【案内】小説『エクストリームセンス』について

 小説『エクストリームセンス』は、本ブログを含めていくつか掲載していますが、PC、スマフォ、携帯のいずれでも読みやすいのは、「小説家になろう」サイトだと思います。縦書きのPDFをダウンロードすることもできます。

 小説『エクストリームセンス』のURLは、 http://ncode.syosetu.com/n7174bj/

2012年12月31日月曜日

小説『エクストリームセンス』のキャラクター 泉彩香

小説『エクストリームセンス』のキャラクター・泉彩香です。
髪の毛がイマイチですが、今の私の画力ではこのくらい……
彩香の夢は小説家。彼女が小説の中で執筆中の小説『シューティングスター ~ 流星使いの涼香』の原稿をバックにしました。
小説はこちらで→ http://ncode.syosetu.com/n7174bj/

 

泉彩香
泉彩香 posted by (C)Satohru

2012年12月29日土曜日

2012年12月24日月曜日

小説『エクストリームセンス』の主人公・見山人美

 コンセプトアートの高精細版です。

見山人美
見山人美 posted by (C)Satohru

初めてのカラーイラスト

 トラブルの関係で投稿が前後しましたが、こちらが初のカラーイラストです。
 まだまだ力量不足ですが、執筆中の小説『シューティングスター ~ 流星使いの涼香』の主人公・涼香をイメージして描きました。

 

涼香
涼香 posted by (C)Satohru

小説『エクストリームセンス』 コンセプトアート 第1弾・改

一晩経ったら瞳が気に入らず修正しました。これで決定稿です。たぶん……

小説『エクストリームセンス』の主人公・見山人美が、〈エクストリームセンス〉を使って〈インフォクラウド〉を展開しているところです。

小説『エクストリームセンス』コンセプトアート 第1弾・改
小説『エクストリームセンス』コンセプトアート 第1弾・改 posted by (C)Satohru

2012年12月23日日曜日

作画プロセス

1 下絵

 ペン入力タブレットを使って下絵を描きます。今回は小説『エクストリームセンス』の主人公・見山人美が、インフォクラウドを展開しているところを描きます。

01下絵

 

2 線画

 下絵をトレースしてクリーンな線画を描きます。この後の処理の関係上、目と腕はレイヤーを分けています。

02線画 

 

3 下塗り

 パーツごとにベースとなる色をベタ塗り。

03下塗り

 

4 影入れ

 影を入ると立体感と雰囲気が出てきます。今回は手元で発光しているインフォクラウドの光を受けているところ。

04影入れ

 

5  背景

 エクストリームセンスをイメージしたウェーブを入れました。

05背景

 

6 前景、エフェクト

 発光するインフォクラウドを入れて完成です。

06インフォクラウド

2012年11月26日月曜日

Enterprise Architect で小説のストーリー設計

 現在、小説『エクストリームセンス』の第2部を執筆中ですが、私の場合は、UMLモデリングツール「Enterprise Architect」を使い、下図のようにストーリーを設計しています。
 こうすると、小説の登場人物、組織、概念、イベントなどの静的側面を視覚化できます。つまり、小説のプロットです。

 モデル駆動小説設計、とか……

 

ESStoryDesign
ESStoryDesign posted by (C)Satohru

2012年10月22日月曜日

執筆予定小説作品『Avesta(アベスタ) ~ 二つの封石』

 このアイデアは、小説『エクスプロラトリー・ビヘイビア』を書き上げた後、ゾロアスター教に関する本を読んだ時に思いついたもの。随分と長いこと放っておきましたが、そろそろ着手しようかと……

小説『Avesta(アベスタ) ~ 二つの封石』

 ファンタジーです。

2012年10月21日日曜日

森下 友紀

森下 友紀(もりした ゆき)

女、26歳。

神奈川県警察本部 刑事部 特定犯罪捜査室 巡査

※小説『エクストリームセンス』第2部登場予定。

2012年10月13日土曜日

小説『エクストリームセンス』 No.17

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 そのころ、岡林敦のスマートフォンにはASMOSからの自動送信メールが着信した。隣に杉本美花が眠るベットの中で、寝ぼけながらも岡林はメールを読んだ。
 「ログ容量不足。何だよ……」
 スマフォを置き再び寝ようとする岡林――「何だって!」飛び起きると再びスマフォを手に取った。
 「容量不足なんて、一体ASMOSは何をやってんだ!」
 「どうしたの? 岡ちゃん」
 杉本は眠い目を擦りながら岡林に尋ねた。
 「ASMOSの動作ログが容量オーバーした警告メッセージが送られてきたんだ」
 「どうして? オペレーターの運用ミス?」
 「いや、そんなはずない。ASMOSは何かとてつもない処理を実行したんだ」
 岡林はワークステーションを起動し、ASMOSコアに接続した。状態を確認すると、既に夜勤のオペレーターがログを待避しアラートは消えている。しかし、岡林はASMOSコアのCPUがこれまでにないほど高負荷状態であることを確認する。
 「一体何が起こってるんだ?」
 極めて短時間の間に、人美のサイパワーは飛躍を遂げた。飛行に成功し、エクストリームセンスで意識下にサイバーワールドを展開し、EYE'sのハイパフォーマンス・モードでエクストリームセンスを発動し、拡張現実を実現した。更に強力なサイコキネシスはミサイルの軌道を変え、ズウォメイのコンシャスネス・ネットワークとのリンクをも体験した。その体験は、人美の脳内活動全般を捉えていたASMOSにもこれまでにないほどの膨大な学習を行わせることとなった。その結果、人美の意識と相関する神経活動――NCC(Neural Correlates of Consciousness)から、人美の最も強い思考パターン――興味を持つということを学んだ。これによりASMOSはあたかも意識を持っているかのような振る舞いを始めた。自ら興味を持ったものへの探求を開始したのだ。その探求は、人美が気にかけていたことを踏襲している。人美はエクストリームセンスの経験を重ねる中で、ネット上にはちりばめられた何かが存在すると感じていた。そして、今ASMOSはパブリック・ネットワーク上に点在する一見意味を持たない情報の相関関係を分析し、ついにネットワーク上にちりばめられたあるメッセージを浮かび上がらせた。

 あなたは自分を平凡だと思っていないだろうか? でも実際は、自分も豊かな才能を駆使して成功し、富を築き、自由に生きたいと思っているのではないか? もしそう思っているのなら、正しい社会の構成員となることが重要だ。会社や学校に不満があるだろう? あるいは社会に、親に…… 一体何が不満なのか考えたことはあるかい? 間違った社会は、あなたの価値を正しく認めない。だからあなたは不満を感じ、束縛観を覚え、もっと認められた社会で自由に生きたいと思うのだよ。えっ! そんな社会はないって? 諦めてはいけないよ。正しい社会は現存し、その中で自由に生きている人たちはたくさんいるんだ。あなたもその構成員たるオルガナイザーになれるんだよ。覚えておいてほしい。その社会こそがオルグが目指すものなんだ。
 オルグの社会に入るためには、表現者にならなくてはいけない。でも、それは難しいことではないんだ。いつもあなたが思っていることを実践すればいいんだよ。邪魔なやつは消してしまえばいいよ。つまらない会社は辞めてしまえばいい。えっ! 生活ができなくなるって? 心配はいらないよ。オルグに入れば、自由が手に入る。まずは表現者になるんだ。オルグはちゃんとあなたを見ているよ。そして、表現をしたらその思いをよく見えるところに記録してくれ。記録の方法はあなたに任せる。もう一度いうが、よく見えるところに書くんだよ。そのメッセージは別の表現者に必ず伝わる。そう、SNSは大昔からとっくにあるんだよ。何げなくあなたが見ていた落書きのほとんどには、実は意味があるんだよ。あなたがいい表現をすれば、大きな反響が起きる。そして、オルグでの地位も高くなり、あなたは幸せになれるのだよ。さあ、迷うことなんかないだろう。今から君も表現者だ。

 「何これ?」
 杉本はディスプレイに浮かび上がった意味不明の文章に首をひねった。
 「これ、ASMOSが作った文章なの?」
 岡林はASMOSの動作状況を確認しながら答えた。
 「まだ分からない。でも、とにかくとんでもないことが起こっているのは間違いないよ」
 そして、杉本を振り返り言った。
 「ごめん、これから本社に行ってくる。悪いけどここで待っててくれる?」
 そう言うと岡林は慌てて身支度を調え、杉本にキスをすると足早に部屋を出て行った。ワークステーションの電源も切らず、ログオフもしないで。杉本は一人残された岡林の部屋で、暗闇に光るワークステーションのディスプレイを見つめていた。
 「何てラッキーなの……」
 杉本はワークステーションの前に座った。

 国営データセンターミサイル攻撃テロ、それは未遂に終わった。現場にはSOP戦術チームに加えてSOP支援小隊や群馬県警、館林警察署の警官たち、それにやじうまたちが集結し、現場の検証が行われていた。その指揮を執る里中涼をICC(SOP統合司令センター)の真田が無線で呼んだ。
 「こちら里中、どうした?」
 「HMG-2が見つかりました!」
 「何だって!?」
 一瞬、里中は何というあっさりとした展開だろうと安堵(あんど)したが、続く真田の説明を聞いて新たな事件の始まりを認識した。里中は西岡武信とともにナイトハウンド1号機で3機目のHMG-2が発見された現場へと飛び立った。
 里中と入れ替わるように、渡辺昭博と進藤章を乗せた相模重工のヘリが現場に到着した。沢木聡と見山人美を迎えに来たのだ。そのヘリへと向かう人美の姿を見つけた星恵里は、駆け寄って人美に声をかけた。
 「人美!」
 「星さん」
 星は人美の肩をポンと叩いて肩言った。
 「あなたやるわね。助かったわ、ありがとう」
 「星さんのアドバイスのおかげです」
 「そんなことないわ、あなたの実力よ。自信持ちなさい」
 人美は照れながら小さくうなずいた。
 「それから、もう1機のミサイルも見つかったから、帰ったら安心して休んでね」
 「本当ですか、よかった!」
 そして星は人美に耳打ちした。
 「ねえ、私は口が堅いの、今度あなたの秘密を教えてくれない」
 人美は笑いながら小さくうなずいた。
 「人美、本当にありがとう。そのうちお友達になりましょうね」
 星はウィンクすると人美の返事も聞かずに走り去っていった。
 強いなぁ…… あの人……
 そう思いながら人美は心の中で「はい」と答えた。
 先にヘリに乗っていた沢木に、本社へタクシーで移動中の岡林敦から電話がかかってきた。
 「大変なんです。今から本社で会えませんか?」
 「どうしたんだ?」
 「ASMOSがヘンテコなメッセージを出してるんです」
 「メッセージ?」

 「そんなにひどいのか?」
 西岡武信の問いに神奈川県警の捜査員が答えた。
 「しばらく飯が食えそうにないですよ」
 里中涼は、「まあ、とにかく見てみよう」と言って雑居ビルの借り主のいない事務所へと入っていった。
 里中と西岡は、テロ現場を飛び立った後、横浜港にある横浜海上保安部にナイトハウンドを着陸させ、神奈川県警が向かいによこしたパトカーに乗って2時10分に現場に到着した。そこは横浜駅西口近くの雑居ビルの5階で、ここ数か月空(あ)いたままの貸事務所だった。里中が事務所の中に入ると、そこは蒸し暑く血のにおいが充満していた。里中はハンカチで鼻を覆いながら事務所の奥へと進み、その光景を見た途端思わず目を背けた。西岡は「何だこりゃ。こんなの初めてだぜ」とハンカチで口を押さえた。白いソファの上に人が座らされている。しかし、一目でおかしな造形だと気づく。頭部は切断され逆さまになって胴体の上に載せられている。切断された腕は脚の位置に、逆に脚は腕の位置に糸で縫い付けられていた。大量の血が流れ出て、白いソファと強烈なコントラストを生み出している。そしてその横に、テロ未遂現場と同じ特注の発射台に載せられたHMG-2が置かれていた。発射可能状態になっていると思われるHMG-2の機体には、子供のような字体でメッセージが書かれていた。
 相模重工へのプレゼント。僕らはいつでもやれるよ(^^)v

 ズウォメイ・エマーソンは、サイバーワールドで人美と別れた後、直ぐに自分の部屋で目を覚ました。しかし、今までのようなダイブから浮上した感覚がない。ズウォメイはカーテンを開け庭に目をやり、父ニールが庭でゴルフ・スイングの練習をしている姿を見て、間違いなくダイブから帰還したことを知った。
 私も変わるのかも知れない……
 ズウォメイは考えた。
 人美の力で、私に変化が訪れようとしているのかも知れない。人のバランスが崩れるとは、そもそも災いとは限らないのかも…… もっと知らなくては…… 何が起こるのかを確かめたい。
 そしてつぶやいた。
 「人美、あなたに会いたいわ」
 ズウォメイは庭に出てエマーソンに話しかけた。
 「お父様、私日本へ行くわ。人美と会わなくてはいけないの。だぶん、そういう運命なんだわ」

 沢木聡は相模重工川崎工場のヘリポートについた後、渡辺昭博と進藤章に見山人美を送らせ、自分はタクシーで相模重工本社へと向かった。ASMOS運用管理センターのオペレーションルームに入ると、岡林敦が必死になってASMOSの吐き出した動作ログを解析していた。沢木は早速ASMOSが出力したメッセージを読んだ。そして、動作ログの一部を確認すると岡林に静かな口調で感想を言った。
 「岡林、俺たちは神の領域に足を踏み入れたのかもしれない……」

 

(第1部 完、第2部へ続く)

小説『エクストリームセンス』 No.16

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 23時55分。2機の〈やましぎ〉は航空自衛隊熊谷基地に着陸した。貨物室ハッチが開くとSOPの隊員たちが一斉に飛び出し、次いで隊員輸送用バス2台と作戦指揮車1台が降ろされた。数分遅れて飛行速度の遅い2機のナイトハウンドが到着し、エンジンが止まると静かになった熊谷基地のヘリポートに里中涼の声が響いた。
 「集合!」
 SOPの隊員たちが里中の前に整列する。見山人美は何が始まるのだろうと思いながら沢木聡とともに隊列に近づいた。
 「いよいよ作戦開始だが、何よりも優先しなければならないことはミサイルの発射を阻止することだ。第2に、テロの背景を探るためにテロリストを確保したい。この二つがある中で、現場でどう判断するかは一人ひとりに任せる」
 そこまで言うと、里中は沢木と人美に視線を移した。
 「沢木、見山両氏にはSOPの作戦に同行していただきます。以後作戦終了までは私の指揮下に入っていただきますのでご了承ください」
 沢木は深くうなずき、人美は「はい」と答えた。
 「では、皆に幸運を」
 そう言って里中が敬礼すると、整列したSOP隊員たちが一斉に返礼する。里中の敬礼がなおるとSOPの隊員たちはそれぞれのポジションに散っていった。そして翌7月26日、0時10分。走行距離で約21キロ先の作戦地点へ車で移動する先発隊――第3小隊と第5小隊が分乗する隊員輸送用バス2台と、射撃手2名を乗せた熊谷警察署の覆面パトカー1台――がサイレンを鳴らすこともなく出発した。それは、どこからやって来るか分からないテロリストたちに気づかれないようにするためだった。後発隊となるのは2機のナイトハウンド。1号機はテロリストを急襲する里中、星恵里、西岡武信。2号機には沢木と人美が搭乗した。
 ナイトハウンドの機中で、沢木はEYE'sの秘密を人美に話し出した。
 「今まで言わなかったけど、実はEYE'sの動作モードはもうひとつあるんだ。貸してごらん」
 沢木は人美からスマートフォンを受け取り、カチューシャを模したアイコンをタップしてEYE'sを起動し、隠しコマンドを入力してパスワード認証画面を出した。
 美しい人が見える山
 沢木は入力したパスワードを人美に見せてほほえみかけ、OKボタンを押すとモード切替の選択肢にハイパフォーマンス・モードが現れた。
 「これでいつでもハイパフォーマンス・モードが使える。このモードにすると、人美さんのパワーをEYE'sは増幅する。同時にASMOSとリアルタイムで通信できるようになってESが使えるんだ」
 人美は大きく深呼吸してから言った。
 「初めてなのに、使いこなせるかしら?」
 「僕の作ったASMOSはバカじゃない。君から学んだことをいかして、必ず君を助ける」
 人美はうれしい顔をして答えた。
 「ASMOSは、沢木さんだもんね」

 0時33分。発射地点まで後4キロほどのところで、イム・チョルはファミリーレストランの前で車を止めさせた。そして、ユン・ヨンに言った。
 「ヨン、ここで待っていてくれ。うまくすれば1時間もしないで帰ってくる。少し休んでてくれ」
 ユンは意外な言葉に「どうして?」と静かに尋ねた。
 「ヨンをテロリストにしたくない」
 イムの気持ちはうれしかった。しかし、ユンにとって最も意味のあることは、どんなことでも二人でやり遂げることだった。北朝鮮が崩壊し解放軍となったイムたちについて行ったユンは、しばらくして選択を迫られた。それは、イムが解放軍を離れる時だった。その時イムはユンに言った。
 「ついてこないか? これから先の人生もいろいろあるだろうが、二人なら乗り越えていけると思うんだ」
 田舎育ちの世間知らずで満足な教育も受けたことがなく、家族を捨てたユンに一人で生きる術などなかった。今やイムしか頼れる者はいない。でも、これからは頼るばかりでは駄目だ。自分もイムの役に立たなければ…… その時、ユンはイムにどこまでもついて行き、どんなことでも二人で乗り越えようと決心したのだ。ユンはイムに答えた。
 「二人でやることだから意味があるんでしょう。チョルが何かを背負っているのに、私は待つだけなんて耐えられない。一緒に行きましょう、今まで通り……」
 そう言うとユンはそっとほほ笑んだ。

 イムたちの乗るワンボックスカーは、利根川(とねがわ)の川岸に子供の背丈ほどに群生する雑草の中で車を止めた。月明かりはなく電灯もない場所ではあったが、利根川にかかる橋の街灯によってわずかな視界が保たれていた。イムは暗闇に目が慣れると車を降り、髪の乱れによって強まってきた風を認識した。ミサイル攻撃への風の影響を心配したイムだったが、パクの全く問題ないとの返事に安心して言った。
 「さあ、仕事にかかろう。ゴールは目前だ」
 ユンは辺りを見張り、三人の男たちはフラッシュライトの明かりを最小までに減光し、HMG-2の発射台の設置を開始した。
 川岸には利根川と平行に走る小高いサイクリングコースがあり、その丘の向こう――川岸から死角になる場所を移動しながら、HMG-2の発射地点を慎重に探索していたSOP隊員たちは、茂みにうごめく人影を暗視ゴーグルを通して発見した。作戦指揮車がその場に移動し、SOP第3小隊長の笠谷の指揮に従ってSOPの隊員たちはテロリストと目される人影を大きく包囲した。笠谷小隊長は拡声器で人影に呼びかけた――OEC(オリエント経済共同体)発足以来、SOPの隊員は英語に加えて朝鮮語を話せることが必須条件となっていた。
 「こちらはSOPだ。君たちを包囲した。そこで何をしている。両手を頭の上に載せてこちらに出てきなさい」
 突然のことにイムたちは動揺した。
 「何でSOPがいるんだ!」
 「計画が漏れたの?」
 「はめられたんじゃ……」
 「分からない。どうしてだ?」
 イムは深呼吸をして自分を落ち着かせた。そして声をかけた。
 「とにかく発射準備を急げ」
 パクはHMG-2のケースからパームトップ・コンピュータを取り出し、発射台にセットされたHMG-2に接続して攻撃プログラムの設定を始めた。現在位置、攻撃位置、弾道パターン…… その間に、キムはもう1機のHMG-2を発射台へと運んだ。2機の高機動誘導ミサイル、HMG-2は、夜空を鋭角ににらんでいる。
 SOP作戦指揮車内の分析官から丘で指揮を執る笠谷小隊長に無線が入った。
 「X線カメラ映像が準備できました」
 ヘッド・マウント・ディスプレイに映る映像でHMG-2の機影を確認した笠谷小隊長は、語気を強めてもう一度投降を呼びかけた。
 「ミサイルから離れなさい! こっちへ出てくるんだ!」
 この時既に、パクは2機目のHMG-2に攻撃プログラムをセットしているところだった。X線カメラのライブ映像により、HMG-2の機影と投降に応じないテロリストたちを確認したナイトハウンド1号機に乗る里中は、「よし、行け!」と叫んだ。その声は無線機を通じてナイトハウンド2号機に乗る人美の耳にも入った――いよいよ戦闘が開始される。そんな生まれて初めての場面に手が汗ばむのを感じながらも、人美はEYE'sをハイパフォーマンス・モードに切り替えた。これにより人美とASMOSはリアルタイム通信が行われるようになり、バイオフィードバックによって人美の脳は最大限に活性化し、同時にエクストリームセンスが起動する。すると、人美の目の前にインフォクラウドが浮かび上がった。人美の目が捉える現実空間とASMOSからの情報が意識下で合成され、脳裏に拡張現実空間を作り出したのだ。
 「俺がSOPを引きつける! みんなはミサイルを発射したらすぐに逃げろ!」
 そう叫びながらキムがワンボックスカーに乗り込もうとすると、ヘリのごう音が急接近してきた。そして投光器の強力な光が一瞬キムの視界を奪う。目を細めながら光源の方向に目を向けると、200メートルほど離れたところでヘリがホバリングしているのが確認できた。キムが手に持つ小型機関銃――イングラムM11の射程距離はせいぜい70メートル、ヘリには届かない。しかし、きっとやつらは狙撃銃を持っているのだろう。この戦闘力の違いはキムに抑圧されていた軍人時代を思い起こさせた。激しい怒りの感情がキムの全身を支配する。
 「畜生、お前らはそうやって俺たちを見下すのか!」
 キムは「うぉーーっ!」と叫びながらイングラムを乱射し、ドンキホーテのようにヘリに向かって走り出した。
 「キムっ!」
 イムは飛び出していったキムを援護するために、ワンボックスカーの影から届かぬはずの光源に向かってMP5を撃った。
 星と西岡は、有効射程距離2,000メートルにもなる大型狙撃銃――M82A1に暗視スコープを付けてHMG-2を狙うが、風で機体が揺れ狙いを定められない。西岡が操縦士に向かって叫ぶ。
 「くそっ! 揺れを止められないのか!」
 「無理です!」
 地上からは短機関銃の発射音が散発的に聞こえてくる。SOPとテロリストは銃撃戦を展開しているはずだ。そんな状況の中、ナイトハウンドの床にうつぶせ、狙撃銃の暗視スコープから見える標的に星は全神経を集中した。チャンスは必ずある――星の鼓動が周囲の音を消し去った時、ナイトハウンドの機体は一瞬安定した。すさまじい発射音と反動――その音は現場を旋回するナイトハウンド2号機の人美にも届いた。
 「やったの?」
 そう言って自分を見る人美に沢木はかぶりを振った。50口径もの弾丸がHMG-2を捉えたのならば、内部の液体燃料が爆発するはずだがその音は聞こえない。星の放った弾丸はHMG-2をそれ、地面の土を飛散させただけだった。星は微動だにせず集中を持続し次のチャンスを得ようとしていた。
 「やつら大型ライフルで狙ってるぞ!」
 そう言うイムの後ろにユンは隠れた。二人はワンボックスカーの影にいたが、作業するパクは狙い撃ちされてもおかしくなかった。イムが叫ぶ。
 「パク、まだか! 早くしないと!」
 パクは冷静に作業を続けながら同じことを繰り返し心の中で唱(とな)えていた。
 何が何でも俺は撃つ。俺は、一番うまくこいつを扱えるんだ…… 俺ならできる、やってやる……
 キムは「畜生!」と叫びながらナイトハウンドに向かって走り続け、地上のSOPやナイトハウンドに乱射を続けていた。その弾丸――届きはしないのだが――にひるんだナイトハウンドの操縦士は、機体をHMG-2の発射地点から遠ざけた。里中は無線で指示を出した。
 「地上チーム! やつを排除しろ!」
 排除とはどういうことだろう? そう思った瞬間、その答えを人美はかいま見た。人美の乗るナイトハウンド2号機の投光器に照らされた男が、血しぶきを拭いて地面に倒れた。死んだのだろうか? 生まれて初めて見た光景は、人美の知る現実からあまりにも乖離(かいり)していたために、まるで映画を見ているような印象を与えた。こんなシーンはよくある。人の死はエンターテイメントに組み込まれているのだ。でも違う、これは現実だ。誰であれ、理由は何であれ、人があんなに簡単に死んでしまってよいのだろうか? いいわけがない。人美は拳を握りしめた。何とかしなくては…… 人美の心拍数は上昇しサイパワーが沸き上がってくると、人美の髪は重力を失ったかのようにふわりと広がっていった。
 暗闇に中に突然現れたまばゆい光は、ごう音をとどろかせながら天高く舞い上がっていった。それは一瞬の出来事で、HMG-2の迎撃の使命を担った狙撃手に対応させる余裕を全く与えなかった。沢木は叫んで指差した。
 「人美っ! あそこだ!」
 人美はナイトハウンドのドアを開け身を乗り出した。ヘリのローターが発するすさまじい風が人美を包み込む。沢木は人美のベルトをしっかりとつかんだ。HMG-2はわずか50秒で5キロ先の目標を捉えてしまう。人美は光の軌跡に向かって手をかざした。すると人美と沢木の周囲は無風状態となり、フワフワと漂う人美の髪は、まるで宇宙空遊泳をしているかのように沢木に目に映った。人美はかざした右手にミサイルをつかんだ感触を覚えた。ミサイルの激しい振動がその手に伝わっていたのだ。人美は周囲の地形情報を拡張現実として浮かび上がるインフォキューブから読み取り、利根川に着弾させるべくHMG-2を大きく旋回させていった。それは見るものの心を奪う光景だった。闇のかなたに消えかけた光の矢は、右から左に移動し、そして近づいてきた。誰の目にも、もうデータセンターに着弾することがないと読み取れる。HMG-2の発するジェット音が次第ボリュームを上げる。そしてその光の輝きとジェット音が最大に達した次の瞬間、遠くから爆発音がとどろいた。利根川の下流2キロ地点の水流の中にHMG-2が着弾したのだ。
 「やった! やったわ!」
 人美は沢木を振り返り笑みを見せた。
 「バカな…… 俺がプログラムを間違えたのか?」
 パクは「くそっ!」と怒鳴りながら2機目の発射ボタンを拳でたたいた。人美の背後に天高く昇る光が沢木の目に映る。
 「まだだ! 2機目が!」
 沢木の声に人美は振り返った。見ると2機目のHMG-2は、既に約2キロ離れた地点で小さな光を発している。人美はわずかに出遅れたが、インフォキューブから冷静に着弾地点を選定し、データセンターの更に先、3キロの地点にある多々良(たたら)沼を選んだ。
 できる…… 絶対にできる。やり遂げなくちゃ……
 人美はサイコキネシスでHMG-2を捉えた。先ほどと同じように、右手には激しく振動するHMG-2の感覚がある。
 もっと飛ぶのよ。私が思うところに飛んでいきなさい……
 沢木の視界からはHMG-2の放つ光は消えていたが、目の前の人美には4キロ先の標的が見えていた。伸ばした右手を震わせながら、HMG-2の推力と戦っている。2機目の発射から50秒が経過したが、人美は依然として闇に手をかざしていた。人美のベルトをつかむ沢木の腕にも、人美に腕の震えが伝わってくる。沢木にはとても長い時間に感じられた。そして26秒後、人美の腕の震えが収まった。ヘリのローターからの激しい気流が再び人美と沢木を包み込むと、そのあおりで人美はバランスを崩して落ちそうになったが、沢木に抱き寄せられた。
 「うまくいったかい?」
 沢木のその問いに、人美はにっこりと答えた。
 「ええ、沼に着弾させたわ。お魚には悪いことをしてしまったけど」
 HMG-2はデータセンターを飛び越え、更に3キロ先の多々良沼に着弾した。
 パクは、HMG-2の2機目は5キロ先の標的を捉えたと確信した。すると、なぜか大きな達成感が得られた。SOPに包囲されている、もう逃げられないだろう。誰かが犠牲になるしかない。パクはイムに言った。
 「俺がやつらを引きつける。その間にユンと逃げろ」
 「しかし……」
 「パク!」
 「俺はもう満足だ。結局のところ、俺は軍を首になった時点でもうどうでもいいと思ってたんだ。最後に後もう一暴れして、体制側の連中に一矢報いてやるさ」
 その時、キムの叫び声が三人に聞こえた。キムはまだ生きていた。
 「行け! このままじゃ全員犬死にだ」
 そう言うと、パクはイングラムを乱射しながらキムの方へと走り去った。
 「行こう、ユン。あいつらのためにも俺たちは生き残る」
 イムとユンは手を取り合って利根川の対岸に向かって走り出した。
 パクがキムを見つけると、キムは口から血を吹いてピクピクと全身をけいれんさせていた。
 「大丈夫か?」
 「大丈夫なわけ…… ないだろう……」
 キムは笑みを浮かべながら続けた。
 「やったのか?」
 「ああ、派手に爆発したはずだ」
 「そうか、イムとユンは?」
 「逃げるように言った」
 「ならお前も逃げろ。俺はこのざまだ。もう無理だ」
 「残念だがそうは行かない。イムたちを逃がすためにはもう少し粘らないとな。これでさよならだ」
 パクはキムに別れを告げると、雑草の茂みの中に走り込み、SOPの注意を引くためにイングラムを撃ちまくった。キムは最後の力を振り絞り、立ち上がるとSOPに向かってイングラムを乱射した。しかし、すぐに弾が尽きた。キムはデジタルカメラを取り出し、最後の思い出に目をやった。
 「楽しかった。もう十分だ」
 SOPの隊員たちが間近まで接近してきた。
 「お前らなんかに、楽しい旅を邪魔されてたまるか!」
 そう叫ぶと、キムはナイフで自分の首を切り裂いて息絶えた。
 ナイトハウンド1号機はHMG-2の発射地点上空でホバリングし、投光器によって3機目を探したが、それを確認することはできなかった。無線で指示を飛ばす里中。
 「HMG-2は2機にしかない。生け捕りにしろ」
 パクはSOPの隊員の姿を暗闇の中に見つけた。やつらを倒して武器を奪えばもう少し戦える。そう思って、パクはほふく前進でSOPに近づいていったが、暗視ゴーグルを装備するSOPにはパクの姿が丸見えだった。SOPの狙撃手が銃を持つパクの右肩を撃つと、パクには肩の骨が砕けたのが分かった。
 「うまくいかねーなぁ」
 あおむけになると、星がきれいに瞬いてることに気がついた。
 「まあ、俺の人生なんてこんなもんか……」
 パクは左手で銃を持ち自分の頭を打ち抜いた。
 イムとユンは利根川の浅瀬を走って対岸へと渡りきった。その姿をナイトハウンド1号機が投光器を灯(とも)しながら追跡する。里中は拡声器で「止まれ、もう逃げられないぞ」と警告する。イムは振り向きざまにMP5をナイトハウンドに乱射したが、アサルトライフルに持ち替えた星に脚を狙撃された。
 「イムっ!」
 太ももに銃弾を受けて倒れたイムにユンが駆け寄る。
 「ヨン、逃げろ!」
 「駄目よ、さっきも約束したじゃない。どこまでも一緒よ!」
 ユンはMP5を拾い上げ、ナイトハウンドを銃撃し出した。西岡は50口径の弾丸を二人のそばに撃ち威嚇する。砕けた石の破片がユンのほほを切る。しかし、ヨンはひるむことなく打ち続けた。星は正確にユンの太ももを打ち抜く。倒れるユン。イムははってユンに近づいた。
 「もう駄目だな。やつらに捕まるか、それとも……」
 「二人だけの世界に行きましょう」
 そう言うとユンは銃をイムに渡した。
 「今死ねれば幸せだわ」
 ほほ笑むユン。
 イムは銃口をユンに向けた――見つめ合う二人。イムもほほ笑みながら引き金を引こうとした。その瞬間、星の放った銃弾がイムの頭部を貫く。投光器のまばゆい光の中で、真っ赤な霧がイムの頭部から吹き出す。
 「イムーーーーっ!」
 崩れ落ちていくイムがスローモーションとなってユンの目に映る。そのゆっくりとした時の中で、ユンはすべての終わりを悟った。まだ自分は生きている。でも、この赤い霧とともに死んだのだ。降下したナイトハウンドから星が飛び降り、ユンに駆け寄り銃口を向けた。するとユンのゆっくりとした時の流れは終わり、崩れ落ちたイムに替わってSOPの隊員の姿が割り込んできた。どこまで邪魔をすればすれば気が済むのだろう? ユンは星をにらみつけて言った。
 「あんたがイムを殺したのね」
 星は一点の迷いもなく答えた。
 「私じゃないわ、あなたよ。なぜ彼を止めなかったの? 犯罪は、決して割に合わないの」
 殺したのは私…… ユンは泣き崩れた。
 里中はユンに駆け寄り「もう1機のミサイルはどこだ!」と尋ねたが、ユンは子供のように泣くだけだった。襟をつかみ、揺すり、もう一度尋ねる。
 「ミサイルをどこにやったんだ!」
 それでもユンは泣き続けるだけだった。里中はユンを離し無線で笠谷小隊長に確認するが、HMG-2の3機目は発見されていなかった。続けてICC(SOP統合司令センター)に連絡する。
 「まずいことになった。HMG-2が1機足りない。他のテロが進行中なのかもしれない!」
 人美は2機のミサイルの軌道を変え、データセンターを守ることに成功した自分に達成感を覚えていた。しかし、その直後からSOPの無線にはテロリストの死亡が次々と伝えられて、最後にはもう1機のミサイルが行方不明だと里中が告げている。これほどの力を持っているというのに、自分の果たせる役割が全体の一部でしかないという現実を突き付けられた。
 「誰も死なないでほしかった。沢木さん、私は本当に役に立ったのかしら?」
 沢木は人美の頭をなでてやった。
 「人美さん、みんな同じだよ。君のサイパワーも万能ではない。今この瞬間も、世界では戦争や犯罪、病気でたくさんの人が死んでいる。そのすべてを救うことはおのずと無理なことさ。でも、君の正義の心はきっと救われる人を増やしていくことになると思う。君は十分にやった。そして、この世に欠かすことのできない存在だと僕は思う」
 その言葉が暖かく胸にしみていくのが人美には分かった。沢木でよかった。自分のパワーを知る人が沢木でよかったと、人美は心から感じた。

