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2009年11月27日金曜日

小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(7)

 沢木は計画を進めるために必要な事務手続きを終えると、自分のオフィスから秋山の持つ携帯電話にダイヤルした。
「もしもし、沢木ですが。いい家は見つかったかな?」
 その時、秋山は不動産屋に連れられて物件の下見をしているところだった。
「ええ、今ちょうど家を下見しているところなんですが、これなら重役も気に入ってくれそうです」
 重役? ああ、そういう設定にしたのか
 沢木は答えた。
「そうか、よかった。今どの辺にいるの?」
「森山神社の近くです。分かります?」
「ああ、僕の家の近くだよ。それじゃ、悪いけど一度逗子まで戻ってくれるかな。二時半にJR逗子駅の近くの喫茶店で落ち合おう。喫茶店の場所は……」
「分かりました。では二時半に」
 沢木は京浜急行の日ノ出町駅まで社の車で送ってもらい、そこから新逗子駅までを電車で移動した。日ノ出町から新逗子までは、新逗子行きの急行に乗ればおよそ三十分で到着する。
 新逗子駅に降り立った沢木は、逗子にあるもう一つの駅―JR逗子駅近くにある喫茶店に向かって歩き、二時半少し前にその待ち合わせ場所に到着した。
 沢木が店に入ると、既に秋山は本を読みながら彼の到着を待っていた。
「お待たせ、暑い中ご苦労だったね。早速だけど、家の件を聞かせてもらえる」
「はい。見て来たのは三軒です」
 秋山はそう言いながら、読んでいた本を鞄にしまい、替わりに葉山町の地図を取り出した。その時、沢木には秋山が読んでいた本の題名が見えた。
 ファイア・スターターか
 それはスティーブン・キングの小説で、超能力を持つ少女の話しだった。
 特別な思い入れを持たなければいいんだが
 沢木は秋山の顔をじっと見つめ、ふと、そんなことを思い不安な気持ちになった。が、次の瞬間、強い化粧の匂いを感じた。
「ご注文は?」
 喫茶店の若い女の店員が沢木に注文を聞いてきた。匂いの源はその店員だった。歳はおそらく二十歳前後なのだろうが、厚い化粧のために老けて見えた。髪はやや茶色く、ピンクの口紅と、真っ赤なマニキュアで飾り立てていた。化粧さえ取ればそれなりにかわいい娘だと思うのだが、装いとはその人間の精神を反映しているものだ。
 沢木はこういうタイプの女性が好きではなかった。彼はもっと清楚な感じの―そう、秋山のような飾らない女性が好きだった。秋山はいつも髪を後ろに束ね、うっすらとした化粧で、服装も地味なものが好みのようだった。
 今日の髪型、何といったっけ?
 彼女の長い黒髪は奇麗に編み込まれ、後頭部のところで団子状に束ねられていた。そしてその団子の上には、真っ白い柔らかなリボンが花咲いていた。
 確か前に聞いたんだけど―そうだ、シニヨン
 秋山の髪型の基本形は後ろで髪を束ねることである。最も多いのは束ねた髪をバレッタで止めること。次いでポニーテール。そして今日のように、たまにシニヨンと白いリボンになる。
 そういえばぁ、髪を下ろしたとこ見たことないなぁ
 沢木はそんなことを思った。
 元々技術者を目指していた秋山は、普段の事務的な仕事よりも、“現場”での仕事が好きだった。沢木と一緒に工場で作業するような時には沢木組カラーのオレンジ色の作業着を着て、油にまみれて仕事をすることもあった。彼女は常に生き生きと仕事をしていたが、好奇心旺盛な少年のように瞳を輝かせるのは、やはりその時だろう。そして、種子島の宇宙センターに、人工衛星プロメテウスの打ち上げを見学しに行った時などは、もう完全に子供に戻ってしまっていた。沢木はそんな秋山の顔を見ていると、彼女の両方のほっぺたを思い切り、ぐにゅーっと、つねってやりたい衝動に駆られるのだった。彼にとって秋山は、常に安らぎと清涼感を与えてくれる女性であった。
「まだお決まりにならないんですか?」
 店員のいらいらした声に、沢木ははっとして答えた。
「ああっ。えーと、アイスコーヒー」
 秋山はテーブルに地図を広げ、場所を指で示しながら説明した。
「三軒の場所は、ここと、ここと、ここです。どれも一軒家です」
 沢木の頭の切り換えはいつでも光速だった。彼は地図をのぞき込みながら尋ねた。
「んーん、どこも白石邸から一キロくらいの距離か。二階建ての家はある」
「すべてそうです」
「周辺が開けているのは?」
 沢木は電波の通り道を考えていた。
「そうですね。この二軒でしょうか」
 秋山が示した場所の一つは、先ほどの電話で言っていた森山神社の近く、もう一軒は小学校の近くだった。
「駐車場はある?」
「どちらもありますが、森山神社側の家はそこまでの道が狭いので、軽自動車しか入れないかと」
「そうか、では決まりだな。ここにしよう」
 沢木は小学校に近いその場所を指差して言った。
「はい、分かりました。でも、ちょっと残念だなぁー。森山神社側の家の方がおしゃれな作りで気に入ってたのに」
 秋山は無邪気な笑顔を浮かべながら言った。その表情は、沢木が先ほど一瞬思った不安を忘れさせてくれた。
 アイスコーヒーがテーブルに来ると、沢木は腕時計を見ながら言った。
「さて、まだ時間もあることだし、話しでもして時間をつぶすそうか」
「すいません。気を使っていただいて」
「何で?」
「だって、沢木さん一人ならこんなに早く逗子に来ることなかったでしょう。私の暇つぶしに付き合ってもらちゃって」
 秋山は沢木のことを尊敬すると同時に、一人の男性として好きだった。しかし、その気持ちを沢木に言ったことはなかったし、それを匂わせるようなことも一度も言ったことがなかった。彼女は、沢木がいつか自分に振り向いてくれることをただ切々と願っていた。一方、沢木は秋山をパートナーとして信頼すると同時に、彼女の能力を高く評価していた。そして、彼女のことがとても好きだった。しかし、その気持ちは恋愛感情というまでには至っていない。なぜなら、恋愛感情を抑制する記憶が彼の脳裏にあるからだ。沢木はその記憶から逃れたかったが、逃れようとすればするほど、その記憶が蘇ってくるのだった。
 沢木は思った。
 君と一緒にいたいから…… 何て言えたらなぁ。ああ、また思い出してしまった。美和、なぜ君は……
「沢木さん、どうしたんです?」
 沢木はその声に我を取り戻した。
「ええ、何に」
 秋山は、沢木が時々物思いに耽ることが気になっていた。

