからね」
 「ファンタジスタなのかなぁ」
 「んん、今ここに人美さんがいることを考えれば、他にファンタジスタが存在していたとしても何の不思議もないね」
 「どんな力を持ってるんだろう?」
 「ニール・エマーソンと娘との関係を調べてみようか。彼の子煩悩は有名だから」
 沢木がそう言うと、人美の脳裏に浮かぶインフォクラウドが動き出し、エマーソンが記者会見や雑誌のインタビュー、パーティーなどで語った言葉の記録が現れた。その断片は……

  ……ズウォメイは私の幸運の女神だ……未来が見える時がある……感がさえている……ズウォメイは私に幸運をもたらす……時々、神の啓示がある……ズウォメイは私に多くのものを与えてくれた……ズウォメイは神から授かった宝だ……この世には、我々の知らない世界がまだまだあるのだと思う……戦いを有利に進める唯一の方法は、未来を予測することだ……いつかこの運も尽きるかもしれない……ズウォメイこそ私の宝だ……困難な道でも、解決の道筋は必ず示されてきた……ズウォメイと出会ったのは運命だと思う……戦いのたびに、私は運命を感じる……戦いに勝つ者は幸運な者だ…………

 というようなものだった。沢木は言った。
 「宗教的な世界観だな。まあ、珍しいことではないか…… 人美さん、インフォキューブの粒度を変えてみよう」
 人美がESに処理命令を発すると、エマーソンの言葉の関連性がインフォクラウドとして人美の脳裏に展開され、沢木の見つめるモニターには共起ネットワークとしてグラフィカル表示された。グラフィックからは、戦いを勝利に導く者としてズウォメイが存在し、その勝利の要因として、未来の予測が重要であることが読み取れた。
 沢木は仮説を立てた。
 「彼女には予知能力があり、それがエマーソンを勝利に導いているのかもしれない」
 「サイパワーを戦争に使っているということ?」
 「私も人美さんとの研究をビジネスにしている……」
 人美は笑顔で答えた。
 「沢木さんはいい人だわ」
 「ありがとう。きっと彼らも同じだよ。この写真を見てご覧……」
 それはズウォメイが二十歳を迎えた時の親子二人の記念写真であり、インターネット・ニュース・メディアに掲載されたものだった。二人の表情から読み取れることは……
 「すてきな親子ね」
 人美の感想に沢木が答えた。
 「悪い人ではないと思うよ」
 「うん」
 「でも、ESが使い方を誤れば脅威となるように、彼らにもその危険性はある。不思議だね。私たちの相似形のようだ」
 「次はどうするの?」
 沢木はESを停止させ、照明の照度を少しだけあげると人美に近づいていった。脳裏からインフォクラウドが消えた人美は目を開け、近づいてくる沢木に「この前の力を使えばもっといろいろなことが分かるかも?」と提案した。
 「今日はこのくらいにしておこう。人美さんも疲れたでしょ?」
 「でも……」
 人美はモヤモヤとした気分を早く晴らしたいと思っていたが、沢木はそれを制した。
 「我々は誰もやったことのないことをしている。だから何が正解で何が間違いかを一つひとつ確かめながら進んでいかなければならないんだ。ゆっくり、焦らず行こう、ねえ?」
 沢木は人美のヘッドアセンブリを外してやった。

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.5

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 7月3日土曜日。見山人美はマウンテン・バイクに乗り沢木聡の家へと向かっていたが、ペダルを真剣にこいではいなかった。最初のころは、坂道がきつい時だけサイパワーを使っていたのだが、最近はペダルをこぐまねをするだけだった。サイパワーをこんなことに使ってよいのだろうか? そんな考えが初めのうちはちらついていたのだが、泉彩香の一言、「車やバイクと同じでしょ」によってそのような考えは薄らいでいった。
 人美はEYE'sのおかげでサイパワーをかなり自由にコントロールできるようになってきたが、そうなると次第に日常生活の中でサイパワーを使うことが増えてきた。何か物を取る時も、手足を動かさずにサイパワーで取ってしまうのだ。ちょっとした場面で簡単にサイパワーを使ってしまう自分――それは自分が楽をするために――を思うと、ダースベイダーのように暗黒面に落ちてしまうのではないか? あるいはブクブクに太ってしまうのではないか? そんな考えがサイパワーを使うたびに脳裏をかすめては消えていた。
 何かを得れば何かを失うことがある。人生とはゼロサム・ゲームなのかもしれない――そんな沢木聡の言葉を深く胸に刻んだ人美は、サイパワーを持ったことの意味を常日頃考え続けていた。そして、人美には夢があった。サイパワーを使ってどうしてもやりたいことがあったのだ。空を飛ぶ――まだ実現はしていなかった。

 

 神奈川県の葉山町(はやままち)、この海に面した小さな山の中腹に沢木聡の新居はあった。それまでは、相模重工が用意した小さな戸建ての借家に住み、彼自身もその家を気に入っていたのだが、2年前の拉致事件の後、情報管理室の渡辺昭博から「あのあばら屋では十分なセキュリティは無理だ。秋山と一緒になるのなら、まずはちゃんとした家に住み替えるんだな」と助言され、住み替える決心をした。そして、どうせならば人美のサイパワー研究も行える設備を整えよう。そうすれば人美は同じ葉山にある白石の屋敷から関内(かんない)の相模重工本社まで行かなくて済む。そんな考えの基、沢木は土地を購入し、今年の2月に沢木邸が完成した。
 沢木邸には居住棟と研究棟がL字型に配置されていた。研究棟は地上1階地下1階建てで、研究室は地下にあった。居住棟は山の斜面にある土地のため、研究棟より1階分高い位置が1階となる地上2階地下1階建ての構造だった。どちらも緩やかなウェーブの重なり合う白を基調とした手塗りの壁で、最初に沢木邸を見た時の秋山美佐子の感想は、南国のリゾートホテルみたい、というものだった。敷地面積705.5平方メートル、延べ床面積413.9平方メートル。独りで住むにはあまりにも広い邸宅だったが、いずれは秋山がきて家族が増え、研究のために仲間たちが訪れることを考えれば、規模的には相応といえるものであったが、研究設備をも含めた総建築費数億円というスケールは、特許料による資産があればこそ実現できたものだった。
 見山人美は沢木邸の門に設置された認証装置の前に立つと、ビデオカメラを見ながら呼び出しスイッチを押した。すると顔認証システムが人美と認め門を自動開閉し、人美はマウンテンバイクを研究棟へと進めた。門から研究等までは石畳が真っすぐに16メートル伸びている。その右手に居住棟が、左手には車を5台駐車できるアスファルトのスペースが広がっていた。人美は研究棟の左手奥にある芝生がひかれたテラスの近くにマウンテンバイクを止めると、二つ目のセキュリティとなる研究棟のエントランスへと向かった。研究棟のセキュリティは、整脈認証、顔認証、声紋認証の3つによって行われるが、これは、許可を得た人間が、自らの意思で認証を受けていると見なすためであり、相当強固なセキュリティと考えられた。
 人美が研究棟に入ると、沢木邸のもう一人の住人、NGR-X0が人美を出迎えた。
 「こんにちは、ゼロ」
 「こんにちは、人美さん」
 ゼロはNGRプロジェクトの試作初号機であり、2号機であるX1の完成後は沢木の下でASMOSによる自律制御の研究が行われいた。体長80センチのゼロは、一見するとSF映画に出てくる意思を持ったロボットのようだが、あくまでもプログラムに従って動作しているだけである。ただし、ASMOSと連携しているため、経験帰還――すなわち学習をしていくことにより意思を持つかのような振る舞いを見せる時がある。例えば、「こんにちは」っと声をかけられると、その規則性を人物やイベント日時から学ぶことで、時刻を踏まえた適切なあいさつを人工声音で発するようになる。人美や泉彩香と接することの多いゼロは、「こんにちは」っと返す時に手を振って首をややかしげるという、女性的な動作をするようになっていた。

 

 「ゼロ、電気をつけて」
 人美がそう言うと、ゼロは沢木邸の制御システムに無線LANでアクセスし、ミーティング・ルームの照明をつけた。人美は地下研究室の入り口のロックをゼロに解錠させ、階段を下りてその中へと入っていった。研究室は地下にあったが、天井には採光用の大きな天窓があるために明るく照らされ、白い床や壁が輝いていた。壁際には沢木の蔵書がずらりと並び、沢木のデスクと人美がエクストリームセンスを使用する時に使うリクライニング・シートが部屋の真ん中に置かれていた。人美はリクライニング・シートの背もたれを倒すと、天窓から見える空を仰いだ。人美はこの空間が好きだった。相模重工の研究室は、銀色の鉄板に覆われたいかにも研究室という空間で、正直あまり好きではなかったが、この研究室はリラックスできる空間だった。事実、人美のエクストリームセンスのスコアはこの研究室に移ってから劇的に向上し、環境変化に起因すると思われるこの結果は、人美の潜在能力の奥深さを示すこととなった。
 人美が青い空を見つめながら、どうしたら飛べるようになるんだろう? と目下の最大テーマについて考えていると、沢木聡がコーヒーカップを二つ持って研究室に入ってきた。
 「やあ、人美さん。夏休みの計画はできたかな?」
 人美はニコニコしながら言った。
 「ええ、大体ね」
 「ほう、楽しそうな顔をするね。どんなプランかな?」
 人美はその計画を初めて沢木に話した。
 「私、空を飛べるようになりたいの」
 「ええっ! 空を」
 「そう。今少しずつ練習しているんだけど、少しの高さなら自分の体を宙に浮かすことができるの。練習を重ねれば飛べると思うんだ」
 そんなことを人美が考えているとは思わなかった沢木は驚いたが、確かに、かなりの重量物でも浮遊させることのできる人美のサイコキネシスを応用すれば、自身が飛行することも可能と思われた。
 「驚いた。でも、確かに可能性はあるね。で、飛べたら何をするの?」
 「普通に旅行かなぁ。京都とか、北海道とか」
 「純粋に移動手段ということか」
 「だって、宅配のバイトをするわけにはいかないでしょ?」
 沢木は笑いながら答えた。
 「確かにね。でも、成功したとして飛んでる姿を見られたら大変だよ。何か対策を考えないと」
 人美は得意げな顔で答えた。
 「実はね、もう用意してあるの」
 「へえ、どんな?」
 「クリスタル・フィールドって名前をつけたんだけど、それで体を覆うと透明とまではいかないけど、姿を見えにくくすることができるの」
 「それはすごい。そんな技をいつの間に身につけたの?」
 「先週くらいかなぁ。彩香のアイデアをイメージして練習を重ねたらできるようになったの。彩香は光学迷彩だねっていったけど、それではパクリだから私がクリスタル・フィールドって名付けたのよ。見てみる?」
 「もちろん、やって見せて」
 人美はリクライニング・シートから立ち上がり、コーヒーカップを置くとEYE'sのコントローラーであるスマートフォンを取り出し、制御モードをパフォーマンス・モードに切り替えた。そして「行くよ」と言ってクリスタル・フィールドを展開した。
 人美がサイパワーを発動する時には必ず気流が発生するが、この時も人美に吸い込まれるかのような緩やかな気流が発生した。そして薄い氷のような物体が人美の全身を覆った後、キュキュッと小さな音が鳴り人美を包む物体は蜃気楼(しんきろう)のような空間の揺らぎとなって人美の体を消した。沢木は驚きの声をあげた。
 「すごい! すごいね! できるんだ、こんなことが……」
 人美はクリスタル・フィールドを解除し、ウィンクしてから言った。
 「でしょっ!」