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.15

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 東京に向かうやましぎ1号機、その機内で里中涼の携帯電話に沢木聡から電話がかかってきた。
 「里中さん、単刀直入に言いますが、現在、国営データセンターへのミサイルテロ攻撃が進行中です」
 「何だって! どこからそんな情報を手に入れたんです!?」
 「我々が開発した新システムによる情報分析の結果です」
 里中は冷静に努めた。
 「私があなたを信じるに足りる根拠はありますか?」
 「HMG-2という地対地ミサイルが使用されます。射手(しゃしゅ)はパク・ジファンというコリアン人です」
 それは部外者が知り得る情報ではなかった。里中は、「はははは……」と笑った後に言った。
 「全く、あなたには驚かされることが多い。分かりました、沢木さんを信じましょう。今どちらですか?」
 「自宅、葉山です」
 「では、今からお迎えにあがりますので連絡するまで待機していてください」
 里中は電話を切るとICC(SOP統合司令センター)の真田薫に指示した。
 「真田さん、葉山でやましぎが着陸できる場所を確認して、周辺を所轄に警備させてください。それから到着時刻に合わせて、相模重工の沢木氏と合流できるよう、自宅に迎えのパトカーをやってください……」
 一方、沢木は情報管理室の渡辺昭博に電話してことの次第を伝えた。国営データセンターは、独立行政法人・情報産業基盤機構が運営する施設だが、その建設は相模重工グループの建設会社・相模都市開発が行い、運用は同じくグループ企業の相模情報システムズに委託されている。国営データセンターに対するテロは、相模重工へのテロといっても過言ではなかった。渡辺は沢木に代わり相模重工の経営陣に危機を伝え、代表取締役社長の海老原稔(えびはら みのる)から国営データセンターで働く従業員の安全確保を命じられると、進藤章とともに現地へヘリで飛ぶ準備を開始した。

 23時少し前、沢木邸の前に葉山警察署からやって来たパトカーが到着した。警官の話によると、里中は捜査の帰りでやましぎに搭乗中であり、湘南国際村の空き地に着陸するのでそこで会いたいとのことだった。沢木は万が一ミサイルが発射されれば、最も阻止できる可能性が高いのは人美のパワーだと考えていた。そこで、EYE'sの予備バッテリーを十分に持つと、人美に同行するように言い、一緒にパトカーで湘南国際村へと向かった。
 ランデブーポイントが近づくと、飛行機のエンジン音を迫ってきた。人美がパトカーの窓から外を見ると、暗闇の中に着陸態勢に入った〈やましぎ〉の姿が現れた。
 「すごい、あの飛行機ヘリコプターみたい」
 沢木が答える。
 「相模AV-2、世界最大の垂直離着陸機だよ」
 人美が〈やましぎ〉の進む方向に視線を移すと、数台のパトカーのヘッドライトに照らされた空き地が見えた。〈やましぎ〉はゆっくりと姿勢を制御しながらそこに着陸し、沢木と人美の乗ったパトカーが近づくと、後部の貨物室ハッチが開き里中が出てきた。そして沢木に話しかけようとしたが、思わぬ再会に一瞬言葉を失った。そして、「見山さん、どうしてあなたまで?」と口を開いた。沢木が答えた。
 「彼女は新システムを最もうまく扱えます。お役に立つ場面もあるかと思い来てもらいました」
 「そうですか、とにかく機内にお入りください。申し訳ありませんが羽田に帰る途中ですので、少なくともそこまでは付き合っていただきます」
 〈やましぎ〉は再び空に舞い、その機内で里中は沢木から事情を聞いた。
 「一体、新システムというのはどんなものなんです?」
 「ご理解いただくには時間がかかるでしょうが、簡単に言うと世界中のあらゆる電子情報を分析し、仮説を立てるシステムです」
 沢木は無難な答えを選んだ。
 「で、そのシステムがテロ計画を探し当てたというわけですか?」
 「そうです、HMG-2を使ってテロリストたちは館林市の第1国営データセンターを攻撃するつもりです。もう時間はあまりありません。計画時刻は2時間後の明日1時です」
 「HMG-2が発射された場合、阻止する術はありますか?」
 「高機動誘導ミサイルであるHMG-2は、トップアタックという攻撃を仕掛けます。これは攻撃対象をほぼ真上から攻撃することでより高いダメージを与えるとともに、迎撃を阻止する狙いがあります。ほぼ不可能といっていいでしょう」
 西岡が尋ねた。
 「戦闘機で迎撃とかは無理ですか? パトリオットでは?」
 「戦闘機の攻撃システムではロックオンすらできないでしょう。パトリオットもHMG-2のような短距離ミサイルは迎撃不能です」
 西岡はあきらめなかった。
 「対空砲は?」
 「確率論としては迎撃可能です。しかし、その場合でも何らかの被害が出ることは免れないでしょう」
 里中が言う。
 「発車前に止めるしかないというわけですね」
 沢木は一旦うなずいた。
 「しかし、発射を阻止できなかった場合、一つだけ可能性のある方法があります」
 「何ですか?」
 「人美さんは新システムを使うことで様々な電子機器に干渉することができます。HMG-2のマイクロ・プロセッサーに干渉することによって、軌道を変えることができると思います。そのために人美さんに来てもらいました」
 里中は首を横に数回振った。
 「あなたの話はとても短時間では整理ができない。しかし、世界の頭脳といわれるあなたがいい加減なことを言うわけもなく、現に通常では知り得ないHMG-2やパク・ジファンの情報も知っている。もう時間はありません。私はあなたを全面的に信じます。SOPと行動を共にしていただけるという理解でよろしいですね」
 そう言った後、里中はTV会議システムを通して内閣危機管理監の桐ヶ谷利雄と、SOP本部長の田口謙吾にことの成り行きを説明し、指揮権を得るとICC(SOP統合司令センター)に指示した。これによりSOP戦術チームの第3小隊と第5小隊の総員50名が夜間作戦装備をし、大型狙撃銃のバレットM82A1も携えて羽田のエアSOP基地に移動を開始した。また、エアSOPにはやましぎ2号機、ナイトハウンド2機に出動待機命令が出て、エアSOPの隊長は戦争でも始まるのかといぶかしんだ。

 23時23分。やましぎ1号機は羽田基地に着陸し、エンジンを停止して次の作戦に備えて給油を開始した。そして2機の〈やましぎ〉は貨物室ハッチを開け、作戦指揮車は1号機に、隊員輸送用のバスは1台ずつ1号機と2号機に載せられた。また、SOPの隊員たちは夜間作戦用の装備でスタンバイし、全員がヘルメットに暗視ゴーグルを、短機関銃やアサルト・ライフルには暗視スコープを装備していた。
 里中の考えた作戦はこうだ。ナイトハウンドでHMG-2の発射地点に近づき、空から大型狙撃銃でHMG-2のエンジンを破壊する。同時に地上に待機するSOP第3小隊と第5小隊の隊員がテロリストを確保する。万が一発射された場合は、50口径の大型狙撃銃で撃墜を試みる。そのためナイトハウンド1号機に狙撃手を2名、国営データセンター近くにも2名の狙撃手を配置させる。とにかく撃ちまくって仕留める。SOPの装備ではこれができることのすべてだった。里中はHMG-2を破壊する役目を担った射手(しゃしゅ)に星恵里と西岡武信を選んだ。星は長距離射撃の腕もトップ、西岡はその体格を活(い)かし大型狙撃銃のエキスパートとして認められていた。
 里中は沢木を格納庫の裏手に誘い、静かに語りかけた。
 「沢木さん。実際、どうやってミサイルの軌道を変えるんです。新システムといっても何もない。電波とかレーザーとか、そういうものなしにどうやるんです?」
 「疑問はごもっともです」
 沢木は星空を仰ぎながら続けた。
 「里中さんをだますいいうそを考える時間がありません。もう本当のことをいうしかありませんね。見山人美さんには超能力があります。物に物理的作用をもたらす、いわゆるサイコキネシスを持っています。そして私が開発したシステムと連携することで、人美さんは強力なサイコキネシスを意のままに操れるはずです。彼女のパワーならミサイルの軌道を変え、被害の少ないところに落とすことが可能性だと思っています。ただし、言うまでもなくこんなことは初めての試みですから、確約はできませんが……」
 そんなことだろうと思っていた。あの2年前の不可解な出来事。超能力でもなければ説明がつかなかった。しかし、本当に超能力とは…… 里中はフッと笑いながら言った。
 「参りましたね。技術の世界で生きる沢木さんが超能力とは…… でも安心しましたよ」
 沢木は「どうして?」と尋ねた。
 「そのくらいのことがなくちゃ、2年前のことも含めて説明がつかない。もう教えてくれますよね。東京国際フォーラムの事件、あれも沢木さんと見山さんのやったことでしょう?」
 沢木も笑いながら首を縦に振った。
 「人美さんの能力は日々進化しています。あの日はたまたまあの事件に遭遇し、MP5を無効化することに成功しました」
 「今日はもうあまり時間がありません。これからの戦いに勝利したら、是非ゆっくりお話しさせてください。でも、一つだけお願いがあります」
 「何ですか?」
 「私は報告書に超能力などという文字を書くわけにはいきません。見山さんの力が使われた時のうそを考えておいてくださいね」
 沢木は薄い笑みで深くうなずいた。

 人美はベンツの覆面パトカーの後部座席に座って出撃の時を待っていた。沢木さんは私のサイパワーに期待している。空を飛べるようになったとはいっても、こんなことは初めてだ。うまくできるだろうか? あの時の自信がもう揺らいでいる自分にがっかりした。すると、「見山さん」と優しく呼びかけられた。顔をあげると星恵里の姿があった。人美は車を降りて星の前に立った。星が尋ねる。
 「私のこと覚えてる?」
 「はい、あの時はありがとうございました」
 「私は星恵里、よろしくね」
 そういって星は人美に握手を求めたので、人美はそれに答えた。
 「あなた、本当にミサイルを食い止められるの?」
 人美は正直に答えた。
 「分かりません。こんなこと初めてですから……」
 「あなたはシステムをうまく使えるんでしょう? 自信ないの?」
 人美は何と答えようかと唇をかみ締めた。すると星は笑顔で言った。
 「安心しなさい。これが何だか分かる?」
 いいながら星は胸につけたバッチをつかんだ。それは銀色に輝き、中心部には獲物を狙う鷹(たか)のような鳥とライフルがデザインされた美しいバッチだった。
 「これはね、特級射撃手徽章(きしょう)というのよ。SOPの隊員は150人いるけど、このバッチをつけているのは私だけ。エースの印なのよ。だから、私が必ずミサイルを撃つ。あなたはリラックスしていればいいのよ」
 私だけ…… 星の言葉が人美の中でこだまする。周りを見渡すと、がっしりとした体格の男性隊員たちの姿が目に入る。こんなに強そうな男たちがいるのに、エースは唯一の女性、この星しかいないのか…… そうだ、私も、私だけだ。少なくとも今この場でサイパワーを持っているのは私しかいない。だから、失敗を恐れることの前に自分のできることを考えなくてはならないのだ。人美は星に言った。
 「ありがとうございます。自分の役割が分かったような気がします」
 「そう、よかった」
 そう言うと星はウィンクをして去っていった。人美は星空を見上げ、自分のなすべきことを考えた。

 23時45分。2機のナイトハウンドのエンジンが始動し、回転翼が大きな気流を生み出すと、その黒い機体は徐々に高度を上げ夜空に溶け込んでいった。続いてやましぎ1号機と2号機のエンジンが始動すると、ナイトハウンドをはるかに超える強烈な気流が辺りを包み込み、その気流が頂点に達すると2機の〈やましぎ〉は羽田を飛び立った。SOP2個小隊が目指すのは、埼玉県熊谷市(くまがやし)の航空自衛隊熊谷基地だった。
 〈やましぎ〉の機中、沢木はなぜ国営データセンターが狙われるのかということを考えていた。もちろん、どこが攻撃されようともテロのインパクトは極めて深刻だ。しかし、相模重工と縁の深い場所が狙われることが気になった。ひょっとしてテロリストの狙いは相模なのでは? そもそもHMG-2が奪われたカルダーラ共和国も相模が海水淡水化プラントを建設し運営している。カルダーラの反政府ゲリラには、相模に対して激しい批判をしている者もいる。もしも犯行後に相模を狙ったテロである趣旨の犯行声明が出て、今後も攻撃の対象にすると宣言されれば、相模の企業価値はダメージを受ける。株価は下がるだろう。それに乗じて相模買収を試みる勢力が出てくるかもしれない。沢木はふと、AHIのスティーブン・シンプソンの顔を思い浮かべた。沢木がシンプソンの誘いを断った時のあの形相…… まさか、そこまで……
 里中はテロの背景について考えていた。アメリカ軍からミサイルを強奪し、北アフリカから日本まで運び、テロの実行犯を送り込む。こんなことは国際的な組織力と財力がなければ無理だ。とてつもなく大きな組織が全体をコントロールしているに違いない。一体どんな連中なんだ……

 そのころ情報管理室の渡辺昭博は、進藤章とともに相模川崎工場から飛び立ったヘリコプターで、群馬県館林市の館林警察署に到着していた。館林警察署は既にICC(SOP統合司令センター)と連携し、相模側の危機対応責任者として渡辺が来ることが伝えられていた。これから渡辺と進藤は、国営データセンターに館林警察署員とともに移動し、目立たないように従業員を避難させなければならない。もしテロリストにこちらの動きを察知されれば、計画を変更されてしまう可能性があるからだ。

 対向車のヘッドライトが通り過ぎるたびに、イム・チョルはその時が確実に迫っていることを感じていた。後1時間もすれば、日本をミサイル攻撃したテロリストとして日本中の警察から追われることになるだろう。いや、国際指名手配か? 立派な大悪党だ。ミサイルで何人死ぬのだろうか? 死ぬ者の中には、家族や恋人がいる者がほとんどだろう。未来を夢見て生きている連中が、何の前触れもなく突然死んでいく。イムは自分が行おうとしていることの罪の深さを考えたが、これまでもそうしてきたように、今回も自分に言い聞かすように罪を否定した。これはテロじゃない、戦争なんだ。貧富の差を拡大させ、社会保障を縮小し、学のない者には過酷な肉体労働しか与えないOEC(オリエント経済共同体)への宣戦布告なのだ。自分のようなマイノリティがこの社会にメッセージを送るためには、この方法しかないのだ。そこまで考えるとイムは笑った。それはあのCIAのエージェントが言っていたことじゃないか。俺の言葉じゃない。本当は…… 本当は金が欲しいだけだ。そのために俺は何という罪を犯そうとしているのか。迷う自分が現れては消える。どうしたんだ? もうとっくに覚悟を決めたはずじゃないか! 俺は怖じ気づいたのか…… イムは隣に座り眠っているユン・ヨンの顔を見た。そうだ、俺の欲しいのは金そのものじゃない。ヨンを幸せにしてやることが自分の生きる目的なのだ。罪人になろうと、人殺しで手が汚れようと、ヨンさえ幸せならそれでいいのだ。他人の人生なんて、そんなものはどうでもいいことなのだ。しかし、ヨンを連れてきてしまった。今更ながらに最も大きな過ちにイムは気づいた。イムは万が一のために、現場近くでヨンを降ろし、計画がうまくいったら迎えに行こうと考えた。

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.14

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 21時ごろ、山口県萩市の事件現場に近い田床(たとこ)小学校の周囲は、萩警察署の警官18名によって警備されていた。その周囲にはどうしたのかとやじうまが集まり、そこにSOPのやましぎ1号機が姿を見せると、やじうまたちは「うわーっ!」と思わぬ出来事に驚き、近所の家から飛び出した男子児童らは「すげー!」と叫んで喜んだ。後日、〈やましぎ〉の離着陸で巻き上げられた校庭の砂ぼこりと騒音は、山口県警と萩警察著に多数の苦情電話をもたらした。
 〈やましぎ〉の貨物室から出た2台のSOP車両は、ベンツを先頭にGPSのガイドに従って事件現場に向かい、現場に着くと科捜チームが科学捜査を開始した。里中涼と西岡武信の二人も萩警察署の栗原警部補にあいさつをすると、手袋、フットシートを装着し、フラッシュライトを持って現場を捜査した。
 西岡は、大枝哲郎の遺体から腐敗防止用の冷却シートをはがし、フラッシュライトを当てながら傷口を注意深く観察した。そして、大きさ、形状、皮膚の損傷具合について科捜チームの一人と協議し、現時点では人間の手――手刀(しゅとう)による刺し傷である可能性が高いことを確認した。西岡の知る限り、このような殺しの技術を持つのは元北朝鮮の軍人しかいない。
 里中は、軽トラックに残されたバールと木くずに興味を持っていた。そして、科捜チームが木くずを携帯型成分分析計にかけると、害虫駆除のための臭化メチルの残留臭素が検出された。現在、OEC(オリエント経済共同体)では臭素メチルの木材への使用は禁止されているため、この事実はOEC圏外から運ばれた木材である可能性が高いことを示していた。より核心に迫りたかった里中は、指紋採取済みのバールをルーペで丹念に調べた。すると、先端部分に黒っぽく変色している部分を見つけた。科捜チームがその成分を分析計で調べると、塗料に近いことが分かり、里中は直ちにそのデータをICC(SOP統合司令センター)に送り、HMG-2の塗料との照合を依頼した。そして15分ほど経過すると、ICCの真田薫から里中の携帯に電話が入った。OUネービー(オリエント連合海軍――その中核は海上自衛隊)の情報業務群に所属する特務機関――SAU(O.U. Navy. Special Activity Unit)の協力へ得た真田は、「一致とまではいきませんが、HMG-2の専用ケースの塗料とかなり似た成分であることが分かりました」と里中に告げた。
 里中は状況から仮説を立てた。大枝哲郎は手刀で刺し殺された可能性があり、そのような殺人手法を持っているのは旧北朝鮮の軍人。HMG-2の射手(しゃしゅ)であるパクと一緒にいた男女三人は、身元が特定されてはいないものの旧北朝鮮の人間である可能性が高い。大枝の軽トラックにはHMG-2専用ケースの塗料と酷似した物質が付着したバールと、OEC圏外から持ち込まれたと思われる木材の断片があり、これはHMG-2を木箱のようなものに入れて搬送し、日本へは大枝の漁船で運ばれたと推測できる。
 確証を得るには至らないが、状況は一つの可能性を示していた。今、日本にはミサイルによるテロ攻撃の危機が迫っている……

 ズウォメイ・エマーソンは、ダイブによってエクストリームセンスの存在を認識してからというものずっと考えていたことがあった。それは見山人美へのダイブ……
 父ニール・エマーソンがEMSオリエントの江田克に調査を依頼してから、既に20日以上がたっているが、これといった進展がない中で、自らの予言の真意を確かめたいという思いは日に日に強くなっていった。しかし、沢木聡へのダイブを成功させるためには、人美を何とかしなくてはならない。キーになる人美を理解せずに、沢木の意識に深く探ることはできないだろうと考えたのだ。しかし、エスパーへのダイブという未知の試みには不安があった。そこでズウォメイは、前回のダイブで最も安心感を得た人物、秋山美佐子を最初のターゲットに選んだ。あの時感じた彼女の意識は、穏やかで優しさに満ちていた。その彼女の脳にある人美へのサイレント・インフォメーション(意識にのぼらないニューロンの活動)をたどっていけば、そもそも人美にダイブすべきか否かの判断が付くのではないかと考えたのだ。
 太平洋標準時が7月25日の6時に近づくころ、ズウォメイは寝室のベットで静かに目を覚ました。そして、カーテンを開けると気持ちのよい朝の光に満たされた。
 「いい朝だわ。日本は夜、いいタイミングだわ。飛び込むなら、今ね」
 ズウォメイはダイブの実行を決断した。