 ドンドンドンドン
 白石会長の書斎のドアがせわしなくノックされると、家政婦の一人の橋爪京子が入って来た。
「ノックは静かにしてくれといつも言っているだろう」
 白石は呆れた顔で言った。
「申し訳ありません、旦那様。あのー、見山様がお越しになりましたが」
「そうか、ここへ通してくれ」
 しばらくすると、橋爪に案内されて見山哲司が入って来た。
「どうも、こんにちは。少し早かったでしょうか」
 見山は遠慮がちに言った。時刻は三時四十五分を示していた。
「いやいや、別に構わんよ。暇を持て余す隠居の身だからな」
「ご謙遜を」
 橋爪は二人がソファに腰掛けたのを確認すると見山に尋ねた。
「コーヒーでよろしいでしょうか。それとも何か冷たいものにいたしますか」
「すみません、コーヒーで結構です」
「わしにも同じものをくれ」
「かしこまりました」
  橋爪は二人にお辞儀をした後、書斎を出て行った。
「ところで、例の件なんですが。昨日電話で言っておられた沢木さんというのは、どんな人なのでしょうか」
 見山は不安げな表情をして言った。
 「心配するな。沢木は我が相模重工の頭脳と言ってもいいほどの優れた技術者であると同時に、わしが女房の次に信頼する人間だ。彼に任しておけば、必ず何か掴んでくれるはずだ。まあ、まもなくここへ来るから、本人を見れば安心するだろう」
「そうですか。すると人美に関する調査も、その沢木さんが行うのですね」
「まあ、どこまでできるかは分からんが、沢木は一度やると決めたことはとことんやる男だ。決してあきらめず、弱音を吐かず、自分の知を武器に難問に挑む男だ。だたし、今度ばかりは彼も苦労するだろうがね」
 見山は深々と頭を下げながら言った。
「本当に、何と言ったらいいのか。感謝してます」
「おいおい、見山君、礼を言うのはまだ早いぞ、我々はまだ何もしていないんだから―ところで、出発の準備はもうできたかね」
「ええ、後は出発を待つばかりです。できればこのまま人美の側にいたいのですが……ああ。それと、人美のほうの荷物は今度の日曜日に運送屋に運んでもらいますが、それでよろしいでしょうか?」
「ああ、結構だ。人美さんが入る部屋は改装する予定だし、女房は妙に張り切ってる。こちらの受け入れ準備は万全だよ。ところで、人美さんは今日はどうしているかね?」
「ええ、友達と荒崎海岸に遊びに行っています」