 

 

 太平洋標準時で土曜日の10時を過ぎたころ、ズウォメイ・エマーソンは自室のソファに座り、レモンとローズマリーなどで煎じられたハーブティーを飲みながら、目を閉じて集中力を高めていた。部屋のカーテンは閉められ、ソファ横の小さなテーブルに載ったスタンドライトがズウォメイを照らしていた。彼女は今、コンシャスネス・ネットワーク・ダイブ(Consciousness Network Dive)と自称するサイパワーを使う準備をしているところだった。
 コンシャスネス・ネットワーク・ダイブとは、他人の意識に潜入――ダイブして情報を読み取る能力で、更にダイブした意識が認識している第三者の意識へと移動することができた。例えば、見山人美の意識にダイブし、人美の意識が認識している泉彩香の意識に移動し、更に彩香が認識している別の人物の意識にというように、意識のつながり――コンシャスネス・ネットワークを通じて様々な人間の意識から情報を読み取ることができるのだ。ズウォメイが今回ダイブしようとしているのは沢木聡。それは自身の予言、「人のバランスが崩れようとしている」の意味を確かめるために他らない。
 ダイブを行うためには、その対象となる人物の意識を理解することが必要となる。つまり、ズウォメイが理解していない人間にはダイブできないのだ。ズウォメイは沢木と面識がないためその意識への理解度はゼロに近い。そこで、ダイブを成功させるためには――必要な情報を得るためには、できる限り沢木という人間を知る必要がある。ズウォメイは、エマーソンの指示によってEMSオリエントの江田克が集めた情報を丹念に読み込み、また、YouTubeなどにアップされている沢木の講演やインタビューの動画を見て、彼の意識への理解を進めた。しかし、それでも沢木に直接ダイブできないことも考えられるので、沢木をよく知る人間の情報も江田から得ていた。これにより秋山美佐子、岡林敦、白石浩三への理解を深め、沢木に直接ダイブできない時にはこれらの意識から間接的にダイブしようと計画していた。
 ズウォメイの集中力はピークに達していた。呼吸は静まり、脈拍はゆっくりとしたリズムを繰り返していた。そして、夕日が沈むようなとても滑らかでゆっくりとしたスピードで、ズウォメイの意識は沢木の意識へとダイブしていった。他人の意識にダイブするということは、自身の記憶に他人の記憶が追加されるようなイメージである。そして、最も深くまでダイブが成功した時には、過去の行いから未来にしようとしていることまで、他人を真っ裸に暴いてしまう恐るべきパワーなのである。
 一方、沢木はこの時(太平洋標準時10時ごろ、日本時間翌2時ごろ)睡眠中であったが、彼自身の身体に変わったことが起こるわけではなく、ダイブという行為を彼自身も、彼を見る他人の目からも気づくことはできない。しかし、今回は違った……
 ダイブを開始したズウォメイの脳裏には真っ白に輝く空間が広がり、その輝きから浮かび上がるように沢木の記憶がビデオのように再生されていく。しかし、最初のシーンが浮かび上がって間もなく、ズウォメイの前に突然侵入者が現れた。
 「あなたは誰?」
 突然の問いかけにズウォメイは驚いた。
 何ですって!? 私を認識しているの?
 「どうしてここにいるの?」
 それは見山人美の声だった。他人の意識の中でズウォメイを認識しコンタクトを求めてくる者などこれまでは皆無だった。初めての出来事にズウォメイは困惑するとともに、自分以外にもエスパーがいることを生まれて初めて知った。危険を感じたズウォメイは沢木から他の意識へ移動しようとしたが、その行く手を人美に阻まれた。
 「私は人美、沢木さんの友達。あなたは誰? ここで何をしているの?」
 ズウォメイは人美の姿をハッキリと捉えることができた。度重なる人美の質問に、ズウォメイは慎重に答えた。
 「私はズウォメイ。迷い込んでしまったの」
 そして、この状態から早く逃れるべきだと考えた。
 「だからもう行くわ」
 人美は「もう迷い込まないでね。さようなら」と言いながら、ゆっくりと手を振った。ズウォメイは「ええ」と小さくうなずいてから沢木の意識から浮上した。
 ズウォメイは水中から浮上したかのように大きく息を吸い込みながら、飛び上がるように目を開け立ち上がった。呼吸は乱れ、心拍数も上がっていた。しばしの放心状態の後、よろけて手を突こうとした時にティーカップを床に落として割ってしまった。その音が、ズウォメイを正気に戻させた。彼女はソファに座り、深く深呼吸した。
 一方、自室のベットで眠っていた見山人美は、静かに目を覚ました。そして「ズオメイって、誰? 沢木さんの記憶? おかしな夢……」とつぶやいた。

 落ち着きを取り戻したズウォメイは、割れたティーカップを片付けると、どうすべきかを自問自答した。
 エスパーがいるなんて…… 私以外にもエスパーが…… 人美と言う女の力は私よりも強いかもしれない。ダイブを続けるのはリスクがある。でも、真相を突き止められなくなってしまう。人のバランスが崩れるとは、沢木の技術と人美のパワーによって起こるのかもしれない。やるなら、早い方がいい……
 そう考えたズウォメイは、人美を回避するために秋山美佐子をダイブのターゲットに選び、その意識に飛び込んだ。
 秋山の意識は幸せに包まれていた。そして沢木への深い愛情をズウォメイは感じた。これほどの幸福感をもたらす沢木という人間が、意図的に悪事を働く人間とはズウォメイには思えなかった。きっと、何か不幸な出来事が人のバランスを崩してしまうのではないか? そんなことを感じながらダイブを続けた。そして、エクストリームセンス――その言葉をズウォメイは見つけた。秋山の記憶が再生されている。
 秋山を前に沢木が少年のような顔で話している。
 「すごいことを発見したんだ。バイオフィードバックを応用することで、思考制御だけではなく、コンピュータのアウトプットを脳で直接受けることができるんだ。つまり、脳がコンピュータによって拡張されるようなものだよ。すごいでしょ? だから超感覚――エクストリームセンスと名付けることにしたんだ」
 岡林敦と話しているシーンが再生される。
 「ESにはもっとすごい可能性があるんだから。これを聞いたらぶっ飛ぶよ!」
 ズウォメイは秋山から岡林にダイブした。
 「それに彼女、星恵里さん。かわいいし!」
 「彼女はSOPのエースだぞ……」
 岡林の意識に刻まれた記憶をさかのぼっていくズウォメイ。そして、すべてをひも解くシーンにたどり着いた。
 沢木は岡林を前に話をしている。
 「バイオフィードバックのアイデアは、知っての通り人美さんのサイパワーをコントロールするためのものだ。しかし、このメカニズムを使えばシステムは脳とダイレクトに通信できる。これをASMOSと直結すれば、桁違いの情報処理ができるはず――これがエクストリームセンスというアイデアだ。そしてもう一つは、バイオフィードバック量によって人美さんのサイパワーを増強できることから重大な可能性に気がついたんだ。分かるか?」
 岡林は「さあ?」と首をひねった。
 「サイパワーを持たない俺たちも、人美さんのような力を持てるかもしれない、ってことさ」
 岡林は大声をあげた。
 「うそーっ!」
 「いや、多分できる。バイオフィードバック機構を通じて脳内活動全般を活性化することによって、サイパワーを持たない俺たちもパワーを使えるようになる。つまり、サイパワーのあるなしは脳の使い方の問題ということだ」
 沢木が薄く笑うと岡林が尋ねた。
 「まさか、既に実験済みなんですか?」
 沢木はかぶりを振った。
 「いや、まだだ。実証するためにはもう少し準備が必要だ。それに、これが実現してしまったらどうなると思う?」
 「………………」
 岡林の頭は混乱していて言葉にならなかった。沢木は続けた。
 「人のバランス。人々のバランスが崩れてしまい、この世は終焉(しゅうえん)を迎えるかもしれない」
 岡林は整理されないままの疑問を口にした。
 「そこまで行きますか?」
 「人美さんの能力は知っての通りだ。これを政治や戦争、あるいは犯罪。そういうものに利用したらこの世はどうなる? 少なくとも、現在の世の中の仕組みは崩壊する」
 沢木は厳しい表情で言った。
 「このことは、当面二人だけの秘密だ。いいな」

 ズウォメイは岡林の意識から浮上した。
 「人のバランスが崩れる。彼の言葉だったのね。そして人美はエスパー…… 万人がエスパーになれるなんて、そんなことがあってはいけないわ……」