 21時49分。里中涼は科捜チームに継続捜査を指示し、自分は西岡武信とともに、東京への帰路についたやましぎ1号機に搭乗していた。この時、SOP本部のICC(統合司令センター)にはSOP本部長の田口謙吾(たぐち けんご)が、内閣危機管理センターには内閣危機管理監の桐ヶ谷利雄が待機していた。そして里中とTV会議システムで三者が結ばれると、里中はことの成り行きを説明した。
 「昨日の13時ごろ、フォートップスが元OUアーミーの軍人でコリアン人のパク・ジファンという人物の入国に対してアラートをあげました。その理由は、カルダーラで奪われたミサイル――HMG-2の射手(しゃしゅ)をパクが経験しているためです。念のためフォートップスで追跡をしていましたが、昨日22時半ごろから一緒に入国した身元不明の男二人、女一人とともに行方が分からなくなり、SOP警戒レベル1を発令しました。そして今晩、山口県萩市で殺人事件が発生し、科捜チームとともに現場を捜査したところ、次のような仮説にたどり着きました。
 殺されたのは漁師で、恐らく沖合でHMG-2を受け取り、殺人現場でその受け渡しをしたと思われます。根拠は漁師の所有する軽トラックの荷台に残されたバールに付着していた塗料と木くずで、SAUの協力でHMG-2のケース塗料と近い成分であることが確認できています。また、木くずには臭化メチルの残留臭素が検出されました。これはOEC(オリエント経済共同体)では使用できない薬品です。さらに、殺された漁師は手刀と思われる傷を喉に受けて死んでいます。このような殺法(さっぽう)は旧北朝鮮の軍人が用いていたものです。以上から、パクたち4人はHMG-2を最大で3機受け取り、それを発射するために今、どこかに向かっているものと考えられます」
 桐ヶ谷が質問した。
 「で、攻撃目標の見当は?」
 「全く分かりません。殺害された漁師は死後硬直の状態から死後24時間程度経過している可能性がありますので、相当な距離を移動できます。東京を含む以南、西日本全体で攻撃を受ける可能性があります」
 「捜査の切り口はあるのか?」
 「HMG-2、3機と4人が移動するとなれば、パクたちは盗難車を使用している可能性があります。そのような痕跡を一つひとつ当たっていくしか今はありません」
 田口がつぶやいた。
 「雲をつかむような話だな」
 桐ヶ谷が応じた。
 「危機が察知できただけでもまだましだ。すぐに総理に報告し、テロ警戒レベルの引き上げを発令してもらう。SOPにはセントラルネットへのアクセス権限を最高レベルに設定する。パクの追跡に全力をかけろ」

 この頃、イム・チョルたちは埼玉県川口市の廃墟となった木材加工工場で、作戦前最後の休憩を取っていた。HMG-2を受け取った後、彼らは山陽自動車道、東名高速道路などを通り、1,000キロ強の道のりを15時間以上かけてやってきたのだ。
 これより前の7月25日、日曜日の16時過ぎに川口市に着いたイムたちは、最初に田中鉄工所を訪れ、前田煙火工業の山中が注文した花火の発射台を受け取った。鉄工所の経営者、田中龍男の「楽しみにしてますよ」という笑顔に見送られ、次にイムたちはCIAのエージェントの指示通り西川口のコリアン・タウンに移動し、明城(あかぎ)という名の小さなスナックでコリアン人の男から2丁の小型短機関銃イングラムM11と、1丁の短機関銃MP5を入手し、「ここで時間まで待機しろ」と廃墟の木材加工工場への地図を渡されたのだ。
 工場に着いたイムたちは、ワンボックスカーを工場内に隠し、見張りを一人ずつたてながら交代で仮眠や食事をとっていた。後1時間ほどで、彼らは再び出発しなければならない。HMG-2を発射するために……

 見山人美は自信を深めていた。空を自由に飛べた今、エクストリームセンスをもっとうまく使えるはずだ。ならばあのズウォメイ・エマーソンのこともより深く調べられると感じていたのだ。
 沢木聡は、自宅の寝室の隅にある書斎で本を読んでいた。すると人美から電話があり、「今からちょっと行ってもいい?」と尋ねられ、承諾すると「じゃあ、家の外に出てもらってもいい?」と返された。沢木は「2階のバルコニーでいいかい?」と言いながらバルコニーに出ると、人美は「ええ、大丈夫よ」と返事した。
 「何が始まるんだい?」
 そう言いながら沢木が辺りを見回すと、ふわっと風が沢木の髪をなびかせた。スマートフォンから人美の声がする。
 「今の分かった?」
 人美の質問に沢木はしばし考えてから、「まさか!?」と言うと、バルコニーに着地した人美はクリスタル・フィールドを解除した。目の前に現れた人美に声をかけようとすると、人美はふわっと浮かび上がり、そのまま下の駐車場へと下りていった。
 「信じられない。特撮映画を見てるみたいだ」
 人美は「じゃあ、一緒に飛んでみる?」というと、再び浮上して沢木の横へ飛んで来た。そしてクリスタル・フィールドで自分と沢木を包むと、沢木の腕をとり「行くね」と言って空に舞い上がった。沢木は震えた。高いところが怖かったからではない。信じられないパワーを目の辺りにした興奮で鳥肌が立ったのだ。
 「すばらしい!」
 沢木は興奮して叫んだ。彼自身空にあこがれ、高校生のころからライトプレーンを製作し、空を飛んだこともあった。しかし、今はこれまでに人類が空を飛んだ方法と全く異なる方法で天を舞っているのだ。36年間生きてきて、まさかこれほどエキサイティングな出来事が訪れようとは、沢木は夢にも思っていなかった。
 人美は沢木邸のバルコニーに着地し、クリスタル・フィールドを解除してから言った。
 「ねっ! うまくなったでしょ。今ならESをもっと上手に使えると思うの? ズウォメイさんのこと調べてみませんか?」
 「人美さんのパワーには参ったよ。ああ、調べてみよう。ただし、無理の内容にね」

 同じころ、ズウォメイ・エマーソンはいつものようにハーブティーを用意し、心を落ち着かせてダイブの準備をしていた。今回のターゲットは見山人美だが、秋山美佐子を経由して試みる計画だった。そしてズウォメイの集中力がピークを迎えると、彼女の意識は秋山へと沈んでいった。
 その意識は、前回同様、暖かさと優しさに満たされていた。そしてその意識の奥深くにある秋山の人美への思い――サイレント・インフォメーションは、これまでズウォメイがあまり経験したことのないようなものだった。ほとんど母の記憶を持たないズウォメイは、きっと母の優しさとはこのようなものなのだろう、と感じることで、自分自身も幸福感に包まれた。この女性がこれほどのサイレント・インフォメーションを人美に対して持っているのなら……
 「行ける」
 ズウォメイはついに人美へとダイブした。

 ズウォメイに関する情報を得ようと試みる見山人美は、沢木聡のリードに従ってエクストリームセンスを開始した。目を閉じる人美の脳裏には、いつものようにインフォクラウドが組成されていく。その時、人美は人の気配を感じた。
 「ズウォメイさん!?」
 自室のソファに座るズウォメイの肩がピクッと動く。
 「人美!?」
 ズウォメイが自分を呼ぶ声が聞こえた。間違いない、彼女は近くにいいる――そう人美が認識すると、インフォクラウドは細かな光の粒子となって人美に降り注いだ。それはまるで、SF映画の宇宙飛行船が高速で星間を飛行する時の、後ろへ高速に流れる光の線のような光景だった。そしてその光の流れの中心に、まるで太陽のような光の塊が現れると、急速に接近して人美を飲み込んだ。
 目映い光から視界が戻ると、そこはどこかの都市の交差点だった。周りにいる人々は時間が止まったかのように動かず、日の光は強かったが全く暑さを感じなかった。よく見ると、人々は外人であり、街に散らばる文字は英語だった。どこだろう? 夢なのかしら? と人美が思うと、目の前に半透明のインフォキューブが浮かび上がり、地理情報を表示した。
 「サンフランシスコ?」
 そこはサンフランシスコのマーケット・ストリートとヴァン・ネス・アベニューが交差する地点だった。
 「人美さん、聞こえる?」
 人美は沢木の声に安堵(あんど)した。間違いなく自分はESを行っているのだ。しかし、今日は今までと違う。これまでは白く輝く空間の中にインフォクラウドが浮かび上がっていたが、今は時間の止まった世界の中に自分が立っていて、まるで飛行機のコクピットのように半透明のインフォクラウドが体の正面に浮き上がっているのだ。人美はそのことを沢木に伝えた。
 「ESのモニターにはものすごい勢いでデータが流れている。今人美さんが見ている世界は、ESが収集した膨大な情報と人美さんのパワーが作り上げた仮想世界なのかもしれない」
 そう、人美はサイバーワールドの中にいたのだ。
 人美は考えた。どうしてサンフランシスコなのだろうか? そうか、ズウォメイの家はこの辺りなのかもしれない。するとインフォクラウドうごめき、カリフォルニア州サンノゼの住所を表す文字列が浮かび上がった。サイバーワールドの中の人美は、既に操作コマンドを心の中で唱(とな)えなくともESを操作できるようになっていた。人美は飛び上がると周囲を見渡し、進むべき方向を示す矢印に向かって飛んだ。
 空から見るサイバーワールドは不思議だった。
 「ほとんど現実世界のように見えるけど、たまにただの箱みたいな建物があるの。遠くの景色は絵みたい。ものすごくリアルな世界だけど、やっぱり現実世界とは違う。時間の流れもおかしな感じ。連続した時間の流れじゃなくて、何て言ったらいいんだろう? コマ送りしているような感じかしら――そうかっ! 東京国際フォーラムの時はよく分からなかったけど、あの時もこの世界――サイバーワールドにいたんだわ」
 沢木からの応答がなかった。どうしたんだろう? と思い何度か「沢木さん」と呼んでいるうちに、前方に大きな屋敷が見えてきた。そして、その屋敷からはポップアップウィンドウで、Neil Emersonの文字が表示されていた。
 「あそこがズウォメイさんの家? 大きな家。白石のおじさまの家の何倍あるのかしら?」
 その屋敷はボザール建築様式の3階建てで、青々とした芝生に囲まれていた。車寄せには噴水があり、その裏手にはプールとテニスコートが見える。
 ズウォメイは、人美の気配を感じた後、光の線が様々に交錯する目映い空間の中で目を閉じた。そして、ややあってからそっと目を開くと、なぜか自分の部屋に立っていた。ダイブから浮上したの? ズウォメイは屋敷の中を歩き回ったが、そこはいつもと変わらぬ自分の家だった。人美のサイパワーが干渉しているのかしら? ズウォメイはエントランスのドアを開け外へと出て行った。
 屋敷の噴水の前に着地した人美は、噴水の水が止まっていることに気がついた。ここはサイバーワールド。新たな情報が入らない限り、人美の目に映る光景が更新されることはない。
 人美が辺りを見回していると、エントランスのドアが開き中からズウォメイが出てきた。二人は同時に「あっ!」と声を発した後、それぞれ歩み寄った。
 「ズウォメイさん、また会いましたね。こんにちは」
 「こんにちは、人美」
 二人の話す言葉は異なっていたが、それぞれの意味は互いに理解することができた。人美は続けた。
 「夢であなたと話をしたの。だから、あなたはどんな人だろうと思って探しに来たの」
 「あれは夢ではないわ。私は他人の意識に潜ることができる。あの時は沢木の意識にダイブして、人美の意識とコンタクトした。驚いたわ、私以外にエスパーがいるなんて…… そして今日は、人美にダイブした。私もあなたのことが知りたかったから」
 「すごい力ね」
 ズウォメイは首をひねりながら言った。
 「嫌じゃないの? 私はあなたの心をのぞこうとしたのよ」
 人美はほほえみながら答えた。
 「あなたは興味本位でそんなことをする人ではないわ」
 ズウォメイもほほ笑んだ。
 「ありがとう」
 「でも、どうして沢木さんにダイブしたの?」
 「人のバランスが崩れようとしている。そう感じたの」
 「人のバランス……」
 「沢木の開発するエクストリームセンスは、万人をエスパーにする能力を秘めている。そんなことが実現したら、この世の中は乱れることになる」
 「大丈夫よ。沢木さんは技術をそんなことには使わないわ」
 「ええ、でもその技術が盗まれたら? 悪いことを考える人に渡るかもしれない。だから、詳しいことが知りたかったの?」
 人美はズウォメイに握手を求めながら近づいた。
 「それなら私とお友達になりましょう。沢木さんにも直接会わせてあげるわ。きっと、沢木さんはあなたの疑問に答えてくれる」
 「そうね。こうして話し合ったのだから、もうダイブなんかすることはないわね」
 二人は握手をした。その途端……
 ズウォメイのコンシャスネス・ネットワーク・ダイブの能力は、人美のパワーと共振することで増幅され、ズウォメイの予言から始まった意識のつながりを次々とトレースし始めた。そのあまりにも膨大な情報量により、ズウォメイの認識力は追いつかなかったが、人美を通してエクストリームセンスに送り込まれることによって、さまざまな人々の意識にちりばめられたバラバラの情報は、ひとつの結実点をインフォクラウドに浮かび上がらせた。瞬時にそれを理解する人美――
 「ああ…… 大変。ズウォメイさん、また今度ゆっくり話しましょう」
 「人美、どうしたの?」
 「日本がミサイルで攻撃される。止めなくちゃ」
 人美はズウォメイに手を振ると天高く舞い上がった。
 沢木は交信の途絶えた人美を呼び続けていたが、リクライニング・シートから飛び起きた人美に逆に声をかけられた。
 「沢木さん、大変!」

 

続く……

2012年10月6日土曜日

小説『エクストリームセンス』 No.13

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 7月25日、日曜日の18時32分。山口県萩市で発生した殺人事件の第一報がICC(SOP統合司令センター)の情報監視プログラムにヒットした。
 さかのぼること17時52分。山道整備状況の確認を終えた萩市の職員は、往(い)きに見かけた軽トラックがいまだに止まっていることを不審に思い、トラックの様子を窺うために近づいた。すると、トラック後方の雑草の上に血のような液体がこぼれた跡を発見し、警察に通報した。
 こうした日本全国で起こる事件事故の情報は、直ちにセントラルネットと呼ばれる政府機関の情報ネットワークで共有されるが、これをモニターしていたICCの情報監視プログラムが、この事件へのアラートをあげたのだ。
 早めの夕食――それはインスタント・ラーメンだったが――をSOP本部内の休憩室でとっていた里中涼と西岡武信は、館内放送でICCの真田薫に呼び出された。
 ICCに戻った里中が言った。
 「新情報?」
 真田が答える。
 「ええ、山口県の萩市で殺人事件です」
 「ほう、捜査状況は?」
 「萩警察署が現場を捜査中です」
 「ライブでつなげるか?」
 「はい」
 萩の殺人現場が投光器で照らされる中で、現場を仕切る刑事課の栗原(くりはら)警部補が軽トラックに残された遺留品を確認していると、制服警官が伝令にやって来た。
 「SOP? またかったるいところが絡んできたなぁ~」
 こんな田舎の殺人事件に、テロ対策部隊が何の用だ……
 栗原警部補は近くのパトカーの助手席に座り、セントラルネット経由でテレビ会議のできるモニターを自分に向けた。
 「はい、萩警察署捜査一課の栗原警部補です」
 ICCの中央ディスプレイに汗だくの栗原警部補の映像が映し出された。一方、栗原警部補のモニターには涼しそうな顔をする里中の表情を捉えている。涼しい場所からこき使う気か? 実に不愉快な映像だ。栗原警部補はそう思った。
 「SOP捜査部長の里中です。お疲れ様です。捜査状況を教えていただけますか?」
 SOPの捜査部長と言えば階級は警視、しかしたたき上げの刑事にはあまり関係なかった。
 「何でSOPが田舎の殺しに関わるんです?」
 「関わるかどうかを判断するために状況を知りたいのですが」
 仕方なく状況を説明した。
 「現場はGPSでお分かりですね。現場映像に切り替えます。ご覧のように軽トラックがキーをつけたまま放置されてまして、持ち主はナンバーから萩漁協の漁師と分かってます。自宅に連絡したところ、車で出たまま帰宅していないとのことだったので、周辺を捜索したところ親子の遺体を発見しました。どちらも遺留品に運転免許証があったので、殺されたのは漁業を営む大枝親子で間違いないです」
 「トラックの荷台には何かありますか?」
 「大型のバールが1本、それに木くずのようなものがパラパラ。後は魚の甲羅ですかね。今分かっているのはその程度です」
 大型のバールとは、大枝亮太が使ったものだった。
 漁師、バール、木くず…… 里中は事件に大きな関心を持ち、「ホトケの映像を見せてください」と言った。栗原警部補は若い制服警察官にビデオ通信装置を持たせ、遺体が遺棄された場所に走らせた。ややあって、ICCの中央ディスプレイに大枝親子の遺体が映ると、里中はカメラを持つ警官に話しかけた。
 「カメラを操作している警官、名前は?」
 「はい、今井巡査であります」
 「OK、今井巡査。父親の首の傷をアップで見せてくれ」
 里中は見たことのない傷につぶやいた。
 「何だこれ?」
 西岡は「手刀かも知ねえな」と言って、ぴんと指を伸ばした手で喉を突くまねをして続けた。
 「だとしたら、そこいらのチンピラの仕業じゃないぜ」
 里中は西岡にうなずくと、「ありがとう、今井巡査。栗原警部補、聞こえますか?」と呼びかけた。中央ディスプレイに再びだるそうな栗原警部補の顔が映る。
 「はい、何でしょう?」
 「非常に興味深い現場ですので、うちの科捜チームをそちらに送りたいのですが」
 「ええ、冗談じゃないよ。あんたたちと違って、こっちは外の暑さの中で捜査してるんだ。このまま明日まで現場を維持しろっていうの?」
 里中は真田に尋ねた。
 「〈やましぎ〉でどのくらいかかる?」
 真田は端末を操作して「ざっと1時間半です」と答えた。
 里中は、「よし、着陸地点を萩警察署と至急調整してくれ」と言うと中央ディスプレイに向き直り、栗原警部補に「ご心配なく、そこまではかかりません。1時間半後にお会いしましょう」と伝えた。
 里中と西岡は黒い覆面パトカーのベンツに、科捜チームは小型4ドアセダンのパトカーに乗り込むと、SOP本部からサイレンを鳴らして羽田(はねだ)へ急行した。
 東京国際空港、というよりも羽田空港の方が通りがいいかもしれない。この空港には、空輸関係機関の他に海上保安庁の特殊救難隊とSOP航空小隊の基地がある。そのSOP航空小隊――通称、エアSOPに里中からの出動待機命令が出された。
 エアSOPには、現在2種4機の航空機が配備されている。一つは、コールサインをナイトハウンドとする戦術ヘリコプター2機であり、作戦地域の情報収集や戦術チームの搬送などに使われる。二つ目は、コールサインを〈やましぎ〉とする垂直離着陸が可能な双発プロペラ輸送機2機であり、戦術チーム1個小隊と戦術車両1台、隊員搬送用バス1台を同時に輸送する能力を持つ。
 里中の命を受けたやましぎ1号機は、機長、副操縦士、搭乗運用員2名を乗せ格納庫から駐機場に出ると、機体後部の貨物室ハッチを開けて里中らの到着を待った。
 19時25分。羽田に到着した2台のSOP車両は、そのまま〈やましぎ〉の貨物室ハッチから機内に停車した。搭乗運用員が車両を固定しハッチを閉めると、〈やましぎ〉の双発プロペラ・エンジンは出力を上げ、機体を浮かべると徐々に上を向いたプロペラを前方に回頭させ、巡航速度の時速560キロメートルに加速しながら山口県萩市を目指した。

 

 20時を少し過ぎたころ、見山人美は暗闇に包まれた白石邸の庭の中央に立っていた。屋敷とその周囲は暗くひっそりと静まりかえり、空には転々と星が瞬いていた。
 人美はもっとうまくなりたいと思っていた。神から授かったのか、運命のいたずらか、人美にはサイパワーがある。せっかく得たこの特別な力を、自分の意のままに操りたい、そう願いいつもその術を模索していた。
 でも、何のために? 人美は心の中でつぶやきながら夜空を仰いだ。
 この力を使いこなした時、私は何になるんだろう?
 星の輝きは闇に対してあまりにもか弱い光だった。そして、闇の中に一人たたずんでいることを意識すると、脳裏には様々な光景が意思に反して浮かび上がり、背後に恐怖を感じた。
 超能力を持つが故に迫害され、国家に追われることになった少女。力に溺れ、悪の道に走る者。小説や映画の主人公たちはいつもそのような有り様だ。そんなことが脳裏に浮かぶと、この巨大な闇に飲み込まれ自分にも大きな災いが起こるのではないか、そんな恐怖がこみ上げてくるのだった。人美は激しくかぶりを振った。
 「違う、私は不幸にも悪にもならない!」
 人美はスマフォの音楽プレイヤーで、今一番気に入っている音楽ユニットの音楽を再生した。美しい女性ボーカルが響く……


  天から注ぐ恵みは、命を癒し光を与える。
  大地に根付く恵みは、命を支え力を与える。

  世界はひとつ、つながりあって、永遠の営みを続ける。

  争いをなくして、同じ視線で語りあおう。
  地球はひとつ、生きる大地もひとつ。

 

 恵みはひとつ。これは中国人の女性ボーカリストと日本人の男性キーボーディストによるユニット――The Art-Sprawl(ジ・アート・スプロール)の楽曲だった。彼女たちはアジアの平和への願いを託した音楽を奏で、特に日本、コリアン、中国、台湾、インドなどの国境にとらわれない文化交流世代――クロス・カルチャーといわれる10代、20代の年齢層から強い支持を受けていた。


  海が運ぶ恵みは、命を産み優しく育てる。
  風が伝える季節は、命を伝え世界に色を与える。

  世界はひとつ、関わりあって、平和を求め時を刻む。

  背伸びを止めて、自然に溶けあおう。
  世界はひとつ、私はひとり。


 恐怖を打ち消すように、人美は強く思った。
 「私は…… 私は正義になりたい…… 笑顔が明日も続き、みんなが優しく生きられる世界。そのために、私はこの力を使いたい」
 人美はぎゅっと握りしめた拳を開くと、音楽を止めヘッドフォンをしまい、EYE'sをパフォーマンス・モードに変更するとクリスタル・フィールドを展開した。そして大きく深呼吸をして空を飛ぶ自分をイメージした。すると、スーっと風が人美の体を一周するように流れ、風に舞う風船のように人美の体は静かに浮かび上がった。
 私に宿る力、どうか私と一つになって!
 その時、流れ星が人美の視界を横切った。あっ! と思ったその瞬間、人美の体は消えていった流れ星を追いかけるかのように天高く舞い上がった。
 うわぁーっ!
 人美の体はクルクルと回転しながら上昇を続けた。
 落ち着け!
 人美は両手を広げ、鳥のように飛ぶ姿をイメージした。すると、体の回転は収まり人美の姿勢は安定した。
 行けるわ!
 人美は加速した。そして上昇、下降、旋回。
 できた! 飛べる! 私は飛べるんだ!!
 それは夢のような世界だった。鳥のように人美は自らの力で天を舞っているのだ。
 人美は周囲を見渡した。
 あれは江ノ島(えのしま)ね。
 前方には江ノ島から伊豆半島にかけての光の水平線が見える。人美は上空約300メートルを光の水平線に向かって飛行し、海の沖合に出ると高度を海面ギリギリまで落とした。そして右手を海面に当てると、水しぶきが飛行機雲のように軌跡を描いた。人美はほほ笑んだ。それは自分に宿る力を意のままにコントロールすることの喜びを実感した瞬間だった。

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.12

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

第3章


 7月24日土曜日の13時8分。山口県萩市の小さな漁港に、一隻の漁船が帰ってきた。ふだんのこの時期ならアジやイサキ、タイなどを一本釣りで仕留めるのだが、今日はその代わりに3つの木箱を積んで帰ってきた。この漁船は、大枝哲郎(おおえだ てつろう)48歳と、その息子・亮太(りょうた)19歳によって操業されている。
 父の哲郎は、それなりの腕を持つ漁師だが、数年前に不漁続きを経験し、その時にたまたま友人から真光信明会(しんこうしんめいかい)という新興宗教を紹介され、まさに神をもすがる気持ちで礼拝に参加した。すると次の日、久しぶりの大漁となり、以来熱心な信者として週に一度は祝詞を読み、日曜日には会館で行われる礼拝に参加するようになった。
 息子の亮太は中学校でデビューしたツッパリで、何とか入った工業高校も1年で退学した。哲郎のツテで地元の自動車整備工場に就職したが、整備士の資格を取る勉強も続かず、やがてサボって遊びほうけるようになると工場を首になり、結局おやじの船に乗ることになった。
 2週間前、哲郎は真光信明会の支部長から話があると呼び出され、コリアンの支部から大事な荷物が届くから、それを海上で受け取ってくれと頼まれた。苦労して海上を運ぶことが、宗教的にとても意味のあることだと説明された哲郎は二つ返事で応諾し、あなたには大きな御利益があるだろうと言われて上機嫌になった。そして今日、コリアンのプサンと萩市のほぼ中間地点である海域で、コリアンの漁船から荷物を受け取り帰ってきたのだ。
 港に着くと、亮太は軽トラックを船に横付けし、親子二人で木箱を軽トラックに乗せ替えた。そして幌(ほろ)をしっかりと掛けると、自宅の車庫に軽トラックを隠し、支部長から指定された時刻になるのを待った。

 

 15時40分。杉本美花が病院行きのバスを待っていると、黒い大型セダン――SAGAMI FC380が目の前に止まった。助手席のパワーウィンドウが開くと、橋本浩一が「乗れよ。病院に行くんだろう。送ってやる」と声をかけてきた。杉本は車に乗り込み、「どうして私の居場所が分かるの?」と質問をした。
 「あんた、ファミレスで話をした時にトイレに行ったろ。その時にあんたのスマフォに位置情報を発信するアプリを仕込んだ」
 杉本は前金の入金を確実に確認するために、トイレに行くと言って隣のコンビニで残高を照会したのだ。
 「何ですって、そんなこと聞いてないわ!」
 「まあ、そうプリプリするな。こっちだって1,000万も先行投資してるんだ。それなりに保険はかけておかないとな」
 杉本は黙った。
 「ふふ、あんたは本当に物分かりがいい。仕事がしやすくて助かる。で、収穫はあったのか?」
 「昨日、どこにいたか知ってるんでしょう?」
 「俺が聞きたいのはプロセスじゃない。結果だ」
 杉本はため息をついてから状況を話した。
 「沢木たちは確かにエクストリームセンスというコードネームのシステムを開発しているわ。今はテストを繰り返しながらチューニングをしているようね。これは今のASMOSのように脳からシステムへの単一方向の情報伝達だけでなく、双方向になるそうよ。岡林の話をそのまま言えば、人間の脳の高度な推論能力と、ASMOSの高速大容量データ処理が一体になることによって、名前の通り超感覚ともいうべきコンピューティングが実現するんだって。分かっているのはまだここまでよ。でも、相模から長期取材の許可をもらったし、岡林は私の虜(とりこ)。これからはもっと詳しい情報を探れるわ」
 橋本は口元を緩めた。
 「んん、上出来だ。わずか二週間足らずでここまで行けるとは、いい仕事をするな。どうだ、俺と組まないか? もっと稼げるかもしれないぜ」
 「私の目的は金ではないわ。妹の命を救うため。今はその手段のためにあなたの仕事を引き受けただけよ」
 「いいねぇ、ますます気に入った。若いのにしっかりしてるじゃないか。最近はノンポリのしょうもないやつらが多い」
 杉本は言った。
 「でも以外……」
 「何がだ」
 「相模の車に乗ってるなんて」
 ははっ、と笑って橋本は答えた。
 「いいぞ、この車は。ASMOSが搭載されてるからな」

 

