「それでは、今度は四件の出来事についてお聞きしたいのですが」
沢木は質問を続けた。
「最初の出来事の発端は、人美さんがいじめられることに始まるわけですが、この加害者について、人美さんは何か言っていましたか」
見山は当時のことを思い出そうと考え込んでいた。
「んんー、そうですね。確か、怖い、と言っていました」
「こわい」
「そうです。人美はなぜ自分がいじめられなければならないのか分からない、彼女のことが怖い、そう言ってました」
「憎しみを表すような言葉を言ったことはありませんでしたか」
「それはないです。先ほども言ったように、人美は人のことを決して悪く言う子ではありませんから。ただ、いじめをする女の子のことを恐れ、怯えていました」
「いじめの具体的な内容については、何か聞いてますか」
「ええ。いじめは最初、人美を仲間外れにすることから始まったようです。ただでさえ人見知りをする人美が、そのような状況の中で味方となる友達を作れるわけがなく、孤独が最初に人美を襲いました。それから、掃除当番を人美一人に押しつけたり、自分たちの嫌いな給食をむりやり食べさせようとしたり、細かいことを言い出したら切りがないです」
「暴力を奮われたりということはありませんでしたか」
「どうでしょう、そこまではなかったと思いますが。ただ、言葉の暴力や無視されるということに、人美は打ちのめされていました」
「そして、ついに学校に行かなくなった」
「そうです」
「その時、家ではどのように過ごしていたんですか」
「ほとんどを自分の部屋にいました。自分の好きなことをやって、気をまぎらわしていたようです」
「加害者である少女が行方不明になったということを知った時には、人美さんはどんな反応を?」
「人美にそのことを伝えたのは私ですが、これといった反応は特になかったと思います。ただ、素直に私の言うことを聞いていました」
「その後すぐに学校へ行くようになったのですか」
「いいえ。その後しばらくして夏休みに入りましたので、学校に行き始めたのは二学期になってしばらくしてからでした。ある朝突然学校に行くと言い出しまして。それからは休むことはなくなりました」
沢木は興味を持った。
なぜ、突然
「その、ある朝突然とは、いつのことか覚えていられますか」
「いいえ、覚えてないです」
「そうですか」
沢木は期待を裏切られた気がした。
「ところで、その後いじめはなくなったのでしょうか。加害者は集団のようですが」
「人美の姿から想像する限りでは、なくなったと思います」
「幼女連続誘拐殺人事件については何か言ってましたか」
「いいえ。おそらく、その事件のことはよく理解できてないと思います。七歳の子供が新聞やニュースを見ることはないですし、私も妻も知らない人には気をつけなさいよ、といった程度の注意をしただけですから」
「そうですか。では、次のいたずら事件ですが。人美さんはこのことにより相当のショックを受けたようですが、口を利かなくなったのはどれくらいの期間なのでしょうか」
「被害者の女の子、つまり人美の友達が引っ越してしまった直後から、三、四週間くらいの期間だと記憶してます」
「人美さんは事件について何か言ってましたか」
「事件のあった直後に、友達がかわいそう、とだけ言っていました。口を利くようになってからは、もう事件の話題は人美も私たち夫婦もしませんでした」
「人美さんは事件を起こした教師のことを好意的に思っていたようですが」
「ええ。事件前までは、担任の先生はとても優しくて、分かりやすく勉強を教えてくれると言っていました」
沢木はタバコを口にくわえると、ライターを取り出した。シュッ、シュッ、シュッっと、安っぽい音を三回発した後、四回めの音にしてようやく火が灯った。
百円ライター? この男、かなりの高給取りなのだろうに
見山はふとそんなことを思った。一服めの煙を吐き出した沢木は言った。
「今までのお話を聞いてますと、人美さんは自分のことをよく両親に話すお子さんのようですね」
「ええ。人美と私たちの親子関係はとてもうまくいっています。それは昔も今も変わりありません」
「そのようですね。ところで見山さん、質問ばかりされてお疲れになりませんか」
「いいえ、私は大丈夫です。人美のためなら、私はできる限りの質問にお答えします」
見山は沢木の目を見ながら真剣な表情で言った。
「沢木さん。人美にはやはり特殊な能力があるとお考えですか」
沢木は思った。
この男はどういう返事を待っているんだろうか。肯定? 否定? あるいは、娘には何か得体の知れない力があると確信しているんだろうか?
沢木はあえて挑発的な意見を言った。
「どうなんでしょうね。超能力とか、まあ、そういった超自然的現象の存在とは、海のものとも山のものともつかない未知の領域ですから、現段階では想像や推測をすることしかできないでしょうね」
見山はその挑発に乗ってきた。
「では、どういう想像や推測をしているのですか。ぜひ、聞かせていただきたい」
今度は惚けてみた。
「まあ、あるのかも知れないし、ないのかも知れないし……」
見山は完全にいらついていた。
「そんな! とても科学技術の最先端にある人物の発言とは思えませんね。いくら未知なることとはいえ、もう少しまっとうな見識をお持ちにはなっていないんですか」
二人の会話を隣で聞く秋山には、沢木の意図が見えていた。秋山は尋ねた。
「では、見山さんはどういう答えをお望みなのですか」
白石は半ば呆れた顔をしていた。
「あなたがたは、私が思っていることは単なる妄想だ、と言いたいんですか」
見山の顔は紅潮していた。
「白石さん。本当に彼らを信頼してもいいんですか!?」
白石は穏やかに、諭すように一言言った。
「見山君。君は彼らをおいてほかに誰を信頼しようというのかね」
「そうだぁ!」
彩香が突然声を張りあげた。
「人美。私、今晩人美の家に泊まりに行ってあげるよ。二人でいれば、怖い夢、見ないかも知れないし、少しは安心して寝られるでしょう」
「うん、そうしてくれるのは嬉しいけど、いいの」
「あったりまえじゃない。そうしよう、決めたっ!」
なんとも頼もしい友人である。二人が出会ったのは運命的なものだったかも知れないと人美は思った。
思えば、それまでの自分は人と接するのが苦手で、なかなか心を許せる友人ができなかった。六年生の時に、やっとそれに近い友達ができたがすぐに失ってしまった。もう自分には友達はできないんじゃないか? そう考えていた。中学に入学した時には、小学校に入った時の記憶が蘇ってきた。ぼやぼやしてると、また友達を作る機会をなくし、またいじめられるかも知れない。勇気を出して、勇気を出して友達を作ろうとしなくては―
ある朝、人美は中学に行く途中で同じクラスの女の子を見かけた。人美は勇気を出してその子に声をかけた。「おはよう」―細く弱々しいその声に少女は振り向くと、にっこりと微笑んであいさつを返してきた。以来、その少女との間に友情が生まれ、人美は変わり始めた。
ほんの少しの勇気があれば、本当に僅かの勇気さえあれば、人は変わることができる。その時人美はそれを確信した。何ごとにも積極的に取り組むようになったのはそれからだった。今では小学校の時が嘘のようだ。多くの友達に恵まれ、その中には彩香という親友もいる。どんなことでも話し合える、かけがえのない友達がいる。
まず、勇気を持つこと、そして勇気は人生を切り開いてくれるもの。いつしかこれが人美の哲学となり、彼女の長い艶やかな髪は惜しげもなく短く切られた。それは、決意の証だった。
人美は思った。
もしもあの時、彩香が振り向いてくれなかったら今の自分は存在しない。ありがとう、本当にありがとう、彩香
続く…
【案内】小説『エクストリームセンス』について
小説『エクストリームセンス』は、本ブログを含めていくつか掲載していますが、PC、スマフォ、携帯のいずれでも読みやすいのは、「小説家になろう」サイトだと思います。縦書きのPDFをダウンロードすることもできます。
小説『エクストリームセンス』のURLは、 http://ncode.syosetu.com/n7174bj/
2009年11月30日月曜日
フローチャート定規
ラベル:
IT
机の引き出しの奥から、こんな物が見つかりました。
懐かしのフローチャート定規です。昔はこれでフローチャートやシステム方式図を書いていました。
その後、ExcelやPowerPoint、Visioと移り変わり、今はEnterprise Architectです。
モデリングは楽になりましたが、その分、仕事が増えているのでプラマイ0です…
懐かしのフローチャート定規です。昔はこれでフローチャートやシステム方式図を書いていました。
その後、ExcelやPowerPoint、Visioと移り変わり、今はEnterprise Architectです。
モデリングは楽になりましたが、その分、仕事が増えているのでプラマイ0です…
2009年11月29日日曜日
Performance Exchange
ラベル:
その他
Performance Exchange とは、私が2004年に考案したビジネスモデルのコンセプトです。当時執筆した『Performance Exchange Business ビジネスガイド 2005』には、次のように記されています。
Performance Exchangeとは
人は想いを持って生きています。そして、想いは人を動かします。想いとは、夢や希望を描き、それを実現しようとする意思と考えます。
想いには強弱があり、強い想いはより強く人を動かし共感を醸成します。他人の想いも一度共感にいたれば、自乙の想いと同じように作用します。
想いを共有する者たちは、目的を達成するために、協力し、高め合い、道を切り開いて行きます。そして、新しい価値を創造します。これが、Performance Exchangeです。
ひとりひとりが持つ夢や希望を叶える力=パフォーマンスが出会い、そこから新しいパフォーマンスが生まれる。これは、既に人類が何度も繰り返してきたことです。
人々の想いは共鳴し合い、ひとりの人間の限界を越えていきます。無限とも思える可能性、高い付加価値の創造、これらはいままでも、これからも、Performance Exchangeにより起こり続けると考えます。
あれから5年、もう一度 Performance Exchange にチャレンジしたいと想っています…
Performance Exchangeとは
人は想いを持って生きています。そして、想いは人を動かします。想いとは、夢や希望を描き、それを実現しようとする意思と考えます。
想いには強弱があり、強い想いはより強く人を動かし共感を醸成します。他人の想いも一度共感にいたれば、自乙の想いと同じように作用します。
想いを共有する者たちは、目的を達成するために、協力し、高め合い、道を切り開いて行きます。そして、新しい価値を創造します。これが、Performance Exchangeです。
ひとりひとりが持つ夢や希望を叶える力=パフォーマンスが出会い、そこから新しいパフォーマンスが生まれる。これは、既に人類が何度も繰り返してきたことです。
人々の想いは共鳴し合い、ひとりの人間の限界を越えていきます。無限とも思える可能性、高い付加価値の創造、これらはいままでも、これからも、Performance Exchangeにより起こり続けると考えます。
あれから5年、もう一度 Performance Exchange にチャレンジしたいと想っています…
2009年11月28日土曜日
ランニング日記他
今日はいつものコースを走りましたが、30分ほど走ったところで歩いてしまいました。ここ1ヵ月くらいろくに走れていないので、呼吸が辛かったです。空気の冷たさも、風邪が多少残っている鼻には辛いです。
12月6日は2回目のマラソン大会なので、なんとかコンディションを上げたいところですが、相変わらず仕事が忙しく、練習の時間はそうはとれません。ゆっくり完走を目指しますかね…
それにしても、走った後のビールはうまいですね。今、alanの2ndアルバムを聴きながらビールを飲みつつ、ブログを書いています。
ところで、土曜日はテレビが楽しみな日になりました。『ターミネーター サラ・コナー クロニクルズ』と『24 シーズン7』がフジテレビで放送しているからです。ターミネーターの方はイマイチですが、それでも毎週見ています。24は、相変わらず面白いです。私は小説を書いた経験があるのでよくわかりますが、シナリオライターの苦労が想像できます。
曜日は関係ないですが、『創聖のアクエリオン』というアニメもなかなか面白いです。2005年の作品なので話題としては今さらですが、私は最近ネット配信で初めて見ました。まだ5話までしか見ていませんが、子供のころ見たゲッターロボを洗練させた雰囲気です。第1話が無料で配信されているので、ご興味のある方はぜひ。
ついでにもう一言、alanの2ndアルバム『my life』に収録されている『Essence of me』ですが、冒頭から38秒の位置でインサートされるalanの声がカッコいいので、この雰囲気のままディストーションギターのリフを効かしたドライブ感のある曲にすればいいのになぁ、と私は思っています。alanの声音ならディストーションギターのリフがバックでも十分に立ちますから…
12月6日は2回目のマラソン大会なので、なんとかコンディションを上げたいところですが、相変わらず仕事が忙しく、練習の時間はそうはとれません。ゆっくり完走を目指しますかね…
それにしても、走った後のビールはうまいですね。今、alanの2ndアルバムを聴きながらビールを飲みつつ、ブログを書いています。
ところで、土曜日はテレビが楽しみな日になりました。『ターミネーター サラ・コナー クロニクルズ』と『24 シーズン7』がフジテレビで放送しているからです。ターミネーターの方はイマイチですが、それでも毎週見ています。24は、相変わらず面白いです。私は小説を書いた経験があるのでよくわかりますが、シナリオライターの苦労が想像できます。
曜日は関係ないですが、『創聖のアクエリオン』というアニメもなかなか面白いです。2005年の作品なので話題としては今さらですが、私は最近ネット配信で初めて見ました。まだ5話までしか見ていませんが、子供のころ見たゲッターロボを洗練させた雰囲気です。第1話が無料で配信されているので、ご興味のある方はぜひ。
ついでにもう一言、alanの2ndアルバム『my life』に収録されている『Essence of me』ですが、冒頭から38秒の位置でインサートされるalanの声がカッコいいので、この雰囲気のままディストーションギターのリフを効かしたドライブ感のある曲にすればいいのになぁ、と私は思っています。alanの声音ならディストーションギターのリフがバックでも十分に立ちますから…
流麗なシステム開発の上流工程を実現するために
私は以前、システム開発の要件定義に関する考察の中で、
と書きました。これは、私が手掛けている大型プロジェクトでの失敗がトラウマとなったがために、「要件定義が固まるまでは絶対に次工程に進んではならない」という固定観念が私の頭にできてしまったが故のものです。つまり、要件定義と設計との分離にこだわり過ぎていた…?
*開発ライフサイクルについては、私は富士通のソフトウェア開発標準プロセスSDEMを基礎としています。
しかし、こう書いた直後から(トラウマを明確に認識してから)、自身の考えは修正されつつあります。
修正の前提となる未検証の仮説
関連記事
流麗な上流工程の研究(メモ)
コンテキストモデル(カスタマイズ版)
流麗なシステム開発の上流工程を実現するために
小さな要件開発
システム開発の要件定義に関する考察
要件開発の進め方~私のRDRA運用法~
RDRA(2) - RDRAとの出会い
RDRA
システム開発の問題の本質は、現実世界からシステム世界への変換過程において、その変換の対象と変換方法を正確に知るのが工程のかなり後にあることです。となると、要件定義において、ビジネスルールを明らかにするべきなのは明らかなのですが、実務上の課題は、どのレベルをもって明らかであるとするかです。
と書きました。これは、私が手掛けている大型プロジェクトでの失敗がトラウマとなったがために、「要件定義が固まるまでは絶対に次工程に進んではならない」という固定観念が私の頭にできてしまったが故のものです。つまり、要件定義と設計との分離にこだわり過ぎていた…?
*開発ライフサイクルについては、私は富士通のソフトウェア開発標準プロセスSDEMを基礎としています。
しかし、こう書いた直後から(トラウマを明確に認識してから)、自身の考えは修正されつつあります。
修正の前提となる未検証の仮説
- ICONIXとRDRAを統合し、ユーザーがより具体的に要件を確定できるようにする。つまり、予備設計というICONIXの思想を、SDEMの要件定義工程に取り入れる。具体的には、
- 画面モデルについては、画面遷移を明らかにする。
- 機能モデルについては、プロセス定義(入力、処理、制御、出力)を明らかにする。
- SDEMのWBS(Work Breakdown Structure)を、前項と整合するようユーザーインターフェース設計工程の一部のWBSを、要件定義工程に移動する。
- 前項を持ってSDEMの要件定義工程とし、契約を次工程以降と分離することで、私の実務上の課題は解決される(かも)。
関連記事
流麗な上流工程の研究(メモ)
コンテキストモデル(カスタマイズ版)
流麗なシステム開発の上流工程を実現するために
小さな要件開発
システム開発の要件定義に関する考察
要件開発の進め方~私のRDRA運用法~
RDRA(2) - RDRAとの出会い
RDRA
2009年11月27日金曜日
システム開発に関するブログの紹介
システム開発に関することをいろいろ検索していると、下記ブログにヒットしました。
システム設計日記~ドメイン駆動設計(DDD)を RDRA, ICONIX, Spring でアジャイルに実践する
ヒント集のような感じで、短い言葉でエッセンスが綴られています。気になるテーマをクリックしてみると、「理解の糸口」が見つかるかもしれません。
システム設計日記~ドメイン駆動設計(DDD)を RDRA, ICONIX, Spring でアジャイルに実践する
ヒント集のような感じで、短い言葉でエッセンスが綴られています。気になるテーマをクリックしてみると、「理解の糸口」が見つかるかもしれません。
小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(7)
沢木は計画を進めるために必要な事務手続きを終えると、自分のオフィスから秋山の持つ携帯電話にダイヤルした。
「もしもし、沢木ですが。いい家は見つかったかな?」
その時、秋山は不動産屋に連れられて物件の下見をしているところだった。
「ええ、今ちょうど家を下見しているところなんですが、これなら重役も気に入ってくれそうです」
重役? ああ、そういう設定にしたのか
沢木は答えた。
「そうか、よかった。今どの辺にいるの?」
「森山神社の近くです。分かります?」
「ああ、僕の家の近くだよ。それじゃ、悪いけど一度逗子まで戻ってくれるかな。二時半にJR逗子駅の近くの喫茶店で落ち合おう。喫茶店の場所は……」
「分かりました。では二時半に」
沢木は京浜急行の日ノ出町駅まで社の車で送ってもらい、そこから新逗子駅までを電車で移動した。日ノ出町から新逗子までは、新逗子行きの急行に乗ればおよそ三十分で到着する。
新逗子駅に降り立った沢木は、逗子にあるもう一つの駅―JR逗子駅近くにある喫茶店に向かって歩き、二時半少し前にその待ち合わせ場所に到着した。
沢木が店に入ると、既に秋山は本を読みながら彼の到着を待っていた。
「お待たせ、暑い中ご苦労だったね。早速だけど、家の件を聞かせてもらえる」
「はい。見て来たのは三軒です」
秋山はそう言いながら、読んでいた本を鞄にしまい、替わりに葉山町の地図を取り出した。その時、沢木には秋山が読んでいた本の題名が見えた。
ファイア・スターターか
それはスティーブン・キングの小説で、超能力を持つ少女の話しだった。
特別な思い入れを持たなければいいんだが
沢木は秋山の顔をじっと見つめ、ふと、そんなことを思い不安な気持ちになった。が、次の瞬間、強い化粧の匂いを感じた。
「ご注文は?」
喫茶店の若い女の店員が沢木に注文を聞いてきた。匂いの源はその店員だった。歳はおそらく二十歳前後なのだろうが、厚い化粧のために老けて見えた。髪はやや茶色く、ピンクの口紅と、真っ赤なマニキュアで飾り立てていた。化粧さえ取ればそれなりにかわいい娘だと思うのだが、装いとはその人間の精神を反映しているものだ。
沢木はこういうタイプの女性が好きではなかった。彼はもっと清楚な感じの―そう、秋山のような飾らない女性が好きだった。秋山はいつも髪を後ろに束ね、うっすらとした化粧で、服装も地味なものが好みのようだった。
今日の髪型、何といったっけ?