 

 ズウォメイがダイブした日の夕方、父ニール・エマーソンはその結果を伝えられ驚きの声をあげた。
 「何ということだ。ミスター沢木のもとにもエスパーがいて、しかもコンピュータ・システムで誰でもエスパーにできる研究とは…… 驚くべき事実だ」
 ズウォメイは言った。
 「もっと詳しいことを知るためには沢木へのダイブが必要だけど、また人美と遭遇するのはリスクがあるわ。別の方法を考えないと……」
 「しかし、ミスター沢木は倫理観の高い人間だと思うが。これ以上介入してよいものかどうか、私は正直迷う……」
 ズウォメイは静かに答えた。
 「善か悪かは問題ではないわ。問題は、沢木と人美の二人にはすべてがそろっているということなの。善人でも優れた道具を使いきれないかもしれないし、悪人でも能力や環境が整っていなければ害になることはないでしょう。彼らの意に反して、彼らの研究が悪用されてしまうこともあるわ。私は、開発を中止することが一番だと思う。だから、まずは沢木の考え方が知りたいの」
 確かに、沢木と人美にはかなりのものがそろっていた。沢木の技術者としての高い能力、人美の驚異的なパワー、相模重工の資本力…… 二人が正義感に満ちあふれていたとしても、何かのボタンの掛け違いで災いに転じてしまう可能性はゼロではなく、ズウォメイの主張はエマーソンに次の行動を起こさせる強い動機となった。しかし、皮肉なことにこの行動が災いの引き金を引いてしまうのだ。そう、ズウォメイとエマーソン。この二人にも多くのものがそろっていた。ズウォメイの予知能力や情報収集能力、エマーソンの戦略、EMSの軍事力と国際的なネットワーク…… 双方ともにあまりにも強力な剣を天は与えてしまった。そして、そのような剣にぶら下がろうとする人間は必ずいるのだ。
 エマーソンはこの後、次のようなメールを江田克に送った。
 相模重工の沢木聡が開発しているエクストリームセンスというシステムについて、その詳細を調べてほしい。このシステムは、軍事的インパクトが極めて高いと思われる。我々EMSは、その情報を誰よりも早く入手したい。特に、ミスター沢木がそのシステムを使って何をしようとしているのか、そこを探ってほしい。作戦は君に任せるが、EMSの関与が悟られることのないよう万全に頼む。

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.4

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 すべてがうまくいっている、沢木聡はそう考えていた。エクスプロラトリービヘイビアの夏以降、見山人美のサイパワー研究に着手したことは、ASMOSの開発にも大きな成果をもたらした。
 人の思考とは、脳波という電気的な信号として捉えることができるが、それを何かの制御に用いるためには、ある特定の脳波が必要になる。それは、脳の言語野から出力される言語波であり、言語波とは言語レベルの思考により出力される脳波のことである。簡単にいえば、「こんにちは」と心の中で言葉を発した時に出る脳波のことだ。しかし、言語波の波形や出力レベルには個人差があり、人美以前の被験者はそれが弱く不安定で、ASMOSは膨大な学習時間を必要とした。ところが、人美の言語波は強く安定していたために、ASMOSの学習効率が飛躍的に高まったことで、標準的な言語波のパターン・ライブラリーが完成し、より多くの人々の言語波を理解することへの時間が短縮されたのだ。このことは、ASMOSの実用化に大きく貢献した。
 ASMOSの実用化が始まると、相模製品の多くにそれは搭載されていき、他社製品との明確な差別化は相模に巨額な利益をもたらした。それ以前も、相模重工に多大な利益貢献をしていた沢木だったが、ASMOSによるさらなる貢献によって、昨年、35歳の若さで執行役員に就任し、彼の所管する総合技術管理部は、先端技術開発本部に昇格した。
 一方、秋山美佐子(あきやま みさこ)との関係もあの夏以降変化した。それまで沢木の心の中を支配していたかつての婚約者への思いは晴れ、彼に恋心を持つ秋山と素直な心で接することができるようになった。その結果として、二人は昨年の10月――それは秋山の誕生日に、沢木がプロポーズし婚約が成立した。そして人美。
 あの夏のころは彼女の将来を案じてやまなかった沢木だったが、今はそのような心配は一切なかった。人美は明るく元気で、将来の夢や希望に向かって真っすぐに突き進んでいたし、サイパワーを持つという特異な自分の運命とも立派に対峙(たいじ)していた。
 沢木は人美の誕生日パーティーに出席する皆の笑顔を眺めながら、そんなことを考えていた。
 泉彩香はかばんから取り出した人美へのプレゼントを持って言った。
 「はい、私からのプレゼントだよ~」
 それは雑誌くらいの大きさで、赤い包装紙と白いリボンでラッピングされていた。
 「何だろう?」
 人美がうれしそうに包みを開けると、『ファンタジスタ』というタイトルの絵本が出てきた。
 「うわぁ~、彩香の手作り絵本?」
 人美の声に彩香が答えた。
 「あんまり絵は上手じゃないけど、一生懸命作ったのよ」
 人美は「ありがとう」と彩香にほほ笑むと、その絵本をめくっていった。それは、超能力を持つ少女の話だった。少女は最初のうちは自分の力に戸惑うが、超能力を使って友達の迷子になった犬をみつけてあげたり、転びそうになった老人を助けたりし、次第自分が超能力を持ったことの意味を理解していく。そして、少女の超能力を知る友人たちは、少女をファンタジスタと呼ぶようになる、そんな話だった。
 人美の横で一緒に絵本を見ていた秋山が彩香に言った。
 「ファンタジスタかぁ…… 今までエスパーとかサイキックとか言ってきたけど、これからは超能力者をファンタジスタと呼ぶことにするわ」
 このエピソードにより、沢木たちは超能力者をファンタジスタと呼ぶことが定着した。
 白石弘三(しらいし こうぞう)の声が響いた。
 「沢木は? プレゼントは何だ?」
 沢木は笑顔を人美に向け、「もちろん」と言いソファの後ろに隠していたプレゼントを取り出した。彩香が自分のことのように言う。
 「何だろう? ワクワクする」
 人美は彩香と沢木にアイコンタクトを交わした後、プレゼントの入った箱を開けた。
 「うわぁー、カチューシャ!」
 人美はそう言いながら、箱から取り出したカチューシャをテーブルに並べていった。彩香は「6個も! これなんかかわいいねぇ」と言いながら、人美につけてみなよと催促した。沢木は「何にしようかと迷ったんだけどね。ちょうどいいタイミングで第2世代EYE’sが完成したのと、秋山さんから、カチューシャが一つじゃ服装に合わない時があるだろうから、幾つか用意してあげようと言われたので、6パターン、二人で考えたんだ」と言い、秋山が続けた。
 「女の子はおしゃれにしてないとね。デザイン、気に入ってもらえたかしら?」
人美は感激を口にした。
 「ありがとう! とてもすてきよ。秋山さんの言う通り、今のカチューシャ一つだけにちょっと不満だったの。とってもうれしいわ!」
 人美の喜ぶ顔を見てホッとした沢木は、もう一つのプレゼントを出しながら言った。
 「それから、これが新しいEYE'sの端末。今度のはスマートフォンだよ」
 美しい光沢をもったメタリック・レッドのスマートフォンを手渡された人美は、「ありがとう」と声をあげた。沢木は「スマートフォンにすることによって搭載できるデバイスに余裕ができたから、ASMOSの処理能力が良くなってバッテリー寿命も向上している。普通にEYE'sを使うだけなら1日1回程度の充電で済むはずだよ。まあ、彩香さんとの長話があるんだろうけどね」と説明した。彩香は「女の子にはいろいろと語らなければならないことがあるのよ。とても重要なことだわ」といたずらっぽく沢木に言い返すと、彼は「これは失礼」と笑顔で受けた後、人美に「新型EYE’sを試してごらんよ」と続けた。人美は「ええ」と答えながらオレンジ色のカチューシャを選び、小さなディップ・スイッチをオンにして頭に付けた。そして沢木の操作説明を聞きながら、スマートフォンの電源を入れ、カチューシャを模したアイコンをタップしてEYE'sのコントロール・パネルを起動し、サイパワーの制御モードをセーフティからノーマルに変更した。
 「それじゃぁ、おじさまにワインを注(そそ)いでみるね」と人美は言いながらワインのボトルに手のひらをかざした。するとボトルはスーっとほんの少し浮き上がり、ニコニコとする白石に近づいていった。が、急にボトルが浮力を失いテーブルに落ちた。白石は慌ててボトルを押さえた代わりに手に持ったグラスのワインを自分の着物にこぼした。
 「ごめんなさい! おじさま」と人美が発した後、沢木は人美の前にしゃがんで尋ねた。
 「大丈夫? 違和感があるならすぐに外して……」
 白石はワインを拭きながら言った。
 「しっかりしろ、沢木!」
 「ごめんなさい、私が悪いの! 突然、頭の中にイメージというか、予感が走って気が散ってしまったの」
 彩香は「予感って、何?」と言いながら人美に寄り添った。人美が答える。
 「何かが起こりそうな気がする。多分…… 多分、とてもよくないこと……」
 彩香は「やだぁ! 人美。怖いこと言わないでよ」と言って鳥肌の立った腕を擦った。沢木は不安げな表情をする人美からスマートフォンを取り上げると、制御モードをセーフティに切り替えてから「大丈夫だよ」と優しく声をかけた。しかし、心の中でこう続けていた。
 君がそう感じるのなら、きっと、何かが起こるんだろうね……

 