 22時38分。ICC(SOP統合司令センター)の真田薫が大声で里中に叫んだ。
 「里中部長っ! パクが消えました!」
 自席からICCに駆け寄る里中涼に西岡武信が続いた。
 「消えたとはどういうことだ」
 里中の問いに真田が答える。
 「20時にパクがホテルを出てタクシーに乗って以降、4人が追跡できません。最初は19時28分に男と女がホテルを出ています。次は19時40分に二人目の男。最後がパクです」
 「タクシーは追跡できないのか?」
 「福岡空港東方2キロの地点でリリースされてます」
 真田は中央ディスプレイの画面を切り替えて続けた。
 「これは福岡市周辺の監視カメラの配置図です。ご覧のように主要な観光スポットにはたくさんの監視カメラがありますが、その他は大きな道路沿いに点在するのみです。彼らが観光を楽しんでいるのであれば、2時間近くも4人全員がフォートップスに補足されないわけがありません。彼らはカメラを意識して行動していると推測するのが賢明かと考えます」
 西岡が言った。
 「こりゃ面倒なことになった。ってことは、HMG-2が使われる可能性もゼロではないな」
 里中が指示した。
 「よし、まずは最悪のシナリオを想定して準備を進めよう。現在の情報をSOP警戒レベル1として内閣危機管理センター、福岡空港警察に伝えてくれ。次に、入管、税関、海保、海自、OUネービー、警察、消防を対象に、日本海沿岸部で発生する事案をすべて収集してくれ」
 西岡が尋ねた。
 「日本海?」
 「奪われたHMG-2が日本に上陸するなら、海しかないさ」

 

 22時47分。漁船で荷物を運んできた大枝亮太は、あの木箱の中身が気になって仕方がなかった。おやじは真光信明会の支部長から頼まれた祭祀(さいし)道具を取りに行ったと信じているが、そんなものは宅配で送ればいい。宅配はどんなものでもどんなところにでも運んでくれるとテレビのコマーシャルはいっている。亮太はそうした知識を総動員し、あれは絶対にやばいもんだ、と結論づけた。そして、それを確かめるためにおやじの目を盗んでシャッターの閉まった自宅のガレージに大型のバールを持って忍び込んだ。
 亮太は軽トラックの荷台にかかる幌(ほろ)を外し、釘で留(と)められた木箱のふたを傷つけないようにそっとバールで外そうとした。しかし、ヤワなやり方では木箱は開きそうになく、「めんどくせーなぁ」とつぶやきながら、一転、力業に変えた。木箱のふたはピシッと割れるような音をさせながら浮き上がり、勢い余ったバールは木箱に吸い込まれ、キューという歯の浮くような悲鳴をあげた。亮太は「やべっ!」と言いながらも木箱のふたを開けきった。中の荷物は深緑の金属製のケースで、バールによって傷が刻まれてしまった。そして、その傷の部分には、U.S. ARMYと刻印されていた。亮太は「これ! マジやばくね!」とつぶやいた。彼の知識でも、それがアメリカ陸軍を意味していることは理解できたのだ。

 

 7月25日、日曜日の0時43分。イム・チョルたちはワンボックスカーに乗って山口県萩市へとやって来た。
 さかのぼること24日の夕方。ユン・ヨンはバーで日本語のメモを見ながら若い男に声をかけた。私はコリアンから思い出を作りに来た。車を持っているならドライブに連れてって。小さい車では駄目よ。何もできないでしょ。4人乗りのセダンとか、そういう車を持っているのならお互い楽しめると思うんだけど。男は即答し、近所のコンビニでコンドームを購入し、自分の車――4ドアスポーツセダンに乗ってヨンとの待ち合わせ場所に現れた。ヨンが助手席のドアを開けるとイムが素早く乗り込み若い男の脇腹を殴り失神させた。そして手足をロープで縛り、口をテープで塞ぐとトランクルームに押し入れた。ハンドルを握ったイムが言った。
 「うまくいった。これで次の車を手に入れるまでNシステムを心配することはない」
 一方、キム・ウォンはユンの作戦が失敗した時に備え、車を盗む準備をしていたが、待機地点にイムとユンが車で現れキムを拾った。パク・ジファンはタクシーで人気の少ない場所に移動した後、しばらく歩いてイムたちと合流した。その後、4人は関門トンネルを抜け山口県に入り、萩市に近いところで荷物を載せられるワンボックスカーを盗み、乗り換えて萩市に到着した。
 1時ちょうど。約束の場所は田床山(たとこやま)という山のふもとの広い原っぱだった。辺りに住宅はなく、電灯もなく、本来なら真っ暗になる場所であったが、この日は月明かりで目が慣れればフラッシュライトがいらないくらいの明るさだった。その場所には既に白い軽トラックが止まっていた。運転するイム・チョルは徐行運転で軽トラックの脇にワンボックスカーを止め、ライトを消しエンジンを切った。すると、軽トラックから男が二人降りてきた。大枝親子である。イムも車から降り、合い言葉を口にした。
 「漁はうまくいったか?」
 哲郎が答えた。
 「注文通りです」
 合い言葉を確認したイムがワンボックスカーの方に振り返ってOKと合図すると、ユン・ヨン、キム・ウォン、パク・ジファンの三人が車を降りた。イムの「荷物をもらう」という声を聞いた哲郎は、「はいはい」と軽トラックの幌(ほろ)を外し、軽トラックの荷台の後ろあおりを開き荷物を引き出せるようにした。キムとパクはそれぞれバールを持って荷台に上がり、ユンはフラッシュライトで荷物を照らした。すると、木箱のふたは拍子抜けするほど簡単に開いた。最も日本語のうまいパクが哲郎に尋ねた。
 「中を見たか?」
 哲郎は「いや、触ってないよ」と首を横に振ったが、亮太は気まずそうな顔でおやじを見た。
 「お前、荷物に触ったのか?」
 木箱の中身を確認した時、亮太はこの荷物はやばいとおやじに言おうと考えた。しかし、荷物に無断で触ったことは必ずしかられる。中身がやばいものじゃなかったら、間違いなくぶん殴られる。明日は中学の同窓生と久しぶりに会うというのに、青あざのついた顔はごめんだった。だから、今まで黙っていたのだが、おやじや引き取りに来た連中の責めるような視線にさらされて、なんとか自分の正当性をアピールしようと余計なことまで口走ってしまった。
 「だって、話がおかしいじゃん。海で荷物を受け取るなんて。それ、アメリカ軍のだよ。USアーミーって書いてあるもん」
 哲郎は「ええっ!」といい荷物をのぞき込んだ。確かにそのような刻印がしてある。亮太はおやじの腕をつかみ「やべーよ、逃げようよ!」と言ったが、哲郎は「これ何なの?」とすぐ目の前に立つキムに尋ねた。話がもつれそうだと感じたイムは、素早く手刀を哲郎の首に突き刺した。声にならない息を吐きながら哲郎はその場に倒れた。その光景を目の辺りにした亮太は、全身を震わせながら後ずさりし、ユンのローキックをふくらはぎに受けるとその場に倒れ込んだ。イムはキムからバールを受け取ると、亮太の上にまたがった。「たた、助けて」それが亮太の人生最後の言葉だった。イムは手やバールに付いた血を亮太の服で拭き取り、素早く荷台に乗ると残りの木箱のふたを開け、パクは中身を確認した。予定外に運び屋を殺すことになってしまったが、とにかく目的の障害となるようなことは排除しなければならい。イムはキムとパクに木箱ごとワンボックスカーに乗せ替えさせ、自分は親子の死体を近くの茂みの中に隠した。そして最後にフラッシュライトで辺り確認すると、「行こう」と言って車を出させた。
 しばらく走ると、ワンボックスカーは脇道に入って停車した。イムとキムは辺りを確認した後、木箱に入った偽造ナンバープレートに付け替える作業を行い、それが終わるとパクの運転でその場を去った。
 後部座席に座っていたユンは、揺れる車窓から星空を見上げ、亮太が殺された時の光景から、自分が初めて人を殺した時のことを思い出していた。
 ユンは小さな農村で生まれ育った。気立てのよいかわいい娘として村では評判だった。16歳になってしばらくした時、ユンの村を朝鮮人民軍第9軍団の一派が通りがかり、その時に軍団の司令官にユンの姿を見られたことが彼女の悲劇の始まりだった。数日後、ユンの両親の元に将校が現れ、彼女を軍で雇いたいと言い出した。求めに応じれば、今より質も量もよい食料を配給するというのだ。両親は悩んだが、一家が生き残るための選択として、ユンを軍に奉公させることにした。
 ユンは軍団司令官の世話係として働き出したが、奉公の初日の夜に司令官にレイプされた。その後は司令官の性奴隷を強要され、そうしてふた月が過ぎた時、ユンは自殺を試みナイフで手首を切ろうとした。その時、「死んでは駄目だ。生きていれば、今の苦しみを乗り越えられる日が来るかもしれない」と声をかけられた。何を戯言(たわごと)を、私の苦しみの何が分かるの! ユンがそう思いながら声の方を向くと、そこには傷だらけ、泥だらけの男が立っていた。外見はボロ雑巾のような男だったが、ユンを見つめるその目は強烈な精気を放っていた。生きる希望などは既に失っていたが、ユンはなぜかこのボロ雑巾のような男の言うことを聞いてもいいように思い、ナイフを捨てた。
 それからしばらくして、ユンの部屋に突然ボロ雑巾のような男――イム・チョルが入ってきてこう言った。
 「今日から君は自由だ! 北朝鮮は解放された!」
 ユンは泣き崩れた。そして、捕らえられた司令官の姿を見つけると、イムから銃を奪いありったけの銃弾を撃ち込んで司令官を殺した。
 イムはユンに言った。家まで送っていこうと。しかし、ユンは自分をこんな目に遭わせた家族の元には帰りたくないといい、解放軍と行動を共にしたいと言い出した。イムは答えた。
 「好きにすればいい。君は自由なんだ」
 少女時代の悲しい思い出に、ユンは静かに涙を流した。

 

続く……

2012年10月3日水曜日

小説『エクストリームセンス』 No.11

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 「いよいよ出発だ!」
 そう言うイム・チョルに、昨日までとは別人のような身なりのユン・ヨンがほほ笑んだ。キム・ウォンは、「日本進出の記念写真だ。パクも入って!」と言ってはしゃいだ。パク・ジファンは「お前たちは本物の観光客だ。誰も疑わないよ」と言いながらカメラのフレームに収まった。
 7月23日、金曜日。イムたちを乗せた日本行きの水中翼船は、10時ちょうどにプサン港を出港し、およそ3時間の航海の後、12時55分に福岡市の博多港国際ターミナルに到着した。

 13時26分。デスクで仕事をしていた里中涼の内線電話が鳴った。かけてきたのは同じフロアに隣接するICC(統合司令センター: Integrated Command Center)を仕切る情報部長の真田薫(さなだ かおる)警部だった。里中が顔をICCに向けると、こちらを見つめる真田と目が合った。
 真田はICCの開設と同時にやってきた情報分析の専門家であり、近代情報戦では欠かすことのできないSOPの戦力となっている。その彼女は36歳。里中と同じキャリアであり、冷静な分析力と強気な姿勢を併せ持った人物として知られている。
 「報告事項がありますのでこちらへ」
 その言葉に里中は捜査部の居室を進み、一段高くなったICCへの階段を登り切ると真田に言った。
 「どうしたの?」
 「本日13時1分、フォートップスから注意人物の入国アラートがあがりました」
 フォートップスとは、Facial Recognition Type Pursuit Systemの略、FRTPSからきた顔認識型追跡システムのコードネームである。日本国内に設置された監視カメラの映像は、テロ対策法によって設置されたフォートップスの端末により解析され、登録された人物を検出するとSOPのICCにアラートを送るようになっている。
 里中が「見せて」と言うと、ICCの中央ディスプレイにパク・ジファンの顔写真と、博多港国際ターミナルの監視カメラが捉えた静止画像が表示された。
 「博多港、コリアンからの入国か。アラート理由は?」
 「パク・ジファンは元OUアーミーに所属し、HMG-2の射手(しゃしゅ)をしていた経験があります」
 里中は10日前のミサイル強奪情報を思い出した。
 「なるほど、そこと紐付いたのか」
 「追跡しますか?」
 「そうだね、念のため追跡しよう」
 「では、サインを」
 フォートップスを利用して個人を追跡するためには、捜査部長である里中の許可が必要だった。、そのため里中は真田の差し出したスレートPCを使って電子追跡の書類に電子署名した。これでアラート以後のパクの追跡が可能となる。里中は指示した。
 「最新情報を出して」
 「13時16分。福岡ナショナルホテル前の防犯カメラの映像です。次がホテルの受付です」
 二つの映像にはパク以外に二人の男と一人の女が映っていた。
 「んーん、男三人と女一人で観光かぁ…… よし、この三人もフォートップスに登録して追跡してくれ。何か動きがあったら教えてね」

 

 15時に会う約束をした渡辺昭博が、沢木聡のオフィスに入ってきた。渡辺はソファに腰掛けると、早速用件を話し出した。
 「岡林を取材している杉本美花という記者について調べてみたが、なかなかの苦労人だ」
 沢木が尋ねた。
 「ほう、どんな?」
 「両親が6年前に交通事故で亡くなってる。以来、6歳年下の妹の親代わりだ。しかもその妹は難病を患っている。視床下部過誤腫という病で、脳にある腫瘍によって障害が出る病気だ。けいれん、吐き気、めまい、言葉を話せなくなることや突然死の可能性もあるらしい」
 「妹さんは幾つです?」
 「19」
 「若いのにかわいそうに…… 治療方法はあるんですか?」
 「手術すれば治るそうだ。しかし、その施術ができる医者は今のところ一人しかいない」
 「海外ですか?」
 「そうだ。渡米して治療するためには40万ドル必要だそうだ」
 「そんなに……」
 「あの女には注意した方がいい。金が必要なやつの常識は変化する」
 「というと、詐欺とかスパイとか?」
 「まあ、そんなところだな。用心に越したことはないだろう」
 「分かりました。情報ありがとうございます。岡林にはそれとなく私から注意しておきます。また何か分かったら教えてください」
 そこへ秋山美佐子がコーヒーを持って入ってきたが、渡辺は次の用があると言ってオフィスを出て行った。秋山はソファに座ると渡辺に出すはずだったコーヒーを自分に、もう一杯を沢木の前に置き、渡辺との会話を尋ねた。
 「あの記者さんにはそんな事情があったんですね」
 秋山はコーヒーを一口飲んだ後に続けた。
 「で、もしスパイだとしたらどうします?」
 「そうね、ひとつだけかな」
 「何です?」
 「人美さんの情報だけは気をつけないと。後は別にどうでもいいさ。僕らの技術を盗んだところで、僕らを超えることはできないからね」
 沢木はニコリと笑った。
 「相変わらず余裕ですね」
 「20年かけてるからね。おいそれと他人にまねできるはずないさ」
 「となると、取材変更の申請はOKですか?」
 「んん、今の段階で断る理由はないさ」
 この後、沢木はインダストリアル・ニュースのWebサイトにアクセスし、杉本が書いた記事を読み直してみた。よく勉強している。丁寧な取材で、技術を伝えるだけでなく、そこで生まれる人間ドラマや問題点に迫りつつ、常に技術や技術者に対する敬意が払われている。いい記事だ…… 沢木はそう感心した。そして社内システムにアクセスし、広報・IR課から出されている取材許可の書類に電子捺印(なついん)した。

 

 16時。里中涼はパクたちの動向をICC(統合司令センター)の真田薫に尋ねた。
 「パクたちはどこを観光してる?」
 「博多からJRで海の中道(うみのなかみち)へ移動し、水族館で4人とも一緒です」
 中央ディスプレイに監視カメラが捉えた映像が分割して映し出された。それは、パクたちの泊まるホテルの監視カメラ、街中の監視カメラ、駅、施設など、ありとあらゆるところに設置されたフォートップス端末付き監視カメラにより実現された映像だった。
 「おお、いいじゃない。ちゃんと観光してるね。ライブ映像は出せる」
 「やってみます」
 真田は水族館の監視カメラ映像をICCでダイレクトに受信し、フォートップスの識別結果をリアルタイムで表示させた。中央ディスプレイには、水族館でイルカショーを楽しむパクたちの姿が映る。
 「んん、楽しそうだ。で、パク以外の三人の身元は分かったかなぁ」
 「まだです。OEC刑事警察機構、OUアーミー情報局などにも情報提供を呼びかけていますが、まだ回答はないです。これだけ照会に時間がかかるということは、北朝鮮の出身者かも知れません」
 「OK、分かった。引き続き追跡を頼む」

 パク・ジファンは旧大韓民国の一般的な家庭に育ったので、旅行や娯楽などはそれなりに経験している。子供のころには、本当の観光で福岡に来たこともある。対して朝鮮統一後も貧しい暮らしをしていたイム・チョル、ユン・ヨン、キム・ウォンの三人にとっては、異国の地の見聞とは驚きと発見、感動の連続だった。イルカが芸をするのはテレビで見たことがあったが、ライブで見るイルカショーは迫力があり、イルカの持つ芸は彼らの想像を超えていた。
 イムはふと仲間たちに目をやった。横に座るユンが手をたたいて喜んでいる。キムはデジカメを忙しそうに操作している。平和だと思った。こんな日がずっと続くようにしなくてはならない。そうだ、自分はそのためにこの勝負に出たんだ。何としてもやり遂げて、残りの金を手にしなくては…… イムは決意を新たにした。
 ユンは、ついこの前までは貧しくともイムと一緒に生きられるのならそれ以上に望むものはないと考えていた。何度も死のうと思った少女時代、それから比べれば北朝鮮崩壊後の生活は十分なものだと思っていた。しかし、イムが大金を手にし、高級料理店で食事をし、生まれて初めておしゃれをし、こんな風に観光というものを楽しむと、たった12日間の出来事が自分の価値観に大きな影響を及ぼしていることを実感した。仕事がうまくいけば新しい人生を築ける。そう信じて、いや、そうするためにイムを支えよう。例えそれを他人が罪と呼ぼうとも。ユンもまた、覚悟を新たにしていた。

 

 17時42分。仕事を終えた岡林敦が本社ビル1階のセキュリティゲートを抜けると、彼のスマートフォンがメールの着信を知らせた。
 お疲れ様です、杉本です。長期取材の許可が出ました(^^)v。これで岡林さんの活躍をしっかりと世の中に伝えることができます。お祝いしませんか?
 ヤッターっ! 岡林は即座に返信しようとしたが、今度は電話が着信した。
 「何だよ、仕事か?」
 見ると杉本美花からの着電だった。
 「もしもし、今メールの返信をしようと思ったところです。しましょう! お祝い!」
 「よかった。実は、もうすぐそばにいるんです」
 岡林が辺りを見回すと、エントランス・ホールの隅で手を振る杉本の姿を見つけた。
 およそ30分後、みなとみらいのドックヤードガーデンにある牛肉料理店で、二人は食事をしていた。その席での杉本は、取材延長の申請が通ったことを心から喜んでいた。
 岡林は杉本の容姿はもちろんのこと、ジャーナリストとして自分に興味を持ってくれたことや、ハキハキとした率直な物言い、女性ならではの仕草や精神的な側面に夢中になっていた。もともとほれっぽい性格の彼ではあったが、これまで彼が接してきた女性たちは、ソフトウェア工学などの彼の得意分野について興味を示すことはなかった。しかし、この杉本という女性は、システム・エンジニアを目指したことがあり、今はソフト産業を専門に取材する記者だけあって、専門知識もありコミュニケーションにギャップを感じることは少なかった。しかも、仕事はそこそこがんばるが、プライベートは多少ルーズというようなところも共通であり、趣向などでも共有できるものが多かった。しかるに、岡林が杉本に対する気持ちにブレーキを踏む理由は一つもなかった。
 食事を終えた二人は、桜木町の駅に向かってみなとみらいの美しい夜景の中を歩いていた。ちょうど日本丸のそばに来た時、杉本は日本丸に続く階段に腰掛けた。
 「なんだかぁ、家に帰るのもったいない……」
 そうつぶやく杉本の隣に座りながら岡林は尋ねた。
 「どうして?」
 「だって、このきれいな夜景と日本丸。夢の世界みたい。駅に着いた途端に現実だよ。何だかつまらないよね」
 岡林は冗談っぽく言った。
 「じゃあ金曜日だし、朝まで遊ぼっか!」
 杉本は「いいよ!」と元気よく答えた。岡林は心の中でえっ?! と思いながらも、「酔ったんじゃない? だいじょぶ~」とふざけてみた。
 「だって、岡林さんといると楽しいもん。何だか好きになっちゃいそう……」
 「ええっ、誰を?」
 「誰って」
 杉本はわからないの? というような表情で岡林を見つめた。しばし見つめ合う二人…… 杉本は岡林のほほにそっとキスをした後に、息のような声音で言った。
 「ここにはあなたしかいないでしょう」
 その唇の動きはとてもセクシーだった。岡林は反射的に杉本の唇に自分の唇を合わせた。その瞬間、やり過ぎたかぁ? と思ったが、杉本の手が岡林の肩に掛かると、彼は杉本の肩に手を回した。
 信じられない! こんなドラマみたいなことがあるんだ……
 岡林はそう心の中で叫んだ。しかし、このドラマのシナリオは杉本によって書かれていたのだった。

 職安のようなものはあるのだろうか? 履歴書は必要なのだろうか?
 7月の初旬、そんなことを考えながら、杉本美花は川崎の風俗店が並ぶ街を歩いていた。すれ違う男たちのいやらしい目つき。ここで働くということは、こういう男たちを相手にすることだと思うと、悲しい気持ちになってきた。しかし、これまで多くのことを調べ、様々な人に相談し、思案に思案を重ねた結果がこれなのだ。今更迷ってなどいられない。彼女は辺りを見回し、比較的きれいなソープランドを認めると、深呼吸をしてから店へと歩みを進めた。
 「やめときな。あんたの欲しいのはもっと大金だろ。こんなところで働いたって、たいしちゃ稼げないぜ」
 男の声に杉本は振り向いた。
 「誰?」
 見ると180センチはありそうな、精悍(せいかん)な顔立ちの男がバリッとしたスーツ姿で立っていた。男は言った。
 「あんたの妹を助けられる唯一の人間だ」
 「ええ! なぜそれを!」
 「あんた杉本美花だろ。ビジネスの話がしたい。ついて来い」
 杉本はその誘いに躊躇(ちゅうちょ)した。
 「安心しろ、あそこのファミレスだ」
 男はそう言うとスタスタと歩き始めた。
 妹を助けられる……? 杉本は男の後を離れてついて行った。
 ファミリーレストランに入り、それぞれの前にコーヒーが来ると、男は静かに話し始めた。
 「俺の名前は橋本、まあ何でも屋みたいなもんだと思ってくれ。あんたのことは知っている。妹が難病で、そのために40万ドル必要なんだろう?」
 「なぜそれを?」
 「あんたキャバクラで働いてたろう。苦労を愚痴ることもあったはずだ。そういう情報を俺は集めて、ビジネスをコーディネートするのさ」
 「40万ドル、稼げる仕事があるというの?」
 「ああ、あんたにぴったりの仕事だ」
 「どんな?」
 「あんたなら沢木聡を知っているだろう」
 「相模重工の?」
 「その通り。その沢木がエクストリームセンスといわれる新しいシステムを開発しているらしい。俺はそのシステムに関する情報が欲しい」
 「沢木に近づいてスパイしろということ」
 「話が早いな。しかしターゲットは沢木ではない。片腕のプログラマー、岡林敦という男だ」
 橋本は上着の内ポケットから写真を取り出し杉本の前に置いた。
 「俺が言うのも何だが、ソープでハゲやデブのおやじを相手にするよりはよっぽどましだろう?」
 確かに、童顔で優しそうな顔の写真だった。
 「あんたの顔とその体、キャバクラで身につけた男の操縦術。それらがあればこんな青二才、手のひらで遊ばせられるはずだ。どうだ、やってみるか?」
 「本当に40万ドルもくれるの?」
 橋本は給与振り込みに使っている口座の残高を確認してみろと言ったので、杉本はスマートフォンを使って残高情報を確認した。すると、
 「はっ!」
 杉本は息のような声を発した後、思わずスマフォをテーブルの下に隠した。
 「1,000万アジア、前金だ。残りの3,000万アジアはあんたの働き次第だ」
 杉本はしばし考えた。こんな男を信じていいのだろうか? でも、金の一部は既に自分の口座にある。ASMOSが巨額の利益をあげていることを考えれば、その情報を得るためにこのくらいの投資をすることは十分に考えられる…… そうだ、沢木がMITを卒業する時には、世界中の有名企業が何億という金をちらつかせて沢木を勧誘したという。それに、妹のためとはいえ、やはり体を売るのは最後の手段にしたい。この男一人なら、金のためと割り切って何とか自分を偽ることができそうだ。
 「分かった。引き受けるわ」
 橋本は笑って答えた。
 「賢明な判断だ」

 みなとみらいから岡林と杉本の二人はシティホテルに移動した。そして二人はベットに入ったのだが、岡林はその行為の最中もとても優しかった。短大にいる時は彼氏がいたが、妹を進学させるためにキャバクラで働き出すと、そのことがばれて彼氏とは別れた。以来4年近くボーイフレンドがいない暮らしの中で、25歳の杉本の肉体が性的な欲求に満たされることは一度もなかった。しかし、岡林との相性はいいようだった。久しぶりの快感は、杉本の体を震わせた。セックスを楽しみ、同時に妹を救えるのなら、こんないい話はないと杉本は思った。だぶん…… きっと…… そう信じながら杉本はシーツを握りしめた。

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.10

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 二人は宮崎の地鶏(じどり)料理の店に入った。そして、岡林が杉本と酒にいい加減に酔った時、杉本はタイミングよく質問をした。
 「岡林さんが今一番没頭している技術って何ですか? やはりASMOSですか?」
 岡林は杉本の方に身を乗り出し、小さな声で言った。
 「ASMOSはもう古い。僕たちは既に次世代ASMOSの開発に着手してるんだ」
 「次世代ASMOS?」
 「しっ! 声が大きい」
 「でもぉ、ASMOSはまだ商用利用されて間もないじゃないですか?」
 岡林は得意げな顔をして言った。
 「僕らの開発スピードは桁違いだからね」
 「どんなものになるんです?」
 岡林は再び前のめりになり、ひそひそと話した。
 「絶対に秘密だからね。今のASMOSは思考をアウトプットとしてシステムに送るだけだけど、次世代ASMOSはシステムの処理結果を脳にインプットできるんだ。つまり、脳とコンピュータがダイレクトに通信できるようになる。すると、脳とASMOSコアが一体化された処理系ができあがる。人間の高度な推論能力と、コンピュータの高速大容量演算、これが一体になった時どうなると思う?」
 「具体的には分からないですが、全く新しいコンピューティングができそうですね。応用範囲もすごく広そう……」
 「その通り。第六感とも言うべき感覚を人間に付与できるとともに、その応用範囲は無限大と言っても言い過ぎではないよ。そんなシステムを、もう僕らは実現してるんだ」
 「すごい! 岡林さんってすごい!」
 「いや、すべては沢木さんのアイデアだけど」
 「でも、その実現に岡林さんが貢献しているわけでしょう? そんな人が目の前にいるなんてすごいわ」
 「いや、それほどでも」
 「その新システムは何ていうんです? 開発コードネームとか、あるんでしょう?」
 「んん、それはね。エクストリームセンスだよ」
 「かっこいいですねぇ~」
 こんなに早くたどり着けるとは…… 杉本は心の中でガッツポーズをした。そして続けた。
 「それなら取材計画を見直して、そのシステムが完成するまでのプロセスを世の中に伝えたいです。どう思いますか?」
 「んーん、悪い話ではないけど、エクストリームセンスは未発表だからね。直接取材対象にはできないと思うよ。僕がしゃべったのもばれちゃうし……」
 苦笑いする岡林に杉本は言った。
 「大丈夫です、そこはうまくやりますから…… それに……」
 杉本の間に岡林は注目した。
 「それに、私は岡林さんをもっと知りたいですから……」
 これがアニメーションであったなら、きっと岡林の周りを花が包む演出となるだろう。
 「うれしいです。杉本さんみたいな人に興味を持ってもらえて……」
 純粋で正直な人――杉本は岡林のことをそう思うと罪悪感を抱いたが、舞のため! そう心の中で叫んで日本酒を一気に飲み干した。