彼女の長い黒髪は奇麗に編み込まれ、後頭部のところで団子状に束ねられていた。そしてその団子の上には、真っ白い柔らかなリボンが花咲いていた。
確か前に聞いたんだけど―そうだ、シニヨン
秋山の髪型の基本形は後ろで髪を束ねることである。最も多いのは束ねた髪をバレッタで止めること。次いでポニーテール。そして今日のように、たまにシニヨンと白いリボンになる。
そういえばぁ、髪を下ろしたとこ見たことないなぁ
沢木はそんなことを思った。
元々技術者を目指していた秋山は、普段の事務的な仕事よりも、“現場”での仕事が好きだった。沢木と一緒に工場で作業するような時には沢木組カラーのオレンジ色の作業着を着て、油にまみれて仕事をすることもあった。彼女は常に生き生きと仕事をしていたが、好奇心旺盛な少年のように瞳を輝かせるのは、やはりその時だろう。そして、種子島の宇宙センターに、人工衛星プロメテウスの打ち上げを見学しに行った時などは、もう完全に子供に戻ってしまっていた。沢木はそんな秋山の顔を見ていると、彼女の両方のほっぺたを思い切り、ぐにゅーっと、つねってやりたい衝動に駆られるのだった。彼にとって秋山は、常に安らぎと清涼感を与えてくれる女性であった。
「まだお決まりにならないんですか?」
店員のいらいらした声に、沢木ははっとして答えた。
「ああっ。えーと、アイスコーヒー」
秋山はテーブルに地図を広げ、場所を指で示しながら説明した。
「三軒の場所は、ここと、ここと、ここです。どれも一軒家です」
沢木の頭の切り換えはいつでも光速だった。彼は地図をのぞき込みながら尋ねた。
「んーん、どこも白石邸から一キロくらいの距離か。二階建ての家はある」
「すべてそうです」
「周辺が開けているのは?」
沢木は電波の通り道を考えていた。
「そうですね。この二軒でしょうか」
秋山が示した場所の一つは、先ほどの電話で言っていた森山神社の近く、もう一軒は小学校の近くだった。
「駐車場はある?」
「どちらもありますが、森山神社側の家はそこまでの道が狭いので、軽自動車しか入れないかと」
「そうか、では決まりだな。ここにしよう」
沢木は小学校に近いその場所を指差して言った。
「はい、分かりました。でも、ちょっと残念だなぁー。森山神社側の家の方がおしゃれな作りで気に入ってたのに」
秋山は無邪気な笑顔を浮かべながら言った。その表情は、沢木が先ほど一瞬思った不安を忘れさせてくれた。
アイスコーヒーがテーブルに来ると、沢木は腕時計を見ながら言った。
「さて、まだ時間もあることだし、話しでもして時間をつぶすそうか」
「すいません。気を使っていただいて」
「何で?」
「だって、沢木さん一人ならこんなに早く逗子に来ることなかったでしょう。私の暇つぶしに付き合ってもらちゃって」
秋山は沢木のことを尊敬すると同時に、一人の男性として好きだった。しかし、その気持ちを沢木に言ったことはなかったし、それを匂わせるようなことも一度も言ったことがなかった。彼女は、沢木がいつか自分に振り向いてくれることをただ切々と願っていた。一方、沢木は秋山をパートナーとして信頼すると同時に、彼女の能力を高く評価していた。そして、彼女のことがとても好きだった。しかし、その気持ちは恋愛感情というまでには至っていない。なぜなら、恋愛感情を抑制する記憶が彼の脳裏にあるからだ。沢木はその記憶から逃れたかったが、逃れようとすればするほど、その記憶が蘇ってくるのだった。
沢木は思った。
君と一緒にいたいから…… 何て言えたらなぁ。ああ、また思い出してしまった。美和、なぜ君は……
「沢木さん、どうしたんです?」
沢木はその声に我を取り戻した。
「ええ、何に」
秋山は、沢木が時々物思いに耽ることが気になっていた。
ドンドンドンドン
白石会長の書斎のドアがせわしなくノックされると、家政婦の一人の橋爪京子が入って来た。
「ノックは静かにしてくれといつも言っているだろう」
白石は呆れた顔で言った。
「申し訳ありません、旦那様。あのー、見山様がお越しになりましたが」
「そうか、ここへ通してくれ」
しばらくすると、橋爪に案内されて見山哲司が入って来た。
「どうも、こんにちは。少し早かったでしょうか」
見山は遠慮がちに言った。時刻は三時四十五分を示していた。
「いやいや、別に構わんよ。暇を持て余す隠居の身だからな」
「ご謙遜を」
橋爪は二人がソファに腰掛けたのを確認すると見山に尋ねた。
「コーヒーでよろしいでしょうか。それとも何か冷たいものにいたしますか」
「すみません、コーヒーで結構です」
「わしにも同じものをくれ」
「かしこまりました」
橋爪は二人にお辞儀をした後、書斎を出て行った。
「ところで、例の件なんですが。昨日電話で言っておられた沢木さんというのは、どんな人なのでしょうか」
見山は不安げな表情をして言った。
「心配するな。沢木は我が相模重工の頭脳と言ってもいいほどの優れた技術者であると同時に、わしが女房の次に信頼する人間だ。彼に任しておけば、必ず何か掴んでくれるはずだ。まあ、まもなくここへ来るから、本人を見れば安心するだろう」
「そうですか。すると人美に関する調査も、その沢木さんが行うのですね」
「まあ、どこまでできるかは分からんが、沢木は一度やると決めたことはとことんやる男だ。決してあきらめず、弱音を吐かず、自分の知を武器に難問に挑む男だ。だたし、今度ばかりは彼も苦労するだろうがね」
見山は深々と頭を下げながら言った。
「本当に、何と言ったらいいのか。感謝してます」
「おいおい、見山君、礼を言うのはまだ早いぞ、我々はまだ何もしていないんだから―ところで、出発の準備はもうできたかね」
「ええ、後は出発を待つばかりです。できればこのまま人美の側にいたいのですが……ああ。それと、人美のほうの荷物は今度の日曜日に運送屋に運んでもらいますが、それでよろしいでしょうか?」
「ああ、結構だ。人美さんが入る部屋は改装する予定だし、女房は妙に張り切ってる。こちらの受け入れ準備は万全だよ。ところで、人美さんは今日はどうしているかね?」
「ええ、友達と荒崎海岸に遊びに行っています」
人美と彩香は海の家の座敷を陣取り、かき氷を食べていた。
人美たちのお気に入りの場所から海のほうへ下って行くと、ほんの僅かだが砂浜がある。そこにはテントがいくつか張られ、日光浴をする人やバーベキューをする人たちで、若干のにぎわいをみせていた。二人が今いる海の家は、その砂浜にポツンと一軒だけたたずむ、こぢんまりとした海の家だった。
「彩香、受験する大学もう決めたの?」
「んーん、まだだよ」
彩香はかき氷を食べるのに夢中だった。
「のんきね。普通の高校三年生は、今ごろは夏季講習なんかに出たりして、忙しい勉強の毎日を送っているものよ」
人美がいたずらっぽく言うと、彩香はスプーンを動かす手を止めて答えた。
「それはそうなんだけどね。でも、受験は再来年でもできるじゃない。でも、でもね。人美とこうやって過ごせる夏は、この夏が最後になるかも知れないし……」
彩香は少しさびしそうな顔をして続けた。
「だったら、私は人美といることのほうが大事よ。だって、人美は私の親友だもの。赤毛のアン風に言えば、心の友ってところね」
人美はとても幸せな気持ちだった。目の前にいるこの少女は、彼女自身の大学進学のことよりも、自分といることのほうが大事だと言ってくれている。今までにも多くの感動をしてきたが、自分のことを気遣ってくれる友人が、今、確かに目の前にいるということは、最大級の感動となって人美の心を打った。
「彩香、ありがとう」
人美の目からは涙が溢れ出ていた。
「やだ、人美。何も泣くことないじゃない。そんなに感動しちゃったの?」
彩香は少しおどけてみせた。
それもあるけど
人美は思った。
それもあるけど、それだけじゃない。それだけじゃない何かが。そのせいで涙が出てくるの。どうして、何でなの
白石会長の書斎には既に沢木と秋山が到着していた。初対面のあいさつを済ませた彼らはそれぞれ席についた。見山の正面に沢木が座り、その横には秋山が。白石は少し離れた机のところにある、肘掛け椅子に腰掛けた。
沢木は見山をじっと見据えてその風貌を観察していた。やや太目の体形と、薄くなった白髪混じりの髪の毛、眼鏡をかけた四角い顔。その顔は人のよさそうな、正直そうな印象を沢木に与えた。おそらく今までの人生を実直に、真面目に生きてきたのだろう。沢木はそんなことを思った。
一方、見山も沢木の人物像を考えていた。何しろ、大事な娘の極めてデリケートな問題を扱う人物なのだから、その人物について強い関心を持って当然である。見山が最初に思ったことは、この男は一体いくつなのだろうか、ということだった。外見だけなら二十代後半くらいでも通用するような若々しい顔をしているが、そんなに若いとも考えにくい。いかにも賢そうな、頭脳明晰そうな顔をしている。白石があれほど信頼している人物なのだから、自分も信頼していいのだろうが、上辺のおとなしそうな外見とは違う、何か激しいものを持っているように思えた。それは何なのだろう……
「それではいろいろと質問をさせて頂きたいと思います」
沢木が言った。
「分かりました。どうぞ、何なりと質問してください」
見山は神妙な趣で答えた。
「では、まず人美さんについてですが、見山さんが手紙に記された四件の出来事以外にも、何か類似したような出来事は起こっているのでしょうか。どんな些細な出来事でも構いません、何かあればお話ししていただきたいのですが」
「いいえ、私の知る限りではほかには何もないです。私もいろいろと思い出そうとしたのですが、あれ以外には何も起きていないと思います」
「そうですか。人美さんはどんなお子さんですか」
「んーん、そうですね」
見山の表情が心なしか明るくなった。
「人美はまず感性のとても豊かな子だと思います。そして、想像力の豊かな子だと。人美の好きなことは、読書にピアノ―これは小学校に上がる前から習わせてまして、ちょっとした腕前なんです。それから絵もたまに描いています。色鉛筆を使って淡い色彩の絵を描いていますね、主に風景画です。人美はそういった、空想とか、創作といった作業をするのが大好きな子です。後はテニス、硬式テニス部に入っていました。三年生の部活は夏までで終わりだそうで、とても残念がってました…… そうそう、この夏はいつになくよく海に遊びに行ってますね。何でも素潜りに凝っているとか。海の中で見た光景のことをよく聞かせてくれます」
「性格は?」
「明るくて、気持ちの優しい子です。人の悪口を言ったのを聞いたこともないですし、友達とトラブルを起こしたようなこともないと思います。人美はどうも同性から好かれるタイプのようで、きっと男の子っぽいところがあるからだと思うんですが、友達グループのリーダー的存在のようです。そう、今の人美を一言で表すのなら、男の子っぽい子です」「小さいころはどんなでしたか、手紙によると小学校のころは人見知りが激しかったとありますが」
「中学校に上がるまではとてもおとなしい内気な子でした。一人で本を読んだり、絵を描いたり、とにかく友達と遊ぶことよりも一人でいることのほうが好きな子でした。それでも六年生の時には、一人だけ仲のいい子がいたのですが、手紙のとおり、あの事件の後どこかへ行ってしまいました」
「そういうおとなしい性格は小学校に上がる前からですか」
「そうですね。いじめの原因もおそらくその辺にあるのでは? と思います」
「すると中学に入ってから、徐々に今の人美さんに変わっていったということですね」
「ええ。中学に入学してからは物事に対して積極的になってきました。友達を作ること、学校の勉強や部活動、このころからテニスを始めました。それからピアノ。実はそれまでは何度となく止めたいと言ったことがあったのですが…… いずれにしても、人美は中学から変わり始めました」
「何がそうさせたのでしょう。心当たりはありませんか」
「分かりません。私も妻も特別何かをしたわけではありませんから。ただ、今だに付き合っている友人ができたことが、一つにはあるのかも知れないです」
「参考までに名前をお教えいただけますか」
「その娘は泉彩香さんといいまして、家の近所に住んでる娘さんです。小学校も一緒だったんですが同じクラスにはならず…… 二人はとても馬が合ったようです。何しろ進学する高校も二人で相談して決めたようですから。実は、今日もその娘さんと荒崎海岸に遊びに行っているんです」
「やっと元気になったみたいだね」
彩香は人美の肩に手を添えながら優しく言った。
「ごめんね。何だか急に悲しくなっちゃって」
人美は彩香の顔を見た。彼女は黙って微笑んでいた。
「実はね、彩香に聞いてもらいたいことがあるの」
「なーに、急にあらたまっちゃって。さては恋の相談とか。好きな人でもできたの?」
彩香はわざと見当外れなことを言ってみた。彼女には何となく予想がついていた、人美に何かが起きているということが。
「うーん、それならいいんだけど…… そうじゃなくてね。最近同じ夢を見るの、しかも一晩に何度も何度も」
「どんな夢なの。怖い夢?」
人美は夢のことを話し始めた。
少女は薄暗い浜辺の波打ち際に一人たたずんでいた。優しくも冷たい穏やかな波が素足の足に触れていた。少女の頬には、海から吹く生ぬるい少し湿った風が当たっていた。辺りの景色は霧がかかっていてよく見えなかったが、沖合の小さな灯台の小さな灯が、わずかに見え隠れしていた。
少女は、そう、それは自分、人美だった。
「誰か、ねえ、誰かいないの。お父さん! お母さん! 彩香! 誰か、誰か返事をしてよ。私はここにいるのよ!」
少女は耳を澄ました。だが、その返事に答える者はいなかった。不安、さびしさ、孤独、恐れ、そんな感情が沸き出してきた。
「帰りたい。早く家に帰りたい」
少女は全力で走り出した―この感情から逃れるために。しかし、走っても走っても、少女の目に映る光景は変わらなかった。やがて少女は息を切らし、膝を突き、腕を突いた。「どうして誰もいないの。誰か返事をしてよ!」
気が狂いそうだった。一体どうしたらよいのか、何をどうすれば状況を変えることができるのか、もはやその判断力は失われていた。
その時、少女の背後から地響きのような低い枯れた声がした。
「私ならここにいる」
少女には後ろを振り向く勇気はなかった。恐怖に体は震え、血の気が引いていくのが自分でも分かった。
「私ならここにいる。ここにいる。ここにいる」
その声は徐々に少女の背後に迫って来た。
もうだめだ、終わりだ。これで、これでもう終わりなんだ
少女の心を絶望が支配していた。
「私はここにいる。さあ、振り向いてごらん。私はここにいる」
その声はますます近づいて来た。少女はすべてをあきらめて振り向こうとした。
その時、少女の前方から何かが近づいて来た。
人? 誰、男の人
「振り向いてはだめだぁ! さあ、こっちへ来るんだ!」
少女はその声の方に手を伸ばした。男も手を伸ばした。
もうちょっと、もう少しで手を握り合うことができる。あの手を掴めば、私はここから逃げられる!
穏やかだった波が急に激しく怒り狂い始めた。
「私はここにいる。さあ、振り向いてごらん。私はここにいる」
「振り向いてはだめだぁ!」
少女は必死に手を伸ばした。
後もう少し、ほんの僅か
二人の手は触れる寸前だった。しかし―
しかし、大きな波が少女をのみ込んだ。少女は波に翻弄されながら苦しみ悶えた。そしてほんの一瞬、波の隙間から背後に迫っていた声の主の姿を見た。
それは…… それは人美だった。
彩香はじっと人美の話しに聞きいっていた。そして彼女が話し終わり、プルプルと震え出すと、その肩を強く抱き締めて力強く言った。
「大丈夫よ、人美。何も心配しなくても大丈夫。ただの夢よ、夢。人美、想像力豊だから、怖い夢を見たのよ」
自分が何の説得力もないことを言っているということが、彩香には分かっていた。しかし、怯える人美を目の前にして、今はこれ以外に言葉がみつけられなかった。
続く…
「もしもし、沢木ですが。いい家は見つかったかな?」
その時、秋山は不動産屋に連れられて物件の下見をしているところだった。
「ええ、今ちょうど家を下見しているところなんですが、これなら重役も気に入ってくれそうです」
重役? ああ、そういう設定にしたのか
沢木は答えた。
「そうか、よかった。今どの辺にいるの?」
「森山神社の近くです。分かります?」
「ああ、僕の家の近くだよ。それじゃ、悪いけど一度逗子まで戻ってくれるかな。二時半にJR逗子駅の近くの喫茶店で落ち合おう。喫茶店の場所は……」
「分かりました。では二時半に」
沢木は京浜急行の日ノ出町駅まで社の車で送ってもらい、そこから新逗子駅までを電車で移動した。日ノ出町から新逗子までは、新逗子行きの急行に乗ればおよそ三十分で到着する。
新逗子駅に降り立った沢木は、逗子にあるもう一つの駅―JR逗子駅近くにある喫茶店に向かって歩き、二時半少し前にその待ち合わせ場所に到着した。
沢木が店に入ると、既に秋山は本を読みながら彼の到着を待っていた。
「お待たせ、暑い中ご苦労だったね。早速だけど、家の件を聞かせてもらえる」
「はい。見て来たのは三軒です」
秋山はそう言いながら、読んでいた本を鞄にしまい、替わりに葉山町の地図を取り出した。その時、沢木には秋山が読んでいた本の題名が見えた。
ファイア・スターターか
それはスティーブン・キングの小説で、超能力を持つ少女の話しだった。
特別な思い入れを持たなければいいんだが
沢木は秋山の顔をじっと見つめ、ふと、そんなことを思い不安な気持ちになった。が、次の瞬間、強い化粧の匂いを感じた。
「ご注文は?」
喫茶店の若い女の店員が沢木に注文を聞いてきた。匂いの源はその店員だった。歳はおそらく二十歳前後なのだろうが、厚い化粧のために老けて見えた。髪はやや茶色く、ピンクの口紅と、真っ赤なマニキュアで飾り立てていた。化粧さえ取ればそれなりにかわいい娘だと思うのだが、装いとはその人間の精神を反映しているものだ。
沢木はこういうタイプの女性が好きではなかった。彼はもっと清楚な感じの―そう、秋山のような飾らない女性が好きだった。秋山はいつも髪を後ろに束ね、うっすらとした化粧で、服装も地味なものが好みのようだった。
今日の髪型、何といったっけ?