 ズウォメイ・エマーソンの予言――人のバランスが崩れようとしている――は、ニール・エマーソンの脳裏から離れなかった。それは一体どういうことなのか? 人のバランスが崩れるというのなら、そもそも人のバランスとは何なのだろう? 人間同士の関係なのか? それとも生物的なものなのか? いずれにしても、ズウォメイの予言の的中率が高いことは何より自分が体験している。間違いなく何かが起こる…… もしそれが人類にとって災いとなるようなことならば、その前兆を知ってしまった自分が何も行動しないわけにはいかない。彼はそのような使命感のもと、沢木の研究開発内容について、学生時代の論文からYouTubeに掲載されている講演まで、様々な公開情報を一通り調べてみた。しかし、そこに彼を満足させるような情報は見当たらなかった。
 ズウォメイのダイブを頼るしかないか……
 公開情報に限界を感じたエマーソンは、EMSの日本支社――EMSオリエントの江田克(えだ まさる)に電子メールを送り、沢木とその周囲の人間に関する情報を収集するように指示した。
 江田という人物は、陸上自衛隊のレンジャー部隊で兵士としての基礎を身につけた後、アメリカに渡り傭兵(ようへい)としてEMSに雇われた。そして、エマーソンが信頼する部下の一人として、数々の修羅場をくぐり抜けた優れた兵士だった。しかし、彼の価値観はエマーソンのそれとは違って、EMSの傭兵(ようへい)であることが、それなりに彼の金銭的価値観を満足させてくれるという理由だった。
 3年前、EMSはオリエント経済圏への進出を決め、拠点となる日本支社の開業準備のために江田を帰国させ、警備スタッフの訓練を担当させた。そして、2020年に株式会社EMSオリエントが設立されると、彼は人材開発担当部長という肩書きで仕事を続けた。この仕事は江田にとって悪くはない仕事だった。今までのように死のリスクをとらなくても、机に座っていれば今まで以上の年収が得られるのだから。しかし、机に座って考える時間が多くなると、彼はもっと楽をして金を稼ぐ方法はないかと思うようになった。そこへエマーソンからの電子メール。江田はメールを読み終えるとつぶやいた。
 「こいつは、金になるかもな……」

 

 ゲリラ豪雨といつからか呼ばれるようになった局所的な激しい雨が降る7月2日金曜日の午前、沢木聡は先端技術開発本部と産業機械事業部のエンジニアを率いて、東京の晴海埠頭(ふとう)にあるSOP本部を訪れていた。その目的は、開発コードSOP-X1と称される戦術支援ロボットをテストするためだった。
 相模重工は既にASMOSを市場投入し、そのうちの一部は危険作業用ロボットなどに搭載され、日本の原子力発電所の廃炉作業や、旧北朝鮮の核施設解体作業などを行っていた。SOP-X1は、こうしたロボットの人型版であり、商用利用目的のNGR-XをSOP仕様に改良したものだ。この用途は、SOPの戦術支援であり、建物内部などを捜索する際に、SOPの隊員に変わって先陣を切るのだ。
 SOP-X1は、体長80センチで頭部にビデオカメラ、指向性マイク、赤外線センサー、X線カメラを搭載し、SOPの隊員のヘルメットに装着されたPPD(サイコロジカル・パルス・デバイス)により遠隔操作される。また、SOP-X1が捉えた情報は、ヘルメットに装着されたHMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)に投影され、音声情報は通常の無線装置によってフィードバックされる。
 SOP本部の地下にある巨大な空間――そこはSOPの屋内訓練場であり、その空間の半分を占めるスペースには、2階建てのビルを模した構築物がCQB(近接戦闘)訓練用として設置されていた。沢木はその施設をガラス越しに一望できる指令所の一角に陣を構え、SOP-X1のテストを見守っていた。今、SOP-X1を先頭に、4人のSOP隊員が訓練施設に進入し、サーチ&クリアを行っているところだった。
 ディスプレイに映し出された情報を読み取りながら沢木が言った。
 「やはり、あの女性隊員。彼女が一番適性があるな」
 隣に座る岡林敦(おかばやし あつし)が答えた。
 「人美級、とまではいきませんが、他の隊員と比べるとダントツですね」
 「んーん、やはり脳や意識確立の個体差が、ASMOSとの相性を決定づけていると考えるべきだな」
 工業用ロボットの場合、動作のパターンは一定の範囲にとどまるため、思考のパターンもそれに連動して限定されるが、SOP-X1のように様々な状況への対応が求められる対象の制御には、言語波の標準ライブラリーだけでは思考を解析しきれないために、オペレーターとなる者の言語波をASMOSが学習する時間と、言語波を的確にPPDに伝えるための訓練を必要とする。だが、まれに訓練期間が短くASMOSの学習時間も少なくて済む者がいる。SOP唯一の女性隊員にしてエースの星恵里がその一人だった。岡林は「ひょっとしたら彼女、“ES使い”になれるかもしれませんね」と言い、声音を変えて「それに彼女、星恵里さん。かわいいし!」と続けた。うれしそうな顔をしている岡林に沢木は答えた。
 「彼女はSOPのエースだぞ。この前の東京国際フォーラムの事件でも、最初に突入したのは彼女らしい。岡林のかなう相手ではないと思うが……」
 岡林はムッとして言い返した。
 「何ですか、その夢のない言い方は! 第一、僕はテロリストではありません!」
 「ごめんごめい」と沢木は全く感情のこもっていない謝罪をした後、再びディスプレイを見ながら言った。
 「ES使いかぁ…… 確かに彼女ならできるかもなぁ……」
 星恵里は不思議な感覚を覚えながら訓練を続けていた。彼女の左目を覆うHMDにはX1の捉えた映像が見え、自分の意のままにコントロールできた。「右に曲がって止まり、赤外線センサーに切り替える」と心の中で言葉を発すると、HMDにはその通りの結果が返ってくる。
 まるで、自分の意識が広がったみたい……
 そんなことを思いながら、星はX1をコントロールしていた。
 X1のテストを終えた沢木は、一足先に社に戻るべくSOP本部の玄関ロビーに立ち迎えの車が来るのを待っていた。すると、沢木を呼ぶ声とともにSOPの捜査官、里中涼が現れた。里中は足早に沢木に近づくと切り出した。
 「沢木さん、参考までに伺いたいことがあるのですが、先日の東京国際フォーラムでのテロ事件、実は不思議なことがありましてね。6人の犯人はいずれも短機関銃のMP5を所持していたのですが、その6丁すべての撃鉄バネが折れていて、銃弾が発射できない状態になっていたんです。うちの銃器の専門家に検証させたんですが、撃鉄バネが今回のように折れた状態では、MP5を組み立てることは不可能だと。しかし、連中は犯行直後、人質を威嚇するために数発発砲しています。つまり、その発砲から我々がバネの異常に気づくまでの1時間程度の間に、6丁すべての撃鉄バネが発砲不能な状態に折られたということなんです。不思議でしょ?」
 そりゃ不思議だろうなぁ……
 沢木は里中の話を聞きながら思った。
 そして、その謎は永遠に解けないだろう……
 「そんなことがあったんですかぁ…… それは確かに不可解な出来事ですね」
 「何か解決のヒントはありませんかね?」
 沢木は苦笑しながら答えた。
 「さあ? 私の専門は制御システムです。残念ながらそのような謎に答えられる知識はありません」
 「そうですかぁ…… 最近は不思議なことが多くて、何て言ったらいいのか、奇妙な力がいろいろなところで働いている。そんな感じです……」
 「いろいろな? そんなに不思議なことが多いのですか?」
 沢木が知る限り、里中が人美のサイパワーの遭遇したのは2年前のあの事件と今回の2回しかないはずだった。
 「ええ。私はある仮説を持っているんですが、この世の中には何か得体の知れない力、あるいは意思が働いていて、世の中で起こる幾つかの出来事はその力にコントロールされた結果なのではないか? そんな風に考えているんです」
 「秘密結社のような? それとも不可思議現象ですか?」
 「ええ、まあそんなものかもしれません」
 里中は笑った。
 「なるほど、興味深い御意見ですね。ひとつだけ私に言えることがあります」
 「何ですか?」
 「先ほどコントロールという言葉を使われましたよね。これは私の専門領域です。コントロールするためには、制御対象にインプットを加えるだけでなく、そのアウトプットからインプットを補正しなくてはなりません。一言で言えば、この循環が制御――コントロールというものです。里中さんがおっしゃるような不思議を解明するためのヒントは、インプットとアウトプットのインターフェースが何なのかを解明することかもしれません」
 「それは、人間を洗脳するようなケースでも同じですか?」
 「制御とはすなわち支配です。その構図は大げさに言うならば宇宙の法則であり森羅万象、すべてに共通のものです」
 「なるほど、大変参考になりました」
 沢木は声音を変えて言った。
 「まあ、どんなことにでも理由が必ずありますから、いずれ明らかになるのではありませんか?」
 「そうであればうれしいのですが…… ところで、見山人美さんはお元気ですか?」
 「ええ、5月で二十歳になりました。青春を謳歌(おうか)しているようです」
 「そうですかぁ…… いずれお目にかかりたいですね」
 「里中さんを始めSOPのみなさんは私と人美さんの恩人です。伝えれば喜ぶでしょう。そのうち機会を作りましょう」
 「ええ、是非」
 沢木を見送った里中がオフィスに戻ろうとすると、「里中さーん!」と言いながら星恵里が駆け寄ってきた。里中はうれしそうな顔で答えた。
 「やあ、恵里さん」
 「今の沢木さんでしょう。里中さん、沢木さんと何を話したの?」
 興味津々の星だったが、里中は真面目に答えなかった。
 「別に、単なる世間話。ゲリラ豪雨なんて、ネーミングがよくないとか……」
 星はいぶかしく思いながら言った。
 「そんな会話をする二人には思えないけど…… 何だか怪しいわ、今度は何をたくらんでいるの?」
 里中は首を大きくかしげた。「本当かしら?」と不満そうな顔をする星に里中は少し大きめの声で話題を変えた。
 「まま、そんなことより、X1はどうだったの?」
 「聞きたい?」
 「うん」
 星はにっこりとほほ笑んでから答えた。
 「一言でいえば、エスパーになった気分かしら…… 感覚というか、意識というか、そういうものが広がった感じがするの……」
 「へえ、すごいね。エスパーかぁ……」