 人美と彩香は海の家の座敷を陣取り、かき氷を食べていた。
 人美たちのお気に入りの場所から海のほうへ下って行くと、ほんの僅かだが砂浜がある。そこにはテントがいくつか張られ、日光浴をする人やバーベキューをする人たちで、若干のにぎわいをみせていた。二人が今いる海の家は、その砂浜にポツンと一軒だけたたずむ、こぢんまりとした海の家だった。
「彩香、受験する大学もう決めたの?」
「んーん、まだだよ」
 彩香はかき氷を食べるのに夢中だった。
「のんきね。普通の高校三年生は、今ごろは夏季講習なんかに出たりして、忙しい勉強の毎日を送っているものよ」
 人美がいたずらっぽく言うと、彩香はスプーンを動かす手を止めて答えた。
「それはそうなんだけどね。でも、受験は再来年でもできるじゃない。でも、でもね。人美とこうやって過ごせる夏は、この夏が最後になるかも知れないし……」
 彩香は少しさびしそうな顔をして続けた。
「だったら、私は人美といることのほうが大事よ。だって、人美は私の親友だもの。赤毛のアン風に言えば、心の友ってところね」
 人美はとても幸せな気持ちだった。目の前にいるこの少女は、彼女自身の大学進学のことよりも、自分といることのほうが大事だと言ってくれている。今までにも多くの感動をしてきたが、自分のことを気遣ってくれる友人が、今、確かに目の前にいるということは、最大級の感動となって人美の心を打った。
「彩香、ありがとう」
 人美の目からは涙が溢れ出ていた。
「やだ、人美。何も泣くことないじゃない。そんなに感動しちゃったの?」
 彩香は少しおどけてみせた。
 それもあるけど
 人美は思った。
 それもあるけど、それだけじゃない。それだけじゃない何かが。そのせいで涙が出てくるの。どうして、何でなの