彼女の長い黒髪は奇麗に編み込まれ、後頭部のところで団子状に束ねられていた。そしてその団子の上には、真っ白い柔らかなリボンが花咲いていた。
確か前に聞いたんだけど―そうだ、シニヨン
秋山の髪型の基本形は後ろで髪を束ねることである。最も多いのは束ねた髪をバレッタで止めること。次いでポニーテール。そして今日のように、たまにシニヨンと白いリボンになる。
そういえばぁ、髪を下ろしたとこ見たことないなぁ
沢木はそんなことを思った。
元々技術者を目指していた秋山は、普段の事務的な仕事よりも、“現場”での仕事が好きだった。沢木と一緒に工場で作業するような時には沢木組カラーのオレンジ色の作業着を着て、油にまみれて仕事をすることもあった。彼女は常に生き生きと仕事をしていたが、好奇心旺盛な少年のように瞳を輝かせるのは、やはりその時だろう。そして、種子島の宇宙センターに、人工衛星プロメテウスの打ち上げを見学しに行った時などは、もう完全に子供に戻ってしまっていた。沢木はそんな秋山の顔を見ていると、彼女の両方のほっぺたを思い切り、ぐにゅーっと、つねってやりたい衝動に駆られるのだった。彼にとって秋山は、常に安らぎと清涼感を与えてくれる女性であった。
「まだお決まりにならないんですか?」
店員のいらいらした声に、沢木ははっとして答えた。
「ああっ。えーと、アイスコーヒー」
秋山はテーブルに地図を広げ、場所を指で示しながら説明した。
「三軒の場所は、ここと、ここと、ここです。どれも一軒家です」
沢木の頭の切り換えはいつでも光速だった。彼は地図をのぞき込みながら尋ねた。
「んーん、どこも白石邸から一キロくらいの距離か。二階建ての家はある」
「すべてそうです」
「周辺が開けているのは?」
沢木は電波の通り道を考えていた。
「そうですね。この二軒でしょうか」
秋山が示した場所の一つは、先ほどの電話で言っていた森山神社の近く、もう一軒は小学校の近くだった。
「駐車場はある?」
「どちらもありますが、森山神社側の家はそこまでの道が狭いので、軽自動車しか入れないかと」
「そうか、では決まりだな。ここにしよう」
沢木は小学校に近いその場所を指差して言った。
「はい、分かりました。でも、ちょっと残念だなぁー。森山神社側の家の方がおしゃれな作りで気に入ってたのに」
秋山は無邪気な笑顔を浮かべながら言った。その表情は、沢木が先ほど一瞬思った不安を忘れさせてくれた。
アイスコーヒーがテーブルに来ると、沢木は腕時計を見ながら言った。
「さて、まだ時間もあることだし、話しでもして時間をつぶすそうか」
「すいません。気を使っていただいて」
「何で?」
「だって、沢木さん一人ならこんなに早く逗子に来ることなかったでしょう。私の暇つぶしに付き合ってもらちゃって」
秋山は沢木のことを尊敬すると同時に、一人の男性として好きだった。しかし、その気持ちを沢木に言ったことはなかったし、それを匂わせるようなことも一度も言ったことがなかった。彼女は、沢木がいつか自分に振り向いてくれることをただ切々と願っていた。一方、沢木は秋山をパートナーとして信頼すると同時に、彼女の能力を高く評価していた。そして、彼女のことがとても好きだった。しかし、その気持ちは恋愛感情というまでには至っていない。なぜなら、恋愛感情を抑制する記憶が彼の脳裏にあるからだ。沢木はその記憶から逃れたかったが、逃れようとすればするほど、その記憶が蘇ってくるのだった。
沢木は思った。
君と一緒にいたいから…… 何て言えたらなぁ。ああ、また思い出してしまった。美和、なぜ君は……
「沢木さん、どうしたんです?」
沢木はその声に我を取り戻した。
「ええ、何に」
秋山は、沢木が時々物思いに耽ることが気になっていた。
ドンドンドンドン
白石会長の書斎のドアがせわしなくノックされると、家政婦の一人の橋爪京子が入って来た。
「ノックは静かにしてくれといつも言っているだろう」
白石は呆れた顔で言った。
「申し訳ありません、旦那様。あのー、見山様がお越しになりましたが」
「そうか、ここへ通してくれ」
しばらくすると、橋爪に案内されて見山哲司が入って来た。
「どうも、こんにちは。少し早かったでしょうか」
見山は遠慮がちに言った。時刻は三時四十五分を示していた。
「いやいや、別に構わんよ。暇を持て余す隠居の身だからな」
「ご謙遜を」
橋爪は二人がソファに腰掛けたのを確認すると見山に尋ねた。
「コーヒーでよろしいでしょうか。それとも何か冷たいものにいたしますか」
「すみません、コーヒーで結構です」
「わしにも同じものをくれ」
「かしこまりました」
橋爪は二人にお辞儀をした後、書斎を出て行った。
「ところで、例の件なんですが。昨日電話で言っておられた沢木さんというのは、どんな人なのでしょうか」
見山は不安げな表情をして言った。
「心配するな。沢木は我が相模重工の頭脳と言ってもいいほどの優れた技術者であると同時に、わしが女房の次に信頼する人間だ。彼に任しておけば、必ず何か掴んでくれるはずだ。まあ、まもなくここへ来るから、本人を見れば安心するだろう」
「そうですか。すると人美に関する調査も、その沢木さんが行うのですね」
「まあ、どこまでできるかは分からんが、沢木は一度やると決めたことはとことんやる男だ。決してあきらめず、弱音を吐かず、自分の知を武器に難問に挑む男だ。だたし、今度ばかりは彼も苦労するだろうがね」
見山は深々と頭を下げながら言った。
「本当に、何と言ったらいいのか。感謝してます」
「おいおい、見山君、礼を言うのはまだ早いぞ、我々はまだ何もしていないんだから―ところで、出発の準備はもうできたかね」
「ええ、後は出発を待つばかりです。できればこのまま人美の側にいたいのですが……ああ。それと、人美のほうの荷物は今度の日曜日に運送屋に運んでもらいますが、それでよろしいでしょうか?」
「ああ、結構だ。人美さんが入る部屋は改装する予定だし、女房は妙に張り切ってる。こちらの受け入れ準備は万全だよ。ところで、人美さんは今日はどうしているかね?」
「ええ、友達と荒崎海岸に遊びに行っています」
人美と彩香は海の家の座敷を陣取り、かき氷を食べていた。
人美たちのお気に入りの場所から海のほうへ下って行くと、ほんの僅かだが砂浜がある。そこにはテントがいくつか張られ、日光浴をする人やバーベキューをする人たちで、若干のにぎわいをみせていた。二人が今いる海の家は、その砂浜にポツンと一軒だけたたずむ、こぢんまりとした海の家だった。
「彩香、受験する大学もう決めたの?」
「んーん、まだだよ」
彩香はかき氷を食べるのに夢中だった。
「のんきね。普通の高校三年生は、今ごろは夏季講習なんかに出たりして、忙しい勉強の毎日を送っているものよ」
人美がいたずらっぽく言うと、彩香はスプーンを動かす手を止めて答えた。
「それはそうなんだけどね。でも、受験は再来年でもできるじゃない。でも、でもね。人美とこうやって過ごせる夏は、この夏が最後になるかも知れないし……」
彩香は少しさびしそうな顔をして続けた。
「だったら、私は人美といることのほうが大事よ。だって、人美は私の親友だもの。赤毛のアン風に言えば、心の友ってところね」
人美はとても幸せな気持ちだった。目の前にいるこの少女は、彼女自身の大学進学のことよりも、自分といることのほうが大事だと言ってくれている。今までにも多くの感動をしてきたが、自分のことを気遣ってくれる友人が、今、確かに目の前にいるということは、最大級の感動となって人美の心を打った。
「彩香、ありがとう」
人美の目からは涙が溢れ出ていた。
「やだ、人美。何も泣くことないじゃない。そんなに感動しちゃったの?」
彩香は少しおどけてみせた。
それもあるけど
人美は思った。
それもあるけど、それだけじゃない。それだけじゃない何かが。そのせいで涙が出てくるの。どうして、何でなの
白石会長の書斎には既に沢木と秋山が到着していた。初対面のあいさつを済ませた彼らはそれぞれ席についた。見山の正面に沢木が座り、その横には秋山が。白石は少し離れた机のところにある、肘掛け椅子に腰掛けた。
沢木は見山をじっと見据えてその風貌を観察していた。やや太目の体形と、薄くなった白髪混じりの髪の毛、眼鏡をかけた四角い顔。その顔は人のよさそうな、正直そうな印象を沢木に与えた。おそらく今までの人生を実直に、真面目に生きてきたのだろう。沢木はそんなことを思った。
一方、見山も沢木の人物像を考えていた。何しろ、大事な娘の極めてデリケートな問題を扱う人物なのだから、その人物について強い関心を持って当然である。見山が最初に思ったことは、この男は一体いくつなのだろうか、ということだった。外見だけなら二十代後半くらいでも通用するような若々しい顔をしているが、そんなに若いとも考えにくい。いかにも賢そうな、頭脳明晰そうな顔をしている。白石があれほど信頼している人物なのだから、自分も信頼していいのだろうが、上辺のおとなしそうな外見とは違う、何か激しいものを持っているように思えた。それは何なのだろう……
「それではいろいろと質問をさせて頂きたいと思います」
沢木が言った。
「分かりました。どうぞ、何なりと質問してください」
見山は神妙な趣で答えた。
「では、まず人美さんについてですが、見山さんが手紙に記された四件の出来事以外にも、何か類似したような出来事は起こっているのでしょうか。どんな些細な出来事でも構いません、何かあればお話ししていただきたいのですが」
「いいえ、私の知る限りではほかには何もないです。私もいろいろと思い出そうとしたのですが、あれ以外には何も起きていないと思います」
「そうですか。人美さんはどんなお子さんですか」
「んーん、そうですね」
見山の表情が心なしか明るくなった。
「人美はまず感性のとても豊かな子だと思います。そして、想像力の豊かな子だと。人美の好きなことは、読書にピアノ―これは小学校に上がる前から習わせてまして、ちょっとした腕前なんです。それから絵もたまに描いています。色鉛筆を使って淡い色彩の絵を描いていますね、主に風景画です。人美はそういった、空想とか、創作といった作業をするのが大好きな子です。後はテニス、硬式テニス部に入っていました。三年生の部活は夏までで終わりだそうで、とても残念がってました…… そうそう、この夏はいつになくよく海に遊びに行ってますね。何でも素潜りに凝っているとか。海の中で見た光景のことをよく聞かせてくれます」
「性格は?」
「明るくて、気持ちの優しい子です。人の悪口を言ったのを聞いたこともないですし、友達とトラブルを起こしたようなこともないと思います。人美はどうも同性から好かれるタイプのようで、きっと男の子っぽいところがあるからだと思うんですが、友達グループのリーダー的存在のようです。そう、今の人美を一言で表すのなら、男の子っぽい子です」「小さいころはどんなでしたか、手紙によると小学校のころは人見知りが激しかったとありますが」
「中学校に上がるまではとてもおとなしい内気な子でした。一人で本を読んだり、絵を描いたり、とにかく友達と遊ぶことよりも一人でいることのほうが好きな子でした。それでも六年生の時には、一人だけ仲のいい子がいたのですが、手紙のとおり、あの事件の後どこかへ行ってしまいました」
「そういうおとなしい性格は小学校に上がる前からですか」
「そうですね。いじめの原因もおそらくその辺にあるのでは? と思います」
「すると中学に入ってから、徐々に今の人美さんに変わっていったということですね」
「ええ。中学に入学してからは物事に対して積極的になってきました。友達を作ること、学校の勉強や部活動、このころからテニスを始めました。それからピアノ。実はそれまでは何度となく止めたいと言ったことがあったのですが…… いずれにしても、人美は中学から変わり始めました」
「何がそうさせたのでしょう。心当たりはありませんか」
「分かりません。私も妻も特別何かをしたわけではありませんから。ただ、今だに付き合っている友人ができたことが、一つにはあるのかも知れないです」
「参考までに名前をお教えいただけますか」
「その娘は泉彩香さんといいまして、家の近所に住んでる娘さんです。小学校も一緒だったんですが同じクラスにはならず…… 二人はとても馬が合ったようです。何しろ進学する高校も二人で相談して決めたようですから。実は、今日もその娘さんと荒崎海岸に遊びに行っているんです」
「やっと元気になったみたいだね」
彩香は人美の肩に手を添えながら優しく言った。
「ごめんね。何だか急に悲しくなっちゃって」
人美は彩香の顔を見た。彼女は黙って微笑んでいた。
「実はね、彩香に聞いてもらいたいことがあるの」
「なーに、急にあらたまっちゃって。さては恋の相談とか。好きな人でもできたの?」
彩香はわざと見当外れなことを言ってみた。彼女には何となく予想がついていた、人美に何かが起きているということが。
「うーん、それならいいんだけど…… そうじゃなくてね。最近同じ夢を見るの、しかも一晩に何度も何度も」
「どんな夢なの。怖い夢?」
人美は夢のことを話し始めた。
少女は薄暗い浜辺の波打ち際に一人たたずんでいた。優しくも冷たい穏やかな波が素足の足に触れていた。少女の頬には、海から吹く生ぬるい少し湿った風が当たっていた。辺りの景色は霧がかかっていてよく見えなかったが、沖合の小さな灯台の小さな灯が、わずかに見え隠れしていた。
少女は、そう、それは自分、人美だった。
「誰か、ねえ、誰かいないの。お父さん! お母さん! 彩香! 誰か、誰か返事をしてよ。私はここにいるのよ!」
少女は耳を澄ました。だが、その返事に答える者はいなかった。不安、さびしさ、孤独、恐れ、そんな感情が沸き出してきた。
「帰りたい。早く家に帰りたい」
少女は全力で走り出した―この感情から逃れるために。しかし、走っても走っても、少女の目に映る光景は変わらなかった。やがて少女は息を切らし、膝を突き、腕を突いた。「どうして誰もいないの。誰か返事をしてよ!」
気が狂いそうだった。一体どうしたらよいのか、何をどうすれば状況を変えることができるのか、もはやその判断力は失われていた。
その時、少女の背後から地響きのような低い枯れた声がした。
「私ならここにいる」
少女には後ろを振り向く勇気はなかった。恐怖に体は震え、血の気が引いていくのが自分でも分かった。
「私ならここにいる。ここにいる。ここにいる」
その声は徐々に少女の背後に迫って来た。
もうだめだ、終わりだ。これで、これでもう終わりなんだ
少女の心を絶望が支配していた。
「私はここにいる。さあ、振り向いてごらん。私はここにいる」
その声はますます近づいて来た。少女はすべてをあきらめて振り向こうとした。
その時、少女の前方から何かが近づいて来た。
人? 誰、男の人
「振り向いてはだめだぁ! さあ、こっちへ来るんだ!」
少女はその声の方に手を伸ばした。男も手を伸ばした。
もうちょっと、もう少しで手を握り合うことができる。あの手を掴めば、私はここから逃げられる!
穏やかだった波が急に激しく怒り狂い始めた。
「私はここにいる。さあ、振り向いてごらん。私はここにいる」
「振り向いてはだめだぁ!」
少女は必死に手を伸ばした。
後もう少し、ほんの僅か
二人の手は触れる寸前だった。しかし―
しかし、大きな波が少女をのみ込んだ。少女は波に翻弄されながら苦しみ悶えた。そしてほんの一瞬、波の隙間から背後に迫っていた声の主の姿を見た。
それは…… それは人美だった。
彩香はじっと人美の話しに聞きいっていた。そして彼女が話し終わり、プルプルと震え出すと、その肩を強く抱き締めて力強く言った。
「大丈夫よ、人美。何も心配しなくても大丈夫。ただの夢よ、夢。人美、想像力豊だから、怖い夢を見たのよ」
自分が何の説得力もないことを言っているということが、彩香には分かっていた。しかし、怯える人美を目の前にして、今はこれ以外に言葉がみつけられなかった。
続く…
2009年11月25日水曜日
流麗なシステム開発の上流工程
私には今ある企画があります。まだその内容を書くべき時ではありませんが、「流麗なシステム開発の上流工程」を実現したいと考えています。
この世界には、さまざまな人々の中に、知識や経験、アイデアがあります。これらを束ねることができれば、「流麗な」と表現できるような方法論を構築できるかも知れません。あるいは、革新を起こせるとか…
いずれにしても、私は常に向上心と学ぶ心を持って、生きていきたいです…
この世界には、さまざまな人々の中に、知識や経験、アイデアがあります。これらを束ねることができれば、「流麗な」と表現できるような方法論を構築できるかも知れません。あるいは、革新を起こせるとか…
いずれにしても、私は常に向上心と学ぶ心を持って、生きていきたいです…
ストレス
ラベル:
その他
私は今非常にストレスを感じていることがあります。それは、上席とパイプを持つあるシステムインテグレーターの営業が、私の前をうろついていることです。それは例えば、社長の知り合いがSIerにいて、そのつながりで私の前に現れる。ところが大した技術力も提案力もなく、昔話だけは立派というようなことです。
上席とのつながりがなければ戦力外通告で終わるのですが、私もサラリーマンとして、上席の顔はできれば立ててあげたい。しかし、所詮は前時代的な知識と方法論しか持ち合わせていないので、相手にする私は時間を浪費するだけです。
○○銀行出身とか、大手IT企業出身とか、私の経験上そういう人に多くみられる傾向です。確かにあなたには立派な実績があるかもしれませんが、それを今語られても時代が違うんですが… ある権威を味わってしまった人間は、学ぶことを怠るようになってしまうのかもしれません。私は、決してそうはなりたくありません…
上席とのつながりがなければ戦力外通告で終わるのですが、私もサラリーマンとして、上席の顔はできれば立ててあげたい。しかし、所詮は前時代的な知識と方法論しか持ち合わせていないので、相手にする私は時間を浪費するだけです。
○○銀行出身とか、大手IT企業出身とか、私の経験上そういう人に多くみられる傾向です。確かにあなたには立派な実績があるかもしれませんが、それを今語られても時代が違うんですが… ある権威を味わってしまった人間は、学ぶことを怠るようになってしまうのかもしれません。私は、決してそうはなりたくありません…
2009年11月24日火曜日
alan 2nd ALBUM 『my life』
ラベル:
その他
alanの2ndアルバムがAmazonから送られてきました。まだ全部は聞いていませんが、my lifeはPVが美麗で良い曲です。付属のDVDはファンには嬉しい仕上がりです。今、iPhoneにインポート中なので、明日の通勤が楽しみです。
小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(6)
白石会長の自宅は、葉山町と横須賀市の境に近い海沿いの山の中腹にあり、そこへは国道一三四号線から続く、細い急な坂道を登って行かなくてはならない。その家はとても老夫婦二人で住むには広過ぎる大きさで、二人の中年女性の家政婦がいることが、せめてもの救いだった。しかし、夜にはにぎやかな二人の女性も帰ってしまうため、家の電気はところどころしかつかず、近所の子供たちはお化け屋敷と呼んでいた。芝生が敷き詰められた庭の一角にはプールもあったが、これを利用する者はこの家にはいなかった。
プールの見える居間のソファに座り、白石夫婦は話しをしていた。
「来週の今ごろには、もう人美さんがこの家にいるんですね」
白石の妻である千寿子が、そう言って話しかけた。
「そうだな。わしは女の子が欲しかったから楽しみだよ」
「あら、父親気取りをしようというおつもりなの」
「それじゃいかんか?」
「誰がどう考えても、十八の娘さんは孫ですよ。まぁーご」
白石は憮然たる表情で言った。
「余計なことは言わんでいい」
千寿子は苦笑しながら視線を暗闇の中に浮かぶプールに移すと、溜め息混じりに言った。
「あのプールも使われなくなって何年になるでしょうね」
「んん、和哉が家に遊びに来てくれれば、孫たちが使うだろうになぁ」
和哉とは、白石夫婦の一人息子の名であった。父と息子は対立し合い、家族としての交流もあまりなかった。
白石は千寿子を見つめてつぶやくように言った。
「やはり、わしが悪かったのだろうか?」
「誰も悪くなんてありませんよ。ただちょっと、二人に辛抱がなかっただけです」
「お前にもすまないと思っているよ」
千寿子は静かにうなずくと、声を明るい調子に変えた。
「あのプール、掃除しとかなくちゃね。人美さん泳ぎが得意だそうだから、きっと夏の間中使ってくれるでしょう。あなた…… あなたそれを眺めてばかりいてはだめよ」
二人は声を出して笑った。そこへ電話がかかってきた。千寿子は電話を受け白石に告げた。
「あなた、沢木さんからお電話です」
白石は千寿子から受話器を受け取り答えた。
「もしもし、わしだ。どうした」
「今日、例の件で会議を開き明日から動き始めますので、まずはその報告を」
「そうか。メンバーは誰だ」
「秋山、片山、岡林、松下、それに総合研究所の桑原久代と情報管理室の渡辺昭寛の六人です」
「んん、申し分ないな」
「ところで会長、見山氏にお会いする機会を出発前に一度作って頂けないでしょうか。直接お伺いしたいことがあるんです。できれば早急に」
「そうか。それならちょうど明日の午後四時に見山君が家に来ることになっているから、そこへ君も来ればいい。彼にはこの後電話で伝えておくよ」
「助かります。では、明日お伺いしますので、詳細はその時に」
八月一日、火曜日。沢木はやはり午前九時に出社した。いつものように秋山がコーヒーを持って入って来たが、今日は片山と一緒だった。
「おはよう。こんなに早く出社して、体を悪くするなよ」
片山がからかうと、沢木は答えた。
「昨日も秋山さんに同じようなことを言われたよ」
秋山が笑いながら言う。
「誰だって言いますよ。いつもはお昼近くになってやっと来る人が、いきなり早く来るんですもの」
沢木はここ半年あまり、まともな時間に出社したことは一度もなかった。
「まあ、そう言うなよ。一応普段だって早く来ようとは思っているんだから……」
片山が突っ込んだ。
「思ってるだけじゃなぁ。まあ、いつまで続くか見物だな」
口をへの字に曲げる沢木を見ながら、秋山と片山が笑った。
「それはそうと沢木さん。私たちはこれから葉山に行ってきます。私は不動産屋さんをあたりますので」
「俺は白石邸の下見をしてくる」
「分かった。実は私も午後から葉山に戻るんだ。四時に会長宅で見山氏と会うことになっているんでね」
秋山は考えながら言った。
「そうなんですかぁ…… 沢木さん、私も一緒に行っていいですか?」
「それは構わないが、何かわけでも」
「特別なわけはないんですが、ただ、人美さんのことがとても気になるので、見山氏の話しに興味があるんです」