 沢木聡を乗せた黒いSAGAMI FC380――それは相模重工の子会社、相模自動車が製造する高級大型セダンであり、ベンツ、BMWと並んで国際的に人気のある車である――は、情報管理室の進藤章(しんどう あきら)の運転によって14時過ぎに横浜市中区の相模重工本社に到着した。
 社用車であるSAGAMI FC380の運用は、通常、相模重工に直接雇用された運転手によって行われているが、沢木が使用する時には情報管理室の室員――情報管理室は相模重工の機密情報を守るために設立された部署であり、主に元警察官で構成されている――が運転することになっている。これは、2年前の沢木拉致事件を契機に開始された運用である。
 車を降りた沢木は、36階建ての相模重工本社ビルのエントランスに入り、役員クラス用のセキュリティ・ゲートにICカードをかざして抜け、ガードマンたちに会釈をしながらエレベーター・ホールへと進んだ。
 相模重工業株式会社での沢木の役職は、執行役員先端技術開発本部長であり、そのミッションは、沢木のEFC(Experience Feedback Control)論理を発展、応用し、相模製品に実装することである。配下の先端技術開発本部にはプロジェクト管理部、制御システム開発部、意識科学研究室、ASMOS運用管理センターの4セクションから構成される総員394名が在籍し、相模重工本社ビルの22階と23階の2フロアに陣を構えていた。
 23階でエレベーターを降りた沢木は、受付のガードマンに「ただいま」と声をかけ、ICカード認証によりセキュリティゲートを抜けプロジェクト管理部のフロアに出ると、再び「ただいま」とあいさつし、特にフィアンセの秋山美佐子には、アイコンタクトと笑顔でただいまっと口を動かした。
 プロジェクト管理部の奥にはガラス張りの個室があり、これが沢木のオフィスとなっている。そこからの眺望はすばらしいもので、眼下に横浜港が広がり、左から右へランドマークタワー、大桟橋埠頭(ふとう)、横浜ベイブリッジ、氷川丸といったランドマークを眺めることができた。視界のよい日には東京スカイツリーを見ることもできるし、夜になれば横浜のネオンが目を楽しませてくれた。その眺望を見ながら、沢木は様々な思索を行い、技術を生み出してきた。
 3台の23インチワイドディスプレイが弧を描いて並ぶデスクについた沢木は、2台のコンピュータの電源を入れた。1台はシングル・ディスプレイのWindowsマシンで、インターネットやメール、社内システムの利用、ビジネス文書の作成などに使われている。もう1台はデュアル・ディスプレイの開発機で、これにはLinuxをベースに沢木たちによって改良されたOS――Future Baseがインストールされている。Future Baseマシンには統合開発環境であるFuture IDE(Integrated Development Environment)が組み込まれ、ここでエクスフィール(exfeel: Experience Feedback Control Language)というプログラミング言語によってASMOSなどのEFCシステムが記述されている。Feature IDE、exfeel、さらにはプロジェクト管理システムやバージョン管理システムなど、開発に必要となるソフトウェアは基本的に沢木たちによって開発されている。かつては、オープン・ソース・ソフトウェアをそのまま利用していたこともあったが、チームの開発生産性を高めるために、次第開発ツール群の内製化が進んだ。特にプログラミング言語のexfeelは、沢木が学生時代から開発してきた言語であり、近年は岡林敦の思想を取り込み、幾つかの言語特性を統合したマルチ・パラダイム言語に発展している。
 17時30分、終業を知らせるチャイムがスピーカーから流れた。沢木は視線をディスプレイから窓の外に移し、雨がやみ美しい夕日が横浜の街を照らしていることに気がついた。今日は満足できる1日だった。SOP-X1の開発は順調であるし、SOP隊員の星恵里から貴重な言語波データを採取することができた。そして、ASMOSを使った新システムのバーンダウンチャートは開発が計画通りに進捗していることを表していた。
 沢木は新システムにエクストリームセンスという名をつけ、略してESと呼んでいた。これは人間の脳とストリーム・コンピューティングをASMOSで結合することによって、いわゆるビッグデータを直感的に処理することができるシステムで、完成すれば商用活用はもちろんのこと、様々な研究開発、軍事利用など、その用途は無限大と思われている。しかし、ESの制御は脳内活動全般で行うため、言語波以外にもASMOSは人間の様々な意識活動を学習しなければならず、今のところESをコントロールできるのは見山人美ただ一人だった。
 沢木はシステム手帳の予定に目をやった。明日の土曜日は人美が沢木の自宅研究室にやってきて、ESのテストをすることになっている。
 「後は明日にして、今日はあがるとするか……」
 沢木はそうつぶやくと、内線電話を取って秋山に電話した。

 

続く……

2012年9月23日日曜日

小説『エクストリームセンス』 No.3

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

第1章

 

 あの夏から2年の月日がたとうとしている2021年5月の午後、神奈川県葉山町(はやままち)の空は青色に透きとおり、春の柔らかな日差しが降り注いでいた。見山人美(みやま ひとみ)と親友の泉彩香(いずみ あやか)は、そんな季節の風の中にいた。
 大学生になった人美と彩香は、湘南国際村にある国立の湘南芸術大学にそろって進学し、共に将来の夢に向かって歩んでいた。今、二人は湘南国際村からそのふもとまで続く長い下り坂を、それぞれマウンテンバイクで走り抜けているところだった。風になびく人美の髪型は相変わらずショートだったが、少し長めにし、軽くウェーブのかかったシフォンボムと呼ばれるヘアスタイルで、2年前よりも大人っぽく見えていた。そして、そのシフォンボムにはカチューシャが添えられていた。やや幅広でプラスチック製のその白いカチューシャは、他の女性が身につけることは決してないと思われる特別なアクセサリーだった。また、このカチューシャとセットで必ず人美が身につけているのが携帯電話であり、その時価は恐らく数百万円にもなるだろうという点で特別だった。
 人美のサイパワーが覚醒された2年前の夏以降、人美は相模重工の沢木聡(さわき さとし)のサイパワー研究に協力していたのだが、その研究過程で、サイパワーをうまくコントロールできずに観測機器などを壊してしまうことがあった。人美のサイパワーは覚醒こそしたものの、それを高い確率で意のままに扱うことができなかったのだ。日常生活に支障があってはいけないと考えた沢木は、サイパワーをコントロールする仕組みであるバイオフィードバック制御機構を開発し、これを人美がいつでも装着できるようにとカチューシャと携帯電話に埋め込んだ。これは人美専用の、と言う意味でEYE’s(アイズ)と呼ばれるシステムで、ざっとこんな仕組みになっている。カチューシャには脳波を検出するための受信用PPD(サイコロジカル・パルス・デバイス)と、脳波をコントロールするための制御波を出力する送信用PPDが内蔵されている。一方、携帯電話には軽量版のASMOS(アスモス)が搭載されていて、カチューシャ型ヘッドアセンブリと通信しながら人美の脳波をコントロールする。具体的には、受信用PPDが捉えた脳波をASMOSによってこれまでの学習パターンと照合することによってサイパワーの発動を検出し、捉えた脳波に対して逆位相となる制御波を送信用PPDから出力することによって人美の脳波をフラットにし、結果としてサイパワーを押さえ込むのだ。この他にもEYE’sには幾つかの制御モードがあるが、状況により制御モードを使い分けることによって、人美は日常生活に支障をきたすことなく安心して暮らすことができた。
 一方、人美の脳波の観測機会はEYE’sによって飛躍的に高まり、ASMOSの学習能力は沢木の予想を超えるスピードで高まっていった。
 「人美っ!」 後ろを走る彩香が人美の横に接近しながら続けた。
 「今日のパーティーは、きっととても楽しくなるわよ! だって、こんなに風が私たちと一つになっているもの」
 彩香はあでやかなミルフィーユパーマの髪をなびかせながら言った。この日、5月18日は人美の二十歳の誕生日であり、人美が居候している相模重工会長の白石弘三(しらいし こうぞう)の屋敷で、親しい者たちによる誕生パーティーが開かれることになっていた。
 人美は答えた。
 「彩香は相変わらず詩人ね。そうね、いい風ね。すばらしい環境で勉強できて、友達がたくさんいて、彩香がいる。私は幸せだわ!」
 あの夏以降、人美はサイパワーに苦しめられることはなくなり、充実した人生を歩んでいた。