 白石会長の書斎には既に沢木と秋山が到着していた。初対面のあいさつを済ませた彼らはそれぞれ席についた。見山の正面に沢木が座り、その横には秋山が。白石は少し離れた机のところにある、肘掛け椅子に腰掛けた。
 沢木は見山をじっと見据えてその風貌を観察していた。やや太目の体形と、薄くなった白髪混じりの髪の毛、眼鏡をかけた四角い顔。その顔は人のよさそうな、正直そうな印象を沢木に与えた。おそらく今までの人生を実直に、真面目に生きてきたのだろう。沢木はそんなことを思った。
 一方、見山も沢木の人物像を考えていた。何しろ、大事な娘の極めてデリケートな問題を扱う人物なのだから、その人物について強い関心を持って当然である。見山が最初に思ったことは、この男は一体いくつなのだろうか、ということだった。外見だけなら二十代後半くらいでも通用するような若々しい顔をしているが、そんなに若いとも考えにくい。いかにも賢そうな、頭脳明晰そうな顔をしている。白石があれほど信頼している人物なのだから、自分も信頼していいのだろうが、上辺のおとなしそうな外見とは違う、何か激しいものを持っているように思えた。それは何なのだろう……
「それではいろいろと質問をさせて頂きたいと思います」
 沢木が言った。
「分かりました。どうぞ、何なりと質問してください」
 見山は神妙な趣で答えた。
「では、まず人美さんについてですが、見山さんが手紙に記された四件の出来事以外にも、何か類似したような出来事は起こっているのでしょうか。どんな些細な出来事でも構いません、何かあればお話ししていただきたいのですが」
「いいえ、私の知る限りではほかには何もないです。私もいろいろと思い出そうとしたのですが、あれ以外には何も起きていないと思います」
「そうですか。人美さんはどんなお子さんですか」
「んーん、そうですね」
 見山の表情が心なしか明るくなった。
「人美はまず感性のとても豊かな子だと思います。そして、想像力の豊かな子だと。人美の好きなことは、読書にピアノ―これは小学校に上がる前から習わせてまして、ちょっとした腕前なんです。それから絵もたまに描いています。色鉛筆を使って淡い色彩の絵を描いていますね、主に風景画です。人美はそういった、空想とか、創作といった作業をするのが大好きな子です。後はテニス、硬式テニス部に入っていました。三年生の部活は夏までで終わりだそうで、とても残念がってました…… そうそう、この夏はいつになくよく海に遊びに行ってますね。何でも素潜りに凝っているとか。海の中で見た光景のことをよく聞かせてくれます」
「性格は?」
「明るくて、気持ちの優しい子です。人の悪口を言ったのを聞いたこともないですし、友達とトラブルを起こしたようなこともないと思います。人美はどうも同性から好かれるタイプのようで、きっと男の子っぽいところがあるからだと思うんですが、友達グループのリーダー的存在のようです。そう、今の人美を一言で表すのなら、男の子っぽい子です」「小さいころはどんなでしたか、手紙によると小学校のころは人見知りが激しかったとありますが」
「中学校に上がるまではとてもおとなしい内気な子でした。一人で本を読んだり、絵を描いたり、とにかく友達と遊ぶことよりも一人でいることのほうが好きな子でした。それでも六年生の時には、一人だけ仲のいい子がいたのですが、手紙のとおり、あの事件の後どこかへ行ってしまいました」
「そういうおとなしい性格は小学校に上がる前からですか」
「そうですね。いじめの原因もおそらくその辺にあるのでは? と思います」
「すると中学に入ってから、徐々に今の人美さんに変わっていったということですね」
「ええ。中学に入学してからは物事に対して積極的になってきました。友達を作ること、学校の勉強や部活動、このころからテニスを始めました。それからピアノ。実はそれまでは何度となく止めたいと言ったことがあったのですが…… いずれにしても、人美は中学から変わり始めました」
「何がそうさせたのでしょう。心当たりはありませんか」
「分かりません。私も妻も特別何かをしたわけではありませんから。ただ、今だに付き合っている友人ができたことが、一つにはあるのかも知れないです」
「参考までに名前をお教えいただけますか」
「その娘は泉彩香さんといいまして、家の近所に住んでる娘さんです。小学校も一緒だったんですが同じクラスにはならず…… 二人はとても馬が合ったようです。何しろ進学する高校も二人で相談して決めたようですから。実は、今日もその娘さんと荒崎海岸に遊びに行っているんです」