沢木は秋山の不安げな表情を見ながら、昨日の会議の後で秋山が言ったことを思い出した。
「そうか、いいよ。どこかで落ち合って一緒に行こう。場所と時間は後で僕のほうから連絡するよ」
時計の針がそろそろ午前十一時を指そうという時刻になって、人美は母の呼び声で目を覚ました。
「人美、人美、彩香ちゃんから電話よ。人美、起きて!」
人美はしばらくの間ベットの上で呆然としていたが、状況を理解すると急いで一階に下りて行った。そして母から受話器を受け取ると、息を切らしながらしゃべった。
「はっ、はい。人美ですけれど」
「何だー、今起きたの。相変わらずねぼすけね」
その声の主は人美の親友の泉彩香だった。人美と彩香は中学校時代からの付き合いで、進学する高校も一緒に決めた仲だった。
彩香は外見も性格も、人美とはほとんど正反対であった。彼女の髪は肩から腰の中間くらいまで伸ばされた黒く艶やかなストレートで、日本的な、なおかつ幼さの残った顔立ちをしていた。人美をボーイッシュとするならば、彩香は女の子らしい女の子といえるだろう。
「ああ、彩香か。どうしたの?」
彩香はいらいらした口調で言った。
「もう、どうしたのじゃなくて。今日は荒崎に遊びに行こうって、人美のほうから誘ってきたんじゃない」
この日、二人は荒崎海岸に遊びに行く約束をしていたのだが、人美はそれをすっかり忘れてしまっていた。その原因は、土曜日の晩から見始めた夢のせいであり、昨夜も人美はその夢を見たのだった。眠りにつきしばらくするとその夢が始まり目を覚ます。再び眠りにつくとまた同じ夢を見る。朝になるまでこれの繰り返しで寝た気がしなかった。これが土曜の晩から昨晩まで、もう三日も続いているのだった。
「ああ、そうだったね。ごめんごめん。お昼食べたらすぐ迎えに行くよ」
「だから、お昼はサンドイッチを私が用意するって―人美、変よ。何かあったの?」
彩香の感情はいらだちから心配に変わった。なぜなら、人美は今まで約束を守らなかったことなどただの一度もなかったし、ましてやそれ自体を忘れてしまうということは、考えられないことだったからだ。彩香は思った。
何かあるんだ、絶対に
「んーん、大丈夫よ、何でもない。寝惚けてただけよ。じゃあ、今すぐ行くから、待っててね」
人美は電話を切った後に、夢のことを脳裏に描きながら思った。
とはいったものの、やっぱり彩香に聞いてもらおうかな。何で同じ夢ばっかり見るんだろう。こんなこと今までなかったのに……
そのころ、渡辺昭寛は相模重工本社の近くにある神奈川県警察本部で、ある人物と会っていた。その人物とは、十一年前の幼女連続誘拐殺人事件の捜査本部長を務めていた神村県警副本部長で、当時は県警本部の捜査課長だった。渡辺はかつてのつてを通じて、彼への面会を求めたのである。
神村が言った。
「お噂はかねがね聞いてますよ。SOPの中でも相当の凄腕だったそうじゃないですか。例の東京サミットの時も作戦に参加していたんでしょう、あれは鮮やかだった。聞くところによると、米軍は特殊部隊まで出動させようとしたそうじゃないですか。何で辞めてしまったんです。SOPも惜しい人材をなくしましたよね……」
渡辺には過去の栄光を語る気はなかった。
「まあ、そこのところは勘弁してください。今は相模の番犬ですから」
渡辺は今の職場を歓迎してはいなかった。SOPを辞めた後に相模重工に拾われ、情報管理室室長の肩書と二倍近い年収を得たが、要は相模の番犬でしかないと悲観的になっていた。SOPにいたころは、自らの命をかけてテロと戦い、多くの要人や市民、仲間の命を救ってきた。それは知恵と勇気、挑戦に満ち溢れた、危険だがやりがいのある仕事だった。それに比べて今の仕事は何の緊張感もなく、ただ過ぎていく時間に溺れながら過ごしているだけだと考えていた。しかし、そうかといってほかに仕事のあてもなく、もう自分の人生は半ば終わったかのごとく、彼は日々を過ごしていた。
「相模重工とは、また変わった再就職先ですな」
「自分でもそう思いますよ。さて、そろそろ本題に入りたいのですが」
「ああ、そうですね。えーと、十一年前三浦半島地区で起きた幼女連続誘拐殺人事件のことでしたね」
神村は、まるで昨日起きたことを話すような鮮明な言葉で、事件のことを語り始めた。
「いい眺めですね。こんな景色のいい部屋に住んでみたいですよ」
片山は窓から見える海を見ながら、白石会長に向かって感想を漏らした。二人がいるのは人美がまもなく入居する二階の角部屋だった。
片山広平が相模重工に入社したのは今から九年前、早稲田大学理工学部を卒業してすぐのことだった。入社当時の彼が籍を置いていたのは、船舶事業部システム開発室であったが、上司との馬が合わず、二年後には航空宇宙事業部飛翔体研究室に転属した。しかし、ここでも上司と折り合いがつかず、その後メカトロニクス事業部、エネルギー事業部と、まるでジプシーのように社内をさ迷い歩いた。歴代の上司たちに言わせれば、彼はトラブル・メーカーであり、協調性に欠ける人間だった。だが、彼の実績は確かなもので、その証拠に、“センサーの魔術師”という異名を同僚たちからつけられていた。
そんな彼に目をつけたのが沢木だった。沢木はSMOS開発のスタート当初から片山をスタッフとして招き入れ、二人の協力関係のもとSMOSが完成された。なぜ二人の馬が合ったのか、それは彼らにも分からないだろうが、おそらく片山は、沢木の技術者としての類稀な創造力や緻密な思考、虚勢や見栄をはらない人間性に引かれたのではないだろうか。その後、総合技術管理部が沢木のもとに創設され、その一員として片山の新たなる創造の歴史が始まった。
白石は言った。
「ならば君もせいぜい仕事に励むことだな。わしなどは君の年齢のころには寝食を忘れて設計に励んだものだ。しかも、CAD設計などという小生意気なものがない時代にだぞ。それに比べれば今は随分と便利になった……」
片山は白石を尊敬していたが、この説教癖だけはやめてもらいたいと常々思っていた。 今年で七十二歳になった白石功三は、沢木をはじめとする若い人間たちと接するのが好きで、何かと理由をつけては沢木たちを家に招き持て成していた。彼にとって、若い世代の夢や想像力に触れることは、大きな楽しみの一つなのだ。
そんな彼は、技術の分野では“YS‐11を創った男”の一人として知られている。
相模重工は彼の父が起こした会社であり、戦前は軍艦や戦闘機の製造を行っていた。少年時代の白石は飛行機が好きで、戦闘機の製造部門に出入りしているうちに、自然と技術者を目指すようになった。そして、一九五九年に国産初の旅客機開発プロジェクトが発足すると、彼は機体設計の責任者に抜擢された。一九六二年に就航し、一九七三年に一八三機の製造を持って生産を終えたYS‐11は、夢や情熱を飛行機に捧げた男たちの手によって生み出されたのだ。しかし、その後の旅客機開発はさまざまな要因のために進展せず、国内の航空機業界は冬の時代を迎えることとなる。
父が急死し、四十三歳の若さで社長に就任した彼は、相模の生き残りの道を求め、次第に兵器製造部門の比重を増やしていくこととなる。しかし、敗戦と戦後日本の移り変わりを垣間見てきた彼にとって、それは厳しい選択でもあった。
片山は、白石の説教はごめんだが、そうかといって話しを中断させるわけにもいかず困り果てていた。そこに助け舟が現れた―千寿子だった。
「お話中ごめんなさい。片山さん、お昼食べていかれるでしょう。用意しましたから、召し上がってってくださいね」
「ああ、奥さん。お手間をかけさせてしまってすみません。遠慮なくご馳走になります」 その返事を聞いた千寿子は、ニコニコしながら去って行った。
「ところで会長。この部屋にはエアコンがないですね」
「確かに、エアコンはない。何か問題があるか?」
白石は不思議そうな顔をして言った。
「ええ、少しばかり。見山人美にはなるべく体温を低く保ってもらいたいんです。それと、部屋の室温も低いほうがいいので―エアコンは私のほうで特製のものを用意しますから、それを取り付けさせてください」
「うむ、それは構わんが。なぜだ?」
「赤外線の放射量をなるべく抑えたいんですよ。つまり、ノイズを少しでも減らして、聞きたい音を聞こえやすくしたいんです」
白石はしばし考え込んだ後に言った。
「その音とは…… つまり、人美さんの心の声のことだな」
「そうです」
「で、実際PPSはどれだけやれるんだ」
片山は薄い笑みを浮かべながら答えた。
「PPSの能力はいつだって最高ですよ。問題なのは、PPSが拾った信号をどう処理するか。つまり、沢木や岡林がどこまでやれるかにかかっています。まあ、彼らのお手並み拝見といったところですね」
「そうか、どうも最近のこじゃれた技術は分からんのう?」
「それから、会長。明後日辺りに技術スタッフを連れてまた来ますので。承知しておいてください。その時にPPSとエアコンの取り付けを行いますので」
「うむ、承知した。ところで片山」
白石は満面に笑みを浮かべてその後を続けた。
「ついでにこの部屋の改装もやってくれんか。きっと人美さんも喜ぶと思うんだが……」
荒崎海岸は三浦半島中央部の相模湾側に位置している。そこは砂浜が広がった普通の海岸とは異なり、岩が切り立つ絶壁と岩場により形成されていた。荒崎海岸の特徴は、波などの海水の運動により、この海岸を形成する貢岩と凝灰岩が浸食されてできた海飴台や海飴洞にあり、海飴とは海水の浸食作用のことを示す。
人美と彩香はそれぞれ自転車に乗り、約三十分かかって荒崎海岸に到着した。時刻は予定より遥かに遅い、午後一時ごろを示していた。二人は海岸へとつながる道の入り口にある駐車場の一角に自転車を止め、景色のいい場所に向かってテクテクと歩き始めた。
彩香が言った。
「あの場所、取られてないといいけどね」
二人は以前にも何度となくここを訪れているために、景色の奇麗な場所を知っているのだった。そのお目当ての場所には、絶壁沿いの細い獣道のような道を通って行く。しばらく登り道が続くと木々のトンネルに入るが、その内部は決して暗くはなかった。木々の葉の間からこぼれる白い光線は、葉の揺らぎに合わせて一緒に揺らめき、絶壁の一〇メートルくらい下にある海面からは、キラキラとした光の粒が飛び込んできていた。そして、そのトンネルを抜けると登り道も終わり、絶壁の頂に出る。その瞬間景色は一変し、青い空と青い海が一面に広がるのだった。
「やっぱり、ここの景色が一番奇麗だよね」
彩香が言った。
「うん。ほら見て、開いてるよ。行こう」
二人のお目当ての場所は、先客もなく二人を迎えてくれた。その場所は、今二人のいる位置から少し海側に下りたところにあり、そこは岩場に突き出した大きな岩の頂上が平になっているところだった。ここからの眺めはまさに絶品で、前方の海の奥には伊豆半島が、右手には江の島、左手には大島を一望でき、視界のよい日や日没時には、遥か彼方にそびえ立つ富士山を見ることができた。
二人は背負っていたバックパックを下ろすと、その岩の頂に“お店”を広げ、彩香が腕によりをかけて作ったサンドイッチの遅い昼食を食べ始めた。眼下に広がる岩場の波打ち際には激しい波が打ち寄せられ、白い水しぶきが延々と立ち上り、夏の強い陽光と青い空が二人を覆っていた。
続く…
プールの見える居間のソファに座り、白石夫婦は話しをしていた。
「来週の今ごろには、もう人美さんがこの家にいるんですね」
白石の妻である千寿子が、そう言って話しかけた。
「そうだな。わしは女の子が欲しかったから楽しみだよ」
「あら、父親気取りをしようというおつもりなの」
「それじゃいかんか?」
「誰がどう考えても、十八の娘さんは孫ですよ。まぁーご」
白石は憮然たる表情で言った。
「余計なことは言わんでいい」
千寿子は苦笑しながら視線を暗闇の中に浮かぶプールに移すと、溜め息混じりに言った。
「あのプールも使われなくなって何年になるでしょうね」
「んん、和哉が家に遊びに来てくれれば、孫たちが使うだろうになぁ」
和哉とは、白石夫婦の一人息子の名であった。父と息子は対立し合い、家族としての交流もあまりなかった。
白石は千寿子を見つめてつぶやくように言った。
「やはり、わしが悪かったのだろうか?」
「誰も悪くなんてありませんよ。ただちょっと、二人に辛抱がなかっただけです」
「お前にもすまないと思っているよ」
千寿子は静かにうなずくと、声を明るい調子に変えた。
「あのプール、掃除しとかなくちゃね。人美さん泳ぎが得意だそうだから、きっと夏の間中使ってくれるでしょう。あなた…… あなたそれを眺めてばかりいてはだめよ」
二人は声を出して笑った。そこへ電話がかかってきた。千寿子は電話を受け白石に告げた。
「あなた、沢木さんからお電話です」
白石は千寿子から受話器を受け取り答えた。
「もしもし、わしだ。どうした」
「今日、例の件で会議を開き明日から動き始めますので、まずはその報告を」
「そうか。メンバーは誰だ」
「秋山、片山、岡林、松下、それに総合研究所の桑原久代と情報管理室の渡辺昭寛の六人です」
「んん、申し分ないな」
「ところで会長、見山氏にお会いする機会を出発前に一度作って頂けないでしょうか。直接お伺いしたいことがあるんです。できれば早急に」
「そうか。それならちょうど明日の午後四時に見山君が家に来ることになっているから、そこへ君も来ればいい。彼にはこの後電話で伝えておくよ」
「助かります。では、明日お伺いしますので、詳細はその時に」
八月一日、火曜日。沢木はやはり午前九時に出社した。いつものように秋山がコーヒーを持って入って来たが、今日は片山と一緒だった。
「おはよう。こんなに早く出社して、体を悪くするなよ」
片山がからかうと、沢木は答えた。
「昨日も秋山さんに同じようなことを言われたよ」
秋山が笑いながら言う。
「誰だって言いますよ。いつもはお昼近くになってやっと来る人が、いきなり早く来るんですもの」
沢木はここ半年あまり、まともな時間に出社したことは一度もなかった。
「まあ、そう言うなよ。一応普段だって早く来ようとは思っているんだから……」
片山が突っ込んだ。
「思ってるだけじゃなぁ。まあ、いつまで続くか見物だな」
口をへの字に曲げる沢木を見ながら、秋山と片山が笑った。
「それはそうと沢木さん。私たちはこれから葉山に行ってきます。私は不動産屋さんをあたりますので」
「俺は白石邸の下見をしてくる」
「分かった。実は私も午後から葉山に戻るんだ。四時に会長宅で見山氏と会うことになっているんでね」
秋山は考えながら言った。
「そうなんですかぁ…… 沢木さん、私も一緒に行っていいですか?」
「それは構わないが、何かわけでも」
「特別なわけはないんですが、ただ、人美さんのことがとても気になるので、見山氏の話しに興味があるんです」
沢木は秋山の不安げな表情を見ながら、昨日の会議の後で秋山が言ったことを思い出した。
「そうか、いいよ。どこかで落ち合って一緒に行こう。場所と時間は後で僕のほうから連絡するよ」
時計の針がそろそろ午前十一時を指そうという時刻になって、人美は母の呼び声で目を覚ました。
「人美、人美、彩香ちゃんから電話よ。人美、起きて!」
人美はしばらくの間ベットの上で呆然としていたが、状況を理解すると急いで一階に下りて行った。そして母から受話器を受け取ると、息を切らしながらしゃべった。
「はっ、はい。人美ですけれど」
「何だー、今起きたの。相変わらずねぼすけね」
その声の主は人美の親友の泉彩香だった。人美と彩香は中学校時代からの付き合いで、進学する高校も一緒に決めた仲だった。
彩香は外見も性格も、人美とはほとんど正反対であった。彼女の髪は肩から腰の中間くらいまで伸ばされた黒く艶やかなストレートで、日本的な、なおかつ幼さの残った顔立ちをしていた。人美をボーイッシュとするならば、彩香は女の子らしい女の子といえるだろう。
「ああ、彩香か。どうしたの?」
彩香はいらいらした口調で言った。
「もう、どうしたのじゃなくて。今日は荒崎に遊びに行こうって、人美のほうから誘ってきたんじゃない」
この日、二人は荒崎海岸に遊びに行く約束をしていたのだが、人美はそれをすっかり忘れてしまっていた。その原因は、土曜日の晩から見始めた夢のせいであり、昨夜も人美はその夢を見たのだった。眠りにつきしばらくするとその夢が始まり目を覚ます。再び眠りにつくとまた同じ夢を見る。朝になるまでこれの繰り返しで寝た気がしなかった。これが土曜の晩から昨晩まで、もう三日も続いているのだった。
「ああ、そうだったね。ごめんごめん。お昼食べたらすぐ迎えに行くよ」
「だから、お昼はサンドイッチを私が用意するって―人美、変よ。何かあったの?」
彩香の感情はいらだちから心配に変わった。なぜなら、人美は今まで約束を守らなかったことなどただの一度もなかったし、ましてやそれ自体を忘れてしまうということは、考えられないことだったからだ。彩香は思った。
何かあるんだ、絶対に
「んーん、大丈夫よ、何でもない。寝惚けてただけよ。じゃあ、今すぐ行くから、待っててね」
人美は電話を切った後に、夢のことを脳裏に描きながら思った。
とはいったものの、やっぱり彩香に聞いてもらおうかな。何で同じ夢ばっかり見るんだろう。こんなこと今までなかったのに……
そのころ、渡辺昭寛は相模重工本社の近くにある神奈川県警察本部で、ある人物と会っていた。その人物とは、十一年前の幼女連続誘拐殺人事件の捜査本部長を務めていた神村県警副本部長で、当時は県警本部の捜査課長だった。渡辺はかつてのつてを通じて、彼への面会を求めたのである。
神村が言った。
「お噂はかねがね聞いてますよ。SOPの中でも相当の凄腕だったそうじゃないですか。例の東京サミットの時も作戦に参加していたんでしょう、あれは鮮やかだった。聞くところによると、米軍は特殊部隊まで出動させようとしたそうじゃないですか。何で辞めてしまったんです。SOPも惜しい人材をなくしましたよね……」
渡辺には過去の栄光を語る気はなかった。
「まあ、そこのところは勘弁してください。今は相模の番犬ですから」
渡辺は今の職場を歓迎してはいなかった。SOPを辞めた後に相模重工に拾われ、情報管理室室長の肩書と二倍近い年収を得たが、要は相模の番犬でしかないと悲観的になっていた。SOPにいたころは、自らの命をかけてテロと戦い、多くの要人や市民、仲間の命を救ってきた。それは知恵と勇気、挑戦に満ち溢れた、危険だがやりがいのある仕事だった。それに比べて今の仕事は何の緊張感もなく、ただ過ぎていく時間に溺れながら過ごしているだけだと考えていた。しかし、そうかといってほかに仕事のあてもなく、もう自分の人生は半ば終わったかのごとく、彼は日々を過ごしていた。
「相模重工とは、また変わった再就職先ですな」
「自分でもそう思いますよ。さて、そろそろ本題に入りたいのですが」
「ああ、そうですね。えーと、十一年前三浦半島地区で起きた幼女連続誘拐殺人事件のことでしたね」
神村は、まるで昨日起きたことを話すような鮮明な言葉で、事件のことを語り始めた。
「いい眺めですね。こんな景色のいい部屋に住んでみたいですよ」
片山は窓から見える海を見ながら、白石会長に向かって感想を漏らした。二人がいるのは人美がまもなく入居する二階の角部屋だった。
片山広平が相模重工に入社したのは今から九年前、早稲田大学理工学部を卒業してすぐのことだった。入社当時の彼が籍を置いていたのは、船舶事業部システム開発室であったが、上司との馬が合わず、二年後には航空宇宙事業部飛翔体研究室に転属した。しかし、ここでも上司と折り合いがつかず、その後メカトロニクス事業部、エネルギー事業部と、まるでジプシーのように社内をさ迷い歩いた。歴代の上司たちに言わせれば、彼はトラブル・メーカーであり、協調性に欠ける人間だった。だが、彼の実績は確かなもので、その証拠に、“センサーの魔術師”という異名を同僚たちからつけられていた。
そんな彼に目をつけたのが沢木だった。沢木はSMOS開発のスタート当初から片山をスタッフとして招き入れ、二人の協力関係のもとSMOSが完成された。なぜ二人の馬が合ったのか、それは彼らにも分からないだろうが、おそらく片山は、沢木の技術者としての類稀な創造力や緻密な思考、虚勢や見栄をはらない人間性に引かれたのではないだろうか。その後、総合技術管理部が沢木のもとに創設され、その一員として片山の新たなる創造の歴史が始まった。
白石は言った。
「ならば君もせいぜい仕事に励むことだな。わしなどは君の年齢のころには寝食を忘れて設計に励んだものだ。しかも、CAD設計などという小生意気なものがない時代にだぞ。それに比べれば今は随分と便利になった……」
片山は白石を尊敬していたが、この説教癖だけはやめてもらいたいと常々思っていた。 今年で七十二歳になった白石功三は、沢木をはじめとする若い人間たちと接するのが好きで、何かと理由をつけては沢木たちを家に招き持て成していた。彼にとって、若い世代の夢や想像力に触れることは、大きな楽しみの一つなのだ。
そんな彼は、技術の分野では“YS‐11を創った男”の一人として知られている。
相模重工は彼の父が起こした会社であり、戦前は軍艦や戦闘機の製造を行っていた。少年時代の白石は飛行機が好きで、戦闘機の製造部門に出入りしているうちに、自然と技術者を目指すようになった。そして、一九五九年に国産初の旅客機開発プロジェクトが発足すると、彼は機体設計の責任者に抜擢された。一九六二年に就航し、一九七三年に一八三機の製造を持って生産を終えたYS‐11は、夢や情熱を飛行機に捧げた男たちの手によって生み出されたのだ。しかし、その後の旅客機開発はさまざまな要因のために進展せず、国内の航空機業界は冬の時代を迎えることとなる。
父が急死し、四十三歳の若さで社長に就任した彼は、相模の生き残りの道を求め、次第に兵器製造部門の比重を増やしていくこととなる。しかし、敗戦と戦後日本の移り変わりを垣間見てきた彼にとって、それは厳しい選択でもあった。
片山は、白石の説教はごめんだが、そうかといって話しを中断させるわけにもいかず困り果てていた。そこに助け舟が現れた―千寿子だった。
「お話中ごめんなさい。片山さん、お昼食べていかれるでしょう。用意しましたから、召し上がってってくださいね」
「ああ、奥さん。お手間をかけさせてしまってすみません。遠慮なくご馳走になります」 その返事を聞いた千寿子は、ニコニコしながら去って行った。
「ところで会長。この部屋にはエアコンがないですね」
「確かに、エアコンはない。何か問題があるか?」
白石は不思議そうな顔をして言った。
「ええ、少しばかり。見山人美にはなるべく体温を低く保ってもらいたいんです。それと、部屋の室温も低いほうがいいので―エアコンは私のほうで特製のものを用意しますから、それを取り付けさせてください」
「うむ、それは構わんが。なぜだ?」
「赤外線の放射量をなるべく抑えたいんですよ。つまり、ノイズを少しでも減らして、聞きたい音を聞こえやすくしたいんです」