 太平洋標準時で間もなく日付が変わろうとしているころ、黒いメルセデス・ベンツSLRマクラーレン・ロードスターが、サンフランシスコ郊外に広大な敷地を持つ屋敷のエントランス前で止まった。スイング・ウィング・ドアが開くと、190センチ100キロのスーツ姿の巨人が降り立った。巨人はいとしい娘の姿を認めると、一目散に駆け寄り抱きしめた。
 「ズウォメイ、会いたかったよ! しばらく見ない間にまた美しくなったね!」
 巨人はいつも陽気で、大げさなパフォーマンスに特徴があった。
 「お父様、大げさよ。今回は3日家を空けただけ。短い方だわ」
 抱きしめられた娘の名はズウォメイ・エマーソン。巨人とは逆に、158センチ40キロという華奢(きゃしゃ)な体型を持つ中国系アメリカ人である。抱きしめた巨人の名はニール・エマーソン、ズウォメイの養父である。
 ニール・エマーソンは、世界最大手の民間軍事会社EMSの創業者でありCEO(最高経営責任者)である。彼はイギリスで生まれ、イギリス陸軍の特殊部隊SASで戦術の専門家として活躍した後退役し、アメリカにわたり警護会社であるESS(Emerson’s Security Service)を設立した。スマートな警護スタイルが評判を呼び、財界人や芸能人の間で話題となり会社は成長していった。やがて、海外紛争地域での施設警備などの事業を始めると、社名をEMSサービス・プロバイダー(Emerson’s Military and Security Service Provider)に変更し、民間軍事会社という新たなビジネス領域を切り開いた。
 ある時、アメリカ軍のヘリコプターが紛争地域に墜落し、そのパイロットが反政府ゲリラに捕らわれるという事件が起きた。その時、アメリカ軍よりもゲリラの拠点に近い場所に居合わせたのがエマーソン率いるEMSの傭兵(ようへい)部隊だった。早急な救助が必要であると判断したアメリカ軍はEMSに救出を依頼し、エマーソンがこれを見事に成功させると彼はアメリカのヒーローとなり、EMSの名とサービスレベルが世界に知れわたった。
 16年前のある日、車で移動していたエマーソンは、小さな町の入り口付近でパンクしたタイヤを交換していた。すると、どこからともなく幼い少女が現れた。少女はエマーソンに近づくと、タイヤの交換作業をじっと見つめていた。エマーソンは笑顔で声をかけた。
 「タイヤの交換が珍しいのかい?」
 少女は答えた。
 「大きな手……」
 エマーソンは立ち上がり、大きな声で笑いながら答えた。
 「はははは…… 私は大男だからね」
 少女は190センチの巨人に驚いた顔を一瞬見せた後、エマーソンの笑顔につられてほほ笑んだ。
 「私の名はニール、ニール・エマーソン。君の名前は?」
 少女は小さな声で答えた。
 「ズウォメイ」
 「ズウォメイ…… いい名前だ。君は東洋系のようだね。大きくなったら、きっとすばらしい美人になるだろうね」
 ズウォメイの薄い笑みを確認すると、エマーソンは再びタイヤの交換作業を続け、ズウォメイはエマーソンの作業を見守っていた。
 「手の傷はどうしたの?」
 ズウォメイはエマーソンの左手の甲についた傷を見て尋ねた。それは、戦場を逃げ惑う少年を救おうとした時に、迫撃弾の破片が突き刺さった痕だった。破片はエマーソンだけでなく、抱き抱えた少年の首にも刺さり、少年は苦しんで死んでいった。エマーソンは無念の記憶を思い起こしながら、「君ぐらいの男の子の記憶だよ」と返事をした。ズウォメイは、「優しいね」と言ってほほ笑んだ。エマーソンにはなぜズウォメイが優しいと言ったのか、その意味は分からなかったが、そのズウォメイの笑顔に心の安らぎを覚え笑みを返した。
 タイヤの交換を終えたエマーソンは、「ズウォメイ、お家はどこだい? 車が直ったからお家まで送ってあげるよ」と尋ねた。
 「ありがとう」と言うズウォメイをエマーソンは抱え上げ、車の助手席に乗せようとした。
 何て軽いんだろう…… ちゃんと食べてるのか?
 よく見ると、ズウォメイの服は薄汚れていて靴はボロボロだった。
 助手席にズウォメイを乗せたエマーソンが運転席に回り込む間に、ズウォメイは書き込みの入った地図を車内に見つけた。そしてエマーソンが運転席に座り、「どこへ走ればいい?」と尋ねると、「この道はよくないよ。変えた方がいい。こっちかな……」と言って地図を指差した。その地図は、2日後の軍事作戦を記した地図だった。
 「えっ!」 とエマーソンが混乱しているうちに、ズウォメイは車からスッと降りて走り去ってしまった。
 エマーソンは、合衆国政府から依頼された麻薬密造組織の拠点を襲撃する作戦に臨んだ。しかし、ズウォメイの指摘を気にした彼は、ジャングルの進攻ルートを変更した。作成は大成功だったが、エマーソンはこの成功の原因を確かめたかった。もし、最初のルートで進攻したら? 彼は変更前の進攻ルートを部下に調査させた。すると、巨大な倒木が発見された。もし、この倒木を迂回(うかい)するために部隊がルートを外れていたならば、敵に発見され恐ろしい結末が待っていたかもしれない。エマーソンはすべてを直感で理解すると、ズウォメイにもう一度会いに行こうと心に決めた。
 ズウォメイの捜索は実に簡単だった。ズウォメイと出会った町に行き、中国系の女の子を探しているんですけど? と質問し、怪しい者ではない証しとしてタイムズ誌の自分の写真が載った表紙を見せると、町人は「ズウォメイちゃんなら教会にいるよ。孤児院を兼ねているのよ、あの教会」と言い、尋ねてもいないことまでご丁寧に答えてくれた。それによると、教会の神父の善意により孤児たちを引き取っているのだが、貧しい町のわずかな寄附では、子供たちが本来必要とする栄養を与えることができず、不憫(ふびん)な暮らしをしているという。
 エマーソンは考えた。あの子には何か特別な才能がある。なのに、今のままでは食べることさえままならない。将来は? 今のままでどんな未来が待っているというのか? この時、エマーソンは自分でも予想していなかった答えにたどり着いた。
 ズウォメイに再会したエマーソンは、唐突に切り出した。
 「ねえ、ズウォメイ。私の娘にならないかい? 君には才能がある。しかし、今の暮らしではその才能を生かすことはできないと思うんだ。私は決して君を不幸にはしない。私の命ある限り、君の幸福のために尽くそう。どうだい?」
 この唐突な問いに、ズウォメイは答えた。
 「地図は役に立ったぁ?」
 エマーソンは満面の笑みを浮かべながら「ああ、とても役に立ったよ」と言い、疑問を投げかけた。
 「君は未来を見通すことができるのかい?」
 ズウォメイは明るく答えた。
 「うん。今日おじさんが来ることも知ってたよ。それで、気持ちも決めてる。私、おじさんの子供になる。きっと幸せになれるから……」
 時にズウォメイ5歳、エマーソン42歳のことであった。
 エマーソンの言葉にうそはなかった。彼は58歳になった今も独身のまま、人生の半分をズウォメイに、もう半分を仕事に費やした。ズウォメイは大きな家、きれいな服、豊かな食事、上質な教育を与えられ、そして何よりも、エマーソンの深い愛情によって包まれていた。そのような時の流れの中で、ズウォメイは21歳の美しい女性へと成長した。黒く長い髪は自然に緩やかなウェーブを描き、目はクリっとした二重。ズウォメイを見た者が「おきれいな娘さんですね」と口にすることは、エマーソンの大きな喜びとなっていた。
 エマーソンは居間のソファに座り、テレビのニュース番組を見ながらズウォメイが隣にやってくるのを待っていた。ズウォメイは、エマーソンが好きなワイルドターキーのロックと自分用のハーブティーを用意してエマーソンの隣り座った。ズウォメイは、こんな時間が好きだった。いつも笑顔の絶えない父、その瞳はいつでも自分を優しく見つめていた。そして父の話は楽しいものばかりだった。最近歳のせいか同じ話を繰り返すことが多少多くなったが、語られる父の物語はまるでインディー・ジョーンズの映画のような冒険とスリルにあふれるものだった。その話の中には、戦争の話も多く出てくるが、戦争を語る父の言葉にこそ、父の持つ正義感や優しさが込められているとズウォメイは感じていた。だから、戦争屋の娘、と陰口を言われても気にしたことは一度もなかった。父は戦争屋ではない。人々の幸せのために、様々な悪と闘っているのだ。現に、最近もEMSが国際指名手配となっているテロリストのアジトを発見急襲し、手配犯を拘束してアメリカ軍に引き渡したニュースが大きく取り上げられ、合衆国大統領の感謝のメッセージは全米に放送された。しかし、父に逆恨みを持つ者の存在を考えると、できればそろそろ引退をしてほしい、とズウォメイは思っていた。
 エマーソンがターキーを飲みながら上機嫌で今回の出張での出来事を面白おかしくズウォメイに話していると、テレビのニュースは日本で行われた相模重工の先端技術発表会の模様を映し出した。映像は、相模重工が開発したNGR-X(Next Generation Robot - X)という最新型の人型ロボットと、開発を指揮する沢木聡の姿を映し出している。そして、インタビューで沢木が「このロボットは人の思考で制御されています……」と答えると、ズウォメイは「人の思考で……」とつぶやきながらテレビに目をやった。すると、その力は前触れもなく、彼女の意思とは無関係に現れた。ズウォメイの持つサイパワーの一つ、予知能力だ。
 視界が真っ白になり、様々なイメージが頭の中で連続的に再生され、やがて点である一つひとつのイメージから線ができ、面が描かれ、最後は立体としてズウォメイは未来を悟ることができる。
 ズウォメイは未来を口にした。
 「人のバランスが崩れようとしている」
 エマーソンは驚きと戸惑いを混ぜ合わせながら「えっ!」と声を漏らした。ズウォメイは繰り返した。
 「人のバランスが崩れようとしているわ。多分、あの人が関係していると思う」
 そう言ってズウォメイは沢木を指差した。

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.2

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

プロローグ2

 