「やっと元気になったみたいだね」
 彩香は人美の肩に手を添えながら優しく言った。
「ごめんね。何だか急に悲しくなっちゃって」
 人美は彩香の顔を見た。彼女は黙って微笑んでいた。
「実はね、彩香に聞いてもらいたいことがあるの」
「なーに、急にあらたまっちゃって。さては恋の相談とか。好きな人でもできたの?」
 彩香はわざと見当外れなことを言ってみた。彼女には何となく予想がついていた、人美に何かが起きているということが。
「うーん、それならいいんだけど…… そうじゃなくてね。最近同じ夢を見るの、しかも一晩に何度も何度も」
「どんな夢なの。怖い夢?」
 人美は夢のことを話し始めた。

 少女は薄暗い浜辺の波打ち際に一人たたずんでいた。優しくも冷たい穏やかな波が素足の足に触れていた。少女の頬には、海から吹く生ぬるい少し湿った風が当たっていた。辺りの景色は霧がかかっていてよく見えなかったが、沖合の小さな灯台の小さな灯が、わずかに見え隠れしていた。
 少女は、そう、それは自分、人美だった。
「誰か、ねえ、誰かいないの。お父さん! お母さん! 彩香! 誰か、誰か返事をしてよ。私はここにいるのよ!」
 少女は耳を澄ました。だが、その返事に答える者はいなかった。不安、さびしさ、孤独、恐れ、そんな感情が沸き出してきた。
「帰りたい。早く家に帰りたい」
 少女は全力で走り出した―この感情から逃れるために。しかし、走っても走っても、少女の目に映る光景は変わらなかった。やがて少女は息を切らし、膝を突き、腕を突いた。「どうして誰もいないの。誰か返事をしてよ!」
 気が狂いそうだった。一体どうしたらよいのか、何をどうすれば状況を変えることができるのか、もはやその判断力は失われていた。
 その時、少女の背後から地響きのような低い枯れた声がした。
「私ならここにいる」
 少女には後ろを振り向く勇気はなかった。恐怖に体は震え、血の気が引いていくのが自分でも分かった。
「私ならここにいる。ここにいる。ここにいる」
 その声は徐々に少女の背後に迫って来た。
 もうだめだ、終わりだ。これで、これでもう終わりなんだ
 少女の心を絶望が支配していた。
「私はここにいる。さあ、振り向いてごらん。私はここにいる」
 その声はますます近づいて来た。少女はすべてをあきらめて振り向こうとした。
 その時、少女の前方から何かが近づいて来た。
 人? 誰、男の人
「振り向いてはだめだぁ! さあ、こっちへ来るんだ!」
 少女はその声の方に手を伸ばした。男も手を伸ばした。
 もうちょっと、もう少しで手を握り合うことができる。あの手を掴めば、私はここから逃げられる!
 穏やかだった波が急に激しく怒り狂い始めた。
「私はここにいる。さあ、振り向いてごらん。私はここにいる」
「振り向いてはだめだぁ!」
 少女は必死に手を伸ばした。
 後もう少し、ほんの僅か
 二人の手は触れる寸前だった。しかし―
 しかし、大きな波が少女をのみ込んだ。少女は波に翻弄されながら苦しみ悶えた。そしてほんの一瞬、波の隙間から背後に迫っていた声の主の姿を見た。
 それは…… それは人美だった。

 彩香はじっと人美の話しに聞きいっていた。そして彼女が話し終わり、プルプルと震え出すと、その肩を強く抱き締めて力強く言った。
「大丈夫よ、人美。何も心配しなくても大丈夫。ただの夢よ、夢。人美、想像力豊だから、怖い夢を見たのよ」
 自分が何の説得力もないことを言っているということが、彩香には分かっていた。しかし、怯える人美を目の前にして、今はこれ以外に言葉がみつけられなかった。

続く…

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