白石はしばし考え込んだ後に言った。
「その音とは…… つまり、人美さんの心の声のことだな」
「そうです」
「で、実際PPSはどれだけやれるんだ」
片山は薄い笑みを浮かべながら答えた。
「PPSの能力はいつだって最高ですよ。問題なのは、PPSが拾った信号をどう処理するか。つまり、沢木や岡林がどこまでやれるかにかかっています。まあ、彼らのお手並み拝見といったところですね」
「そうか、どうも最近のこじゃれた技術は分からんのう?」
「それから、会長。明後日辺りに技術スタッフを連れてまた来ますので。承知しておいてください。その時にPPSとエアコンの取り付けを行いますので」
「うむ、承知した。ところで片山」
白石は満面に笑みを浮かべてその後を続けた。
「ついでにこの部屋の改装もやってくれんか。きっと人美さんも喜ぶと思うんだが……」
荒崎海岸は三浦半島中央部の相模湾側に位置している。そこは砂浜が広がった普通の海岸とは異なり、岩が切り立つ絶壁と岩場により形成されていた。荒崎海岸の特徴は、波などの海水の運動により、この海岸を形成する貢岩と凝灰岩が浸食されてできた海飴台や海飴洞にあり、海飴とは海水の浸食作用のことを示す。
人美と彩香はそれぞれ自転車に乗り、約三十分かかって荒崎海岸に到着した。時刻は予定より遥かに遅い、午後一時ごろを示していた。二人は海岸へとつながる道の入り口にある駐車場の一角に自転車を止め、景色のいい場所に向かってテクテクと歩き始めた。
彩香が言った。
「あの場所、取られてないといいけどね」
二人は以前にも何度となくここを訪れているために、景色の奇麗な場所を知っているのだった。そのお目当ての場所には、絶壁沿いの細い獣道のような道を通って行く。しばらく登り道が続くと木々のトンネルに入るが、その内部は決して暗くはなかった。木々の葉の間からこぼれる白い光線は、葉の揺らぎに合わせて一緒に揺らめき、絶壁の一〇メートルくらい下にある海面からは、キラキラとした光の粒が飛び込んできていた。そして、そのトンネルを抜けると登り道も終わり、絶壁の頂に出る。その瞬間景色は一変し、青い空と青い海が一面に広がるのだった。
「やっぱり、ここの景色が一番奇麗だよね」
彩香が言った。
「うん。ほら見て、開いてるよ。行こう」
二人のお目当ての場所は、先客もなく二人を迎えてくれた。その場所は、今二人のいる位置から少し海側に下りたところにあり、そこは岩場に突き出した大きな岩の頂上が平になっているところだった。ここからの眺めはまさに絶品で、前方の海の奥には伊豆半島が、右手には江の島、左手には大島を一望でき、視界のよい日や日没時には、遥か彼方にそびえ立つ富士山を見ることができた。
二人は背負っていたバックパックを下ろすと、その岩の頂に“お店”を広げ、彩香が腕によりをかけて作ったサンドイッチの遅い昼食を食べ始めた。眼下に広がる岩場の波打ち際には激しい波が打ち寄せられ、白い水しぶきが延々と立ち上り、夏の強い陽光と青い空が二人を覆っていた。
続く…
2009年11月22日日曜日
ITガバナンス
私は3年ほど前、社長からIT投資の妥当性を判断するための組織を立ち上げよと命じられました。私はこれを、ITガバナンスを確立することと解釈し、そのシステム設計(制度設計)を始めました。
当時の問題点は、ITに関する企画が広く社内で議論されることがなく、そのほとんどを私が企画し、上層部が承認したものをトップダウンで実行に移していたことでした。もちろん、私は経営、事業、業務のそれぞれの目的を考慮しながら、必要な施策を企画してきたわけですが、私はもっと広い議論が社内であってよいと思っていました。
また、何分一人なので、次から次へと舞い込む課題の処理に追われ、マネジメントに関する不備(ドキュメントの未整備など)が点在している状況でした。
このような状況の中、私はITガバナンスの確立に挑戦したのですが、最初はどこから手をつけていいのか迷いました。そこで、困った時はマネをしようと、お手本になるものを探し、COBITを見つけました。
まず私は、COBITが定義するITガバナンスに必要な34のプロセスの熟成度について自己評価を行いました。
上の図は、その時のExcelシートを縮小したものです(縦がプロセス、横が熟成度)。このシートによって、熟成度の分布から我が社の傾向を知ることができました。
上の図は、COBITが定義する34のプロセスに対して、成果物となるドキュメントとその関連性、作成、承認などの責任分担を定めたものです。これにより、ドキュメントの有無、その品質、更新頻度などにより、熟成度を把握できるようにしたのです。これを私は、ITCF(IT Control Framework)と呼んでいます。
まだまだ、やるべきことはたくさんありますが、ITCFのおかげで我が社の立ち位置がいつでも把握できる点は、大きな前進だと思っています。
当時の問題点は、ITに関する企画が広く社内で議論されることがなく、そのほとんどを私が企画し、上層部が承認したものをトップダウンで実行に移していたことでした。もちろん、私は経営、事業、業務のそれぞれの目的を考慮しながら、必要な施策を企画してきたわけですが、私はもっと広い議論が社内であってよいと思っていました。
また、何分一人なので、次から次へと舞い込む課題の処理に追われ、マネジメントに関する不備(ドキュメントの未整備など)が点在している状況でした。
このような状況の中、私はITガバナンスの確立に挑戦したのですが、最初はどこから手をつけていいのか迷いました。そこで、困った時はマネをしようと、お手本になるものを探し、COBITを見つけました。
まず私は、COBITが定義するITガバナンスに必要な34のプロセスの熟成度について自己評価を行いました。
上の図は、その時のExcelシートを縮小したものです(縦がプロセス、横が熟成度)。このシートによって、熟成度の分布から我が社の傾向を知ることができました。
- 計画と組織 : 私一人に依存したプロセスが大半を占め、日常的に広い議論が行われていない。
- 調達と導入 : 技術的要素が中心のプロセスであり、私のスキルやマンパワーに依存している。
- サービス提供とサポートおよびモニタリングと評価 : 私一人であるため、システム導入後のプロセスが十分でない。しかし、アウトソーシングしている分野の熟成度は高め。
- 計画と組織 : 幅広い議論を行うための会議体の設置。
- 調達と導入 : 開発標準等の整備。
- サービス提供とサポートおよびモニタリングと評価 : 派遣社員を一人雇い、私と二人で業務を担当し、特に弱かったドキュメントの整備を下図ドキュメント体系に則り進めていくことにしました。
上の図は、COBITが定義する34のプロセスに対して、成果物となるドキュメントとその関連性、作成、承認などの責任分担を定めたものです。これにより、ドキュメントの有無、その品質、更新頻度などにより、熟成度を把握できるようにしたのです。これを私は、ITCF(IT Control Framework)と呼んでいます。
まだまだ、やるべきことはたくさんありますが、ITCFのおかげで我が社の立ち位置がいつでも把握できる点は、大きな前進だと思っています。
三連休も仕事
ラベル:
その他
先週は非常に忙しかったです。通常の仕事に加えて、PMS(Personal information protection Management Systems)の内部監査。私はシステムで監査される方と、内部監査員として監査する方の二役があり、2日間の日中業務がほとんどこれに費やされました。木曜日になると、来春の新卒採用にあたっての会社説明資料をPowerPointで作る仕事が舞い込み、金曜日は仕事の合間を縫って3社とシステム関係の打ち合わせです。
昨日も出社しましたが仕事の遅れは解消できず、今日は自宅で仕事、結局ランニングの時間もとれませんでした。この分だと、間違いなく明日も自宅で仕事です。残業制限がありますので、休日は出社が難しいのです…
この時代、仕事があるのはありがたいことですが、土日くらいはゆっくりしたいものです…
昨日も出社しましたが仕事の遅れは解消できず、今日は自宅で仕事、結局ランニングの時間もとれませんでした。この分だと、間違いなく明日も自宅で仕事です。残業制限がありますので、休日は出社が難しいのです…
この時代、仕事があるのはありがたいことですが、土日くらいはゆっくりしたいものです…
2009年11月21日土曜日
ITの学び方(2) ~Learning Patterns
前回はITの学ぶにあたっての問題や課題を考察してみました。今回はユニークな学習パターン集を紹介します。
「学習パターン」(Learning Patterns)は、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の「学習パターン・プロジェクト」によって作成されたもので、学びの心やコツをシンプルなイラストと文章で語ってくれます。
また、パターンの関係が明示されていたり、状況に応じてパターンを探すことができたりと、とても親切な作りとなっています。
冊子のダウンロードもできますので、まずはのぞいてみてください。
「学習パターン」(Learning Patterns)は、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の「学習パターン・プロジェクト」によって作成されたもので、学びの心やコツをシンプルなイラストと文章で語ってくれます。
また、パターンの関係が明示されていたり、状況に応じてパターンを探すことができたりと、とても親切な作りとなっています。
冊子のダウンロードもできますので、まずはのぞいてみてください。
2009年11月20日金曜日
小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(5)
沢木は計画の概要を説明し始めた。
「まずは過去の出来事の調査だ。そして事件、事故の詳しい情報を入手次第、見山人美の心理面からの考察が必要だろう。また、手紙に記されたこと以外の出来事も彼女の周辺で起きている可能性があるので、過去から現在に至るまでの身辺調査も必要だ。さらに、彼女が会長宅に入り次第、リアルタイムでの観測も試みたい。これらの作業を進めれば、確証を得られないまでも、偶然か、あるいはそれ以外の何かなのか、おおよその見当はつくはずだ。取り敢えずはこれらの作業を行おう」
「話は分かった。で、俺は何をすればいいのかな」
渡辺が初めて口を開いた。沢木は答えた。
「渡辺さんには過去四件の出来事の詳細をできる限り詳しく調べてもらいたいんです。しかも早急に。見山氏の手紙がすべてを語っているとは思えないので」
「なるほど」
「その後は見山人美の身辺調査をお願いします。特に彼女の周辺に類似したことが起こっていないかということを」
「了解した」
沢木は次に秋山に指示をした。
「秋山さんは取り敢えず、白石邸の近くに空き家があるかどうかを調べてくれ。そこに計画本部を設営する」
「分かりました」
片山が言った。
「沢木の家を使うのが手っ取り早いんじゃないか。会長宅にも近いんだし」
沢木の自宅もまた葉山にあり、白石邸から一キロほど離れたところに位置していた。
沢木は苦笑しながら答えた。
「それは勘弁だな。短期間ならともかく、今回は長くなるかも知れないし、第一、みんなだって私の自宅じゃ気を使うだろう」
秋山が言った。
「明日早速、不動産屋をあたってみます」
「お願いします」
沢木は続けて言った。
「片山は八月六日までに、つまり見山人美が入居する日の前日までに、白石邸の彼女の部屋にPPSを設置してくれ」
「PPSを!」
片山は驚いたように言った。
「PPSとソフトに細工を施せば、現時点でのPPSの完成度でも成果を期待できるはずだ。つまり……」
沢木がそこまで言いかけた時に、桑原が口を挟んだ。
「あの。お話の途中すいませんが、PPSとは何なのでしょうか?」
「ああ、すいません」
沢木はPPSの説明を始めた。
「人間の脳が活動する時、そこには電流が発生し、決まったリズムの電位変化が起こります。つまり、交流電気信号が発生するわけです。ただし、これは非常に微弱なもので、具体的には五〇〇万分の一から五〇〇〇万分の一ボルトという大きさです。これがいわゆる脳波というもので、脳波は意識の状態と密接に関係しています。ここまではご存じですね」
桑原はうなずいた。
「さて、次は電気のお話です。一本の電線に交流電気を流すと、その周りには電磁波が発生します。電磁波とは、電波や可視光線、赤外線、紫外線、X線などの総称と考えてください。そして、人間の脳からも非常に微弱ながら、この電磁波が出ているのです。PPSはこの電磁波をとらえるためのセンサーであり、PPSとはPsychological Pulse Sensorの略です。したがって、PPSを使えば見山人美の意識の状態を観察することができるわけです」
「なるほど」
「ところが問題がありまして、我々の普段いる空間には電磁波が無数に飛び交っているのです。例えば、人間の体から放出される赤外線、家電製品から漏れる電波など、その数は計り知れません。しかも、それらの電磁波は脳波のそれよりも遥かに強力で、脳の電磁波などはマスキングされてしまうのです。今までは、PPSをそれらから隔離された実験室の中で使用してきました。電波暗室といわれる電波を遮断する部屋にさらに改良を加えてです。しかし、今回は普通の家にPPSを設置しなければなりません」
片山が言った。
「どうするんだ」
沢木は桑原に尋ねた。
「桑原さん。フーリエ分解というのを御存じですか」
岡林はその沢木の発言から予想される自分への指示を察して悲鳴をあげた。
「ええー! それ俺がやるの……」
桑原は一瞬岡林を見た後、沢木に視線を戻して言った。
「いいえ」
「では、これもご説明しましょう。我々が耳にする音、これはなにがしかの振動が、空気を伝わって鼓膜を振動させることにより知覚されます。例えば、ピアノの音は弦の振動が耳に伝わります。つまり音の実体とは波であり、同じく波の性質を持つ交流電気信号や電磁波と性質は同じなのです。ですから音を例にして説明します。ピアノの音の波形は非常に複雑な形をしていますが、実はサイン波という単純な波形の集合体なのです。サイン波の音は、ピアノの調律などに使う音叉の音を想像して頂ければいいと思います。この世に存在するすべての音は、サイン波の合成によりできているわけです。ですから、サイン波を出力する発振器を複数用意し、それぞれの周波数と音の大きさを変えてやれば、さまざまな音を理論的には作れることになり、その発振器の数が多ければ多いほど、より複雑な音が作れるわけです。実際に一部のシンセサイザーには、この加算合成方式と呼ばれる音作りの方式が使われています。そして、音を複数のサイン波に分解すること、すなわち波の構造を分解することを、フーリエ分解と呼びます。この技術を利用すれば、複数の音の中から一つの音だけを抽出することが可能になります。さて、これをPPSにどう用いるかですが。まず、PPSでとらえたさまざまな電磁波を、一定時間単位でサンプリングし、このサンプルをフーリエ解析します。これを繰り返していけば、いくつもあるサイン波の内どれが脳波成分かを判断することができます。後はそれを再合成し、見山人美から放たれた脳波として観測すればよいのです」
「はあ。大体のことは理解できました」
桑原がそう答えた後、岡林が桑原に向かって言った。
「まあ、口で言うのは簡単なんですけどね、それを行うためのプログラムを新たに組むのはたいへんなんですよ」
沢木は岡林を諭すように言った。
「岡林、俺もできる限り手伝うから何とか今度の日曜日までにやってくれないか。ゼロからとは言わない。手本は船舶事業部から潜水艦のソナー用のものをもらってくるから」
岡林は渋々うなずいた。この瞬間、今度の週末から予定されていた岡林の夏休みは消滅した。
「松下さんと桑原さんは、サイ現象の事例をそれぞれの見地から考察しておいてください。渡辺さんが詳しい情報を持ってき次第、心理面や医学面からの分析をしていただきたいと思いますから」
「はい」と桑原が返事をし、それに合わせて松下がうなずいた。
「それから桑原さんは、この計画が進行中の間は総合技術管理部に一時籍を置いてもらいます。いろいろお仕事を抱えているでしょうがよろしくお願いします。手配は私のほうでしておきますので、明日からはこちらに出社願います」
「たいへん興味あることですので、願ってもないです」
「ありがとうございます。秋山さん。桑原さんの仕事場を用意しておいてください。それから夏季休暇のことだが、しばらくは各自見合わせて欲しい。どうしても無理なようならその限りではないが。みんな大丈夫だろうか?」
岡林以外は全員うなずいた。
「では、最後にもう一度言っておくが、このことは一切部外秘だ。また見山人美に我々の行動が悟られることのないように、特に渡辺さんと片山は慎重に行動してください」
「言われるまでもない。この道のプロだ」
渡辺はやや不愉快そうに言った。
「失礼」
沢木は渡辺の目を見ながら軽く詫びた。その時彼は一瞬思った。この男をメンバーに加えてよかったのだろうかと。
「さて、質問がなければ今日の会議はこれで終了したいと思うが」
言いながら沢木は全員を見まわした。
「では、これにて終了します。ご苦労様でした」
沢木は皆が去った後のオフィスの窓際に立ち、すっかり暗くなった外の景色を眺めていた。眼下に広がる黒い海―横浜港の彼方に見える横浜ベイブリッジには、何台もの車が光の粒となって走り、ランドマークタワーは点々とした光を灯しながらシルエットを闇に浮かべ、その近くには巨大な観覧車がネオンを輝かせていた。それは現実そのものであり、また、日常だった。それに比べ、今自分が探究しようとしていることは、非現実、非日常の最たるものであり、自分はそれに有能なスタッフを従え取り込もうとしている。そこまでやってどうなるのだろう? 彼は好奇心という名の欲求をいぶかしく思いながらも、その先にある答えとは何なのか、そんなことを考えていた。
そこへ、秋山がコーヒーを持って入って来た。
「コーヒー入れました」
秋山はそう言いながらコーヒー・テーブルにカップを置いた。
「ありがとう」
沢木はソファに腰掛けコーヒーを口にした。秋山も近くに座り口を開いた。
「何て言ったらいいのか。まさか相模でこんな仕事をすることになるとは」
「そうだね」
沢木は優しく答えた。秋山はうつむき加減に言った。
「人美という女の子、もしも自分に特殊な能力があり、犠牲者が出ていることを知ったら、一体どうなるんでしょう?」
沢木はしばらくの暇を空けてから答えた。
「僕には想像もつかないよ」
「そうですね」
「でもね、それは何としても回避しなくてはならないことなんだ。そのために、我々は知恵を絞らなくては……」
秋山は作り笑いをしながら言った。
「沢木さんならきっとできますよ。でも、私は偶然の産物であることを祈ります」
「僕もその意見に賛成だ」
「ところで沢木さんは何をするんですか?」
「見山哲司氏に会ってみようと思ってる」
「見山氏に」
「ああ。見山家の事情をもう少し知りたいからね。何かヒントがあるかも知れない―」
沢木はそこまで言うと、突然口調を変えて言った。
「ところで秋山さん、もう夕飯時だよ。何かおいしいものでも食べに行こうよ」
秋山は心からの笑みを浮かべ、涼しい声で答えた。
「はい。お供します」
続く…
「まずは過去の出来事の調査だ。そして事件、事故の詳しい情報を入手次第、見山人美の心理面からの考察が必要だろう。また、手紙に記されたこと以外の出来事も彼女の周辺で起きている可能性があるので、過去から現在に至るまでの身辺調査も必要だ。さらに、彼女が会長宅に入り次第、リアルタイムでの観測も試みたい。これらの作業を進めれば、確証を得られないまでも、偶然か、あるいはそれ以外の何かなのか、おおよその見当はつくはずだ。取り敢えずはこれらの作業を行おう」
「話は分かった。で、俺は何をすればいいのかな」
渡辺が初めて口を開いた。沢木は答えた。
「渡辺さんには過去四件の出来事の詳細をできる限り詳しく調べてもらいたいんです。しかも早急に。見山氏の手紙がすべてを語っているとは思えないので」
「なるほど」
「その後は見山人美の身辺調査をお願いします。特に彼女の周辺に類似したことが起こっていないかということを」
「了解した」
沢木は次に秋山に指示をした。
「秋山さんは取り敢えず、白石邸の近くに空き家があるかどうかを調べてくれ。そこに計画本部を設営する」
「分かりました」
片山が言った。
「沢木の家を使うのが手っ取り早いんじゃないか。会長宅にも近いんだし」
沢木の自宅もまた葉山にあり、白石邸から一キロほど離れたところに位置していた。
沢木は苦笑しながら答えた。
「それは勘弁だな。短期間ならともかく、今回は長くなるかも知れないし、第一、みんなだって私の自宅じゃ気を使うだろう」
秋山が言った。
「明日早速、不動産屋をあたってみます」
「お願いします」
沢木は続けて言った。
「片山は八月六日までに、つまり見山人美が入居する日の前日までに、白石邸の彼女の部屋にPPSを設置してくれ」
「PPSを!」
片山は驚いたように言った。
「PPSとソフトに細工を施せば、現時点でのPPSの完成度でも成果を期待できるはずだ。つまり……」
沢木がそこまで言いかけた時に、桑原が口を挟んだ。
「あの。お話の途中すいませんが、PPSとは何なのでしょうか?」
「ああ、すいません」
沢木はPPSの説明を始めた。
「人間の脳が活動する時、そこには電流が発生し、決まったリズムの電位変化が起こります。つまり、交流電気信号が発生するわけです。ただし、これは非常に微弱なもので、具体的には五〇〇万分の一から五〇〇〇万分の一ボルトという大きさです。これがいわゆる脳波というもので、脳波は意識の状態と密接に関係しています。ここまではご存じですね」
桑原はうなずいた。
「さて、次は電気のお話です。一本の電線に交流電気を流すと、その周りには電磁波が発生します。電磁波とは、電波や可視光線、赤外線、紫外線、X線などの総称と考えてください。そして、人間の脳からも非常に微弱ながら、この電磁波が出ているのです。PPSはこの電磁波をとらえるためのセンサーであり、PPSとはPsychological Pulse Sensorの略です。したがって、PPSを使えば見山人美の意識の状態を観察することができるわけです」
「なるほど」
「ところが問題がありまして、我々の普段いる空間には電磁波が無数に飛び交っているのです。例えば、人間の体から放出される赤外線、家電製品から漏れる電波など、その数は計り知れません。しかも、それらの電磁波は脳波のそれよりも遥かに強力で、脳の電磁波などはマスキングされてしまうのです。今までは、PPSをそれらから隔離された実験室の中で使用してきました。電波暗室といわれる電波を遮断する部屋にさらに改良を加えてです。しかし、今回は普通の家にPPSを設置しなければなりません」