 日本という国家の新しい姿は、中国を襲った豪雨から始まった。その雨は洪水となって農村部に流れ込み、中国の食糧政策に深刻なダメージを与え、その影響は隣国の朝鮮民主主義人民共和国――北朝鮮にも伝わった。この当時、北朝鮮の食糧不足は限界に近い状態であり、その多くを中国からの食糧支援に頼っていたのだが、洪水は北朝鮮の食糧不足の限界を突破させた。
 時を同じくして、長らく健康不安がうわさされていた北朝鮮の国家元首が死を迎えると、無理に無理を重ねた不安定な国家は、まるで化学反応が安定を求めて激しく変化するような勢いでその姿を変えていった。自由を奪われ、食べることもままならず、生きるか死ぬかの瀬戸際の中で、抑圧された不満、怒り、自由への希望が、多くの国民を一つの方向にまとめ上げ、ついに、軍部の一部が国家指導部に反旗を翻すと、その流れは北朝鮮全土に広がった。そして、独裁者の死から3日目の朝には、北朝鮮全土が朝鮮解放軍と名乗る勢力によって制圧され、その主導部によって自国民と世界に向けてメッセージが発せられた。そのメッセージとは、民主的な国家を築き、核武装を放棄し、朝鮮半島を統一しようとするものだった。国際社会の多くがこのメッセージを歓迎する中、特に日韓米の三国は大きな反応を示し、アジアの平和と朝鮮半島統一へ共に歩むことを約束するとともに、直ちに北朝鮮への支援物資の供給を開始した。
 一方、中国にとっては、朝鮮半島が自由主義、資本主義に染まることは阻止したい出来事だった。中国政府は朝鮮解放軍を反乱軍と評し、中国人民解放軍を国境近くに集結させた。これに対して米軍は、空母を中核とする機動部隊を東シナ海に派遣し、朝鮮半島の軍事的緊張は一気に高まった。
 このような緊張状態は数年続いたが、朝鮮半島統一が現実味を帯びてくると、中国は軍を撤退させた。そして北朝鮮の崩壊から3年、南北朝鮮は統一されコリアン民国が誕生した。しかし、南北朝鮮の経済格差は大きく、旧北朝鮮国民の生活の質的向上や失業対策など、その費用は旧韓国GDPの5倍とも試算された。
 そのころ日本は長引く財政難と少子高齢化による労働人口の減少に苦しんでいた。このままでは国力は低下する一方であるとの危機感を抱いた超党派の議員や経済界が主導する形で、オリエント経済共同体構想が立案され、コリアン民国との具体的な協議が開始された。両国の思惑は基本的に一致し、協議開始から4年後、日本とコリアン民国によるOEC(Oriental Economic Community、オリエント経済共同体)が誕生し、GDP 7兆ドル、人口2億人のアジア有数の経済圏が誕生した。
 オリエント経済圏は、自由渡航協定と統一通貨アジアにより、人と金が自由に行き来できた。これにより旧北朝鮮の失業者は、日本に職を求めることや、日高(にちこう。高はコリアン民国)共同で進める朝鮮半島北部のインフラ整備事業で働くことを選択することができた。さらに、旧朝鮮人民軍の屈強な若者たちは、日本領海で行われた海底資源開発事業や、朝鮮半島北部に眠るレアメタル採掘事業の労働力となり、そこで得られた豊富な資源はオリエント経済圏を成長軌道に乗せる原動力となった。
 北朝鮮の崩壊から始まった極東3国の革命的かつ歴史的転換は、11年の歳月を経てOECの成功と安定という形でひとまず区切りがついた。しかし、軍事的には中国の脅威に常にさらされる立場となった日本とコリアンは、アメリカを加えた三国による日高米安全保障条約を締結し、オリエント連合軍(Orient Union Forces)、通称アウフを創設しこれに対抗した。
 どのようなことにでも負の面というものがあり、当然のごとくOECの成功にも様々な影が落とされた。旧北朝鮮の経済弱者の中には犯罪に走る者が多く出て、やがてマフィアを形成して組織犯罪集団が増加していった。また、日本のいわゆる嫌韓主義者は日本に移住してくるコリアン人を快く思わず、様々な問題を起こし続けている。一方、コリアン人にも日本と朝鮮半島の歴史的経過から反日の姿勢をとる者が多くいた。さらに、オリエント経済圏の拡大を望む急進派グループは、中国を除くアジア諸国をOECに取り込むことを推し進め、これが中国を刺激する要素の一つとなっていた。そして、このような様々な人々の思想や思惑は、時として犯罪やテロの震源となっていた。
 西暦2021年。それはこのような時代であった。

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.1

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

エクスプロラトリー ビヘイビア シリーズ 第2弾
『エクストリーム センス ~ Extreme Sense 』

                       笹沼 透

 

第1部

プロローグ1

 

 予定では、日本で開催されたこのイベントは成功という二文字で終わるはずだった。しかし、今日彼らの思惑はもろくも崩れ、その混乱は責任のなすり合いという愚行から始まった。一向に対策の方向性を見いだせない政権や警察官僚に対して、内閣危機管理監の桐ヶ谷利雄(きりがや としお)は現実的対応を迫った。すると、このような事態を経験したことのない生まれたばかりの政権の閣僚たちは、何の異論もなく桐ヶ谷の言葉に従った。
 五月晴れのこの日、東京国際フォーラムでは国際地球環境会議が開催されていた。世界30か国から環境問題担当の閣僚や研究者などが集まり、地球温暖化対策や生物多様性などについてそれぞれの成果や今後の取り組みなどを3日間にわたって議論するためだった。議長国である日本は、この場で環境技術を世界にアピールするとともに、国際社会でのリーダーシップを示すはずだった。とりわけピョンヤンや旧北朝鮮核施設で行われた環境浄化事業は世界的に注目され、その成果を華々しく発表する手はずになっていたのだ。そして、その実現を担保するために、会場周辺空域は半径3キロにわたって飛行制限区域とし、大幅な交通規制と全国から参集した約25,000人の警官によって警備を固めた。しかし、会議の最終日となった2021年5月15日土曜日。短機関銃で武装した数名のテロリストが生物多様性部会の会議場に押し入り、28人の人質を取って日本政府に要求を突き付けてきた。
 内閣危機管理監、桐ヶ谷が求めたことはこうだった。
 「みなさん、今は一刻も早く事態を収拾することに全力を尽くすべきです。議論はその後で幾らでもできます。このような事態で最も実績があるのはSOP(ソプ)の里中警視と第3小隊です。どんな事態になろうとも、彼らの出す結果であれば、それは最小限の被害で収まるはずです」

 東京晴海(はるみ)埠頭(ふとう)にある警察庁戦術法執行部隊、SOP(Special Operation Police)の本部内を緊急アナウンスが流れた。
 「出動命令入電中。第3小隊はアラート0に移行せよ。繰り返す、出動命令入電中。第3小隊は……」
 昼食を食べ終わったSOPのエース、星恵里(ほし えり)は、休憩室の大きなソファに身を沈め瞳を閉じてリラックスしていたのだが、もう間もなく眠りに入ろうかというところでアナウンスに邪魔された。アラート0とは出動命令の発動後0分で――直ちに出動できる態勢で待機せよという命令である。星は装備品室に駆け込み、装備を調えながら第3小隊長の笠谷将樹(かさや まさき)に尋ねた。
 「里中さんにも声がかかっているのかしら?」
 笠谷は答えた。
 「さあ? しかし、待機中の第4小隊を飛び越えて俺たちが出るんだ。大変な1日になりそうだ……」
 そこで、入電中の出動命令は指令発令に変わった。
 「指令37発令。第3小隊は直ちに出動せよ。繰り返す……」
 このアナウンスとほぼ同時に、笠谷が装備するウェアラブル・コンピュータに指令37の詳細が着信した。笠谷はこれを確認すると「こりゃ大変だ」とつぶやいた後、関係各所に次々と無線を入れた。

 「いい天気だなぁ…… このままドライブでもしたいねぇ」
 覆面パトカーの黒いメルセデスベンツCLSは、里中涼(さとなか りょう)と西岡武信(にしおか たけのぶ)の二人のSOP捜査官を乗せて青山通りを皇居方面に向かって走っていた。このベンツは、西岡が身をていして与党の大物議員の命を救った礼として、SOPに寄贈されたものだった。
 里中のつぶやきに運転する西岡が答えた。
 「冗談じゃないぜ。俺は里中と家族より多くの時間を過ごしてるんだ。そんなこと想像すらできないぜ」
 「つれないねぇ…… じゃあ、恵里さんでも誘うかぁ……」
 恵里とは第3小隊の星恵里のことである。里中と星はいわゆる友達以上恋人未満というような関係であった。
 「里中にしろ星にしろ、いつまでもハッキリしねうよなぁ。まあ、この商売じゃなかなか難しいかもしれないがな。どうだ、そろそろ本庁のデスクワークにしてもらって、星も現場を引退して、結婚でも考えたらどうだ?」
 「俺はいつでもその気なんだけどさぁ。本庁の連中は俺に戻ってきてほしくないみたいだよ。それに、恵里さんも照れちゃってなかなか本音を言わないから……」
 そんなたわいのない会話をSOP本部からの無線が断ち切った。
 「SOPよりSOP21、どうぞ」
 里中が答えた。
 「SOP21、どうぞ」
 「指令37を転送する。直ちに現場に急行せよ。どうぞ」
 助手席に座る里中は車載コンピュータのディスプレイで指令37の内容を確認すると、静かに「SOP21、コピー」と応答した。西岡が尋ねた。
 「何だ?」
 車の屋根に収納されたパトライトの展開スイッチを押しながら里中が答えた。
 「恵里さんと会えることになったよ。武装したテロリストが人質を取って籠城(ろうじょう)してる。場所は東京国際フォーラム。急ごう、第3小隊が待ってる」

 東京国際フォーラムは、シンボルであるガラス棟とホール棟から構成され、ホール棟は更に4つのブロックで成り立っている。そのホール棟の最南部がブロックDであり、問題の会議場、ホールD5はその5階にあった。
 日本文明革新連合、略して文革連と称する退行主義過激派のテロリスト6人は、MP5というドイツ製の短機関銃で武装し、人質28名をとって日本政府に要求を突き付けていた。その要求とは、自分たちの読み上げる声明をテレビで生中継しろというものだった。
 退行主義とは、1990年代にイスラエルの宗教社会学者、エイモス・シモンズが発表した論文を基礎とする思想で、現代社会の安全や便利さが脳の活動を減少させたことによって脳の退化が進行しているので、これを防止するために過度の便利さなどを排除しようとする考え方である。退行主義の大きな特徴は、様々な思想集団から支持を得たことにある。このため、退行主義は数多くの思想と結合することによって非常に多くの分派を生み出している。例えば、環境保護団体と退行主義が融合し、その分派が右翼系暴力団と融合することで過激な行動を起こす組織犯罪集団が誕生したことなどがあげられる。こうした幅広いバリエーションを持つ退行主義集団であるが、その中の過激派あるいは原理主義者と呼ばれる一派に共通することは、安全を一定のレベルで排除することで脳の退化を食い止めようとする思想である。そして彼らがいうところの退化した人間を排除する行為、すなわちテロリズムによって多くの人々が恐怖を体験することにより、現代文明のひずみを解消しようと主張する集団のことである。そして、その国内最大勢力が、文革連と名乗る非合法組織であり、日本政府及び警察機構は、文革連を組織犯罪集団と位置付けていた。

