小説『エクストリーム センス』は笹沼透(Satohru)の著作物であり、著作権法によって保護されています。無断で本小説の全部または一部を転載等利用した場合には、民事罰や刑事罰に問われる可能性があります。
7月4日、日曜日の9時。沢木聡が自宅の研究室でエクストリームセンスの設計を見直していると、スマートフォンが見山人美の来訪を告げた。人美は研究室にやってくると、昨日見た夢について語り始めた。
「沢木さんと初めて会った時のこと覚えてる? 私が自転車で散歩している時に、たまたま沢木さんの弾くピアノを聞いて、その音に呼び寄せられて沢木さんの家に行った時のこと」
「もちろん、覚えているよ。あの時弾いていた曲はオネスティだ」
「そう、昨日その時の夢を見たの。でも、あの時とは違って、沢木さんの横に女の人が立ってたの」
「何だかちょっと怖いね」
「でも、きれいで優しそうな人よ。身長は160センチくらい、とっても細い人。多分40キロ台前半かなぁ……」
「随分と鮮明な夢だね」
「ええ、近くによって会話もしたわ」
「どんな?」
「あなたは誰? って声をかけたら、驚いたような顔をしているから、何をしているの? って聞いたの。そしたら立ち去ろうとしたから、彼女の前に出たの」
「表情まで読み取れたんだ。夢とは思えないね」
「うん、すべてが鮮明だった。で、もう一度あなたは誰って聞いたら名前を教えてくれたわ」
「何ていうの?」
「ズオメイって聞こえた」
「ほう、中国的な名前だね」
「彼女は迷い込んでしまったの。だからもう行くわって言ってその場から消えていった。私はとてもいい人に思えたから、もう迷い込まないでねって言いながら手を振って見送ったの」
「ほう…… しかし人美さんの見る夢なんだから、ただの夢ではなさそうだね。そのズオメイという人をESで調べてみようか?」
人美はニコッとして答えた。
「沢木さんならそう言うと思ったわ」
人美はリクライニング・シートに座ると、リラックスできる姿勢に背もたれの角度を調整し、人美とASMOSとのインターフェースとなるヘッドアセンブリと、心拍を測定するための指センサーを左手の人差し指に装着した。このヘッドアセンブリは、大小10個の白いパッドで構成され、一つひとつのパッドにPPS(サイコロジカル・パルス・デバイス)が数個から数十個埋め込まれ、それらのパッドはゴム製のバンドと通信ケーブルでつながれていた。そして、後頭部を覆う一番大きなパッドからは、ASMOSとつながるインターフェース・ケーブルや電源ケーブルが接続されている。人美の座るリクライニングシートの近くには沢木のデスクがあり、その上のFuture Baseマシンによってシステムがコントロールされる。デスクの正面の壁には、ESの動作をモニターするための60インチ液晶ディスプレイが2台掛けられていて、そこに映る様々な情報をもとに、沢木は人美のESをリードする。
準備が整うと、沢木はヘッドセットのマイクに言った。
「2021年7月4日、9時38分。沢木ラボにて見山人美さんによるESを開始する。では人美さん、始めていいかな?」
音声は記録として録音されていた。
「はい、OKです」と言って人美が目を閉じると、沢木は天窓のブラインドをリモコン操作で閉め、室内を暗くした。そして、人美とASMOSがオンラインになると、部屋の隅のラックにマウントされた10台のサーバーからファンのうなる音があがった。人美、ヘッドアセンブリ、研究室のFuture Baseマシンとサーバー、そして相模重工本社のASMOS。これらが一体となったエクストリームセンスが稼働を開始したのだ。すると、人美の脳裏には青白く光る大きな球体が現れた。そこに沢木の声が届く。
「さて、人美さん。さっきも言ったようにズオメイは中国的な発音だ。まずは、この発音に該当する漢字を探しだそう」
人美は「ズオメイ」、「中国語」、「発音」などの検索キーワードをASMOSに送った。すると、青白い光の中から関連する文字や映像、音声情報などが次々と浮かび上がり、やがてそれらの情報は大小様々な情報の塊――インフォキューブ(Info Cube)となって青白い光の中をクルクルと回り出した。
インフォキューブは、人美の意識が作り出すASMOSのフィードバックを認識する際のイメージであり、関連性の強い情報がサイコロのような立方体となったものである。そのインフォキューブはフラクタルな構造(情報が集まりインフォキューブを作り、そのインフォキューブが集まり再びインフォキューブを作る、という構造)になっていて、全体のことを情報の浮かぶ雲――インフォクラウド(Info Cloud)と沢木たちは呼んでいた。人美はこのインフォクラウド上のインフォキューブをトレースしながら、情報のつながりが作り出す意味を理解することができるのだ。
ESがインターネットの検索エンジンと根本的に違うところは、人間が持つ高度な情報処理能力をASMOSが学習し、人間の脳の情報処理能力を拡張するような形でネットワーク上からかき集めた膨大な量の情報を処理できるところにある。例えば、「渋滞」と「事故」という情報があった時、人間は「渋滞の原因となるのは事故、よって事故により渋滞」というように単なる二つの単語から意味を推論することができる。さらに、「雨によるスリップ事故」という情報があれば、「事故によって渋滞が起こっているのは雨が降っている地域」と推論を膨らますことができ、このような情報の意味的つながりを様々に処理することによって、最終的には事実にたどり着くことができる。このような情報処理の手法自体は、ES以前にもあったが、情報の意味づけを辞書のようなものによってコンピュータに理解させるため、十分な性能を発揮することができなかった。しかし、ESは人間の脳による高度な意味推論をリアルタイムで学習し、これを即座にフィードバックして更にその結果を学習するという画期的な要素によって、同種のシステムをはるかに凌駕(りょうが)する情報処理能力を有しているのだ。人の情報処理能力の限界をテクノロジーで突破するという点で、このシステムはまさに超感覚――エクストリームセンスというにふさわしかった。