 

 7月17日、土曜日。イム・チョルとユン・ヨンの二人は、イムの弟分であるキム・ウォンと合流するためにソウル特別市中区の明洞(ミョンドン)にやって来ていた。
 イムとキムの二人は、旧朝鮮人民軍・陸軍第9軍団の駐屯地で出会った。そして、行軍訓練中に負傷し歩けなくなったキムを、イムが10キロもの道のりを背負って歩いたことをきっかけに、キムはイムを兄貴分としたうようになったのだ。キムは、イムとユンと三人でソウルに来て以来、この街の中心街である明洞で、イムたちと分かれて生活していた。
 イムとユンの泊まるホテルで三人は会い、イムは仕事の内容をキムに説明し仲間に誘った。この誘いをキムが断るはずがなかった。苦しい駐屯地時代を共に乗り越え、その後も協力しながら生きのびてきた二人は、堅く結束していた。キムは二つ返事で仲間に加わり、報酬1,000万アジアの前金として500万アジアを手に入れた。そして次の日、イム、ユン、キムの待つホテルに、CIAのエージェントから仲間にするようにと指定された人物、パク・ジファンが尋ねてきた。
 パクはユンの姿を見ると言った。
 「女がいるなんて聞いてないぞ! まさか日本にも連れて行く気じゃないだろうな!?」
 イムが答える。
 「一緒では何か問題があるのか?」
 「足手まといになるだろう?」
 その言葉にイムもキムも笑った。
 「何がおかしい?」
 パクがそう言うと、ユンは立ち上がりソファにあったクッションをパクに渡し、「構えて」と言った。パクがクッションも胸の前で構えると、ユンは回し蹴りをクッションに入れ、パクは後ろによろけて尻餅をついた。イムは「キョクスル(撃術)だ。俺が教えた」と言いながらパクに近づき、手を差し伸べて「問題ないだろう?」と問いかけた。パクはイムの手を取り起き上がり、「ああ、そのようだな」と言って苦笑いした。

 

 地中海に面したアルジェリア第2の都市オラン。その南、20キロほどの小さな空港に駐機されたビジネス・ジェット機には、3つの木箱が積み込まれるところだった。木箱は長さ2メートル、縦横30センチ程度の長方形で、重量は65キロほどあった。
 アラブ人たちの荷積みを見守っていたロシア人の副操縦士は、カルル・アリヴィアーノヴィチ・バビチェフに尋ねた。
 「これ、何なんですか?」
 カルルは答えた。
 「契約書読んでないの? 申告通り鉱石のサンプルさ」
 「どんな鉱石なんです? 金になるんですか?」
 カルルは笑った。
 「そりゃ、金にならないものをわざわざチャーター機で運んだりはしないだろう?」
 このビジネスジェット機がアルジェリアを離陸し4時間弱が経過して、間もなロシアのクラスノダールへ到着しようとしているころ、ソウルを出発したイム・チョルたちはプサンに到着した。そして観光客らしい身なりを整えるため繁華街に出向いた。
 キム・ウォンは、初めて手にした大金を使い日本製のデジタル・カメラを買った。駐屯地にいたころ、上官からカメラを見せてもらったことがあり、この時の驚きがキムの心に焼きついていた。いつか自分もカメラを手にし、美しい自然やイムたちとの思い出を残したい。昔と違う新しい人生、その記録を彼はカメラで切り取りたいと考えたのだ。
 パク・ジファンは、買い物を終えるとネットカフェに行き、アメリカに行くために必要なことを調べていた。彼は自分を裏切った国にとどまる気はなく、この仕事を終えたら渡米して、知らない土地で一から新しい人生を築いていこうと考えていた。
 イム・チョルは、仕事に必要なもの――特に重要なものは持ち運び可能なナビゲーション・システム――をそろえると、ユンの買い物に付き合った。自分が欲しいものなどは何もなかった。ユンさえいればそれで良く、彼女が幸せであることが彼の望みだった。
 ユン・ヨンは、生まれて初めて大きなデパートでの買い物という体験をした。北朝鮮で生まれ、田舎で育ち、軍の駐屯地に奉公させられ、その後はイムと野良猫のような暮らしで27歳まで生きてきた。まとまった金を手にしたことはなく、化粧はせず、服はどれも地味なものばかりだった。
 「ヨン、観光客になりすますんだから、おしゃれな服を買えよ」
 イムにそう言われても、どんな服を選べばいいのかユンには分からなかった。すると定員が声をかけてきた。ユンは素直に何を選んでいいのか分からないと伝えると、親切な店員は、「なら着てみるのが一番よ」と言ってユンの手を引いた。
 服なんて何を着たって変わらない――これまでのユンはそう考えていた。しかし、楽しかった。店員に進められて次々と試着をし、そのたびに鏡に映る自分の姿はどれも別人のようだった。そして、服を替えるたびにウキウキした。普通の女は、こんな風に人生を楽しんでいるのだろうか……
 「あなたはとてもチャーミングだわ。どれもよく似合うわよ」
 店員は言いながら、ユンがアクセサリーを何も身につけていないことに気がついた。
 「アクセサリーは?」
 「つけたことないわ」
 「そう、少しアクセントをつけると雰囲気が変わるわよ。待ってて」と言って店の奥からネックレスを持ってきた。
 「さあ、つけるわよ」
 店員の言うことは本当だった。十字架と星が合わさったようなデザインのシルバーのネックレスは、胸元で輝き顔の表情を明るくした。
 「ねえ、変わるでしょ」
 ユンは鏡の中の自分にほほ笑んだ。

 

 7月22日火曜日。19時を少し過ぎたころ、杉本美花は東京大田区の蒲田にある蓮沼(はすぬま)総合病院を訪れていた。彼女の妹、杉本舞(すぎもと まい)19歳が、視床下部過誤腫という難病を患いこの病院に入院していたからだ。
 舞の治療のためには施術が必要となるのだが、脳深部に過誤腫があるために、脳の正常な部分を傷つけずに切除することが難しいとされていた。唯一、ロサンゼルスの医師が新しい施術法により二つの成功例を持っているが、渡米して治療を受けるためには40万ドル、約4,000万アジアもの金が必要だった。
 美花と舞の両親は、美花19歳、舞13歳の時に交通事故で他界し、以来、親が残した家で姉妹二人で生きてきた。美花は短大を出るとソフトウェア開発会社に就職し、舞を学業に専念させるために夜はキャバクラでバイトした。そのかいあって、舞はかなり成績のいい都立高校に進学し、その後は奨学金で大学に進もうと計画していた。しかし、舞が高校2年の時に病状――めまい、吐き気、けいれんが目立つようになり、その秋に現在の病気と診断された。
 この日の舞は、会話が時折途切れることがあった。発作の回数も徐々に増えているという。
 早くしないと…… 美花は焦りを感じた。
 舞は言った。
 「お姉ちゃん、無理しないでね」
 美花はこぼれそうな涙をこらえて答えた。
 「何いってるの? お姉ちゃんは平気だよ。絶対に治してあげるから……」

 「ちょっといいですか?」
 杉本美花を尾行してきた渡辺昭博は、通りがかったナースに話しかけた。
 「杉本舞さんは、どんな病気なんです?」
 「お身内の方ですか? プライバシーに関することはお答えできませんが」
 「舞さんの姉、美花さんの会社の上司です。インダストリアル・ニュースの渡辺と言います。力になってやりたいのですが、なかなか美花さんが言わないので、こうして様子を見に来ました。ですが声をかけづらくて…… せめて病名だけでも教えていただけませんか?」
 ナースは姉妹の抱えている問題をよく知っていた。少しでも協力者が増えてくれれば…… そんな思いから「視床下部過誤腫です。後はお姉様とお話しください」と言って立ち去った。渡辺はスマートフォンで病名を検索し、金のかかる難病であることを知った。

 

続く……

2012年9月29日土曜日

小説『エクストリームセンス』 No.9

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 埼玉県川口市の南部、荒川と京浜東北線が交差する辺りに小さな鉄工所があった。6人の従業員で、孫請けかあるいはもっと下請けなのか、とにかくそれを見ただけではどんな製品になるのかさっぱり分からない金属部品を製造していた。
 この鉄工所の経営者、田中龍男(たなか たつお)64歳のもとに、前田煙火工業の山中(やまなか)という男から電話が入った。
 「新型の花火を開発中なんだけど、これは今までのものとぜんぜん発射方式が違って、専用の発射台が必要なんですよ。いろいろ当たったら、田中さんは腕もいいし仕事も速いっていうので、これを作るのをお願いしたいんですよ」
 花火の発射台…… なかなか面白そうな仕事だった。
 「どんな花火なん?」
 「それは企業秘密ですけど、8月の花火大会でドーンと打ち上げる予定ですから、その時にはご招待しますよ。とにかく、見たらぶったまげるような花火なんですよ」
 「ほう、それはすごいね。ほんで設計図はあるん?」
 「ええ、これから伺ってもいいですかね?」
 こんなやりとりをして、田中は少しウキウキした気分で男を待つことになった。

 

 7月13日火曜日の19時過ぎ、捜査部長の里中涼はSOP本部の自席でデスクトップPCを操作し、対テロ国際情報ネットワークの情報を閲覧していた。これは、国連を中心とする国際協力の中で構築されたもので、加盟各国の情報機関、警察、軍隊などが保有するテロ情報を共有するための基盤となっている。日本においては、対テロの基幹組織となるSOP――警察庁戦術法執行部隊が情報の集約、展開のための起点としてこのネットワークに加わっていた。
 里中が海外の退行主義過激派の動向について検索していると、「里中さ~ん」という甘い声音とともに私服に着替えた星恵里が現れた。
 「やあ、恵里さん。あがりですか?」
 星は里中のデスクに腰掛けて答えた。
 「うん。もう疲れたぁ…… 40時間も待機させられたわ」
 口をアヒルのようにしている星の顔は、とてもSOP史上最強の戦士には見えなかった。
 「お疲れ様」
 「まだ終わらないの? おなかすいたよ」
 「恵里さんがそう言うなら、帰りましょうか」
 里中がそう言うと、PCから新着情報を告げる効果音が鳴った。里中と星が共に画面へと視線を移すと、ポップアップウィンドウが画面の隅に表示されていた。
 Alerting information: Missile has been deprived.
 二人は口をそろえて、「ミサイル!?」とつぶやいた。それはアメリカ軍から高機動誘導ミサイル、HMG-2が奪われたことを伝えるメッセージだった。

 

 高機動誘導ミサイル、HMG-2(High Mobile Guided missile - 2)が持つパワー、精密さ、破壊力を意のままに操ることのできる自分に、パク・ジファンは大きな誇りを感じていた。彼はOUアーミー(オリエント連合陸軍)の上等兵として、中国国境付近に駐屯する第4地上打撃団に所属し、HMG-2の射手(しゃしゅ)として任務についていた。
 パクは、コリアン民国の徴兵制度で初めて軍隊を経験した時に、俗世間と乖離(かいり)した世界に強い魅力を感じた。そこはこれまでの無秩序な世界と異なり、厳格な規律が支配する世界だった。軍隊では規律に従っていれば文句を言われることはない。しかし、世間ではルールを守ろうとすればするほどバカをみる。そして、軍隊には明確な組織目標があり、成果は正当に評価された。彼は国を愛し、軍を信じ、誰よりもうまくHMG-2を操れるようになったのだ。
 そんなパクに悲劇が訪れる。ある日、パクは上官たちに誘われて酒を飲んでいた。すると、悪酔いした上官の一人が若い女たちのグループに絡み出した。パクは上官をいさめようとしたが、その行為はむしろ上官の愚行をエスカレートさせた。いつの間にか他の上官たちは姿を消し、醜態をさらす上官とパクだけが残された。上官は女の胸をつかんだ。泣き出す女。パクは上官を殴った。
 次の日、パクは暴行罪などの容疑で軍の警務官に逮捕された。当然パクは無実を主張したが、張本人の上官も被害者の女も、すべてはパクの仕業と証言した。どんなからくりかは分からないが、この世にはびこる私欲の連鎖はパクを有罪に仕立て上げ、その結果、執行猶予こそついたが軍を不名誉除隊処分になった。忠誠を誓った軍に裏切られたパクの自尊心や正義感はズタズタに引き裂かれ、それは深い憎しみとなってパクの心に焼きつけられた。
 7月14日水曜日の18時過ぎ、ソウルの物流センターで日雇いの仕事を終えたパクが繁華街で夕飯は何にしようかと歩いていると、欧米人が話しかけてきた。
 「パク・ジファンさんですね。探してました」
 「誰だ、あんた?」
 「HMG-2の射手を探している者です」
 「なにっ!?」
 「どうです? 食事でもしながら話しませんか?」
 パクはイム・チョルに大金を渡した欧米人とともに焼き肉屋へと入っていった。

 

 7月16日、金曜日。岡林敦の取材をするに当たって、まずは彼の働く職場を見てみたいという杉本美花は、14時ちょうどに相模重工本社ビル1階のエントランス・ホールで岡林と待ち合わせした。この日の杉本は、白いノースリーブにスカート、髪はアップといういでたちで、うなじから肩、腕と流れる美しい曲線に岡林は胸を躍らせた。そして、先端技術開発本部がある23階に上るエレベーターの中で、人混みに押されて杉本の柔らかな胸が数回岡林の二の腕に当たると、今日はいい日だなぁ…… とささやかな幸福感に包まれた。
 「ここはプロジェクト管理部。その名の通り各種プロジェクトのマネジメントと本部の総務がこの部署の役割です。あそこに座っているのは秋山さん。沢木さんのフィアンセだよ。で、奥のガラス張りの部屋が沢木さんのオフィス」
 そこには沢木聡の姿があった。世界の沢木、日本の頭脳、制御システムの神様――そんな風に形容される人間を目にし、杉本は少し緊張した。
 「紹介するよ」
 その声に杉本は気後れした。
 「大丈夫なの?」
 「心配ないよ。気さくな人だから」
 杉本が沢木と名刺を交換すると、沢木は「あなたの記事は何度か読んだことがあります。技術に対して愛情を感じます。どうか岡林のこともよく書いてやってください」と笑顔で語りかけてくれた。
 技術に愛情…… 私の記事を認めてくれるんだ。世界の沢木が……
 杉本は例えお世辞でも沢木の言葉をうれしく思ったが、同時に後ろめたさも感じた……
 岡林と杉本が沢木のオフィスを出て行くと、秋山美佐子が代わりに入ってきて言った。
 「随分かわいい記者さんね。岡林君メロメロ……」
 沢木は笑いながら答えた。
 「そうだね。あれじゃ岡林、聞かれたことには何でも答えてしまいそうだ」
 岡林に案内された杉本は、中階段を下りてASMOS運用管理センターのある22階に通された。
 「このフロアの目玉はASMOS運用管理センター。世界中のASMOS系システムとネットワークでつながっていて、24時間365日、学習データを洗練化して世界中のシステムにデータを配信してるんです」
 説明を受けながら、杉本は幾つかあるセキュリティ・ゲートを抜け、センターの中に入った。
 「あのガラスの向こうにあるのがASMOSコアと呼ばれる基幹サーバー群。OSはLinuxをベースに僕らが改良したFuture Base。開発言語はエクスフィール。トータル6,000コアでメモリは60テラバイト。計算速度は30ペタフロップス。ただし、これは現時点のスペックで、ASMOSコアはスケールアウトによってほぼリニアに性能をアップしていけます。すごいでしょ! だから、その気になればスーパー・コンピュータの世界ランクを取ることだって可能なんですよ。ただし、フロアのスペースや床荷重の関係で、そろそろサーバーの追加も限界に来ているから、先端技術開発本部ごと移転する構想もあるんです」
 そう話す岡林の顔は輝いていた。世界最先端の現場で生き生きと働く岡林の姿に、杉本は好感を持った。
 「移転ですか。候補地などはあるんですか?」
 「みんな好き勝手なことを今は言ってます」
 岡林は笑いながら続けた。
 「沖縄がいいとか、北海道がいいとか、海外とか。うちは独身の若手が多いので、まともな答えは返ってこないですね」
 「みなさんで決めるんですか?」
 「沢木さんがみんなのアイデアを聞きたいって社内SNSでつぶやいたらそんな反応です。以来、この件について沢木さんがSNSでつぶやくことはなくなりました」
 杉本は笑顔を返した。
 「先端技術開発本部って、もっと堅い印象だったんですけど」
 「うちは雰囲気いいですよ。沢木さん流のマネジメントのおかげかな?」
 「それはどんな?」
 「一言で言えばクロス・ファンクション組織。それを支えるITで沢木さんからペーペーまで、全員のスケジュールやミッションがオープンになっていて、社内SNSによるコミュニケーションが盛んです。後、ラインの管理職の機能がプロジェクト管理部という組織に集約されてるから、ペーペーの立場からすると直の上司がいないんです。だからPM(プロジェクト・マネージャー)と直の上司に2回報告するみたいな煩わしさがない。例えば、僕がAとBの二つのプロジェクトに関わっていて、Aプロジェクトが遅れ出して優先度を変更しなければいけないとすると、AとBのPMが調整した結果から僕に指示が出ます。プロジェクト間の利害関係をちゃんとプロジェクト管理部が調整してくれますから、エンジニアは技術を発揮することに集中できるんですよ」
 何もかもが違う。杉本はそう思った。杉本はもともとはシステム・エンジニアになることを目指していた。そして実際システム開発会社に就職したのだが、そこは岡林の住む世界とは正反対だった。ラインの上司は技術を知らず、技術系の上司はマネジメントの素人……
 「ちょっと座って休みましょうか?」
 ASMOS運用管理センターを出た二人は、22階に設けられたリフレッシュ・ルームに移動した。窓際のソファにコーヒーを手に落ち着いたところで、杉本は岡林に質問した。
 「岡林さんと沢木さんの出会いはどのようなものだったんですか?」
 「専門学校を出て、ダメ元で相模の採用試験を受けたら合格しました。とにかくプログラミングが好きだったから、どんな仕事でもゴリゴリとコーディングしてましたよ。周りのプログラマーはなかなか品質が出せなくて苦労してたけど、僕はテスト駆動でやってたんで、バグの入ったプログラムをビルドすることなんてなかったです。でも、だからといってそれほど高い評価はしてもらえませんでした。まあ、それもそうですよね。バグがないのが当たり前ですから…… それに、テスト駆動だとテストを書くぶん周りに比べて効率が悪いように見える。トータル的な生産性は僕の方がいいはずなんだけど、当時の上司とはソフトウェア開発に対する考え方に大きな違いがあって、職業プログラマーというものにだんだん魅力を感じなくなってきてたんです。ゲーム会社にでも転職しようかなぁ、何て考えていた時に、沢木さんが入社してきて、開発スタッフを社内から選考する、そんな話題で周りは盛り上がってたけど、沢木さんみたいなエリートが僕みたいな人間に興味持つわけないよな、何て勝手に決め込んでしらけてました。何せ相手は東京工大からMIT。こっちは専門学校ですから。そしたら沢木さんから呼び出されたんです。で、沢木さんのオフィスに行ったら、いきなり分厚い設計書を渡されて、感想を明日聞かせてくれって言うんです。それが、SMOS(ソモス)の設計書だったんですよ。興奮したよ。夢中になって読んで気がついたら朝だった。それから沢木さんのところに出向いて、すごいですねって面白くも何ともない感想を言ったら、やってみるか? って聞くんだよね。だから、はいって答えてその日の夕方には沢木さんの下に異動になりました。後で沢木さんから聞いたら、僕の開発経歴、開発手法、実際のソースまで見てこいつだって思ってくれたらしいです。うれしかったですよ。神様はちゃんと見てるんだなぁ~、って実感しました」
 神様かぁ…… 私のことも神様は見ているのだろうか……?
 杉本は、最初に就職したソフトウェア開発会社でマニュアルを執筆する仕事を与えられた。まあ、一人前になるまではどんな仕事でもしなくては、と思い手を抜くことなく努力した。すると、彼女の意に反してその文才が認められ、いつの間にかテクニカル・ライターという肩書きで技術文書の執筆をするのがメインの仕事になった。しかし、それは悪い仕事ではなかった。むしろ自分では気がつかなかった自身の強みを発見できたと前向きに捉え、更に伸ばしていこうとインダストリアル・ニュースに1年前に転職したのだ。そして上司に相模重工を取材すると言えば、すんなりとOKがもらえるくらいの信用を得て、先端技術の最前線をこうして取材できるのだから、決して不遇とはいえないだろう。しかし、杉本には背負っているものがあった。それを考えると、神の存在は希薄に感じられた……
 17時38分、取材を終えた杉本を見送るために乗ったエレベーターの中で、岡林はどうしようかと考えていた。もう少しこの楽しい時間、杉本と一緒にいる時間を楽しみたかった。食事に誘うべきか否や。断られて今後の取材が気まずくなるのは嫌だし…… 岡林の脳は相当なスピードで様々なケースをシミュレーションしたが、結論として当たって砕けろというシンプルな答えにたどり着いた。
 エントランスホールに着くと、以外にも杉本の方から切り出してきた。
 「私、今日は直帰なんです。岡林さんの都合がいいならご飯でも行きませんか?」
 助かった、という安堵(あんど)感とヤッターという喜び、それは「はいっ!」という一言に集約された。岡林は「ちょっと待っててください」というとダッシュで23階に戻り、就業管理システムの退社処理もせずに杉本のもとへと戻った。

 「んん、あの女は誰だ?」
 出先から進藤章とともに戻ってきた情報管理室の室長、渡辺昭博(わたなべ あきひろ)は、岡林と杉本の後ろ姿を見て言った。
 「ああ、多分記者だと思いますよ。岡林さんに取材願が出てましたから……」
 「記者? 随分と仲良さそうじゃないか」
 渡辺は上着の内ポケットからスマートフォンを取り出し、専用アプリから相模重工のネットワークに接続して取材申請の内容を確認した。
 「インダストリアル・ニュース、杉本美花。今日が取材初日か……」
 進藤はうれしそうな顔で言った。
 「岡林さん、もう口説いちゃったんですかね?」
 「そんな行動力があるとは思えないな……」
 渡辺は楽しそうに歩く二人の後ろ姿を今一度確認すると、心の中でつぶやいた。
 念のため、調べてみるか……

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.8

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

第2章


 北アフリカの西部、北太平洋側に位置する小国カルダーラ共和国は、ほとんど資源を持たない国であったが、唯一、カタ湖といわれる湖の豊富な水量により、その地の民は生かされていた。しかし、あらゆる用途の水をカタ湖に求めたことと地球温暖化の影響を受けた結果、西暦2000年を過ぎたころから急激に水量が減少し、命の水の枯渇は時間の問題とされていた。カルダーラ政権はカタ湖のくみ上げ規制を実施したが、この政策は失敗し、農業用水の不足から深刻な食糧不足へと問題を拡大させてしまった。このため、カルダーラの国民は幾つかのグループに分かれて対立し、やがて国土の北東部に展開していた陸軍が反政府ゲリラの支援に回ると、渇きと飢えをめぐる争いは激しい内戦へと拡大していった。さらに、イスラム原理主義者のグループがカルダーラ政府要人の暗殺を開始すると、政権は瞬く間に崩壊し無政府状態に陥った。
 これに対しアメリカ政府は、人道支援と民主主義の回復を理由に武力介入し、旧政権を中心とした暫定政府を発足させた。その後、国連平和維持軍が派遣されたことで内戦は鎮静化に向かって進み出し、日本政府は根本的な問題を解決するために、ODAによる海水淡水化プラントの建設を決定した。
 このプラントの建設と運営を受注した相模重工は、カルダーラの海岸に世界最大規模となる20基もの淡水化プラント群を建設した。プラントで生成された水はカルダーラを潤し、水と食糧の問題をかなり解消することに成功した。また、この水はカルダーラの周辺諸国にも輸出され、カルダーラは世界で最初に国家レベルで水ビジネスに成功した国となった。しかし、国民の審判を得ていないカルダーラ暫定政権は腐敗が進み、水の恵みは恣意的にコントロールされるようになっていった。当然のことながら、暫定政権の打倒を目指すグループの活動は活発化し、元カルダーラ正規軍のヘルバン・サイード大佐が率いる元陸軍を中心とした反抗グループは、カタ派と名乗り祖国を取り戻すための戦いを繰り広げた。
 カタ派のカタはカタ湖に由来する。彼らの主張は、カタ湖の恵みを分かち合いながら平和に暮らしていた昔のように、プラントの水と利益を国民に平等に分配しようというものだった。主張は極めて正当であり、よって国民の支持を広く得たカタ派だったが、強過ぎる正義感は過激なゲリラ活動となって行使され、国内情勢は再び混乱へと進んでいった。
 カルダーラ北東部のフルムという街は、カタ派の重要拠点となっていた。アルジェリアと国境を接するこの地域は、アルジェリア経由でロシアと中国からの支援を受けるカタ派の生命線である。そのフルムから西に15キロほど離れた暗闇と砂に囲まれた渓谷で、男たちは息を潜めて獲物が来るのを待っていた。時刻は7月5日月曜日の1時(日本時間同日10時)。その獲物とは、アメリカ軍がフルムの西にあるベースキャンプに配備するために輸送している誘導ミサイルだった。
 数日前、サイード大佐のもとにカルル・アリヴィアーノヴィチ・バビチェフと名乗るロシア人の男がやって来た。この男は、カタ派を支援するロシアの諜報(ちょうほう)機関――ロシア対外情報庁のエージェントから紹介された男で、流暢(りゅうちょう)なアラビア語で次のような取引を持ち掛けてきた。
 「アメリカ軍は高機動誘導ミサイル、HMG-2を3機、西のベースキャンプに配備し、大佐を暗殺しようとしています。私はそのミサイルの輸送ルートに関する詳細な情報を持っています。そこで、大佐にお願いがあるのですが、そのミサイルを奪っていただきたいのです。そして、私にそれを譲ってほしいのです。もちろん、報酬はお支払いします」
 カルルは更に「報酬は全額前払いします」と言って札束をサイード大佐の前に山積みにした。そして、C-17輸送機から搬出されるHMG-2の衛星写真と、搬送ルートを記した地図を見せながら、HMG-2は2台のハンヴィー(高機動多用途装輪車両)とたった6人の兵士によって、待ち伏せに格好な渓谷を通って搬送されると説明した。
 「話が出来過ぎている」
 サイード大佐がそう言うと、男はにやりと笑ってこう言った。
 「その通りです。半分はこちらが用意したシナリオですから…… つまり、私はどうしてもHMG-2が欲しいのです」
 「どうしてロシア人のあんたがアメリカの情報を持っている」
 「私はロシア人であると同時にオルグのメンバーです。オルグは国際的なネットワークを持ち、秘密裏に様々な活動を行っています。もちろん、オルグにはアメリカ人もたくさんいます。これでは答えになりませんか?」
 サイード大佐はオルグという秘密結社のうわさを聞いたことがあった。退行主義を実現するために、世の中の裏舞台で暗躍する集団と聞いている。
 オルグかぁ…… そんなやつらならこのくらいのことは平気でできるのかもな。それに……
 目の前に積まれた金はサイード大佐にとって魅力的なものだった。これだけあれば、診療所の設備や医薬品、発電機などを買い増しすることができるし、子供たちに本や鉛筆を買ってやることができる。サイード大佐は条件を出した。
 「ミサイルを無事に持って帰ってくるまで、あんたを拘束する。それで良ければ引き受けよう」
 ロシア人は笑顔で答えた。
 「どうぞご自由に。どのみち私はミサイルを受け取りに来なければなりませんから……」
 こうして、サイード大佐自らが率いる14名のカタ派ゲリラたちは、渓谷を走る道路を上から攻撃できる斜面の両側に、息を潜めてハンヴィーがやって来るのを待つことになった。そして……
 暗闇の中を車の音とヘッドライトの光が近づいてきた。サイード大佐は暗視スコープで予定通り2台のハンヴィーが近づいてくることを確認し、作戦開始を無線で指示した。ハンヴィーが襲撃ポイントに近づくと、ゲリラの一人が道路の中央に向かって対戦車ミサイルを撃ち込んだ。すさまじい爆音と舞い上がる砂ぼこりで先頭のハンヴィーが急停車すると、後続のハンヴィーは前の車両に追突した。敵だっ! という認識を持つ時間はあっただろう。しかし、その後アメリカ兵たちは考える時間も、反撃する時間も与えられずにゲリラたちの放つAKS-47の銃弾で体を裂かれながら死んでいった。
 「打ち方止めっ!」
 サイード大佐は無線でそう命じると、暗視スコープで蜂の巣になったハンヴィーを確認したが、そこにはもう敵の姿はなかった。サイード大佐は「よし、行け!」と命じ、自らも斜面を駆け下りハンヴィーに近づいた。部下が二人がかりで長さ1.8メートル、重さ60キロのケースを一つ、ハンヴィー後部の荷台から下ろし、それを開けるとU.S. ARMY HMG-2と刻まれたミサイルがフラッシュライトの明かりに浮かび上がった。
 約30分が過ぎたころ、通信の途絶えたハンヴィーの捜索にアメリカ陸軍のアパッチ攻撃ヘリが1機現場にやって来た。仲間の仇(かたき)を討つべくアパッチは電子装備を使ってしばらく周辺を索敵したが、ラクダとラクダの引く荷車で移動しているサイード大佐たちを見つけることはできなかった。
 サイード大佐はラクダに揺られながらつぶやいた。
 「拍子抜けするくらい、楽な仕事だった。しかし、これを何に使うんだ……」