 晴海埠頭(ふとう)のSOP本部から出動したSOPの一団は、作戦指揮車、第3小隊を搬送するバス、戦術支援小隊を搬送するバスの計3台で、サイレンを響かせながら東京国際フォーラムに4分ほどで到着した。このうち作戦指揮車はマイクロバスを改造したものであり、現場の情報収集、分析、作戦立案など、現場作戦指揮の中核となる機能を備えている。そして、この車両の中で移動中から初動について検討していた笠谷小隊長は、テロリストの立てこもる会議室周辺を第3小隊で包囲し、次いで作戦支援小隊には、テロリストが立てこもる会議室を壁透過レーダーやX線センサー、コンクリートマイクなどを使い、あらゆる角度から内部の情報を収集させた。
 第3小隊の到着から5分後、里中と西岡を乗せたベンツが現場に到着した。車を降りた里中はスーツの上着を脱ぐと車に投げ込み、トランクルームに積んだボディアーマーと帽子を着用した。このボディアーマーは防弾チョッキであると同時に主要装備である無線機とウェアラブル・コンピュータが装着されている。ウェアラブル・コンピュータとは、現場の戦術チームと捜査官、作戦指揮車、SOP本部のICC(SOP統合司令センター)などと情報ネットワークを構築するためのもので、ポータブル・コンピュータとネットワーク機器をウェアラブル化したもので構成されている。
 作戦指揮車内の分析官が笠谷小隊長に告げた。
 「小隊長、システムリンク正常起動しました」
 作戦指揮車内のディスプレイには、全隊員のヘルメットに搭載されたモニターカメラのライブ映像や壁透過レーダーなどの情報が映し出されている。これを確認した笠谷はICCに初動完了を報告した。すると、TV会議システムに内閣危機管理センターから接続要求が来た。
 「私は内閣危機管理監の桐ヶ谷だ。里中警視は到着しているかね?」
 「ただいま到着しました」
 里中は笠谷の肩をたたきながら、TVカメラの画角に入り答えた。
 「よろしい、柏木総理からお話があるそうだ」
 あんたの話はどうでもいいけど…… そう思いながら里中は総理映像に答えた。
 「総理、本件の指揮を命じられたSOPの里中捜査官です」
 内閣総理大臣、柏木隆一(かしわぎ りゅういち)が静かな声音を発した。
 「総理の柏木だ。里中君、大変な任務になるがよろしく頼む。言うまでもなく、このような事態は日本にとってとても大きな損害だ。これ以上の状況悪化は何としても食い止めたい。現場の指揮は君に任せる。一刻も早く事態を解決してくれ」
 「承知しました。ベストを尽くします」
 里中がそう答えるとモニターの映像が総理からパンされ、再び内閣危機管理監の桐ヶ谷が映った。
 「データリンクシステムでそちらの状況はリアルタイムに把握している。何かあればこちらから声をかける。それから、犯人の要求している声明の生中継だが、国営テレビのスタッフをそちらに向かわせた。どう使うかは君の判断に任せる。頼んだぞ、里中警視」
 TV会議システムの映像が消えると、里中はつぶやいた。
 「声明をテレビ中継しろだなんて、素人もいいとこだなぁ」
 西岡が答えた。
 「文革連の連中も、組織が大きくなり過ぎて質が低下してるんじゃないか?」
 里中は笠谷に尋ねた。
 「で、中の状況は?」
 笠谷は情報ディスプレイを指差しながら説明した。
 「あまりいい状態ではない。ホールD5は入り口が二つ。そのほかのアクセスポイントは換気ダクトなども含めて見当たらない。人質は28人、犯人は今のところ5人以上とみているが、もう少し分析しないと正確な識別はできないな」
 里中は言った。
 「LRAD(エルラッド)も用意しておいてくれ」
 この後、里中はテロリストが連絡用にと示した携帯に音声チェンジャーを通して電話をし、改めて彼らの要求を確認すると、要求への交換条件として人質の半分を開放するようにと伝えた。しかし、テロリストは取引には一切応じない。我々の要求に応えられないのなら人質を順番に処刑すると言い、最初の期限を1時間後の14時と指定してきた。

 「見える、見えるわっ!」
 「本当に?」
 「ええっ! とてもよく見える。銃を持った人が6人、席に座った人たちを取り囲むように銃を構えて立っているわ」
 「どんな銃?」
 「待って、検索してみる。えーっと、これだわ」
 「MP5か。他にも何か持っているかな?」
 「見える範囲ではないわ」
 「よし、彼らの武器を無効化することに挑戦してみよう。この図を見てみて。撃鉄と呼ばれるところにバネがあるでしょう。このバネを折ってしまえば銃弾は発射できなくなる」
 「できるかしら?」
 「自信を持って! きっとうまくできるさ」
 「わかった。やってみる……」
 ややあってから、テロリストの持つ短機関銃MP5の一つから、パキッという小さな金属音がしたが、この音に気付く者はいなかった。

 SOPの作戦指揮車で情報分析の任に当たっていた分析官の一人は、テロリストの持つ銃器を特定するために、X線センサーの捉えた情報をデータベースと照合していた。そして、両者の間にほんの少しだけ差があることに気がついた。テロリストの持つMP5の撃鉄バネが折れているのだ。分析官はX線センサーを持つ戦術支援小隊の隊員を誘導し、既に特定済みのテロリスト全員の銃を調べると、すべての銃がMP5であり、そのすべてが同様の状態であることを確認した。つまり、テロリストは銃弾を発射することができないのだ。この驚くべき結果を報告された里中は、なぜそのようなことになっているのかといぶかしんだが、人質を処刑するというタイムリミットが迫る中で、疑問の一つひとつを解消している余裕はなかった。里中は突入準備を笠谷小隊長に指示すると、西岡とともに国営テレビのテレビクルーからカメラなどの撮影機材とテレビ局のロゴの入ったジャンパーを借り受けた。

 笠谷小隊長がテロリストの携帯に電話をし、テレビ中継スタッフが中に入ることを伝えると、ホールのドアが静かに開いた。ドアの正面には数名の人質がテロリストを守る壁として横に並ばされ、その後ろで二人のテロリストがMP5を構えているのが確認できた。テレビカメラを担いだ西岡と、ケーブルをさばく里中がホールの中に進むと、テロリストの一人がドアを閉めようとしたので里中は言った。
 「ああ、すみません。ドアは開けておいていただけますか? このアンテナとカメラが通信できないと中継ができないんです」
 このアンテナとは、ドアの入り口付近に置かれたLRADのことだが、もちろん、LRADは通信用アンテナではない。里中の説明に納得したテロリストは、里中と西岡の二人をボディチェックし、これに合格した二人はホールの奥、プロジェクター・スクリーンの前まで進んだ。
 テロリストのリーダーと思われる男はテレビカメラの前に立つと、ワンセグチューナーを片手に映像を早く映せと指示した。里中は、13時40分から衛星回線が使用できるようになるので、もう少し待ってほしいと伝えると、リーダー格の男は不満を口にしようとしたが、テレビカメラに装着されたライトが点灯し、西岡が「画、入れます。そちら準備どうですか?」と演技すると、生中継の段取りに理解を示したのか、リーダー格の男は自分の身なりを整え始めた。
 里中はホールの状況を確認した。西岡の前に一人、入り口で盾となる人質の後ろに二人、ホールの入り口から見て右に一人、左に二人が立っている。入り口で壁を作っている人質以外は、椅子に座ってホールの中央部に集まっている。問題ない、しかもテロリストの銃は無効化されているのだ。里中は口の中に仕込んだモールス信号の送信装置を使い、テロリストの配置をSOPの隊員たちに送った。
 里中のモールスを聞いた星恵里は、アサルトライフルHK416からゴム弾が装塡されたグレネードランチャーに持ち替えると、ホール入り口ドアの左側にしゃがんで待機した。
 「間もな衛星回線が開きます。開き次第放送でよろしいですか?」
 里中がそう尋ねるとテロリストは小さくうなずいた。
 「では、中継に入ります」
 里中は腕時計を見ながら時がくるのを待った。そして……
 「5秒前、4、3、2、1」
 ゼロ、のタイミングでホールの中の全員の感覚は、一気に麻痺(まひ)状態に突き落とされた。ホールの入り口に設置されたLRAD(長距離音響装置)から出力された警報に似た周波数の高い、しかも150デシベルまで到達する大音響が彼らの感覚器官を麻痺(まひ)させたのだ。そしてその2秒後、ドアのもう一つがブリーチングチャージ(テープ状の爆薬)によって吹き飛び、LRADが停止すると二つのドアから第3小隊が一気になだれ込んだ。
 星は、ブリーチされたドアからゴム弾を装塡したグレネードランチャーを構えて突入し、その桁違いの身体能力――敏捷(びんしょう)性を活(い)かしてテロリストを次々に倒した。ドア近くにいたテロリストの腹部に1発、その奥のテロリストの脚部に1発、更に突き進んでリーダー格の男の脚部に1発。ゴム弾とはいってもその威力は人体を大きく損傷しない程度に強力であり、テロリストの内二人は星の銃撃によって骨折した。そして倒れ込むテロリストは星に続くディフェンスマン、バックアップマン、テールガンの三人と第2班の隊員たちが拘束し、残りの三人はもう一方のドアから突入した第3班と第4班の8人によって制圧された。里中のカウントダウンから戦術チームの「クリア!」の声がホールに響くまで、ほんの数秒の出来事だった。人質は全員無事。テロリスト6名も確保された。
 里中はLRADにさらされた感想、「気持ち悪い……」をつぶやきながらテロリストのMP5を拾い上げると分解し、撃鉄バネを確認した。
 星はゴーグルを外しながら里中の手元をのぞき込んだ。
 「本当だ。バネ折れてる」
 里中はテロリストのリーダーに尋問した。
 「銃が撃てないことは知っていたのか?」
 テロリストはきょとんとした顔をして、「ええっ……」と答えた。その表情から答えを読み取った里中は、「そりゃそうだよな……」と言った後に心の中でつぶやいた。
 一体誰が細工したんだ?

 

続く……