しかし、ESの効用はこれだけではなかった。ASMOSと一体化した人美のサイパワーは通常時の力をはるかに超え、空間を超えてサイパワーを行使することができた。そして、その力が初めて発揮されたのが、東京国際フォーラムに押し入ったテロリストが持つ短機関銃を無効化した時だった。あの時、人美は沢木とこの研究室でESをテストしていた。ESによって活性化された人美の脳は、インフォクラウドの膨大の情報を自身の記憶や知識で補完することによって、後にサイバーワールドと呼ぶことになる仮想世界を脳内に展開したのだ。その時、テロ発生のニュースがインフォキューブに現れ、この情報を詳しく収集し始めた人美は、政府のセントラルネットをクラッキングし、SOPのネットワークから関連情報を入手することによってテロ現場の状況を理解し、更にテロリストの持つ短機関銃をサイコキネシスによって発射不能にするという離れ技をやってのけたのだ。
沢木はESによって整理された情報をディスプレイで確認しながら言った。
「OK、人美さん。こちらのディスプレイでも人美さんの捉えた情報がモニターできたよ。もう答えに近づいているようだね」
ESを操る人美の出した推論はこのようなものだった。
「ズオメイ」の「メイ」は「美」という漢字。中国の女性の名によく使われる。名前は二文字が多いので、「ズオ」を一文字とすると発音が近いのは「奏」という漢字。「奏美」の発音はZoumay。片仮名表記としては「ズオメイ」より「ズウォメイ」の方が発音に近い。
そして人美が「Zoumay」で検索すると、Zoumay Emersonがヒットしその写真がインフォキューブと沢木の見るモニターに映し出された。
「この人だわ。間違いない……」
人美のその声を受け沢木は詳細情報に目をやった。
「ニール・エマーソンの娘。彼女はアメリカの民間軍事会社の娘だよ」
人美はESによって、ニール・エマーソンやEMSについて瞬時に理解した。
「どうしてこの人が夢に出てきたんだろう? EMSなんて初めて知ったわ」
「人美さんのパワーが何かを暗示している可能性があるね」
「ズウォメイさんって、養女なんだね」
「ニール・エマーソンはもともと武運に恵まれている男だったが、養女を得てからは更に会社が発展してる。今では世界一の民間軍事会社だからね」
「ファンタジスタなのかなぁ」
「んん、今ここに人美さんがいることを考えれば、他にファンタジスタが存在していたとしても何の不思議もないね」
「どんな力を持ってるんだろう?」
「ニール・エマーソンと娘との関係を調べてみようか。彼の子煩悩は有名だから」
沢木がそう言うと、人美の脳裏に浮かぶインフォクラウドが動き出し、エマーソンが記者会見や雑誌のインタビュー、パーティーなどで語った言葉の記録が現れた。その断片は……
……ズウォメイは私の幸運の女神だ……未来が見える時がある……感がさえている……ズウォメイは私に幸運をもたらす……時々、神の啓示がある……ズウォメイは私に多くのものを与えてくれた……ズウォメイは神から授かった宝だ……この世には、我々の知らない世界がまだまだあるのだと思う……戦いを有利に進める唯一の方法は、未来を予測することだ……いつかこの運も尽きるかもしれない……ズウォメイこそ私の宝だ……困難な道でも、解決の道筋は必ず示されてきた……ズウォメイと出会ったのは運命だと思う……戦いのたびに、私は運命を感じる……戦いに勝つ者は幸運な者だ…………
というようなものだった。沢木は言った。
「宗教的な世界観だな。まあ、珍しいことではないか…… 人美さん、インフォキューブの粒度を変えてみよう」
人美がESに処理命令を発すると、エマーソンの言葉の関連性がインフォクラウドとして人美の脳裏に展開され、沢木の見つめるモニターには共起ネットワークとしてグラフィカル表示された。グラフィックからは、戦いを勝利に導く者としてズウォメイが存在し、その勝利の要因として、未来の予測が重要であることが読み取れた。
沢木は仮説を立てた。
「彼女には予知能力があり、それがエマーソンを勝利に導いているのかもしれない」
「サイパワーを戦争に使っているということ?」
「私も人美さんとの研究をビジネスにしている……」
人美は笑顔で答えた。
「沢木さんはいい人だわ」
「ありがとう。きっと彼らも同じだよ。この写真を見てご覧……」
それはズウォメイが二十歳を迎えた時の親子二人の記念写真であり、インターネット・ニュース・メディアに掲載されたものだった。二人の表情から読み取れることは……
「すてきな親子ね」
人美の感想に沢木が答えた。
「悪い人ではないと思うよ」
「うん」
「でも、ESが使い方を誤れば脅威となるように、彼らにもその危険性はある。不思議だね。私たちの相似形のようだ」
「次はどうするの?」
沢木はESを停止させ、照明の照度を少しだけあげると人美に近づいていった。脳裏からインフォクラウドが消えた人美は目を開け、近づいてくる沢木に「この前の力を使えばもっといろいろなことが分かるかも?」と提案した。
「今日はこのくらいにしておこう。人美さんも疲れたでしょ?」
「でも……」
人美はモヤモヤとした気分を早く晴らしたいと思っていたが、沢木はそれを制した。
「我々は誰もやったことのないことをしている。だから何が正解で何が間違いかを一つひとつ確かめながら進んでいかなければならないんだ。ゆっくり、焦らず行こう、ねえ?」
沢木は人美のヘッドアセンブリを外してやった。
(続く……)
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