 

 7月12日、月曜日。岡林敦はいつものように起床し、電車に乗ってみなとみらい線の日本大通り駅を降りると、相模重工本社までの道中にあるコンビニでおにぎりと野菜ジュースを買い、自分のデスクでインターネットのニュースを読みながら朝食をとるという朝の恒例行事を済ませた。そして始業時間になると、ASMOS運用管理センターに出向き、システムの状態についてオペレーターと確認し合うことがもう一つの日課だった。
 ASMOS運用管理センターには、ASMOSコアと呼ばれるコンピュータ・システムが設置されていた。これにはEYE’sが収集した人美のデータから旧世代制御システムであるSMOS(ソモス)の学習データ、市場投入されたASMOSや実験中のSOP-X1まで、あらゆるASMOS系システムから集められた学習データのすべてが蓄積され、各種のローカル・システムでは処理しきれない学習データの再生成が強力なEFC(Experience Feedback Control:経験帰還制御)エンジンによって24時間365日行われていた。
 例えば、EYE’sを例にもう少し説明すると、人美の脳波はスマートフォンに送られ、そこで学習データと比較することで人美の状態――サイパワーを使っているのか否か、それはどのように使われているのか――を認識し、制御波をバイオフィードバックしている。この時用いる学習パターンの生成は、非力なハードウェアであるスマートフォン――それは搭載するCPUやメモリ容量、消費電力の問題などで、スマートフォンの容積では搭載できる性能に限界がある――では実行することができない。そこで、EYE’sは一定容量に達した脳波データをASMOSコアに送信し、ASMOSコアは既に蓄積されている学習データを参照しながら新たな学習データを再生成することでデータの洗練化を行い、これをスマートフォンが再受信することで学習データを更新している。制御対象によって処理フローの違いはあるが、基本的な流れはすべてのASMOS系システムで同じであり、ASMOSコアは、その名の通りASMOSを機能させるための核であり、同時にあらゆる制御対象の学習パターンが蓄積されたASMOSデータストアを併せ持っている。
 岡林はASMOSコアが正常に動作していることを15分ほどで確認すると、今度は沢木がエクストリームセンスと名付けた新システムの開発に没頭し、時刻が終業を告げると家路についた。定時退社、この当たり前に思える行動も、岡林にしてみれば久しぶりに迎えた通常の就業モードである。開発が佳境を迎えれば、会社に泊まることも日常茶飯事であり、数か月会社で生活していたことさえあった。もちろん、相模重工の就業規則、労使協定、沢木の指導はそのような岡林の行動を支持するものではなかったが、彼の開発者としての情熱がそうさせていたのだ。
 岡林が相模重工本社の1階にあるセキュリティゲートを抜けロビーを歩いていると、自分の名を呼ぶ声に脚を止められた。声の方に首を向け、白いスーツ姿の髪の長い女を認めた岡林は、いつものように素直な感想を心に浮かべた。
 うわ! かわいい……
 その女は「岡林敦さんですね。私、インダストリアル・ニュースの杉本美花(すぎもと みか)といいます」と言いながら名刺を出した。インダストリアル・ニュースはインターネット配信専門の産業ニュース・メディアであり、大手の経済新聞社が運営しているサイトの一つだった。岡林は業界でも知名度のあるニュース・メディアの記者と杉本を認めると、改めて彼女の顔に目をやった。幼さの残る顔立ち、少し厚めの下唇、薄茶色の流れるような長い髪、スーツに窮屈そうに収まった胸、そのどれもが岡林の好む範囲に収まっていた。
 「そうだけど、僕に何か?」
 答える岡林に杉本が言った。
 「ASMOSに関する記事を企画中なのですが、そこではASMOSの開発に携わった技術者の声をお聞きしたいのです。岡林さんは沢木さんの片腕として、ASMOSのソースコードの多くを書いていると聞いていますので、是非、取材させていただきたいのです」
 悪い話ではなかった。岡林は沢木聡にこそ認められてはいるものの、そのあまりにも大きな沢木の存在のために、岡林にスポットライトが当たることは社内外を通じて少なかった。しかし、ASMOS開発をはじめとする相模重工への貢献度に一定の自負を持つ彼にしてみれば、もう少し日の目が当たってくれてもいいのではないか、というささやかな野心があった。そして、今回の取材の話は彼のささやかな野心を十分に満足させるものだった。要は目立てばいい。彼の野心とはそのような類のものだった。それに加えて取材となれば、幾ばくかの時間をこの自分好みの女性と過ごすことになるのだろう、という期待からも、杉本の申し出を断る理由は見当たらなかった。しかし……
 「個人的には断る理由はないけれど、うちの会社は結構細かい取材規程があるんですよ。僕の判断だけでは取材に応じられるかお答えできないですね。すみませんが、広報を通してください」
 杉本は答えた。
 「もちろん、必要な手続きはきちんと行います。今日は、岡林さんへのごあいさつ、というより、個人的な興味もあってお目にかかりたいと思ってお待ちしていたのです」
 岡林は魅力的なフレーズに反応した。
 「個人的な興味というと?」
 「エクスフィールで書かれたソースは数百万行になる規模と聞いていますが、そのような規模の画期的なソフトのプログラム構造設計と実装、テストケースを主導しているのが岡林さんであれば、その能力は天才を支えるもう一人の天才なのでは? という考えからいつか取材したいと思っていたのです」
 岡林は照れながら言った。
 「いやぁー、天才なんて程のものではありませんけど、確かにプログラム・レベルの設計からコーディングまでがチームでの僕の基本的な役割です。最近は製品実装のためのインテグレーションも多くなってきましたけど」
 杉本は岡林に一歩近づくと、にっこりと笑いながら明るい声で尋ねた。
 「岡林さん、よろしければ食事でもいかがでしょう? 正式な取材願は明日にでも手続きしますが、今日伺える範囲でお話できたらと。ASMOSというと沢木さんのEFC論理や思考検出デバイスにスポットライトが当たりがちですが、私は大規模ソフトウェア開発プロジェクトを成功裏に導いている岡林さんの功績を世の中に伝えたいのです。もちろん、岡林さんや相模重工の許可なく記事にしたりはしません。お約束します。いかがでしょう?」
 悪い話ではなかった。このまま帰れば誰もいないマンションの一室で、オンラインゲームをしながらビールとカップラーメンの夕食。そんな私生活が寂しいわけではなかったが、刺激がないのは間違いない。杉本美花、このかわいらしい記者と食事をしながら自分の強みについて語るというのは、岡林のみならず、多くの男にとって魅力的なことかもしれない。
 「いいですよ。じゃあ、せっかくだから、おいしいものを食べましょうか」
 岡林が笑顔で答えると、杉本は「はい」と元気よく明るい声音を発した。
 この後、二人は中華街で食事をしながら談笑し、多少のアルコールを口にした岡林は上機嫌で開発者としての武勇伝を語った。途中、上着を杉本が脱ぐと、白いブラウスに透けた黒い下着の陰が岡林の目にとまった。そして視線を彼女の顔に移すと、満面の笑みで自分を見つめている。29歳独身、彼女いない歴数年。そんな岡林が杉本に興味を持たないはずはなかった。しかし、今日はここまで。駅前で杉本と別れた岡林は、今日見た彼女の姿を思い浮かべながら幸せな気分で家路についた。
 この翌日、相模重工の広報・IR課に岡林への取材願が提出され、その目的、方法が明らかにされると、経営企画部長、経営本部長、沢木と承認フローが回り、その日の夕方にはインダストリアル・ニュースへの取材許可が下りた。広報・IR課と杉本からのメールを確認した岡林は、鼻歌を歌いながらコーヒーを取りに席を立った。

 

 男と女は獣のように激しく愛し合っていた。互いの体は汗で光り、男の額を流れる汗は女の揺れる胸にポタポタと垂れ続けた。男の鍛えられた筋肉は極度に緊張し、女の弾力のある体はつま先だけが緊張していた。男の名はイム・チョル、元北朝鮮人民軍の兵士で37歳。女はユン・ヨンといい27歳だった。
 この日、イムは久しぶりに大きな仕事を得て、その前金として2,000万アジアもの大金を手に入れた。正確にいえば、仲間を雇わなければならないのですべてを自分のものにできるわけではないが、成功すれば更に3,000万アジア。手元には少なくとも2,000万アジアは残るとイムは考えていた。大金の入った紙袋を小わきに抱え、イムは走ってユンの待つアパートに帰ってきた。そしてユンの前に紙袋に入った札束をばらまくと、「仕事だ、ヨン。いい仕事が舞い込んできた」と言ってユンを抱きしめた。貧しさからだろうか、最近は愛し合う回数が減っていた彼らだったが、大金が入ったことによる心の緩みは彼らを燃え上がらせた。そして、もうこれ以上は無理だというところまで汗をかくと、二人はシャワーを浴び、高級料理店で食事をし、酒を飲んだ。
 上機嫌のイムは大きな声で尋ねた。
 「ヨン、楽しいか?!」
 ユンは「うん」とうなずいてイムに抱きついた。その姿をいとおしく思いながら、イムは心の中でつぶやいた。
 この仕事が終わったら、結婚しようなヨン……
 コリアン民国の首都、ソウル特別市東大門区(トンデムン=グ)にある清凉里駅(チョンニャンニ=ヨク)は、正確には鉄道公社とソウルメトロの二つの駅がある。その清凉里駅から歩いて数分の清凉里青果物市場近くの古びたアパートに、イムとユンは二人で暮らしていた。
 二人は北朝鮮北部の咸鏡北道(ハムギョンプク=ト)清津市(チョンジン=シ)で出会った。そこは朝鮮人民軍陸軍第9軍団の駐屯地であり、イムは軍人として、ユンは軍団司令官の世話係としてそこにいた。
 当時の駐屯地はひどい状況だった。ろくに食べ物もなく、厳しい訓練だけは毎日続き、多くの下級兵士が戦闘ではなく飢餓で死んでいった。当然兵士の士気は落ち、上官に反抗する者も出てくるが、そのような兵士は上官にリンチされて死んでいった。イムの仲間の中には、いっそ死んでしまった方が楽だ、どうせなら仲間を殺した上官を道連れに死んでやる、といって自ら死を選ぶ者もいたが、当時26歳のイムは、いつかはこんな状況も変わるはずだと信じて歯を食いしばって生き続けた。
 そんな厳しい駐屯地での毎日であったが、時折見かける少女にイムは好意を持っていた。もっとも、駐屯地で唯一の女性がその少女であるのだから、すべての男が少女に何らかの関心を持っていただろう。その少女がユンであり、当時16歳だった。イムの目に映るユンは、表情がなくいつもうつろな目をしていた。笑ったらどんなにかわいいだろう? イムはユンの笑顔をいつか見てみたいと願っていた。
 現在のイムは、日雇いの肉体労働で生計を立てていたが、北朝鮮の崩壊から朝鮮半島統一、OEC(オリエント経済共同体)設立などの混乱期には、金のためなら何でもやって生き抜いてきた。特に、旧北朝鮮の復活を夢見る元軍人たちを”狩る”仕事では、警察やコリアン軍、OUF(オリエント連合軍)、CIAなどに情報を売って小遣いを稼いでいた。しかし、そのような仕事がいつまでもできるわけがない。身の危険を感じたイムはユンと仲間のキム・ウォンの三人でソウルに移ってきたのだ。その彼の前に、昔世話になったCIAのエージェントが突然現れ仕事を頼まれた。その内容は驚くべきものだったが、マフィアとなった軍人たちの報復を恐れることなくユンと幸せに暮らすことを夢見るイムは、一世一代の賭を決意した。そして、大金を手にしたのだ。

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.7

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 江田克は自分の予感が的中したことにほくそ笑んだ。ニール・エマーソンの電子メールを読んだ江田は、皮算用をしながら最もよい取引相手は誰かと思案した。彼の思惑は、エクストリームセンスの情報を良き取引相手に買い取らせ、大金を得ようとするものだった。幾つかの取引相手が思いついたが、相模重工のライバルにして世界第2位の重工業メーカーであるアメリカのAHIが良いだろうという結論に達した。AHIの上級副社長であるスティーブン・シンプソンとは、EMSアメリカの時代にボディーガードを務めたことにより信頼を得て以来、これまで何度か情報を売って小遣いを稼いだことがある。きれい過ぎず、やば過ぎず、最もバランスの良い相手と彼は判断した。しかし、どうやってエクストリームセンスの情報を得るか? しかも、エマーソンは沢木の考え方まで求めている。そして、いざという時に自分に足が着くのはごめんだ。思案の結果、彼はかつて世話になった橋本浩一に協力を仰ごうと彼の携帯をコールした。
 EMSの日本進出に大きく関わっているのが田宮(たみや)石油である。田宮石油は、石油産出国での施設警備や石油タンカーの航路での警備にEMSのサービスを利用していた。そして、EMSが日本進出の検討を始めると、田宮石油は出資すると同時にビジネス・プランの策定に協力し、この時、江田は橋本と出会った。EMSオリエントの守備範囲は日本列島と朝鮮半島。それだけに多くの”兵隊”を必要としたのだが、橋本は現役OBを問わず、軍人や警察官など使える人間を数多く紹介してくれた。あれだけの人材を集められる人間が、堅気の人間とは江田には思えなかった。詳しい素性は分からないが、あいつならば今の課題にも良い知恵を貸してくれるだろうと考えたのだ。
 江田が橋本に電話をすると、橋本はビジネスの話ならいつでも歓迎だ、と言って早速今晩会おうと約束してくれた。時間になり江田が指定された居酒屋におもむくと、通された個室の座敷には、橋本がビンビールを飲みながら待っていた。
 しばし世間話などをした後、橋本が「でぇ」と言うので、江田は本題を切り出した。
 「相模重工の沢木聡という技術者は知っているか」
 「沢木? 随分と面白い名前を口にするな」
 「知っているのか」
 「まあ、ちょっとな」
 「その沢木がエクストリームセンスという新システムを開発しているんだが、この情報が欲しい。それに沢木がこのシステムで何をしようとしているかも」
 「何をしようとしているか? そりゃ、金もうけだろ。あいつが特許でそれだけの大金を手にしてるか知ってるか?」
 「とにかくスポンサーのオーダーなんだ。俺が直接動くわけにはいかないし、あんたの知恵を借りたいんだ」
 「金はあるんだろうな? かなりかかるぞ」
 「多分、あんたが考えてる額は出せると思う」
 「んん。それなら最も脆弱(ぜいじゃく)なセキュリティを突くのがいいだろう」
 「最も脆弱?」
 「人間の心だよ」
 「なるほど……」
 「新システムの開発に絡んでいる人間の下調べはできてるのか?」
 「俺が調べたのは沢木以外ではこの三人だけだ」
 言いながら江田はスーツの内ポケットから資料を取り出して橋本に渡した。
 「白石浩三、年寄りは駄目だ。秋山美佐子、沢木の女か。仕掛けに相当時間がかかるな。岡林敦。んーん、手頃な獲物だな。分かった、引き受けてもいいだろう。で、予算は幾らあるんだ?」
 「相模に膨大な利益をもたらしているASMOSをも上回るとなれば、相当な額でさばけると思う。とりあえず、あんたの言い値を聞かせてくれ」
 「手付けで1,000万。後は状況次第だ」
 「分かった。明後日(あさって)以降、いつでも渡せるように準備しておく」
 「商談成立だな」
 二人はビールで乾杯した。

 江田と分かれた橋本は、自分の事務所に帰るべく川崎のネオン街を歩きながら考えていた。
 沢木かぁ…… これも定めか。鮫島(さめじま)、やっとお前の仇(かたき)を討てるかもなぁ……
 橋本浩一は、千葉県の田舎町に生まれた。小学生のころはおとなしい性格で、それが災いしてかいじめに遭っていた。中学生になったある日、彼は父親の薦めで空手道場に通い出した。最初は嫌で嫌で仕方がなかったが、彼には格闘技の資質がありみるみる強くなっていった。ある時、小学生時代のいじめっ子と偶然街で遭った時、彼はかつあげされそうになった。しかし、今やいじめっ子よりも体格がよく、武道をたしなんでいた彼の敵ではなかった。いじめっ子を蹴散らすと、彼は自信を持った。「力があれば、あんな屈辱に遭うことはないんだ」と。彼はその後も空手に打ち込み、幾つかの大会で優勝した。地元ではもはや無敵の橋本として知られるようになっていた。その後も、高校、大学と空手を続け、全国大会でもチャンピオンになった彼は、ある上場企業の空手部から誘いを受けた。それに応じた彼は東京に出て、格闘家としての本格的な人生を歩み始めたのだが、練習中にけがをし、格闘家としての道を断念せざる負えなくなった。仕方なく、彼は総務部の総務課という部署で働き始めるのだが、武道に専念してきた彼にはできないことだらけで、上司や同僚は彼を煙たがり、仕事を教えるどころかバカにした。
 自分はこんなにも何もできない人間なのか?
 それまでの彼の自信は大きく揺らいだ。そして退職して手にした幾ばくかの退職金を持って、繁華街をさまよい歩いた。格闘家としてはその目を絶たれた彼も、ルールのないストリート・ファイトとなればその強さは最強と思えるほどだった。彼は酒を飲み、チンピラに絡み、次々とけんかを仕掛けてはその相手を倒していった。
 ある時、その街を仕切るヤクザに彼は誘われた。それは、借金の取り立てや、島を荒らす連中を排除する仕事だった。その日暮らしをしていた彼は、雇用主が誰であろうと、一定の収入が得られるその仕事に飛びついた。すっかりヤクザの仲間入りをした橋本だったが、彼のうわさを聞きつけた千葉を地盤とする国会議員に、ボディーガード兼運転手として雇われることになった。議員は、なぜか橋本をかわいがった。
 「いいか、橋本。腕っ節の強さだけではこの世の中は生きていけない。これからは頭を鍛えろ。まずは、新聞を隅から隅まで読むことから始めるんだ。運転手には待ち時間がたくさんある。しっかり勉強するんだぞ」
 そう議員から言われた橋本は、素直に勉強した。そして、今までの自分は何と無知だったのかと恥じた。そうだ、何事も鍛錬だ。いじめられなくなったのは強くなったからだ。頭を鍛えれば、俺の人生も変わるはずだ。数ヶ月後、橋本の努力を認めた議員は、彼をボディーガード兼運転手から、秘書兼ボディーガードに昇格させた。
 「いいか、橋本。世の中には表と裏がある。それらは表裏一体、つまり、その二つで世の中は成り立っているということであり、そのどちらにも通じていなければ生きていくことなどできない。奇麗事を言う連中は所詮は二流、お前は一流を目指せ」
 更に続けた。
 「重要なのは頭だ。金を手にするのも、人を使うのも、地位や名誉を得るのもその源泉は頭だ。これからも勉強を怠るなよ」
 橋本はその教えに従った。そして、特に議員の裏の仕事を任された彼は、次第に裏社会とのコネクションを広げていった。
 ある日、彼は議員から一人の人物を紹介された。
 「これから会う方は、日本を誇り高い国に変えようと活動されている方で、我々の強力な支援者だ。粗相のないようにな」
 その人物とは、田宮石油会長の田宮総吉(たみや そうきち)。〈民の証〉と称する裏組織を仕切る人物だった。横浜市の料亭で、橋本は初めて田宮と会った。橋本の目に映る田宮は、オーラというのか、何か得体の知ないすごみというものを感じさせた。と、突然田宮が切り出した。
 「どうだね、橋本君。今度は私のところで勉強してみないか? もっといろいろな世界に触れられると思うよ」
 田宮の問いかけに議員が言った。
 「こんないい話はないぞ! 私のことは気にしなくていい。田宮さんのところでお世話になりなさい」
 その後、橋本は田宮石油に正社員として採用され、田宮の秘書として仕事を始めた。その仕事とは、田宮の裏の仕事を切り盛りすることだった。そして今、彼は田宮の元から独立し、川崎の雑居ビルでセキュリティ・コンサルタントの事務所を開業している。もちろんそれは、世を忍ぶ仮の姿であり、今も田宮とはつながりを持っていた。
 橋本は自分のオフィスからネオンに包まれた歓楽街を見下ろし、物思いに浸った。

 気がつくと、生きていた。好むと好まざるとに関わらず、人はこの世に生を受け、親を持ち、人と関わり、学校に行き就職し、泣いたり笑ったり、競争に勝ったり負けたりしながら生き続ける。自ら死を選ぶというオプションはいつでも行使できるはずなのに、これが行使されることはまれだ。基本的に人は生き続ける――なぜだろう?
 人は死を恐れる。死を恐れる以上、生きる以外にそれを逃れる方法はないのだが、死を自ら選ぶ者とは、死の恐怖以上に生きることが恐怖となるのだろうか? だとすれば、人は生きることと死ぬことの恐怖を計りにかけ、恐怖の少ない方を選択するといえるのか……
 子供のころは夜が怖かった。闇の中から未知なる物が自分を襲う…… 孤独で冷たく、目に見える物が少ないから妄想が頭の中を駆け巡る。怪奇現象の本や友達が話していた怖い話、いろいろなことが思い出したくもないのに思い出されてくる。闇は視覚などの情報を奪う代わりにイマジネーションを増幅させる。闇から生まれるイマジネーションは、そのほとんどが恐怖だ。そして朝になり、学校へ行く支度をするころには、トイレに行くための廊下も全く怖くはなくなっている。
 闇とは逆に、光はたくさんの情報を与える。見える、という安心感は、外部からの情報処理能力を活性化させる代わりに、イマジネーションを減少させる。そう、今の日本は光に包まれた国だ。だからそこで暮らすほとんどの人間は、イマジネーションが欠如している。恐怖に対して鈍いのだ。ならば、もう一度闇の恐怖を教えてやる必要があるのではないか。
 俺は、何のために生きるのだろう? このまま生き続けても、行き着くところは死だ。いずれは死ぬという唯一絶対の定めの中で、今日死ぬことと、10年後、20年後に死ぬこととの違いは何なのだろう? 豊かな人生? 意味が分からない…… というよりも、なぜこの世には生物などというものが存在するのか? しかし、考えてみると死が訪れるのは生物だけではない。形あるものはいつか壊れる。太陽はいつか燃え尽き、地球もいつかは消えてしまうのだろう…… つまり、永遠が約束されたものなどこの世にはないということだ。言い換えれば、死こそが唯一の約束なのだ。ならば、約束を果たすことに手を貸すことには正当性があるはずだ。
 人類はたくさんいる。多少の犠牲など取るに足らないことだ。死をリアルに体感することで恐怖がよみがえることによりイマジネーションが豊かになれば、もっと死に向き合う人間が多くなるはずだ。そうなれば、生きることの意味はもっとシンプルに理解されていくだろう…… そして、この世は変わるはずだ……
 橋本浩一、彼もまた、退行主義過激派の思想を持つ者の一人だった。

 

 橋本が物思いに浸っているころ、月明かりに照らされた白石邸の広い庭の真ん中に立ち、見山人美は3メートルほど離れたところに置いたバスケットボールを見つめていた。そして呼吸が整うと、人美はEYE’sの制御モードをセーフティからノーマルに変更し、ボールをコントロールすることに集中した。人美のサイパワーがボールに伝わると、それはスーッと静かに浮かび上がり、彼女の周りを衛星のように回り始めた。完璧なコントロールだった。人美は徐々にボールの円周軌道を広げていき、同時に軌道の高度を上げたり下げたりした。これは、人美が独自に考え出したトレーニング方法だった。最初は紙を丸めた小さな球体から始め、ビニールボール、ソフトボールと徐々に大きさと重さを変えていき、今はバスケットボールでトレーニングしている。
 人美はこのトレーニングを通じて、物の大きさや重さはサイパワーの行使には関係ないことを学んでいた。現に、人美は白石のベンツを数センチ持ち上げたり、建設現場に置かれたパワーシャベルを持ちあげたりすることができた。そして、坂道をマウンテンバイクで上がる泉彩香が「疲れたよ」と言うと、人美はサイパワーで彩香を牽引(けんいん)した。
 大丈夫、いつもと同じ。うまく使えてるわ、と心で言った人美は、大空へのチャレンジを開始した。人美はEYE'sの制御モードをパフォーマンス・モードに切り替えると足元を見た。そしてイメージした、地面から足が離れるところを…… その瞬間、風の動きを感じた後、脚は突然軽くなった。
 よし……
 人美は10センチほど宙に浮いている。
 次は、このまま前に移動……
 そう念じると、人美の体は動く歩道に乗っているかのように、滑らかに水平に移動した。
 少し高く……
 人美は失敗した時のことを考えプールの中央付近に移動し、体の高度を少しずつ上げていった。1メートル、2メートル、3メートル。極めて順調だった。
 OK。今日は調子いいかも……
 そう感じた人美はクリスタル・フィールドを展開した。これで誰かに見られる心配はない。人美はホバリングしているような状態で高度を更に上げ、5メートルほどの高さに上昇した。
 さあ、次はゆっくり小さく旋回……
 しかし、体は思うようには動かない。まるで小回りのきかない大型トラックのように大きな弧を描かないと旋回できない。
 イメージが足りないんだよなぁ…… 鳥になった気分にならないと……
 人美は両手を広げ、左旋回する時に翼を模した両腕を左に大きく傾けてみた。すると、スムーズに小さな旋回が始まった。
 「やったっ!」
 思わず声が出た。しかし、人美の体は左に大きく傾き続け、脚が頭より高くなると……
 バシャーン! 大きな水しぶきを上げ、人美はプールに落下した。
 クリスタル・フィールドに守られた人美はフワフワとプールの水面に浮かんでいた。
 「墜落かぁ~ 鳥って、すごいなぁ~」
 そうつぶやきながら、人美はあおむけに寝転がった。クリスタル・フィールドによって水面に浮かぶ人美の姿は、まるでエアマットで浮かんでいるようだった。人美の目に月が見える。
 絶対飛べると思うんだよなぁ~ 無理なのかなぁ~
 サイパワーが覚醒してからというもの、人美の試行錯誤が続いていた。