片山が言った。
「どうするんだ」
沢木は桑原に尋ねた。
「桑原さん。フーリエ分解というのを御存じですか」
岡林はその沢木の発言から予想される自分への指示を察して悲鳴をあげた。
「ええー! それ俺がやるの……」
桑原は一瞬岡林を見た後、沢木に視線を戻して言った。
「いいえ」
「では、これもご説明しましょう。我々が耳にする音、これはなにがしかの振動が、空気を伝わって鼓膜を振動させることにより知覚されます。例えば、ピアノの音は弦の振動が耳に伝わります。つまり音の実体とは波であり、同じく波の性質を持つ交流電気信号や電磁波と性質は同じなのです。ですから音を例にして説明します。ピアノの音の波形は非常に複雑な形をしていますが、実はサイン波という単純な波形の集合体なのです。サイン波の音は、ピアノの調律などに使う音叉の音を想像して頂ければいいと思います。この世に存在するすべての音は、サイン波の合成によりできているわけです。ですから、サイン波を出力する発振器を複数用意し、それぞれの周波数と音の大きさを変えてやれば、さまざまな音を理論的には作れることになり、その発振器の数が多ければ多いほど、より複雑な音が作れるわけです。実際に一部のシンセサイザーには、この加算合成方式と呼ばれる音作りの方式が使われています。そして、音を複数のサイン波に分解すること、すなわち波の構造を分解することを、フーリエ分解と呼びます。この技術を利用すれば、複数の音の中から一つの音だけを抽出することが可能になります。さて、これをPPSにどう用いるかですが。まず、PPSでとらえたさまざまな電磁波を、一定時間単位でサンプリングし、このサンプルをフーリエ解析します。これを繰り返していけば、いくつもあるサイン波の内どれが脳波成分かを判断することができます。後はそれを再合成し、見山人美から放たれた脳波として観測すればよいのです」
「はあ。大体のことは理解できました」
桑原がそう答えた後、岡林が桑原に向かって言った。
「まあ、口で言うのは簡単なんですけどね、それを行うためのプログラムを新たに組むのはたいへんなんですよ」
沢木は岡林を諭すように言った。
「岡林、俺もできる限り手伝うから何とか今度の日曜日までにやってくれないか。ゼロからとは言わない。手本は船舶事業部から潜水艦のソナー用のものをもらってくるから」
岡林は渋々うなずいた。この瞬間、今度の週末から予定されていた岡林の夏休みは消滅した。
「松下さんと桑原さんは、サイ現象の事例をそれぞれの見地から考察しておいてください。渡辺さんが詳しい情報を持ってき次第、心理面や医学面からの分析をしていただきたいと思いますから」
「はい」と桑原が返事をし、それに合わせて松下がうなずいた。
「それから桑原さんは、この計画が進行中の間は総合技術管理部に一時籍を置いてもらいます。いろいろお仕事を抱えているでしょうがよろしくお願いします。手配は私のほうでしておきますので、明日からはこちらに出社願います」
「たいへん興味あることですので、願ってもないです」
「ありがとうございます。秋山さん。桑原さんの仕事場を用意しておいてください。それから夏季休暇のことだが、しばらくは各自見合わせて欲しい。どうしても無理なようならその限りではないが。みんな大丈夫だろうか?」
岡林以外は全員うなずいた。
「では、最後にもう一度言っておくが、このことは一切部外秘だ。また見山人美に我々の行動が悟られることのないように、特に渡辺さんと片山は慎重に行動してください」
「言われるまでもない。この道のプロだ」
渡辺はやや不愉快そうに言った。
「失礼」
沢木は渡辺の目を見ながら軽く詫びた。その時彼は一瞬思った。この男をメンバーに加えてよかったのだろうかと。
「さて、質問がなければ今日の会議はこれで終了したいと思うが」
言いながら沢木は全員を見まわした。
「では、これにて終了します。ご苦労様でした」
沢木は皆が去った後のオフィスの窓際に立ち、すっかり暗くなった外の景色を眺めていた。眼下に広がる黒い海―横浜港の彼方に見える横浜ベイブリッジには、何台もの車が光の粒となって走り、ランドマークタワーは点々とした光を灯しながらシルエットを闇に浮かべ、その近くには巨大な観覧車がネオンを輝かせていた。それは現実そのものであり、また、日常だった。それに比べ、今自分が探究しようとしていることは、非現実、非日常の最たるものであり、自分はそれに有能なスタッフを従え取り込もうとしている。そこまでやってどうなるのだろう? 彼は好奇心という名の欲求をいぶかしく思いながらも、その先にある答えとは何なのか、そんなことを考えていた。
そこへ、秋山がコーヒーを持って入って来た。
「コーヒー入れました」
秋山はそう言いながらコーヒー・テーブルにカップを置いた。
「ありがとう」
沢木はソファに腰掛けコーヒーを口にした。秋山も近くに座り口を開いた。
「何て言ったらいいのか。まさか相模でこんな仕事をすることになるとは」
「そうだね」
沢木は優しく答えた。秋山はうつむき加減に言った。
「人美という女の子、もしも自分に特殊な能力があり、犠牲者が出ていることを知ったら、一体どうなるんでしょう?」
沢木はしばらくの暇を空けてから答えた。
「僕には想像もつかないよ」
「そうですね」
「でもね、それは何としても回避しなくてはならないことなんだ。そのために、我々は知恵を絞らなくては……」
秋山は作り笑いをしながら言った。
「沢木さんならきっとできますよ。でも、私は偶然の産物であることを祈ります」
「僕もその意見に賛成だ」
「ところで沢木さんは何をするんですか?」
「見山哲司氏に会ってみようと思ってる」
「見山氏に」
「ああ。見山家の事情をもう少し知りたいからね。何かヒントがあるかも知れない―」
沢木はそこまで言うと、突然口調を変えて言った。
「ところで秋山さん、もう夕飯時だよ。何かおいしいものでも食べに行こうよ」
秋山は心からの笑みを浮かべ、涼しい声で答えた。
「はい。お供します」
続く…
2009年11月17日火曜日
小さな要件開発
ラベル:
Enterprise Architect,
IT,
RDRA,
お勧め,
要件開発
今日は下記コンテキストモデルを作成しました。
内容までお見せできないので絵柄だけですが、小規模な業務のパッケージソフト導入検討にあたり作成したものです。
今までですと、このような規模のシステムに対しては、メモだけで済ましていました。しかし、システム規模の大小を問わず、RDRAをカスタマイズして要件を開発することに方針転換しましたので、このようなモデルを作成しました。
このモデルは正確には複合モデルであり、コンテキストモデルに要求モデル、業務シナリオ、データモデル、画面帳票モデルが加えられています。A4用紙1枚で、このシステムに関することが一望できるというわけです。
本日、このモデルを使って関係者と打合せを行いましたが、「ここ」、「そこ」とモデルを指で差して議論の対象を認識できるので、とてもスムーズにコミュニケートすることができました。
次期基幹システムに比べれば本当に小さなシステムですが、ユーザーにとっては目の前の業務がどうなるか? 極めて大きな関心事です。どんなシステムでもしっかりと要件を開発していかなければいけませんね。
関連記事
流麗な上流工程の研究(メモ)
コンテキストモデル(カスタマイズ版)
流麗なシステム開発の上流工程を実現するために
小さな要件開発
システム開発の要件定義に関する考察
要件開発の進め方~私のRDRA運用法~
RDRA(2) - RDRAとの出会い
RDRA
内容までお見せできないので絵柄だけですが、小規模な業務のパッケージソフト導入検討にあたり作成したものです。
今までですと、このような規模のシステムに対しては、メモだけで済ましていました。しかし、システム規模の大小を問わず、RDRAをカスタマイズして要件を開発することに方針転換しましたので、このようなモデルを作成しました。
このモデルは正確には複合モデルであり、コンテキストモデルに要求モデル、業務シナリオ、データモデル、画面帳票モデルが加えられています。A4用紙1枚で、このシステムに関することが一望できるというわけです。
本日、このモデルを使って関係者と打合せを行いましたが、「ここ」、「そこ」とモデルを指で差して議論の対象を認識できるので、とてもスムーズにコミュニケートすることができました。
次期基幹システムに比べれば本当に小さなシステムですが、ユーザーにとっては目の前の業務がどうなるか? 極めて大きな関心事です。どんなシステムでもしっかりと要件を開発していかなければいけませんね。
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2009年11月16日月曜日
次期基幹システム(6)-運用テストほぼ終了
次期基幹システムの運用テストがほぼ終了しました。ほぼ、というのは、ユーザー側のテストがひとまず終了したということです。今後は開発会社が障害を修正し、ユーザーの確認がとれれば晴れて運用テスト終了となります。
さて、これで第3コーナーは無事に曲がることができましたが、まだ、第4コーナー(次期基幹システムへの移行データ作成)、ゴール前の直線(データ移行)と気を抜くことができない状態です。特に第4コーナーは、失敗すればこれまでの苦労が台無しになる作業です。
ゴールまで後1ヵ月、まだまだレースは続きます…
さて、これで第3コーナーは無事に曲がることができましたが、まだ、第4コーナー(次期基幹システムへの移行データ作成)、ゴール前の直線(データ移行)と気を抜くことができない状態です。特に第4コーナーは、失敗すればこれまでの苦労が台無しになる作業です。
ゴールまで後1ヵ月、まだまだレースは続きます…
2009年11月15日日曜日
小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』の登場人物
本作品の主な登場人物を紹介します。
【主人公】
沢木 聡(32) 相模重工 主席研究員兼総合技術管理部長
見山 人美(18) サイパワーを持つ少女?
これまでの登場人物 *第4話まで
【相模重工】
白石 功三(73) 会長
秋山 美佐子(29) 総合技術管理部 秘書室長
片山 宏平(32) センサーの魔術師の異名を持つ総合技術管理部No.2
岡林 敦(27) ASMOSプロジェクトのプログラマー
松下 順一郎(55) ASMOSプロジェクトの研究員、元東京大学付属病院脳神経科医師
桑原 久代(47) 相模総合研究所の研究員
渡辺 明寛(36) 情報管理室長、元SOP小隊長
【見山家】
見山 哲司(47) 人美の父、帝和貿易勤務
これから登場する注目人物
泉 彩香(18) 人美の親友、小説家を夢見る少女
【SOP】
里中 涼(34) SOP第2セクションの捜査官
星 恵里(27) SOP第1セクションの隊員、CQB(近接戦闘)のエース
【テロリスト】
鮫島 守(38) テロリスト
【主人公】
沢木 聡(32) 相模重工 主席研究員兼総合技術管理部長
見山 人美(18) サイパワーを持つ少女?
これまでの登場人物 *第4話まで
【相模重工】
白石 功三(73) 会長
秋山 美佐子(29) 総合技術管理部 秘書室長
片山 宏平(32) センサーの魔術師の異名を持つ総合技術管理部No.2
岡林 敦(27) ASMOSプロジェクトのプログラマー
松下 順一郎(55) ASMOSプロジェクトの研究員、元東京大学付属病院脳神経科医師
桑原 久代(47) 相模総合研究所の研究員
渡辺 明寛(36) 情報管理室長、元SOP小隊長
【見山家】
見山 哲司(47) 人美の父、帝和貿易勤務
これから登場する注目人物
泉 彩香(18) 人美の親友、小説家を夢見る少女
【SOP】
里中 涼(34) SOP第2セクションの捜査官
星 恵里(27) SOP第1セクションの隊員、CQB(近接戦闘)のエース
【テロリスト】
鮫島 守(38) テロリスト
横浜国際女子マラソン
今日は、横浜国際女子マラソンをテレビで観戦してました。普段見慣れた街並みも、テレビで見ているととても新鮮でした。そして改めて、関内からみなとみらいにかけての地域が、良い街だと再認識しました。
私の小説『エクスプロラトリービヘイビア』の主人公、沢木聡が勤める相模重工という架空の会社の本社も、山下公園の近くにある設定になっています。そして現在、私もこの地域にある会社に勤めています。
マラソンの観戦後、久しぶりに走りに出かけました。実に4週間ぶりです。意外と楽に走ることができたのですが、シャワーを浴びた後、腿の筋肉がかなり張っているのに気がつきました。やはり、しばらく走らないと筋力というのでしょうか、落ちてしまうんですね。次のマラソン大会を目指して、また走り込まないと…
私の小説『エクスプロラトリービヘイビア』の主人公、沢木聡が勤める相模重工という架空の会社の本社も、山下公園の近くにある設定になっています。そして現在、私もこの地域にある会社に勤めています。
マラソンの観戦後、久しぶりに走りに出かけました。実に4週間ぶりです。意外と楽に走ることができたのですが、シャワーを浴びた後、腿の筋肉がかなり張っているのに気がつきました。やはり、しばらく走らないと筋力というのでしょうか、落ちてしまうんですね。次のマラソン大会を目指して、また走り込まないと…
2009年11月14日土曜日
システム開発の要件定義に関する考察
私は先日、KenichiroMurata氏のブログ「要件定義の怪物、ビジネスルールをいかにして仕様化するか?」を読みました。これは、システム開発の上流工程に携わる人々にとって、大きなテーマだと思います。
私は富士通グループの開発者と仕事をすることが多いのですが、その富士通にはSDEM(Solution-oriented system Development Engineering Methodology)という優れた開発標準があります。大変残念なことに、SDEMに関する詳細な情報を富士通は一般公開していないので、その内容を詳しくお伝えすることができません。しかし、SDEMは共通フレーム2007との整合性を考慮しているので、基本的な考え方は共通フレーム2007と同質です。
*一言でいうならば、SDEMは共通フレーム2007をより具体化したものである、といえます。しかし、富士通に確認したところ、SDEMはあくまでも富士通のオリジナルのナレッジであり、他の様々な規格やフレームワークとの整合を図りながら絶えず進化している、というような趣旨の回答を得ました。
この共通フレームにおいて非常に注目すべき点は、要件定義という「何を作るのかを定義する」プロセスが、2007年9月に公表された共通フレーム2007において新設されている点です。また、私自身が要件定義の重要性を再認識し、その方法論を見直したのは今年の春ごろです。要は、比較的最近になって上流工程の再整備が始められたという点です。
これ以前はひと世代前のSDEMの開発工程のように、要件定義は設計工程の一部分として捉えられていたのです。しかし、システム開発にスピードと低コスト、複雑性が増す一方で安定性はより強く求められる。簡単にいってこのような開発パラダイムが支配しだしたとき、要件定義の重要性がクローズアップされてきたのです。そして私も、次期基幹システムで人生最大規模のシステム開発に着手し、自分の方法論の未熟さを痛感することで、やっと要件定義の重要性を再認識できたのです。「知っている」ことと、実体験を伴った「本当の理解」とは、全く違うものだと私は思います。
さて、私はSDEMに影響を受けているので、システム開発の工程を次のように捉えています。
システム開発の問題の本質は、現実世界からシステム世界への変換過程において、その変換の対象と変換方法を正確に知るのが工程のかなり後にあることです。となると、要件定義において、ビジネスルールを明らかにするべきなのは明らかなのですが、実務上の課題は、どのレベルをもって明らかであるとするかです。
これには試行錯誤と実体験を重ねる時間が必要でしょうが、今時点として次のような条件が考えられます。
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私は富士通グループの開発者と仕事をすることが多いのですが、その富士通にはSDEM(Solution-oriented system Development Engineering Methodology)という優れた開発標準があります。大変残念なことに、SDEMに関する詳細な情報を富士通は一般公開していないので、その内容を詳しくお伝えすることができません。しかし、SDEMは共通フレーム2007との整合性を考慮しているので、基本的な考え方は共通フレーム2007と同質です。
*一言でいうならば、SDEMは共通フレーム2007をより具体化したものである、といえます。しかし、富士通に確認したところ、SDEMはあくまでも富士通のオリジナルのナレッジであり、他の様々な規格やフレームワークとの整合を図りながら絶えず進化している、というような趣旨の回答を得ました。
この共通フレームにおいて非常に注目すべき点は、要件定義という「何を作るのかを定義する」プロセスが、2007年9月に公表された共通フレーム2007において新設されている点です。また、私自身が要件定義の重要性を再認識し、その方法論を見直したのは今年の春ごろです。要は、比較的最近になって上流工程の再整備が始められたという点です。
これ以前はひと世代前のSDEMの開発工程のように、要件定義は設計工程の一部分として捉えられていたのです。しかし、システム開発にスピードと低コスト、複雑性が増す一方で安定性はより強く求められる。簡単にいってこのような開発パラダイムが支配しだしたとき、要件定義の重要性がクローズアップされてきたのです。そして私も、次期基幹システムで人生最大規模のシステム開発に着手し、自分の方法論の未熟さを痛感することで、やっと要件定義の重要性を再認識できたのです。「知っている」ことと、実体験を伴った「本当の理解」とは、全く違うものだと私は思います。
さて、私はSDEMに影響を受けているので、システム開発の工程を次のように捉えています。
- システム化の構想と企画(VP,SP)
- 要件定義(RD)
- ユーザーインターフェース設計(UI)
- システム構造設計(SS)
- 製造工程(PS,PG,PT)
- 結合テスト(IT)
- システムテスト(ST)
- 運用テスト(OT)
- システム運用保守(OM)
システム開発の問題の本質は、現実世界からシステム世界への変換過程において、その変換の対象と変換方法を正確に知るのが工程のかなり後にあることです。となると、要件定義において、ビジネスルールを明らかにするべきなのは明らかなのですが、実務上の課題は、どのレベルをもって明らかであるとするかです。
これには試行錯誤と実体験を重ねる時間が必要でしょうが、今時点として次のような条件が考えられます。
- ビジネスルールのすべてがRDRAの機能モデルとして洗い出されていること。
- すべてのビジネスルールについて、インプットとアウトプットがRDRAの各モデルと結合する形で洗い出されていること。
- ビジネスルールをコードに変換する際の問題や課題について、経営層、管理層、実務層といったユーザーと開発陣が議論をし、リスクについて評価できること。
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2009年11月12日木曜日
小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(4)
「それではそろそろ始めようか」
全員がコーヒー・テーブルを囲んだソファに着席すると、沢木は切り出した。
「初めに言っておくが、これから話すことは今まで我々が出会ったことのないような不可解な事柄だ。それと同時に非常にデリケートな部分も合わせ持っている。したがって、この件は一切部外秘とする。また、各自この件を最優先事項として仕事に取り組んで欲しい。その保証は白石会長がする」
沢木は用意してあった資料を配った。白紙の表紙をめくると、カラーコピーされた人美の写真があった。
「その少女の名前は見山人美といい、年齢は十八歳。横須賀市の県立高校に通っている。その娘の父親の見山哲司氏は貿易会社に勤めていて、来月の七日からアメリカのロサンゼルス支社に赴任することになっている。本来ならば娘を一緒に連れて行きたいところなのだろうが、高校卒業までの残り七カ月間は―正確には来年三月十五日までは、友人である白石会長のもとに預けることにした」
ここで沢木はタバコに火をつけた。
「ところが見山人美には、ほかの人間にはない特殊な能力があるらしいんだ」
皆が沢木の顔に注目した。
「見山哲司氏はその疑問を一人抱えて悩んでいたのだが、そこへ海外赴任の話しがきた。娘を一人残すのは心配だが高校も卒業させてやりたい。そこで、白石会長に相談を持ちかけ、会長は疑問解明を約束するとともに、見山人美を預かることにした。というのがことの粗筋だ」
秋山が尋ねた。
「特殊な能力って、何なんですか?」
岡林が間髪入れずに言った。
「超能力だよ! それとも心霊現象とか」
沢木は岡林を軽くにらむと話しを続けた。
「では本題に入ろう。三ページめをめくってくれ。そこにあるのは見山氏が会長宛に送った手紙のコピーだ。まずはそれを読んでくれ」
沢木も手紙を読み返した。
最初の出来事は人美が七つの時、小学校に入学した年のことでした。そのころの人美は人見知りが激しくて、友達を作るのに苦労していました。
そんなある日、学校から帰って来た人美が延々と泣き続けていたという話しを妻から聞きました。どうやら同じクラスの女の子にいじめられていたようなのです。私も妻も一時の出来事と思い、人美を励ますこと以外には何もしてやりませんでした。しかし、いじめは数カ月に渡って続いていたようで、ついに人美は登校拒否という手段を選びました。私は怒りに震えながら、ひとまず担任の教師のところへ相談に出向きました。ところが、人美をいじめていた女の子が、相談に行った前の日から行方知れずになっているということを聞かされました。
事情はどうであれ、いじめの心配がなくなった人美は再び学校へ行くようになり、ひとまず安心しました。