 

 ニューヨークのシンボルの一つ、マンハッタン橋。そのマンハッタン島側イースト川のほとりにAmerican Heavy Industries, LTD.(AHI)の本社はあった。執務室で江田克のメールを読んだAHIの上級副社長、スティーブン・シンプソンは怒りに震えた。
 ASMOSを超えるほどのシステムだと。沢木め、どこまで俺に逆らう……
 沢木聡のEFC論理が発表された時、シンプソンは沢木をAHIに誘った。しかし、沢木はボーイング社とのフライトシステム開発を選びシンプソンの誘いを断った。そして2回目は、沢木がMITを卒業し相模重工を選んだ時だった。そして相模は革新的制御システムの製品実装で次々と成功し、大きな利益を上げると同時にライバルを振り切った。AHIは相模に次ぐ世界第2位とはいえ、売り上げはダブルスコア以上離されている。
 これ以上、相模にやられるわけにはいかない。
 AHIの製品開発を統括するシンプソンには焦りがあった。金に糸目はつけない。詳細な情報を入手しろとシンプソンは江田に返信した後、同志に電話をした。同志とは、アメリカ上院議員のアーノルド・クーパーで、反日派の急先鋒(せんぽう)と知られる人物である。クーパーは、今日はニューヨークに滞在している。いいタイミングだ、彼に相談しよう。シンプソンはクーパーの泊まるホテルで会う約束をした。
 1985年にプラザ合意が行われたことでも有名なプラザホテル。そのスイートのリビングルームでブランデーを飲み交わしながら二人は会話をしていた。
 AHIの上級副社長、シンプソンが言った。
 「EMSオリエントになかなか使える日本人がいるんだが、そいつから相模重工がまた新しいシステムの開発に着手しているというニュースを聞いたよ。全く沢木さえ獲得できていれば立場は逆だったものを」
 上院議員のクーパーは葉巻を吹かしながら答えた。
 「なぁーに、ゲームは終わった訳じゃなかろう。逆転のチャンスはまだあるさ」
 「例の法案、何とかならないだろうか?」
 「残念だが、今の腰抜け政権にそんな度胸はないさ。それに、国内シュアを取り戻したところで、君は満足しないだろう」
 「確かに。世界シュアの奪還こそ、AHI、いや、オルグが目指すべきものだ。何としても新システムの情報を手に入れて、巻き返しを図らなければ」
 「オルガナイザーは使えないのか?」
 「私の知る範囲では、相模にオルガナイザーはいない。アジアは開拓が不十分だ。EMSオリエントの男がやってくれることを祈るだけだ」
 「ならば、もっと大きな取り組みも我々には必要ではないかね?」
 「もっと大きな?」
 「そうだ。沢木を手に入れたいのなら、相模ごと手に入れるということもできる」
 「買収ということか? しかし、相模の時価総額は600億ドルだぞ」
 「高いものは値を下げればいいだろう」
 「どうやって?」
 「たたきのめすのさ…… OEC(オリエント経済共同体)の好景気をいいことに、極東の連中はいい気になり過ぎている。まるで世界の中心はアジアとでも言わんばかりだ。見せしめのために、相模はちょうどいいではないか……」

 

続く……

2012年9月26日水曜日

小説『エクストリームセンス』 No.6

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 7月4日、日曜日の9時。沢木聡が自宅の研究室でエクストリームセンスの設計を見直していると、スマートフォンが見山人美の来訪を告げた。人美は研究室にやってくると、昨日見た夢について語り始めた。
 「沢木さんと初めて会った時のこと覚えてる? 私が自転車で散歩している時に、たまたま沢木さんの弾くピアノを聞いて、その音に呼び寄せられて沢木さんの家に行った時のこと」
 「もちろん、覚えているよ。あの時弾いていた曲はオネスティだ」
 「そう、昨日その時の夢を見たの。でも、あの時とは違って、沢木さんの横に女の人が立ってたの」
 「何だかちょっと怖いね」
 「でも、きれいで優しそうな人よ。身長は160センチくらい、とっても細い人。多分40キロ台前半かなぁ……」
 「随分と鮮明な夢だね」
 「ええ、近くによって会話もしたわ」
 「どんな?」
 「あなたは誰? って声をかけたら、驚いたような顔をしているから、何をしているの? って聞いたの。そしたら立ち去ろうとしたから、彼女の前に出たの」
 「表情まで読み取れたんだ。夢とは思えないね」
 「うん、すべてが鮮明だった。で、もう一度あなたは誰って聞いたら名前を教えてくれたわ」
 「何ていうの?」
 「ズオメイって聞こえた」
 「ほう、中国的な名前だね」
 「彼女は迷い込んでしまったの。だからもう行くわって言ってその場から消えていった。私はとてもいい人に思えたから、もう迷い込まないでねって言いながら手を振って見送ったの」
 「ほう…… しかし人美さんの見る夢なんだから、ただの夢ではなさそうだね。そのズオメイという人をESで調べてみようか?」
 人美はニコッとして答えた。
 「沢木さんならそう言うと思ったわ」
 人美はリクライニング・シートに座ると、リラックスできる姿勢に背もたれの角度を調整し、人美とASMOSとのインターフェースとなるヘッドアセンブリと、心拍を測定するための指センサーを左手の人差し指に装着した。このヘッドアセンブリは、大小10個の白いパッドで構成され、一つひとつのパッドにPPS(サイコロジカル・パルス・デバイス)が数個から数十個埋め込まれ、それらのパッドはゴム製のバンドと通信ケーブルでつながれていた。そして、後頭部を覆う一番大きなパッドからは、ASMOSとつながるインターフェース・ケーブルや電源ケーブルが接続されている。人美の座るリクライニングシートの近くには沢木のデスクがあり、その上のFuture Baseマシンによってシステムがコントロールされる。デスクの正面の壁には、ESの動作をモニターするための60インチ液晶ディスプレイが2台掛けられていて、そこに映る様々な情報をもとに、沢木は人美のESをリードする。
 準備が整うと、沢木はヘッドセットのマイクに言った。
 「2021年7月4日、9時38分。沢木ラボにて見山人美さんによるESを開始する。では人美さん、始めていいかな?」
 音声は記録として録音されていた。
 「はい、OKです」と言って人美が目を閉じると、沢木は天窓のブラインドをリモコン操作で閉め、室内を暗くした。そして、人美とASMOSがオンラインになると、部屋の隅のラックにマウントされた10台のサーバーからファンのうなる音があがった。人美、ヘッドアセンブリ、研究室のFuture Baseマシンとサーバー、そして相模重工本社のASMOS。これらが一体となったエクストリームセンスが稼働を開始したのだ。すると、人美の脳裏には青白く光る大きな球体が現れた。そこに沢木の声が届く。
 「さて、人美さん。さっきも言ったようにズオメイは中国的な発音だ。まずは、この発音に該当する漢字を探しだそう」
 人美は「ズオメイ」、「中国語」、「発音」などの検索キーワードをASMOSに送った。すると、青白い光の中から関連する文字や映像、音声情報などが次々と浮かび上がり、やがてそれらの情報は大小様々な情報の塊――インフォキューブ(Info Cube)となって青白い光の中をクルクルと回り出した。
 インフォキューブは、人美の意識が作り出すASMOSのフィードバックを認識する際のイメージであり、関連性の強い情報がサイコロのような立方体となったものである。そのインフォキューブはフラクタルな構造(情報が集まりインフォキューブを作り、そのインフォキューブが集まり再びインフォキューブを作る、という構造)になっていて、全体のことを情報の浮かぶ雲――インフォクラウド(Info Cloud)と沢木たちは呼んでいた。人美はこのインフォクラウド上のインフォキューブをトレースしながら、情報のつながりが作り出す意味を理解することができるのだ。
 ESがインターネットの検索エンジンと根本的に違うところは、人間が持つ高度な情報処理能力をASMOSが学習し、人間の脳の情報処理能力を拡張するような形でネットワーク上からかき集めた膨大な量の情報を処理できるところにある。例えば、「渋滞」と「事故」という情報があった時、人間は「渋滞の原因となるのは事故、よって事故により渋滞」というように単なる二つの単語から意味を推論することができる。さらに、「雨によるスリップ事故」という情報があれば、「事故によって渋滞が起こっているのは雨が降っている地域」と推論を膨らますことができ、このような情報の意味的つながりを様々に処理することによって、最終的には事実にたどり着くことができる。このような情報処理の手法自体は、ES以前にもあったが、情報の意味づけを辞書のようなものによってコンピュータに理解させるため、十分な性能を発揮することができなかった。しかし、ESは人間の脳による高度な意味推論をリアルタイムで学習し、これを即座にフィードバックして更にその結果を学習するという画期的な要素によって、同種のシステムをはるかに凌駕(りょうが)する情報処理能力を有しているのだ。人の情報処理能力の限界をテクノロジーで突破するという点で、このシステムはまさに超感覚――エクストリームセンスというにふさわしかった。
 しかし、ESの効用はこれだけではなかった。ASMOSと一体化した人美のサイパワーは通常時の力をはるかに超え、空間を超えてサイパワーを行使することができた。そして、その力が初めて発揮されたのが、東京国際フォーラムに押し入ったテロリストが持つ短機関銃を無効化した時だった。あの時、人美は沢木とこの研究室でESをテストしていた。ESによって活性化された人美の脳は、インフォクラウドの膨大の情報を自身の記憶や知識で補完することによって、後にサイバーワールドと呼ぶことになる仮想世界を脳内に展開したのだ。その時、テロ発生のニュースがインフォキューブに現れ、この情報を詳しく収集し始めた人美は、政府のセントラルネットをクラッキングし、SOPのネットワークから関連情報を入手することによってテロ現場の状況を理解し、更にテロリストの持つ短機関銃をサイコキネシスによって発射不能にするという離れ技をやってのけたのだ。
 沢木はESによって整理された情報をディスプレイで確認しながら言った。
 「OK、人美さん。こちらのディスプレイでも人美さんの捉えた情報がモニターできたよ。もう答えに近づいているようだね」
 ESを操る人美の出した推論はこのようなものだった。
 「ズオメイ」の「メイ」は「美」という漢字。中国の女性の名によく使われる。名前は二文字が多いので、「ズオ」を一文字とすると発音が近いのは「奏」という漢字。「奏美」の発音はZoumay。片仮名表記としては「ズオメイ」より「ズウォメイ」の方が発音に近い。
 そして人美が「Zoumay」で検索すると、Zoumay Emersonがヒットしその写真がインフォキューブと沢木の見るモニターに映し出された。
 「この人だわ。間違いない……」
 人美のその声を受け沢木は詳細情報に目をやった。
 「ニール・エマーソンの娘。彼女はアメリカの民間軍事会社の娘だよ」
 人美はESによって、ニール・エマーソンやEMSについて瞬時に理解した。
 「どうしてこの人が夢に出てきたんだろう? EMSなんて初めて知ったわ」
 「人美さんのパワーが何かを暗示している可能性があるね」
 「ズウォメイさんって、養女なんだね」
 「ニール・エマーソンはもともと武運に恵まれている男だったが、養女を得てからは更に会社が発展してる。今では世界一の民間軍事会社だからね」
 「ファンタジスタなのかなぁ」
 「んん、今ここに人美さんがいることを考えれば、他にファンタジスタが存在していたとしても何の不思議もないね」
 「どんな力を持ってるんだろう?」
 「ニール・エマーソンと娘との関係を調べてみようか。彼の子煩悩は有名だから」
 沢木がそう言うと、人美の脳裏に浮かぶインフォクラウドが動き出し、エマーソンが記者会見や雑誌のインタビュー、パーティーなどで語った言葉の記録が現れた。その断片は……

  ……ズウォメイは私の幸運の女神だ……未来が見える時がある……感がさえている……ズウォメイは私に幸運をもたらす……時々、神の啓示がある……ズウォメイは私に多くのものを与えてくれた……ズウォメイは神から授かった宝だ……この世には、我々の知らない世界がまだまだあるのだと思う……戦いを有利に進める唯一の方法は、未来を予測することだ……いつかこの運も尽きるかもしれない……ズウォメイこそ私の宝だ……困難な道でも、解決の道筋は必ず示されてきた……ズウォメイと出会ったのは運命だと思う……戦いのたびに、私は運命を感じる……戦いに勝つ者は幸運な者だ…………

 というようなものだった。沢木は言った。
 「宗教的な世界観だな。まあ、珍しいことではないか…… 人美さん、インフォキューブの粒度を変えてみよう」
 人美がESに処理命令を発すると、エマーソンの言葉の関連性がインフォクラウドとして人美の脳裏に展開され、沢木の見つめるモニターには共起ネットワークとしてグラフィカル表示された。グラフィックからは、戦いを勝利に導く者としてズウォメイが存在し、その勝利の要因として、未来の予測が重要であることが読み取れた。
 沢木は仮説を立てた。
 「彼女には予知能力があり、それがエマーソンを勝利に導いているのかもしれない」
 「サイパワーを戦争に使っているということ?」
 「私も人美さんとの研究をビジネスにしている……」
 人美は笑顔で答えた。
 「沢木さんはいい人だわ」
 「ありがとう。きっと彼らも同じだよ。この写真を見てご覧……」
 それはズウォメイが二十歳を迎えた時の親子二人の記念写真であり、インターネット・ニュース・メディアに掲載されたものだった。二人の表情から読み取れることは……
 「すてきな親子ね」
 人美の感想に沢木が答えた。
 「悪い人ではないと思うよ」
 「うん」
 「でも、ESが使い方を誤れば脅威となるように、彼らにもその危険性はある。不思議だね。私たちの相似形のようだ」
 「次はどうするの?」
 沢木はESを停止させ、照明の照度を少しだけあげると人美に近づいていった。脳裏からインフォクラウドが消えた人美は目を開け、近づいてくる沢木に「この前の力を使えばもっといろいろなことが分かるかも?」と提案した。
 「今日はこのくらいにしておこう。人美さんも疲れたでしょ?」
 「でも……」
 人美はモヤモヤとした気分を早く晴らしたいと思っていたが、沢木はそれを制した。
 「我々は誰もやったことのないことをしている。だから何が正解で何が間違いかを一つひとつ確かめながら進んでいかなければならないんだ。ゆっくり、焦らず行こう、ねえ?」
 沢木は人美のヘッドアセンブリを外してやった。

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.5

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 7月3日土曜日。見山人美はマウンテン・バイクに乗り沢木聡の家へと向かっていたが、ペダルを真剣にこいではいなかった。最初のころは、坂道がきつい時だけサイパワーを使っていたのだが、最近はペダルをこぐまねをするだけだった。サイパワーをこんなことに使ってよいのだろうか? そんな考えが初めのうちはちらついていたのだが、泉彩香の一言、「車やバイクと同じでしょ」によってそのような考えは薄らいでいった。
 人美はEYE'sのおかげでサイパワーをかなり自由にコントロールできるようになってきたが、そうなると次第に日常生活の中でサイパワーを使うことが増えてきた。何か物を取る時も、手足を動かさずにサイパワーで取ってしまうのだ。ちょっとした場面で簡単にサイパワーを使ってしまう自分――それは自分が楽をするために――を思うと、ダースベイダーのように暗黒面に落ちてしまうのではないか? あるいはブクブクに太ってしまうのではないか? そんな考えがサイパワーを使うたびに脳裏をかすめては消えていた。
 何かを得れば何かを失うことがある。人生とはゼロサム・ゲームなのかもしれない――そんな沢木聡の言葉を深く胸に刻んだ人美は、サイパワーを持ったことの意味を常日頃考え続けていた。そして、人美には夢があった。サイパワーを使ってどうしてもやりたいことがあったのだ。空を飛ぶ――まだ実現はしていなかった。

 

 神奈川県の葉山町(はやままち)、この海に面した小さな山の中腹に沢木聡の新居はあった。それまでは、相模重工が用意した小さな戸建ての借家に住み、彼自身もその家を気に入っていたのだが、2年前の拉致事件の後、情報管理室の渡辺昭博から「あのあばら屋では十分なセキュリティは無理だ。秋山と一緒になるのなら、まずはちゃんとした家に住み替えるんだな」と助言され、住み替える決心をした。そして、どうせならば人美のサイパワー研究も行える設備を整えよう。そうすれば人美は同じ葉山にある白石の屋敷から関内(かんない)の相模重工本社まで行かなくて済む。そんな考えの基、沢木は土地を購入し、今年の2月に沢木邸が完成した。
 沢木邸には居住棟と研究棟がL字型に配置されていた。研究棟は地上1階地下1階建てで、研究室は地下にあった。居住棟は山の斜面にある土地のため、研究棟より1階分高い位置が1階となる地上2階地下1階建ての構造だった。どちらも緩やかなウェーブの重なり合う白を基調とした手塗りの壁で、最初に沢木邸を見た時の秋山美佐子の感想は、南国のリゾートホテルみたい、というものだった。敷地面積705.5平方メートル、延べ床面積413.9平方メートル。独りで住むにはあまりにも広い邸宅だったが、いずれは秋山がきて家族が増え、研究のために仲間たちが訪れることを考えれば、規模的には相応といえるものであったが、研究設備をも含めた総建築費数億円というスケールは、特許料による資産があればこそ実現できたものだった。
 見山人美は沢木邸の門に設置された認証装置の前に立つと、ビデオカメラを見ながら呼び出しスイッチを押した。すると顔認証システムが人美と認め門を自動開閉し、人美はマウンテンバイクを研究棟へと進めた。門から研究等までは石畳が真っすぐに16メートル伸びている。その右手に居住棟が、左手には車を5台駐車できるアスファルトのスペースが広がっていた。人美は研究棟の左手奥にある芝生がひかれたテラスの近くにマウンテンバイクを止めると、二つ目のセキュリティとなる研究棟のエントランスへと向かった。研究棟のセキュリティは、整脈認証、顔認証、声紋認証の3つによって行われるが、これは、許可を得た人間が、自らの意思で認証を受けていると見なすためであり、相当強固なセキュリティと考えられた。
 人美が研究棟に入ると、沢木邸のもう一人の住人、NGR-X0が人美を出迎えた。
 「こんにちは、ゼロ」
 「こんにちは、人美さん」
 ゼロはNGRプロジェクトの試作初号機であり、2号機であるX1の完成後は沢木の下でASMOSによる自律制御の研究が行われいた。体長80センチのゼロは、一見するとSF映画に出てくる意思を持ったロボットのようだが、あくまでもプログラムに従って動作しているだけである。ただし、ASMOSと連携しているため、経験帰還――すなわち学習をしていくことにより意思を持つかのような振る舞いを見せる時がある。例えば、「こんにちは」っと声をかけられると、その規則性を人物やイベント日時から学ぶことで、時刻を踏まえた適切なあいさつを人工声音で発するようになる。人美や泉彩香と接することの多いゼロは、「こんにちは」っと返す時に手を振って首をややかしげるという、女性的な動作をするようになっていた。

 

 「ゼロ、電気をつけて」
 人美がそう言うと、ゼロは沢木邸の制御システムに無線LANでアクセスし、ミーティング・ルームの照明をつけた。人美は地下研究室の入り口のロックをゼロに解錠させ、階段を下りてその中へと入っていった。研究室は地下にあったが、天井には採光用の大きな天窓があるために明るく照らされ、白い床や壁が輝いていた。壁際には沢木の蔵書がずらりと並び、沢木のデスクと人美がエクストリームセンスを使用する時に使うリクライニング・シートが部屋の真ん中に置かれていた。人美はリクライニング・シートの背もたれを倒すと、天窓から見える空を仰いだ。人美はこの空間が好きだった。相模重工の研究室は、銀色の鉄板に覆われたいかにも研究室という空間で、正直あまり好きではなかったが、この研究室はリラックスできる空間だった。事実、人美のエクストリームセンスのスコアはこの研究室に移ってから劇的に向上し、環境変化に起因すると思われるこの結果は、人美の潜在能力の奥深さを示すこととなった。
 人美が青い空を見つめながら、どうしたら飛べるようになるんだろう? と目下の最大テーマについて考えていると、沢木聡がコーヒーカップを二つ持って研究室に入ってきた。
 「やあ、人美さん。夏休みの計画はできたかな?」
 人美はニコニコしながら言った。
 「ええ、大体ね」
 「ほう、楽しそうな顔をするね。どんなプランかな?」
 人美はその計画を初めて沢木に話した。
 「私、空を飛べるようになりたいの」
 「ええっ! 空を」
 「そう。今少しずつ練習しているんだけど、少しの高さなら自分の体を宙に浮かすことができるの。練習を重ねれば飛べると思うんだ」
 そんなことを人美が考えているとは思わなかった沢木は驚いたが、確かに、かなりの重量物でも浮遊させることのできる人美のサイコキネシスを応用すれば、自身が飛行することも可能と思われた。
 「驚いた。でも、確かに可能性はあるね。で、飛べたら何をするの?」
 「普通に旅行かなぁ。京都とか、北海道とか」
 「純粋に移動手段ということか」
 「だって、宅配のバイトをするわけにはいかないでしょ?」
 沢木は笑いながら答えた。
 「確かにね。でも、成功したとして飛んでる姿を見られたら大変だよ。何か対策を考えないと」
 人美は得意げな顔で答えた。
 「実はね、もう用意してあるの」
 「へえ、どんな?」
 「クリスタル・フィールドって名前をつけたんだけど、それで体を覆うと透明とまではいかないけど、姿を見えにくくすることができるの」
 「それはすごい。そんな技をいつの間に身につけたの?」
 「先週くらいかなぁ。彩香のアイデアをイメージして練習を重ねたらできるようになったの。彩香は光学迷彩だねっていったけど、それではパクリだから私がクリスタル・フィールドって名付けたのよ。見てみる?」
 「もちろん、やって見せて」
 人美はリクライニング・シートから立ち上がり、コーヒーカップを置くとEYE'sのコントローラーであるスマートフォンを取り出し、制御モードをパフォーマンス・モードに切り替えた。そして「行くよ」と言ってクリスタル・フィールドを展開した。
 人美がサイパワーを発動する時には必ず気流が発生するが、この時も人美に吸い込まれるかのような緩やかな気流が発生した。そして薄い氷のような物体が人美の全身を覆った後、キュキュッと小さな音が鳴り人美を包む物体は蜃気楼(しんきろう)のような空間の揺らぎとなって人美の体を消した。沢木は驚きの声をあげた。
 「すごい! すごいね! できるんだ、こんなことが……」
 人美はクリスタル・フィールドを解除し、ウィンクしてから言った。
 「でしょっ!」

 

 

 太平洋標準時で土曜日の10時を過ぎたころ、ズウォメイ・エマーソンは自室のソファに座り、レモンとローズマリーなどで煎じられたハーブティーを飲みながら、目を閉じて集中力を高めていた。部屋のカーテンは閉められ、ソファ横の小さなテーブルに載ったスタンドライトがズウォメイを照らしていた。彼女は今、コンシャスネス・ネットワーク・ダイブ(Consciousness Network Dive)と自称するサイパワーを使う準備をしているところだった。
 コンシャスネス・ネットワーク・ダイブとは、他人の意識に潜入――ダイブして情報を読み取る能力で、更にダイブした意識が認識している第三者の意識へと移動することができた。例えば、見山人美の意識にダイブし、人美の意識が認識している泉彩香の意識に移動し、更に彩香が認識している別の人物の意識にというように、意識のつながり――コンシャスネス・ネットワークを通じて様々な人間の意識から情報を読み取ることができるのだ。ズウォメイが今回ダイブしようとしているのは沢木聡。それは自身の予言、「人のバランスが崩れようとしている」の意味を確かめるために他らない。
 ダイブを行うためには、その対象となる人物の意識を理解することが必要となる。つまり、ズウォメイが理解していない人間にはダイブできないのだ。ズウォメイは沢木と面識がないためその意識への理解度はゼロに近い。そこで、ダイブを成功させるためには――必要な情報を得るためには、できる限り沢木という人間を知る必要がある。ズウォメイは、エマーソンの指示によってEMSオリエントの江田克が集めた情報を丹念に読み込み、また、YouTubeなどにアップされている沢木の講演やインタビューの動画を見て、彼の意識への理解を進めた。しかし、それでも沢木に直接ダイブできないことも考えられるので、沢木をよく知る人間の情報も江田から得ていた。これにより秋山美佐子、岡林敦、白石浩三への理解を深め、沢木に直接ダイブできない時にはこれらの意識から間接的にダイブしようと計画していた。
 ズウォメイの集中力はピークに達していた。呼吸は静まり、脈拍はゆっくりとしたリズムを繰り返していた。そして、夕日が沈むようなとても滑らかでゆっくりとしたスピードで、ズウォメイの意識は沢木の意識へとダイブしていった。他人の意識にダイブするということは、自身の記憶に他人の記憶が追加されるようなイメージである。そして、最も深くまでダイブが成功した時には、過去の行いから未来にしようとしていることまで、他人を真っ裸に暴いてしまう恐るべきパワーなのである。
 一方、沢木はこの時(太平洋標準時10時ごろ、日本時間翌2時ごろ)睡眠中であったが、彼自身の身体に変わったことが起こるわけではなく、ダイブという行為を彼自身も、彼を見る他人の目からも気づくことはできない。しかし、今回は違った……
 ダイブを開始したズウォメイの脳裏には真っ白に輝く空間が広がり、その輝きから浮かび上がるように沢木の記憶がビデオのように再生されていく。しかし、最初のシーンが浮かび上がって間もなく、ズウォメイの前に突然侵入者が現れた。
 「あなたは誰?」
 突然の問いかけにズウォメイは驚いた。
 何ですって!? 私を認識しているの?
 「どうしてここにいるの?」
 それは見山人美の声だった。他人の意識の中でズウォメイを認識しコンタクトを求めてくる者などこれまでは皆無だった。初めての出来事にズウォメイは困惑するとともに、自分以外にもエスパーがいることを生まれて初めて知った。危険を感じたズウォメイは沢木から他の意識へ移動しようとしたが、その行く手を人美に阻まれた。
 「私は人美、沢木さんの友達。あなたは誰? ここで何をしているの?」
 ズウォメイは人美の姿をハッキリと捉えることができた。度重なる人美の質問に、ズウォメイは慎重に答えた。
 「私はズウォメイ。迷い込んでしまったの」
 そして、この状態から早く逃れるべきだと考えた。
 「だからもう行くわ」
 人美は「もう迷い込まないでね。さようなら」と言いながら、ゆっくりと手を振った。ズウォメイは「ええ」と小さくうなずいてから沢木の意識から浮上した。
 ズウォメイは水中から浮上したかのように大きく息を吸い込みながら、飛び上がるように目を開け立ち上がった。呼吸は乱れ、心拍数も上がっていた。しばしの放心状態の後、よろけて手を突こうとした時にティーカップを床に落として割ってしまった。その音が、ズウォメイを正気に戻させた。彼女はソファに座り、深く深呼吸した。
 一方、自室のベットで眠っていた見山人美は、静かに目を覚ました。そして「ズオメイって、誰? 沢木さんの記憶? おかしな夢……」とつぶやいた。