ちょうどそのころ、貴兄もご記憶のことと思いますが、三浦半島地区では奇怪な幼女連続誘拐事件が起こっていました。確か九月の初めごろにようやく犯人が捕まり、誘拐された少女たちの遺体が発見されました。その被害者の中には、人美をいじめていた少女もいたのです。もちろんこの時は、たまたま不幸にして人美の同級生が悲惨な目に遭ったとしか思いませんでした。
次は人美が六年生の時です。
人美がとても仲よくしていた女の子が、担任の教師にいたずらされるという事件が起こりました。教師は警察に捕まり新聞にも取り上げられ、たいへんな騒ぎになりました。
その教師の話は幾度となく人美や妻から聞いていましたが、人美をはじめ生徒皆から好かれ、また父兄の間からも教育に対する熱心さに好感を持たれていました。
まさに、魔が差したとしかいいようのない事件でした。しかも、事件を犯したのは、人美たち生徒全員が見ている目の前だったのです。
数日後、被害者の女の子と家族はどこかへ引っ越してしまいました。人美は親友を失ったことと事件のショックが重なって、しばらく口を利かなくなりました。
それからまもなくして、留置場に入れられていた教師は精神錯乱を起こして、しかるべき施設へと送られました。
人美が中学三年生の時に、妻から人美の初恋話しを聞きました。同じクラスの男の子に恋心を持ったらしいのです。その話を聞いた私は、時の過ぎることの早さを実感するとともに、ある種の嫉妬心を覚えたのを記憶しています。
しかし、その恋は実りませんでした。初恋の相手は、隣のクラスの女の子に奪われてしまったのです。
時が過ぎ、受験の時が人美にもやってきました。元々成績のよかった人美は、それほど苦労もせずに、県下でも有数の県立高校に合格しました。
ある日、仕事から帰って来た私に妻が言いました。人美と同じ中学の生徒が、受験失敗を苦に自殺したというのです。その生徒とは、人美の初恋相手を奪った女の子でした。
そして、いよいよ人美に対する疑惑を持つことになった出来事は、昨年の秋、人美が高校二年生の時に起こりました。
その秋、人美の高校では文化祭が行われました。人美たちは打ち上げと称して街に繰り出し、居酒屋で大人気取りの時を過ごしたようです。飲み慣れない酒を口にした人美は酷く酔ったようで、駅前まで迎えに来て欲しいと家に電話をしてきました。私は叱るのを後にして、急いで車で迎えに出かけました。
駅前に着くと、人美の同級生らしき男子数人と、大学生風の男たち数人との激しい喧嘩の真っ最中でした。そして、人美は喧嘩を止めようと盛んに大きな声を出していました。 私は必死の思いで殴り合う若者たちの間に入りました。幸い、私より遥かにたくましい、誰かの父兄と思われる男性がいてくれたお蔭で、その場は何とか治まりました。
私は、帰る方向が同じ同級生数人と人美を車に乗せ家路につきました。道中、人美は酔いと疲れからぐっすりと眠っているようでした。
しばらくして、辺りがさびしい道を走っている時に、突然後ろの車がけたたましくクラクションを鳴らしたかと思うと、私の車の横を並走し、空き缶などを投げつけてきました。その車に乗っていたのは、先ほど人美たちが喧嘩をしていた相手でした。どうやら、私たちをつけて来たようなのです。後ろの席に乗っていた男の子もそのことに気づき、「てめえら死んじまえ」と、大声で怒鳴りました。そのすぐ後の人美のつぶやきが、私には確かに聞こえました。「そうよ」と。その瞬間、隣を走っていた車は突然加速すると、急なカーブの入り口にあるガードレールに向かって一直線に突っ込んで行き、激しい音とともに激突し炎上しました。私は人美を守らなければならない、という考えで頭が一杯になり、そのまま走り去りました。
翌日の夕刊の地方欄に、そのことは小さな記事で載っていました。車に乗っていた男性三人は、全員死んだそうです。
私は身が凍りつくような思いをしながらも、人美がそのことを眠っていて気がついていなかったことにほっとしました。
以上がこれまでに起こった出来事です。最後の出来事のことを考えているうちに、その前の三件の不可解な出来事を思い出し、それらがすべて人美と関わっていることに不安を抱きました。人美は何か不思議な力、恐ろしい力を持っているのでは、これらの出来事はすべて人美が起こしてのでは、と疑問を持つようになったのです。
どうか白石様……
沢木はそこまで読み終わると、全員をゆっくりと見まわして口を開いた。
「皆、読み終えたかな」
黙ってうなずく六人の姿を確認すると、桑原が切り出した。
「これが人美という少女により本当に引き起こされたものならば、いわゆる超能力、と考えてよさそうですね」
「心霊現象かも知れないよ。何かに取り憑かれているとか」
岡林は特に普段と変わらぬ口調で言った。再び桑原が発言した。
「いずれにしても、超自然的な現象ということになりますね。そう、サイ現象ということに」
「偶然と想像力の産物だ」
松下がけげんそうな顔でそう言うと、岡林はがっかりした顔をした。松下はさらに続けた。
「沢木君。君は我々をここに集め、一体何を始めようというのかね。まさかこんな絵空事に取り組もうというんじゃないだろうね。こんな寄り道をすることよりも、我々はASMOSの開発に全力を尽くすべきだ。だいたい、我々に何ができるというんだ!」
桑原が言った。
「しかし、松下さん。サイ現象の研究は立派な学問として認知されているものなんですよ。超心理学とか、意識科学とかの名で」
「そんなことは私だって知ってるさ。要は、この手紙の内容をどう判断するか、そういうことだろう」
「沢木さんはどう考えているんですか?」
秋山が言い、片山が続けた。
「沢木の考えが聞きたいな」
渡辺は視線をじっと下に向けて渋い顔をしていた。
沢木はゆっくりと座り直すと、髪の毛を一度掻き上げ口を動かした。
「まず何よりも大切なことは、真実がどこにあるのか、それを確かめることだと私は思う。過去の出来事一つ一つをできる限り詳しく検証し、それらの実体が何なのかを見極めることが必要だと…… みんなそれぞれにいろいろな考えがあるだろうが、今現在、このことについてはっきりとした答えを出せる者はいるか? 確かに松下さんの言うように、偶然と想像の産物かも知れない。しかし、例えそうだとしても、彼らにとってはある種の現実なんだ。精神世界における“現実”とは、事象の出来事とは異なる。見山氏が誤った現実を作り出しているのなら、それは取り除かれるべきだろう―娘さんのためにも。そしてもう一つの可能性―もしも、過去の出来事が見山氏の推測どおり、見山人美により引き起こされたものならば、驚異と同時に少女の今後の人生を、未来を不安に思う。結果的がどう出るのかは分からない。だが、万に一つの可能性で超自然的現象の発見と少女の未来がかかっているのなら、私は十分にやる価値があると思うんだ。そして、新しいチャレンジに不毛はないと私は信じる」
沢木はそう言うと、ソファに深く身を沈め皆の反応を見守った。しばらくの沈黙の後、秋山が言った。
「ASMOSの完成にはまだまだかなりの時間がかかります。その間にちょっとだけ好奇心を持って寄り道してみても、大した害にはならないと思います。やってみましょう、見山人美という少女のために」
「そうそう、何だかわくわくするなぁー」
岡林はそう言った後に松下の顔を見た、思ったとおり自分をにらみつけている。
「反対意見は」
沢木の問いに口を開く者はいなかった。
「ありがとう。では具体的な仕事の話に移ろう」
見山家では、人美の白石会長宅への引っ越し準備と、両親の海外赴任の準備が同時進行で行われていたため、そこは戦場と化していた。人美の両親は八月七日の午後にアメリカに向けて出発する。人美は両親を空港で見送った脚で、所帯道具一式がすっかり運び込まれた白石会長宅に行き、それから約七カ月間をそこで過ごす予定になっている。
自分の荷物を丁寧に段ボール箱へと詰めていた人美は、ふと窓の外の空を見上げた。すると、紫色の美しい夕暮れ時の光景が広がっていた。彼女は慌てて一階に下りて行き、母に向かって叫んだ。
「ちょっと行って来る!」
人美は赤いフレームのマウンテン・バイクに飛び乗ると、夕日に向かってこぎ出した。自転車はいつになくスイスイと心地よく前進し、いつもより余計に走る気分にさせてくれた。薄いピンク色の綿の半袖シャツは風になびき、スリムのジーンズに包まれた細い脚は軽快なペダルリングで、疲れることを知らないかのようだった。
三戸海岸まで行ってみよーっと
人美はその心地よさに身を任せ、自宅から三キロほど離れた海岸まで行ってみることにした。
三戸海岸まで来ると、紫色の空と海と赤い太陽が人美を迎えてくれた。
「奇麗だ」
人美はそうつぶやくと、砂浜近くの駐車場に自転車を止め、波打ち際に向かって歩き出した。
目を覆うばかりのまばゆい光は富士山の後ろに回り込み、まるで巨大な影絵のように、そのシルエットを浮かびあがらせ、海は鏡の絨毯のように、赤々とした光りを照り返していた。それはいつ見ても飽きることのない美しい光景だった。しかし、感動の時間は短かった。突然の寒気が人美を襲う。
「何だろう?」
人美には分からなかった。自分が二人の男の溺死体が発見された場所に立っているということが。
続く…
全員がコーヒー・テーブルを囲んだソファに着席すると、沢木は切り出した。
「初めに言っておくが、これから話すことは今まで我々が出会ったことのないような不可解な事柄だ。それと同時に非常にデリケートな部分も合わせ持っている。したがって、この件は一切部外秘とする。また、各自この件を最優先事項として仕事に取り組んで欲しい。その保証は白石会長がする」
沢木は用意してあった資料を配った。白紙の表紙をめくると、カラーコピーされた人美の写真があった。
「その少女の名前は見山人美といい、年齢は十八歳。横須賀市の県立高校に通っている。その娘の父親の見山哲司氏は貿易会社に勤めていて、来月の七日からアメリカのロサンゼルス支社に赴任することになっている。本来ならば娘を一緒に連れて行きたいところなのだろうが、高校卒業までの残り七カ月間は―正確には来年三月十五日までは、友人である白石会長のもとに預けることにした」
ここで沢木はタバコに火をつけた。
「ところが見山人美には、ほかの人間にはない特殊な能力があるらしいんだ」
皆が沢木の顔に注目した。
「見山哲司氏はその疑問を一人抱えて悩んでいたのだが、そこへ海外赴任の話しがきた。娘を一人残すのは心配だが高校も卒業させてやりたい。そこで、白石会長に相談を持ちかけ、会長は疑問解明を約束するとともに、見山人美を預かることにした。というのがことの粗筋だ」
秋山が尋ねた。
「特殊な能力って、何なんですか?」
岡林が間髪入れずに言った。
「超能力だよ! それとも心霊現象とか」
沢木は岡林を軽くにらむと話しを続けた。
「では本題に入ろう。三ページめをめくってくれ。そこにあるのは見山氏が会長宛に送った手紙のコピーだ。まずはそれを読んでくれ」
沢木も手紙を読み返した。
最初の出来事は人美が七つの時、小学校に入学した年のことでした。そのころの人美は人見知りが激しくて、友達を作るのに苦労していました。
そんなある日、学校から帰って来た人美が延々と泣き続けていたという話しを妻から聞きました。どうやら同じクラスの女の子にいじめられていたようなのです。私も妻も一時の出来事と思い、人美を励ますこと以外には何もしてやりませんでした。しかし、いじめは数カ月に渡って続いていたようで、ついに人美は登校拒否という手段を選びました。私は怒りに震えながら、ひとまず担任の教師のところへ相談に出向きました。ところが、人美をいじめていた女の子が、相談に行った前の日から行方知れずになっているということを聞かされました。
事情はどうであれ、いじめの心配がなくなった人美は再び学校へ行くようになり、ひとまず安心しました。
ちょうどそのころ、貴兄もご記憶のことと思いますが、三浦半島地区では奇怪な幼女連続誘拐事件が起こっていました。確か九月の初めごろにようやく犯人が捕まり、誘拐された少女たちの遺体が発見されました。その被害者の中には、人美をいじめていた少女もいたのです。もちろんこの時は、たまたま不幸にして人美の同級生が悲惨な目に遭ったとしか思いませんでした。
次は人美が六年生の時です。
人美がとても仲よくしていた女の子が、担任の教師にいたずらされるという事件が起こりました。教師は警察に捕まり新聞にも取り上げられ、たいへんな騒ぎになりました。
その教師の話は幾度となく人美や妻から聞いていましたが、人美をはじめ生徒皆から好かれ、また父兄の間からも教育に対する熱心さに好感を持たれていました。
まさに、魔が差したとしかいいようのない事件でした。しかも、事件を犯したのは、人美たち生徒全員が見ている目の前だったのです。
数日後、被害者の女の子と家族はどこかへ引っ越してしまいました。人美は親友を失ったことと事件のショックが重なって、しばらく口を利かなくなりました。
それからまもなくして、留置場に入れられていた教師は精神錯乱を起こして、しかるべき施設へと送られました。
人美が中学三年生の時に、妻から人美の初恋話しを聞きました。同じクラスの男の子に恋心を持ったらしいのです。その話を聞いた私は、時の過ぎることの早さを実感するとともに、ある種の嫉妬心を覚えたのを記憶しています。
しかし、その恋は実りませんでした。初恋の相手は、隣のクラスの女の子に奪われてしまったのです。
時が過ぎ、受験の時が人美にもやってきました。元々成績のよかった人美は、それほど苦労もせずに、県下でも有数の県立高校に合格しました。
ある日、仕事から帰って来た私に妻が言いました。人美と同じ中学の生徒が、受験失敗を苦に自殺したというのです。その生徒とは、人美の初恋相手を奪った女の子でした。
そして、いよいよ人美に対する疑惑を持つことになった出来事は、昨年の秋、人美が高校二年生の時に起こりました。
その秋、人美の高校では文化祭が行われました。人美たちは打ち上げと称して街に繰り出し、居酒屋で大人気取りの時を過ごしたようです。飲み慣れない酒を口にした人美は酷く酔ったようで、駅前まで迎えに来て欲しいと家に電話をしてきました。私は叱るのを後にして、急いで車で迎えに出かけました。
駅前に着くと、人美の同級生らしき男子数人と、大学生風の男たち数人との激しい喧嘩の真っ最中でした。そして、人美は喧嘩を止めようと盛んに大きな声を出していました。 私は必死の思いで殴り合う若者たちの間に入りました。幸い、私より遥かにたくましい、誰かの父兄と思われる男性がいてくれたお蔭で、その場は何とか治まりました。
私は、帰る方向が同じ同級生数人と人美を車に乗せ家路につきました。道中、人美は酔いと疲れからぐっすりと眠っているようでした。
しばらくして、辺りがさびしい道を走っている時に、突然後ろの車がけたたましくクラクションを鳴らしたかと思うと、私の車の横を並走し、空き缶などを投げつけてきました。その車に乗っていたのは、先ほど人美たちが喧嘩をしていた相手でした。どうやら、私たちをつけて来たようなのです。後ろの席に乗っていた男の子もそのことに気づき、「てめえら死んじまえ」と、大声で怒鳴りました。そのすぐ後の人美のつぶやきが、私には確かに聞こえました。「そうよ」と。その瞬間、隣を走っていた車は突然加速すると、急なカーブの入り口にあるガードレールに向かって一直線に突っ込んで行き、激しい音とともに激突し炎上しました。私は人美を守らなければならない、という考えで頭が一杯になり、そのまま走り去りました。
翌日の夕刊の地方欄に、そのことは小さな記事で載っていました。車に乗っていた男性三人は、全員死んだそうです。
私は身が凍りつくような思いをしながらも、人美がそのことを眠っていて気がついていなかったことにほっとしました。
以上がこれまでに起こった出来事です。最後の出来事のことを考えているうちに、その前の三件の不可解な出来事を思い出し、それらがすべて人美と関わっていることに不安を抱きました。人美は何か不思議な力、恐ろしい力を持っているのでは、これらの出来事はすべて人美が起こしてのでは、と疑問を持つようになったのです。
どうか白石様……
沢木はそこまで読み終わると、全員をゆっくりと見まわして口を開いた。
「皆、読み終えたかな」
黙ってうなずく六人の姿を確認すると、桑原が切り出した。
「これが人美という少女により本当に引き起こされたものならば、いわゆる超能力、と考えてよさそうですね」
「心霊現象かも知れないよ。何かに取り憑かれているとか」
岡林は特に普段と変わらぬ口調で言った。再び桑原が発言した。
「いずれにしても、超自然的な現象ということになりますね。そう、サイ現象ということに」
「偶然と想像力の産物だ」
松下がけげんそうな顔でそう言うと、岡林はがっかりした顔をした。松下はさらに続けた。
「沢木君。君は我々をここに集め、一体何を始めようというのかね。まさかこんな絵空事に取り組もうというんじゃないだろうね。こんな寄り道をすることよりも、我々はASMOSの開発に全力を尽くすべきだ。だいたい、我々に何ができるというんだ!」
桑原が言った。
「しかし、松下さん。サイ現象の研究は立派な学問として認知されているものなんですよ。超心理学とか、意識科学とかの名で」
「そんなことは私だって知ってるさ。要は、この手紙の内容をどう判断するか、そういうことだろう」
「沢木さんはどう考えているんですか?」
秋山が言い、片山が続けた。
「沢木の考えが聞きたいな」
渡辺は視線をじっと下に向けて渋い顔をしていた。
沢木はゆっくりと座り直すと、髪の毛を一度掻き上げ口を動かした。
「まず何よりも大切なことは、真実がどこにあるのか、それを確かめることだと私は思う。過去の出来事一つ一つをできる限り詳しく検証し、それらの実体が何なのかを見極めることが必要だと…… みんなそれぞれにいろいろな考えがあるだろうが、今現在、このことについてはっきりとした答えを出せる者はいるか? 確かに松下さんの言うように、偶然と想像の産物かも知れない。しかし、例えそうだとしても、彼らにとってはある種の現実なんだ。精神世界における“現実”とは、事象の出来事とは異なる。見山氏が誤った現実を作り出しているのなら、それは取り除かれるべきだろう―娘さんのためにも。そしてもう一つの可能性―もしも、過去の出来事が見山氏の推測どおり、見山人美により引き起こされたものならば、驚異と同時に少女の今後の人生を、未来を不安に思う。結果的がどう出るのかは分からない。だが、万に一つの可能性で超自然的現象の発見と少女の未来がかかっているのなら、私は十分にやる価値があると思うんだ。そして、新しいチャレンジに不毛はないと私は信じる」
沢木はそう言うと、ソファに深く身を沈め皆の反応を見守った。しばらくの沈黙の後、秋山が言った。
「ASMOSの完成にはまだまだかなりの時間がかかります。その間にちょっとだけ好奇心を持って寄り道してみても、大した害にはならないと思います。やってみましょう、見山人美という少女のために」
「そうそう、何だかわくわくするなぁー」
岡林はそう言った後に松下の顔を見た、思ったとおり自分をにらみつけている。
「反対意見は」
沢木の問いに口を開く者はいなかった。
「ありがとう。では具体的な仕事の話に移ろう」
見山家では、人美の白石会長宅への引っ越し準備と、両親の海外赴任の準備が同時進行で行われていたため、そこは戦場と化していた。人美の両親は八月七日の午後にアメリカに向けて出発する。人美は両親を空港で見送った脚で、所帯道具一式がすっかり運び込まれた白石会長宅に行き、それから約七カ月間をそこで過ごす予定になっている。
自分の荷物を丁寧に段ボール箱へと詰めていた人美は、ふと窓の外の空を見上げた。すると、紫色の美しい夕暮れ時の光景が広がっていた。彼女は慌てて一階に下りて行き、母に向かって叫んだ。
「ちょっと行って来る!」
人美は赤いフレームのマウンテン・バイクに飛び乗ると、夕日に向かってこぎ出した。自転車はいつになくスイスイと心地よく前進し、いつもより余計に走る気分にさせてくれた。薄いピンク色の綿の半袖シャツは風になびき、スリムのジーンズに包まれた細い脚は軽快なペダルリングで、疲れることを知らないかのようだった。
三戸海岸まで行ってみよーっと
人美はその心地よさに身を任せ、自宅から三キロほど離れた海岸まで行ってみることにした。
三戸海岸まで来ると、紫色の空と海と赤い太陽が人美を迎えてくれた。
「奇麗だ」
人美はそうつぶやくと、砂浜近くの駐車場に自転車を止め、波打ち際に向かって歩き出した。
目を覆うばかりのまばゆい光は富士山の後ろに回り込み、まるで巨大な影絵のように、そのシルエットを浮かびあがらせ、海は鏡の絨毯のように、赤々とした光りを照り返していた。それはいつ見ても飽きることのない美しい光景だった。しかし、感動の時間は短かった。突然の寒気が人美を襲う。
「何だろう?」
人美には分からなかった。自分が二人の男の溺死体が発見された場所に立っているということが。
続く…
2009年11月11日水曜日
要件開発の進め方~私のRDRA運用法~
一般に要件定義といわれる工程ですが、私は「要件開発」という呼び方を好んで使います。これは全くの好みの問題ですので、「定義」と同義語とご理解下さい。ただし、一般論に言及するような時は、要件定義と使い分けています(あまり厳密ではありませんが…)。
さて、今回は私の要件開発の進め方について、その大きな流れをご紹介します。
これまでご紹介してきたように、私はRDRA(リレーションシップ駆動要件分析)と呼ばれる要件分析方法論を全面的に採用していますので、要件開発の基本的な流れは次のような順番となります。
コンテキストモデルについて
前述したように、要件開発のスタート時には、ユーザーはぼんやりとしたイメージしか持っていませんので、まずは、現行モデルを作成します。
要求モデルについて
現行コンテキストモデルを基に、「何か困っていることはありませんか?」とあえて曖昧な質問から入ります。この質問に対するユーザーの回答の粒度はさまざまですが、私が一番着目するのは、ユーザーの関心がどこにあるかです。この関心を「外して」しまうと、そのユーザーにとっては「おもしろくない」作業になってしまい、主体性が低下することで後工程に悪い影響を与えてしまうことを回避するためです。結果として、要件にならないことはありますが、要件開発者に関心を持たれつつ議論を重ね、最終的に合意として要件から外すことになれば、ユーザーの最終的な納得感はかなり高い物になると経験的に捉えています。したがって、ここでのヒアリングは関心の対象を探る程度で比較的短時間で次に進みます。
業務モデルと利用シーンモデル
業務モデルを「業務フローモデル」と呼称変更し、利用シーンモデルと合わせて業務モデルと再定義しました。これは、業務は「ストック系」(RDRAの利用シーン)と「フロー系」(RDRAの業務モデル)により構成されているという私の持論に基づく再定義です。