 落ち着きを取り戻したズウォメイは、割れたティーカップを片付けると、どうすべきかを自問自答した。
 エスパーがいるなんて…… 私以外にもエスパーが…… 人美と言う女の力は私よりも強いかもしれない。ダイブを続けるのはリスクがある。でも、真相を突き止められなくなってしまう。人のバランスが崩れるとは、沢木の技術と人美のパワーによって起こるのかもしれない。やるなら、早い方がいい……
 そう考えたズウォメイは、人美を回避するために秋山美佐子をダイブのターゲットに選び、その意識に飛び込んだ。
 秋山の意識は幸せに包まれていた。そして沢木への深い愛情をズウォメイは感じた。これほどの幸福感をもたらす沢木という人間が、意図的に悪事を働く人間とはズウォメイには思えなかった。きっと、何か不幸な出来事が人のバランスを崩してしまうのではないか? そんなことを感じながらダイブを続けた。そして、エクストリームセンス――その言葉をズウォメイは見つけた。秋山の記憶が再生されている。
 秋山を前に沢木が少年のような顔で話している。
 「すごいことを発見したんだ。バイオフィードバックを応用することで、思考制御だけではなく、コンピュータのアウトプットを脳で直接受けることができるんだ。つまり、脳がコンピュータによって拡張されるようなものだよ。すごいでしょ? だから超感覚――エクストリームセンスと名付けることにしたんだ」
 岡林敦と話しているシーンが再生される。
 「ESにはもっとすごい可能性があるんだから。これを聞いたらぶっ飛ぶよ!」
 ズウォメイは秋山から岡林にダイブした。
 「それに彼女、星恵里さん。かわいいし!」
 「彼女はSOPのエースだぞ……」
 岡林の意識に刻まれた記憶をさかのぼっていくズウォメイ。そして、すべてをひも解くシーンにたどり着いた。
 沢木は岡林を前に話をしている。
 「バイオフィードバックのアイデアは、知っての通り人美さんのサイパワーをコントロールするためのものだ。しかし、このメカニズムを使えばシステムは脳とダイレクトに通信できる。これをASMOSと直結すれば、桁違いの情報処理ができるはず――これがエクストリームセンスというアイデアだ。そしてもう一つは、バイオフィードバック量によって人美さんのサイパワーを増強できることから重大な可能性に気がついたんだ。分かるか?」
 岡林は「さあ?」と首をひねった。
 「サイパワーを持たない俺たちも、人美さんのような力を持てるかもしれない、ってことさ」
 岡林は大声をあげた。
 「うそーっ!」
 「いや、多分できる。バイオフィードバック機構を通じて脳内活動全般を活性化することによって、サイパワーを持たない俺たちもパワーを使えるようになる。つまり、サイパワーのあるなしは脳の使い方の問題ということだ」
 沢木が薄く笑うと岡林が尋ねた。
 「まさか、既に実験済みなんですか?」
 沢木はかぶりを振った。
 「いや、まだだ。実証するためにはもう少し準備が必要だ。それに、これが実現してしまったらどうなると思う?」
 「………………」
 岡林の頭は混乱していて言葉にならなかった。沢木は続けた。
 「人のバランス。人々のバランスが崩れてしまい、この世は終焉(しゅうえん)を迎えるかもしれない」
 岡林は整理されないままの疑問を口にした。
 「そこまで行きますか?」
 「人美さんの能力は知っての通りだ。これを政治や戦争、あるいは犯罪。そういうものに利用したらこの世はどうなる? 少なくとも、現在の世の中の仕組みは崩壊する」
 沢木は厳しい表情で言った。
 「このことは、当面二人だけの秘密だ。いいな」

 ズウォメイは岡林の意識から浮上した。
 「人のバランスが崩れる。彼の言葉だったのね。そして人美はエスパー…… 万人がエスパーになれるなんて、そんなことがあってはいけないわ……」

 

 ズウォメイがダイブした日の夕方、父ニール・エマーソンはその結果を伝えられ驚きの声をあげた。
 「何ということだ。ミスター沢木のもとにもエスパーがいて、しかもコンピュータ・システムで誰でもエスパーにできる研究とは…… 驚くべき事実だ」
 ズウォメイは言った。
 「もっと詳しいことを知るためには沢木へのダイブが必要だけど、また人美と遭遇するのはリスクがあるわ。別の方法を考えないと……」
 「しかし、ミスター沢木は倫理観の高い人間だと思うが。これ以上介入してよいものかどうか、私は正直迷う……」
 ズウォメイは静かに答えた。
 「善か悪かは問題ではないわ。問題は、沢木と人美の二人にはすべてがそろっているということなの。善人でも優れた道具を使いきれないかもしれないし、悪人でも能力や環境が整っていなければ害になることはないでしょう。彼らの意に反して、彼らの研究が悪用されてしまうこともあるわ。私は、開発を中止することが一番だと思う。だから、まずは沢木の考え方が知りたいの」
 確かに、沢木と人美にはかなりのものがそろっていた。沢木の技術者としての高い能力、人美の驚異的なパワー、相模重工の資本力…… 二人が正義感に満ちあふれていたとしても、何かのボタンの掛け違いで災いに転じてしまう可能性はゼロではなく、ズウォメイの主張はエマーソンに次の行動を起こさせる強い動機となった。しかし、皮肉なことにこの行動が災いの引き金を引いてしまうのだ。そう、ズウォメイとエマーソン。この二人にも多くのものがそろっていた。ズウォメイの予知能力や情報収集能力、エマーソンの戦略、EMSの軍事力と国際的なネットワーク…… 双方ともにあまりにも強力な剣を天は与えてしまった。そして、そのような剣にぶら下がろうとする人間は必ずいるのだ。
 エマーソンはこの後、次のようなメールを江田克に送った。
 相模重工の沢木聡が開発しているエクストリームセンスというシステムについて、その詳細を調べてほしい。このシステムは、軍事的インパクトが極めて高いと思われる。我々EMSは、その情報を誰よりも早く入手したい。特に、ミスター沢木がそのシステムを使って何をしようとしているのか、そこを探ってほしい。作戦は君に任せるが、EMSの関与が悟られることのないよう万全に頼む。

 

続く……

小説『エクストリームセンス』 No.4

小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。

 

 すべてがうまくいっている、沢木聡はそう考えていた。エクスプロラトリービヘイビアの夏以降、見山人美のサイパワー研究に着手したことは、ASMOSの開発にも大きな成果をもたらした。
 人の思考とは、脳波という電気的な信号として捉えることができるが、それを何かの制御に用いるためには、ある特定の脳波が必要になる。それは、脳の言語野から出力される言語波であり、言語波とは言語レベルの思考により出力される脳波のことである。簡単にいえば、「こんにちは」と心の中で言葉を発した時に出る脳波のことだ。しかし、言語波の波形や出力レベルには個人差があり、人美以前の被験者はそれが弱く不安定で、ASMOSは膨大な学習時間を必要とした。ところが、人美の言語波は強く安定していたために、ASMOSの学習効率が飛躍的に高まったことで、標準的な言語波のパターン・ライブラリーが完成し、より多くの人々の言語波を理解することへの時間が短縮されたのだ。このことは、ASMOSの実用化に大きく貢献した。
 ASMOSの実用化が始まると、相模製品の多くにそれは搭載されていき、他社製品との明確な差別化は相模に巨額な利益をもたらした。それ以前も、相模重工に多大な利益貢献をしていた沢木だったが、ASMOSによるさらなる貢献によって、昨年、35歳の若さで執行役員に就任し、彼の所管する総合技術管理部は、先端技術開発本部に昇格した。
 一方、秋山美佐子(あきやま みさこ)との関係もあの夏以降変化した。それまで沢木の心の中を支配していたかつての婚約者への思いは晴れ、彼に恋心を持つ秋山と素直な心で接することができるようになった。その結果として、二人は昨年の10月――それは秋山の誕生日に、沢木がプロポーズし婚約が成立した。そして人美。
 あの夏のころは彼女の将来を案じてやまなかった沢木だったが、今はそのような心配は一切なかった。人美は明るく元気で、将来の夢や希望に向かって真っすぐに突き進んでいたし、サイパワーを持つという特異な自分の運命とも立派に対峙(たいじ)していた。
 沢木は人美の誕生日パーティーに出席する皆の笑顔を眺めながら、そんなことを考えていた。
 泉彩香はかばんから取り出した人美へのプレゼントを持って言った。
 「はい、私からのプレゼントだよ~」
 それは雑誌くらいの大きさで、赤い包装紙と白いリボンでラッピングされていた。
 「何だろう?」
 人美がうれしそうに包みを開けると、『ファンタジスタ』というタイトルの絵本が出てきた。
 「うわぁ~、彩香の手作り絵本?」
 人美の声に彩香が答えた。
 「あんまり絵は上手じゃないけど、一生懸命作ったのよ」
 人美は「ありがとう」と彩香にほほ笑むと、その絵本をめくっていった。それは、超能力を持つ少女の話だった。少女は最初のうちは自分の力に戸惑うが、超能力を使って友達の迷子になった犬をみつけてあげたり、転びそうになった老人を助けたりし、次第自分が超能力を持ったことの意味を理解していく。そして、少女の超能力を知る友人たちは、少女をファンタジスタと呼ぶようになる、そんな話だった。
 人美の横で一緒に絵本を見ていた秋山が彩香に言った。
 「ファンタジスタかぁ…… 今までエスパーとかサイキックとか言ってきたけど、これからは超能力者をファンタジスタと呼ぶことにするわ」
 このエピソードにより、沢木たちは超能力者をファンタジスタと呼ぶことが定着した。
 白石弘三(しらいし こうぞう)の声が響いた。
 「沢木は? プレゼントは何だ?」
 沢木は笑顔を人美に向け、「もちろん」と言いソファの後ろに隠していたプレゼントを取り出した。彩香が自分のことのように言う。
 「何だろう? ワクワクする」
 人美は彩香と沢木にアイコンタクトを交わした後、プレゼントの入った箱を開けた。
 「うわぁー、カチューシャ!」
 人美はそう言いながら、箱から取り出したカチューシャをテーブルに並べていった。彩香は「6個も! これなんかかわいいねぇ」と言いながら、人美につけてみなよと催促した。沢木は「何にしようかと迷ったんだけどね。ちょうどいいタイミングで第2世代EYE’sが完成したのと、秋山さんから、カチューシャが一つじゃ服装に合わない時があるだろうから、幾つか用意してあげようと言われたので、6パターン、二人で考えたんだ」と言い、秋山が続けた。
 「女の子はおしゃれにしてないとね。デザイン、気に入ってもらえたかしら?」
人美は感激を口にした。
 「ありがとう! とてもすてきよ。秋山さんの言う通り、今のカチューシャ一つだけにちょっと不満だったの。とってもうれしいわ!」
 人美の喜ぶ顔を見てホッとした沢木は、もう一つのプレゼントを出しながら言った。
 「それから、これが新しいEYE'sの端末。今度のはスマートフォンだよ」
 美しい光沢をもったメタリック・レッドのスマートフォンを手渡された人美は、「ありがとう」と声をあげた。沢木は「スマートフォンにすることによって搭載できるデバイスに余裕ができたから、ASMOSの処理能力が良くなってバッテリー寿命も向上している。普通にEYE'sを使うだけなら1日1回程度の充電で済むはずだよ。まあ、彩香さんとの長話があるんだろうけどね」と説明した。彩香は「女の子にはいろいろと語らなければならないことがあるのよ。とても重要なことだわ」といたずらっぽく沢木に言い返すと、彼は「これは失礼」と笑顔で受けた後、人美に「新型EYE’sを試してごらんよ」と続けた。人美は「ええ」と答えながらオレンジ色のカチューシャを選び、小さなディップ・スイッチをオンにして頭に付けた。そして沢木の操作説明を聞きながら、スマートフォンの電源を入れ、カチューシャを模したアイコンをタップしてEYE'sのコントロール・パネルを起動し、サイパワーの制御モードをセーフティからノーマルに変更した。
 「それじゃぁ、おじさまにワインを注(そそ)いでみるね」と人美は言いながらワインのボトルに手のひらをかざした。するとボトルはスーっとほんの少し浮き上がり、ニコニコとする白石に近づいていった。が、急にボトルが浮力を失いテーブルに落ちた。白石は慌ててボトルを押さえた代わりに手に持ったグラスのワインを自分の着物にこぼした。
 「ごめんなさい! おじさま」と人美が発した後、沢木は人美の前にしゃがんで尋ねた。
 「大丈夫? 違和感があるならすぐに外して……」
 白石はワインを拭きながら言った。
 「しっかりしろ、沢木!」
 「ごめんなさい、私が悪いの! 突然、頭の中にイメージというか、予感が走って気が散ってしまったの」
 彩香は「予感って、何?」と言いながら人美に寄り添った。人美が答える。
 「何かが起こりそうな気がする。多分…… 多分、とてもよくないこと……」
 彩香は「やだぁ! 人美。怖いこと言わないでよ」と言って鳥肌の立った腕を擦った。沢木は不安げな表情をする人美からスマートフォンを取り上げると、制御モードをセーフティに切り替えてから「大丈夫だよ」と優しく声をかけた。しかし、心の中でこう続けていた。
 君がそう感じるのなら、きっと、何かが起こるんだろうね……

 

 ズウォメイ・エマーソンの予言――人のバランスが崩れようとしている――は、ニール・エマーソンの脳裏から離れなかった。それは一体どういうことなのか? 人のバランスが崩れるというのなら、そもそも人のバランスとは何なのだろう? 人間同士の関係なのか? それとも生物的なものなのか? いずれにしても、ズウォメイの予言の的中率が高いことは何より自分が体験している。間違いなく何かが起こる…… もしそれが人類にとって災いとなるようなことならば、その前兆を知ってしまった自分が何も行動しないわけにはいかない。彼はそのような使命感のもと、沢木の研究開発内容について、学生時代の論文からYouTubeに掲載されている講演まで、様々な公開情報を一通り調べてみた。しかし、そこに彼を満足させるような情報は見当たらなかった。
 ズウォメイのダイブを頼るしかないか……
 公開情報に限界を感じたエマーソンは、EMSの日本支社――EMSオリエントの江田克(えだ まさる)に電子メールを送り、沢木とその周囲の人間に関する情報を収集するように指示した。
 江田という人物は、陸上自衛隊のレンジャー部隊で兵士としての基礎を身につけた後、アメリカに渡り傭兵(ようへい)としてEMSに雇われた。そして、エマーソンが信頼する部下の一人として、数々の修羅場をくぐり抜けた優れた兵士だった。しかし、彼の価値観はエマーソンのそれとは違って、EMSの傭兵(ようへい)であることが、それなりに彼の金銭的価値観を満足させてくれるという理由だった。
 3年前、EMSはオリエント経済圏への進出を決め、拠点となる日本支社の開業準備のために江田を帰国させ、警備スタッフの訓練を担当させた。そして、2020年に株式会社EMSオリエントが設立されると、彼は人材開発担当部長という肩書きで仕事を続けた。この仕事は江田にとって悪くはない仕事だった。今までのように死のリスクをとらなくても、机に座っていれば今まで以上の年収が得られるのだから。しかし、机に座って考える時間が多くなると、彼はもっと楽をして金を稼ぐ方法はないかと思うようになった。そこへエマーソンからの電子メール。江田はメールを読み終えるとつぶやいた。
 「こいつは、金になるかもな……」

 

 ゲリラ豪雨といつからか呼ばれるようになった局所的な激しい雨が降る7月2日金曜日の午前、沢木聡は先端技術開発本部と産業機械事業部のエンジニアを率いて、東京の晴海埠頭(ふとう)にあるSOP本部を訪れていた。その目的は、開発コードSOP-X1と称される戦術支援ロボットをテストするためだった。
 相模重工は既にASMOSを市場投入し、そのうちの一部は危険作業用ロボットなどに搭載され、日本の原子力発電所の廃炉作業や、旧北朝鮮の核施設解体作業などを行っていた。SOP-X1は、こうしたロボットの人型版であり、商用利用目的のNGR-XをSOP仕様に改良したものだ。この用途は、SOPの戦術支援であり、建物内部などを捜索する際に、SOPの隊員に変わって先陣を切るのだ。
 SOP-X1は、体長80センチで頭部にビデオカメラ、指向性マイク、赤外線センサー、X線カメラを搭載し、SOPの隊員のヘルメットに装着されたPPD(サイコロジカル・パルス・デバイス)により遠隔操作される。また、SOP-X1が捉えた情報は、ヘルメットに装着されたHMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)に投影され、音声情報は通常の無線装置によってフィードバックされる。
 SOP本部の地下にある巨大な空間――そこはSOPの屋内訓練場であり、その空間の半分を占めるスペースには、2階建てのビルを模した構築物がCQB(近接戦闘)訓練用として設置されていた。沢木はその施設をガラス越しに一望できる指令所の一角に陣を構え、SOP-X1のテストを見守っていた。今、SOP-X1を先頭に、4人のSOP隊員が訓練施設に進入し、サーチ&クリアを行っているところだった。
 ディスプレイに映し出された情報を読み取りながら沢木が言った。
 「やはり、あの女性隊員。彼女が一番適性があるな」
 隣に座る岡林敦(おかばやし あつし)が答えた。
 「人美級、とまではいきませんが、他の隊員と比べるとダントツですね」
 「んーん、やはり脳や意識確立の個体差が、ASMOSとの相性を決定づけていると考えるべきだな」
 工業用ロボットの場合、動作のパターンは一定の範囲にとどまるため、思考のパターンもそれに連動して限定されるが、SOP-X1のように様々な状況への対応が求められる対象の制御には、言語波の標準ライブラリーだけでは思考を解析しきれないために、オペレーターとなる者の言語波をASMOSが学習する時間と、言語波を的確にPPDに伝えるための訓練を必要とする。だが、まれに訓練期間が短くASMOSの学習時間も少なくて済む者がいる。SOP唯一の女性隊員にしてエースの星恵里がその一人だった。岡林は「ひょっとしたら彼女、“ES使い”になれるかもしれませんね」と言い、声音を変えて「それに彼女、星恵里さん。かわいいし!」と続けた。うれしそうな顔をしている岡林に沢木は答えた。
 「彼女はSOPのエースだぞ。この前の東京国際フォーラムの事件でも、最初に突入したのは彼女らしい。岡林のかなう相手ではないと思うが……」
 岡林はムッとして言い返した。
 「何ですか、その夢のない言い方は! 第一、僕はテロリストではありません!」
 「ごめんごめい」と沢木は全く感情のこもっていない謝罪をした後、再びディスプレイを見ながら言った。
 「ES使いかぁ…… 確かに彼女ならできるかもなぁ……」
 星恵里は不思議な感覚を覚えながら訓練を続けていた。彼女の左目を覆うHMDにはX1の捉えた映像が見え、自分の意のままにコントロールできた。「右に曲がって止まり、赤外線センサーに切り替える」と心の中で言葉を発すると、HMDにはその通りの結果が返ってくる。
 まるで、自分の意識が広がったみたい……
 そんなことを思いながら、星はX1をコントロールしていた。
 X1のテストを終えた沢木は、一足先に社に戻るべくSOP本部の玄関ロビーに立ち迎えの車が来るのを待っていた。すると、沢木を呼ぶ声とともにSOPの捜査官、里中涼が現れた。里中は足早に沢木に近づくと切り出した。
 「沢木さん、参考までに伺いたいことがあるのですが、先日の東京国際フォーラムでのテロ事件、実は不思議なことがありましてね。6人の犯人はいずれも短機関銃のMP5を所持していたのですが、その6丁すべての撃鉄バネが折れていて、銃弾が発射できない状態になっていたんです。うちの銃器の専門家に検証させたんですが、撃鉄バネが今回のように折れた状態では、MP5を組み立てることは不可能だと。しかし、連中は犯行直後、人質を威嚇するために数発発砲しています。つまり、その発砲から我々がバネの異常に気づくまでの1時間程度の間に、6丁すべての撃鉄バネが発砲不能な状態に折られたということなんです。不思議でしょ?」
 そりゃ不思議だろうなぁ……
 沢木は里中の話を聞きながら思った。
 そして、その謎は永遠に解けないだろう……
 「そんなことがあったんですかぁ…… それは確かに不可解な出来事ですね」
 「何か解決のヒントはありませんかね?」
 沢木は苦笑しながら答えた。
 「さあ? 私の専門は制御システムです。残念ながらそのような謎に答えられる知識はありません」
 「そうですかぁ…… 最近は不思議なことが多くて、何て言ったらいいのか、奇妙な力がいろいろなところで働いている。そんな感じです……」
 「いろいろな? そんなに不思議なことが多いのですか?」
 沢木が知る限り、里中が人美のサイパワーの遭遇したのは2年前のあの事件と今回の2回しかないはずだった。
 「ええ。私はある仮説を持っているんですが、この世の中には何か得体の知れない力、あるいは意思が働いていて、世の中で起こる幾つかの出来事はその力にコントロールされた結果なのではないか? そんな風に考えているんです」
 「秘密結社のような? それとも不可思議現象ですか?」
 「ええ、まあそんなものかもしれません」
 里中は笑った。
 「なるほど、興味深い御意見ですね。ひとつだけ私に言えることがあります」
 「何ですか?」
 「先ほどコントロールという言葉を使われましたよね。これは私の専門領域です。コントロールするためには、制御対象にインプットを加えるだけでなく、そのアウトプットからインプットを補正しなくてはなりません。一言で言えば、この循環が制御――コントロールというものです。里中さんがおっしゃるような不思議を解明するためのヒントは、インプットとアウトプットのインターフェースが何なのかを解明することかもしれません」
 「それは、人間を洗脳するようなケースでも同じですか?」
 「制御とはすなわち支配です。その構図は大げさに言うならば宇宙の法則であり森羅万象、すべてに共通のものです」
 「なるほど、大変参考になりました」
 沢木は声音を変えて言った。
 「まあ、どんなことにでも理由が必ずありますから、いずれ明らかになるのではありませんか?」
 「そうであればうれしいのですが…… ところで、見山人美さんはお元気ですか?」
 「ええ、5月で二十歳になりました。青春を謳歌(おうか)しているようです」
 「そうですかぁ…… いずれお目にかかりたいですね」
 「里中さんを始めSOPのみなさんは私と人美さんの恩人です。伝えれば喜ぶでしょう。そのうち機会を作りましょう」
 「ええ、是非」
 沢木を見送った里中がオフィスに戻ろうとすると、「里中さーん!」と言いながら星恵里が駆け寄ってきた。里中はうれしそうな顔で答えた。
 「やあ、恵里さん」
 「今の沢木さんでしょう。里中さん、沢木さんと何を話したの?」
 興味津々の星だったが、里中は真面目に答えなかった。
 「別に、単なる世間話。ゲリラ豪雨なんて、ネーミングがよくないとか……」
 星はいぶかしく思いながら言った。
 「そんな会話をする二人には思えないけど…… 何だか怪しいわ、今度は何をたくらんでいるの?」
 里中は首を大きくかしげた。「本当かしら?」と不満そうな顔をする星に里中は少し大きめの声で話題を変えた。
 「まま、そんなことより、X1はどうだったの?」
 「聞きたい?」
 「うん」
 星はにっこりとほほ笑んでから答えた。
 「一言でいえば、エスパーになった気分かしら…… 感覚というか、意識というか、そういうものが広がった感じがするの……」
 「へえ、すごいね。エスパーかぁ……」

 沢木聡を乗せた黒いSAGAMI FC380――それは相模重工の子会社、相模自動車が製造する高級大型セダンであり、ベンツ、BMWと並んで国際的に人気のある車である――は、情報管理室の進藤章(しんどう あきら)の運転によって14時過ぎに横浜市中区の相模重工本社に到着した。
 社用車であるSAGAMI FC380の運用は、通常、相模重工に直接雇用された運転手によって行われているが、沢木が使用する時には情報管理室の室員――情報管理室は相模重工の機密情報を守るために設立された部署であり、主に元警察官で構成されている――が運転することになっている。これは、2年前の沢木拉致事件を契機に開始された運用である。
 車を降りた沢木は、36階建ての相模重工本社ビルのエントランスに入り、役員クラス用のセキュリティ・ゲートにICカードをかざして抜け、ガードマンたちに会釈をしながらエレベーター・ホールへと進んだ。
 相模重工業株式会社での沢木の役職は、執行役員先端技術開発本部長であり、そのミッションは、沢木のEFC(Experience Feedback Control)論理を発展、応用し、相模製品に実装することである。配下の先端技術開発本部にはプロジェクト管理部、制御システム開発部、意識科学研究室、ASMOS運用管理センターの4セクションから構成される総員394名が在籍し、相模重工本社ビルの22階と23階の2フロアに陣を構えていた。
 23階でエレベーターを降りた沢木は、受付のガードマンに「ただいま」と声をかけ、ICカード認証によりセキュリティゲートを抜けプロジェクト管理部のフロアに出ると、再び「ただいま」とあいさつし、特にフィアンセの秋山美佐子には、アイコンタクトと笑顔でただいまっと口を動かした。
 プロジェクト管理部の奥にはガラス張りの個室があり、これが沢木のオフィスとなっている。そこからの眺望はすばらしいもので、眼下に横浜港が広がり、左から右へランドマークタワー、大桟橋埠頭(ふとう)、横浜ベイブリッジ、氷川丸といったランドマークを眺めることができた。視界のよい日には東京スカイツリーを見ることもできるし、夜になれば横浜のネオンが目を楽しませてくれた。その眺望を見ながら、沢木は様々な思索を行い、技術を生み出してきた。
 3台の23インチワイドディスプレイが弧を描いて並ぶデスクについた沢木は、2台のコンピュータの電源を入れた。1台はシングル・ディスプレイのWindowsマシンで、インターネットやメール、社内システムの利用、ビジネス文書の作成などに使われている。もう1台はデュアル・ディスプレイの開発機で、これにはLinuxをベースに沢木たちによって改良されたOS――Future Baseがインストールされている。Future Baseマシンには統合開発環境であるFuture IDE(Integrated Development Environment)が組み込まれ、ここでエクスフィール(exfeel: Experience Feedback Control Language)というプログラミング言語によってASMOSなどのEFCシステムが記述されている。Feature IDE、exfeel、さらにはプロジェクト管理システムやバージョン管理システムなど、開発に必要となるソフトウェアは基本的に沢木たちによって開発されている。かつては、オープン・ソース・ソフトウェアをそのまま利用していたこともあったが、チームの開発生産性を高めるために、次第開発ツール群の内製化が進んだ。特にプログラミング言語のexfeelは、沢木が学生時代から開発してきた言語であり、近年は岡林敦の思想を取り込み、幾つかの言語特性を統合したマルチ・パラダイム言語に発展している。
 17時30分、終業を知らせるチャイムがスピーカーから流れた。沢木は視線をディスプレイから窓の外に移し、雨がやみ美しい夕日が横浜の街を照らしていることに気がついた。今日は満足できる1日だった。SOP-X1の開発は順調であるし、SOP隊員の星恵里から貴重な言語波データを採取することができた。そして、ASMOSを使った新システムのバーンダウンチャートは開発が計画通りに進捗していることを表していた。
 沢木は新システムにエクストリームセンスという名をつけ、略してESと呼んでいた。これは人間の脳とストリーム・コンピューティングをASMOSで結合することによって、いわゆるビッグデータを直感的に処理することができるシステムで、完成すれば商用活用はもちろんのこと、様々な研究開発、軍事利用など、その用途は無限大と思われている。しかし、ESの制御は脳内活動全般で行うため、言語波以外にもASMOSは人間の様々な意識活動を学習しなければならず、今のところESをコントロールできるのは見山人美ただ一人だった。
 沢木はシステム手帳の予定に目をやった。明日の土曜日は人美が沢木の自宅研究室にやってきて、ESのテストをすることになっている。
 「後は明日にして、今日はあがるとするか……」
 沢木はそうつぶやくと、内線電話を取って秋山に電話した。

 

続く……