また、業務モデルを描き始める前に、「業務シナリオ」という箇条書きのメモによって現行業務を記述していきます。これは、ユーザーがフローチャートになじみが薄い場合の対応や、テンポ良く業務をヒアリングするために、最初のイテレーションではモデリングを省きます。
その後、業務シナリオとヒアリングの録音を元に、初版の現行業務モデルを描き、ユーザーにモデルの意味を説明していきながら業務を確認していきます。
現行業務モデルの確認が終了後、新業務モデルを描きながら併せて要望・要求を聞き出していきます。
要望、要求、要件の定義についてはRDRA定義のとおりです。
*この時には「マジカ」を使うこともあります。
ユースケースモデル
モデリングにはEnterprise Architectを使用しているので、業務モデルを図として背景化し、そこにユースケースを貼り付けることでこのモデルを作成します。
データモデル
画面帳票モデルの前に、データモデルをある程度描いてしまいます。これは、画面帳票モデルにデータモデルで作成したデータ項目をドラック&ドロップすることで、生産性を上げるためです。
機能モデル
これは画面帳票モデルとデータモデルとの複合モデルとして作成します。
以上を整理すると、次のような工程なります。
もちろん、これらの順序は絶対というのではなく、プロジェクトの特性、進捗状況など、臨機応変に変更しますが、基本は以上のとおりです。
関連記事
性質変換によるデスクワークの工場化
ソフトウェアの開発プロセスについて
Open Knowledge System
流麗な上流工程の研究(メモ)
コンテキストモデル(カスタマイズ版)
流麗なシステム開発の上流工程を実現するために
小さな要件開発
システム開発の要件定義に関する考察
要件開発の進め方~私のRDRA運用法~
RDRA(2) - RDRAとの出会い
RDRA
さて、今回は私の要件開発の進め方について、その大きな流れをご紹介します。
これまでご紹介してきたように、私はRDRA(リレーションシップ駆動要件分析)と呼ばれる要件分析方法論を全面的に採用していますので、要件開発の基本的な流れは次のような順番となります。
- コンテキストモデル
- 要求モデル
- 業務モデル
- 利用シーンモデル
- 概念モデル
- ユースケースモデル
- 画面帳票モデル
- イベントモデル
- プロトコルモデル
- 機能モデル
- データモデル
- ドメインモデル
コンテキストモデルについて
前述したように、要件開発のスタート時には、ユーザーはぼんやりとしたイメージしか持っていませんので、まずは、現行モデルを作成します。
要求モデルについて
現行コンテキストモデルを基に、「何か困っていることはありませんか?」とあえて曖昧な質問から入ります。この質問に対するユーザーの回答の粒度はさまざまですが、私が一番着目するのは、ユーザーの関心がどこにあるかです。この関心を「外して」しまうと、そのユーザーにとっては「おもしろくない」作業になってしまい、主体性が低下することで後工程に悪い影響を与えてしまうことを回避するためです。結果として、要件にならないことはありますが、要件開発者に関心を持たれつつ議論を重ね、最終的に合意として要件から外すことになれば、ユーザーの最終的な納得感はかなり高い物になると経験的に捉えています。したがって、ここでのヒアリングは関心の対象を探る程度で比較的短時間で次に進みます。
業務モデルと利用シーンモデル
業務モデルを「業務フローモデル」と呼称変更し、利用シーンモデルと合わせて業務モデルと再定義しました。これは、業務は「ストック系」(RDRAの利用シーン)と「フロー系」(RDRAの業務モデル)により構成されているという私の持論に基づく再定義です。
また、業務モデルを描き始める前に、「業務シナリオ」という箇条書きのメモによって現行業務を記述していきます。これは、ユーザーがフローチャートになじみが薄い場合の対応や、テンポ良く業務をヒアリングするために、最初のイテレーションではモデリングを省きます。
その後、業務シナリオとヒアリングの録音を元に、初版の現行業務モデルを描き、ユーザーにモデルの意味を説明していきながら業務を確認していきます。
現行業務モデルの確認が終了後、新業務モデルを描きながら併せて要望・要求を聞き出していきます。
要望、要求、要件の定義についてはRDRA定義のとおりです。
*この時には「マジカ」を使うこともあります。
ユースケースモデル
モデリングにはEnterprise Architectを使用しているので、業務モデルを図として背景化し、そこにユースケースを貼り付けることでこのモデルを作成します。
データモデル
画面帳票モデルの前に、データモデルをある程度描いてしまいます。これは、画面帳票モデルにデータモデルで作成したデータ項目をドラック&ドロップすることで、生産性を上げるためです。
機能モデル
これは画面帳票モデルとデータモデルとの複合モデルとして作成します。
以上を整理すると、次のような工程なります。
- コンテキストモデル
- 要求モデル
- 業務シナリオ
- 業務モデル
- 業務フローモデル
- 利用シーンモデル
- 概念モデル
- ユースケースモデル
- データモデル
- 画面帳票モデル
- イベントモデル
- プロトコルモデル
- 機能モデル
- ドメインモデル
もちろん、これらの順序は絶対というのではなく、プロジェクトの特性、進捗状況など、臨機応変に変更しますが、基本は以上のとおりです。
関連記事
性質変換によるデスクワークの工場化
ソフトウェアの開発プロセスについて
Open Knowledge System
流麗な上流工程の研究(メモ)
コンテキストモデル(カスタマイズ版)
流麗なシステム開発の上流工程を実現するために
小さな要件開発
システム開発の要件定義に関する考察
要件開発の進め方~私のRDRA運用法~
RDRA(2) - RDRAとの出会い
RDRA
仮称:ソリューション連鎖熟成度モデル
「こんなこと」、では話しづらいので、取り敢えず「ソリューション連鎖熟成度モデル」と呼称することにします。
これまでの議論は…
のふたつでした。
まずは論点を整理します。
「ソリューション連鎖熟成度モデル」を構成する言葉の意味は次のとおりです。
すべてのソリューションが連鎖するとは思えません。だとすると、連鎖の進み方(これを「連鎖の系譜」と呼ぶことにします)は複数あり、性質によって分類できそうな気がします。まずはこの仮説について考察してみましょう。
企業とは、何らかの事業を営むことで、ひと言でいえば「成長」を続けることを目的としている組織体です。成長とは、よくいわれる企業の資源である人、物、金、情報が増えていくということです。ある事業で収益が上がり、利益が出れば資産が増加します。その利益で設備投資を行えば、資金が減る代わりに物が増えます。事業をさらに拡張すれば人が増え、事業や事業資源(人、物、金)の増加・拡張により、情報が増えていきます。
企業を支えるITソリューションの連鎖の系譜は、こうした企業の成長と密接に関連していそうです。企業が成長すれば、それを支えるITは、成長した体を支えるに相応しい姿に変化を求められるからです。
変化するITの一次的要素は、インフラストラクチャー、ビジネスモデル、データです。そして二次的要素としてITガバナンス、ITリテラシーが加わります。これらの要素の変化に連鎖性を強く意識した投資モデルを適用できれば、ソリューション連鎖熟成度モデルの根幹が設計できると思います。
連鎖を強く意識した変化、すなわちソリューション連鎖の系譜は、
続く…
これまでの議論は…
のふたつでした。
まずは論点を整理します。
「ソリューション連鎖熟成度モデル」を構成する言葉の意味は次のとおりです。
- ソリューション : 企業内の問題・課題をITによって解決する施策のこと。
- 連 鎖 : ある時実装したソリューションが、次回のソリューションへの基礎となる性質を持つことによって、ソリューション間につながりが持たれた状態および結果のこと。
- 熟成度 : 開始点からソリューションの連鎖が進み、今考えられる終了点までの道筋のうち、どの地点にいるかを示す指標のこと。
- モデル : 上記「1.」から「3.」を抽象表現したもの。
すべてのソリューションが連鎖するとは思えません。だとすると、連鎖の進み方(これを「連鎖の系譜」と呼ぶことにします)は複数あり、性質によって分類できそうな気がします。まずはこの仮説について考察してみましょう。
企業とは、何らかの事業を営むことで、ひと言でいえば「成長」を続けることを目的としている組織体です。成長とは、よくいわれる企業の資源である人、物、金、情報が増えていくということです。ある事業で収益が上がり、利益が出れば資産が増加します。その利益で設備投資を行えば、資金が減る代わりに物が増えます。事業をさらに拡張すれば人が増え、事業や事業資源(人、物、金)の増加・拡張により、情報が増えていきます。
企業を支えるITソリューションの連鎖の系譜は、こうした企業の成長と密接に関連していそうです。企業が成長すれば、それを支えるITは、成長した体を支えるに相応しい姿に変化を求められるからです。
変化するITの一次的要素は、インフラストラクチャー、ビジネスモデル、データです。そして二次的要素としてITガバナンス、ITリテラシーが加わります。これらの要素の変化に連鎖性を強く意識した投資モデルを適用できれば、ソリューション連鎖熟成度モデルの根幹が設計できると思います。
連鎖を強く意識した変化、すなわちソリューション連鎖の系譜は、
- インフラストラクチャー
- ビジネスモデル
- データ
- ITガバナンス
- ITリテラシー
続く…
2009年11月10日火曜日
そもそも、なぜこんなことを考えているのか?
最近の新型インフルエンザの流行もあり、我が社においてもやっとBCP(事業継続計画)に関する関心が高まってきました。しかし、具体的なITへの投資となると、その対象や深さ(どこまでやるか)の妥当性を、私の上席たちはなかなか判断できないようです。これは、当然ながら私の責務において説明し、理解の上で適切な判断を下して頂く必要がありますが、この理解のスピードを上げてもらうために、何らかのモデルやフレームワークが必要だと感じているのです。特に重要なことは、ITソリューションは連鎖により投資効率が向上する点で、ここを理解できれば、直接的投資対効果以上の付加価値があることを認識でき、IT投資への理解と決断が早まるはずです。
例えば、我が社に導入しているシンクライアントシステムについて考えてみると、このシステムの導入により、調達コストや管理工数の削減、セキュリティの向上といった直接的投資対効果が享受されているのですが、このシステムの価値はそれだけではありません。その価値とは、実際にプライバシーマークの認証取得において工数を削減する効果をもたらしましたし、テレワークが可能なシステムに拡張することもできます。テレワークに対応できれば、BCPやワークライフバランスといったテーマにも入りやすくなります。つまり、将来のIT投資につながっていくことによって、中長期的なコストパフォーマンスが高まっていくのです。私は、このようなことをソリューションの連鎖による付加価値の創造と呼んでいます。
ソリューションの連鎖による付加価値を素早く理解できるツール、あるいは妥当性を検証するツールがあれば、先の説明と理解に費やす時間を短縮できると考えているのです。また、そうしたものが実現できれば、IT戦略をどのように舵取りするべきか? 自社のITレベルはどのような連鎖段階(熟成度)にあるのか? ということを知るための道しるべになると考えるのです。
続く…
例えば、我が社に導入しているシンクライアントシステムについて考えてみると、このシステムの導入により、調達コストや管理工数の削減、セキュリティの向上といった直接的投資対効果が享受されているのですが、このシステムの価値はそれだけではありません。その価値とは、実際にプライバシーマークの認証取得において工数を削減する効果をもたらしましたし、テレワークが可能なシステムに拡張することもできます。テレワークに対応できれば、BCPやワークライフバランスといったテーマにも入りやすくなります。つまり、将来のIT投資につながっていくことによって、中長期的なコストパフォーマンスが高まっていくのです。私は、このようなことをソリューションの連鎖による付加価値の創造と呼んでいます。
ソリューションの連鎖による付加価値を素早く理解できるツール、あるいは妥当性を検証するツールがあれば、先の説明と理解に費やす時間を短縮できると考えているのです。また、そうしたものが実現できれば、IT戦略をどのように舵取りするべきか? 自社のITレベルはどのような連鎖段階(熟成度)にあるのか? ということを知るための道しるべになると考えるのです。
続く…
2009年11月9日月曜日
今こんなこと考えてます。
今日は最悪のスタートだったので、一生懸命他のことを考えています。
今考えているのはこんなイメージです。考えがまとまったらご紹介しますが、イメージを言葉でいうと次のようになります。
企業情報システムの構成をモデル化し、企業ITの網羅性をシステマティックに考えていけような方法論の構築。
考え方としてはEnterprise Architectureに近いのですが、標準化や最適化を目的とするのではなく、要素とその目的、関係をモデル化し、企業ITの評価や戦略策定に用いることができないかと…
追記
これではEnterprise Architectureとの差別化が難しいでしょうか?
どんな企業にも何かしらのITが導入されています。私がイメージしているのは、既存のIT資源を開始点として行うIT投資が、以後の投資に連鎖していくような姿をモデルとして示すことです。また、連鎖の方向はその時々のニーズで選択でき、方向別の連鎖の熟成度をレーダーチャートで示せるモデルです。
続く…
今考えているのはこんなイメージです。考えがまとまったらご紹介しますが、イメージを言葉でいうと次のようになります。
企業情報システムの構成をモデル化し、企業ITの網羅性をシステマティックに考えていけような方法論の構築。
考え方としてはEnterprise Architectureに近いのですが、標準化や最適化を目的とするのではなく、要素とその目的、関係をモデル化し、企業ITの評価や戦略策定に用いることができないかと…
追記
これではEnterprise Architectureとの差別化が難しいでしょうか?
どんな企業にも何かしらのITが導入されています。私がイメージしているのは、既存のIT資源を開始点として行うIT投資が、以後の投資に連鎖していくような姿をモデルとして示すことです。また、連鎖の方向はその時々のニーズで選択でき、方向別の連鎖の熟成度をレーダーチャートで示せるモデルです。
続く…
2009年11月8日日曜日
2009年11月7日土曜日
ランドマークタワー
登ってみました。
この時Canon PowerShot G10で撮った動画です。
靄がかかっていましたが、よく晴れた冬の午前中なら、もっときれいな画が撮れると思います。展望ラウンジの入場料は1,000円。今回初めて行ったのですが、これからはたまに写真やビデオを撮りに行こうかと考えています。
この時Canon PowerShot G10で撮った動画です。
靄がかかっていましたが、よく晴れた冬の午前中なら、もっときれいな画が撮れると思います。展望ラウンジの入場料は1,000円。今回初めて行ったのですが、これからはたまに写真やビデオを撮りに行こうかと考えています。
さあ、今日もお仕事です
ラベル:
その他
まだ本調子ではありませんが、今日も仕事です。しかし、今日の仕事は楽しいです。
私は新卒採用用の会社案内を作成中ですが、今日はそれに使う写真の撮影です。久しぶりにカメラを持っての外出ですので、気分が良いです。ちなみに今日の相棒はCanon PowerShot G10です。
私は新卒採用用の会社案内を作成中ですが、今日はそれに使う写真の撮影です。久しぶりにカメラを持っての外出ですので、気分が良いです。ちなみに今日の相棒はCanon PowerShot G10です。
次期基幹システム(5)-運用テスト続報
*このブログでの描かれているやり取りは、実際に行われたものと若干の相違があります。これは、記憶違い、わかりやすさのための修正、若干の脚色によるものです。
次期基幹システムの運用テスト終了まで1週間となった昨日、関係者を集めた会議を開催し、残り僅かとなった期間における運用テストの進め方について説明しました。
この前日、今回の開発を委託している会社の主要メンバーと私は、我が社の会議室で約2時間にわたる議論を行いました。議論のテーマを掻い摘んで話すと、テストをなかなか行おうとしないユーザーを、いかにすれば動かすことができるか? ということです。難しいですね… 人の意識を動かすというのは… しかし、期日は迫っています。次期基幹システムの稼働をさらに延伸することなど、議論の余地もありません。
最初に議論された策は、より強力な業務命令を下す、というものですが、これには私が気乗りしませんでした。確かに怖い上司から「やれっ!」と命じれば、ほとんどのユーザーが手を動かし始めます。しかし、「脅し」では、場当たり的な対応により本当に必要なことが失われてしまう可能性が高くなります。つまり、とにかくテストの仕様書と成績書さえ提出してしまえばいい、という「ずる」によって、実態を伴わない見せかけのテストが行われてしまうリスクです。
我々開発サイドが支援できることはないだろうか? これはそれほど長い議論にはなりませんでした。既に説明は尽くされ、サポートの窓口を用意し、委託会社のSEが我が社に常駐している中で、果たしてこれ以上何があるのか? ユーザーの主体性がすべてと言っても過言ではない運用テストにおいて、今以上に魅力的な支援策は、確かに見つけにくいものです。
「んぅーん…」と空気が淀んだ時、私はユーザーの心理を想像しながら口に出して描画してみました。
「自分の怠慢により成すべきことをやっていないことは、おそらく自分自身が一番よく知っていることでしょう… 自分は、自分の真実を知る唯一の存在なのですから… 関係者が集まった会議の場で、進捗が思わしくないと報告されれば、犯人捜しが始まるかも知れない。そうなれば言い訳を考えなければ… しかし、言い訳もそう簡単ではないと気付くはずです。開発側は、議事録や操作ログなどさまざまなデータによって武装しているので、そうしたものとの不整合を指摘されたら… 思いつきの嘘で通じる相手ではない… 困ったなぁ… どうしよう…」
私は、もしこんな立場だったら私たちに何がして欲しい? と尋ねてみました。
「やはり助け船が欲しいのでは?」
「そうですよね。では、どんな助け船?」
開発サイドの支援策は尽きている、と前段で議論しました。やはり、直球しかないのでしょうか? つまり、運用テストの重要性を説き続ける… しかし、それはもう十分にやってきたことです。
議論が尽きたかに思えた時、営業担当が口を開きました。
「グループウェアで各自の予定を把握しているのだから、空き時間に様子を見に行くとか… ダメですかね?」
これがもしもアニメだったのなら、営業担当のセリフの後に、私の頭にエクスクラメーションマークの表示と「ピンポーン」という効果音が鳴ったでしょう。ブレイクした瞬間です。
私は訪ねました。
「全業務を支援するためには何人のSE(今回のシステムのシステム化業務設計者)が必要?」
「4人です」
「来週1週間、その4人を終日我が社に待機させることは可能?」
「何とかします」
「ではこういう案はどうだろう」
私は続けました。
「まず、SEを4人、終日我が社に待機させ、すべての業務に対して支援できる体制をとる。そして、ユーザーの予定をグループウェアで確認し、空き時間になったら当人のもとを訪れる。つまり、空き時間が生じるたびに催促を受けるわけだ。これは非常に強いプレッシャーになる。まさに借金の取り立てと同じ。この取り立てから逃れるための手段はただひとつ。返済計画の作成とその確実な履行。催促がたまらないと思えば、自ら何らかの解決策を提案し、またそれを実行していくのでは? さらに、まったく資金繰りのあてがないのなら、どうしたらいいでしょう? と相談してくるはず。ないものはない、と開き直る人には法的措置、すなわち強力な業務命令(怖い部長の怒鳴り声)によって強制執行する。また、先ほどの助け船が必要なユーザーも、個別に開発サイドと対話できるので、救済されるのではないか? どうだろう?」
これがベストとは思っていません。しかし、議論の時間をそう長くとることはできません。この議論に参加したメンバー全員の合意によって、このやり方が採用されました。
翌日の午後、システム開発の関係者全員が集まる会議が始まりました。私はマイクを片手に、まず、これまでのプロセスを振り返ることから語り始めました。プレゼンテーションのストーリーはこうです。
約40分。思ったよりも早く会議は終了しました。
手応えはありました。
この施策の成否は? 答えは来週早々に出始めます…
続く…
次期基幹システムの運用テスト終了まで1週間となった昨日、関係者を集めた会議を開催し、残り僅かとなった期間における運用テストの進め方について説明しました。
この前日、今回の開発を委託している会社の主要メンバーと私は、我が社の会議室で約2時間にわたる議論を行いました。議論のテーマを掻い摘んで話すと、テストをなかなか行おうとしないユーザーを、いかにすれば動かすことができるか? ということです。難しいですね… 人の意識を動かすというのは… しかし、期日は迫っています。次期基幹システムの稼働をさらに延伸することなど、議論の余地もありません。
最初に議論された策は、より強力な業務命令を下す、というものですが、これには私が気乗りしませんでした。確かに怖い上司から「やれっ!」と命じれば、ほとんどのユーザーが手を動かし始めます。しかし、「脅し」では、場当たり的な対応により本当に必要なことが失われてしまう可能性が高くなります。つまり、とにかくテストの仕様書と成績書さえ提出してしまえばいい、という「ずる」によって、実態を伴わない見せかけのテストが行われてしまうリスクです。
我々開発サイドが支援できることはないだろうか? これはそれほど長い議論にはなりませんでした。既に説明は尽くされ、サポートの窓口を用意し、委託会社のSEが我が社に常駐している中で、果たしてこれ以上何があるのか? ユーザーの主体性がすべてと言っても過言ではない運用テストにおいて、今以上に魅力的な支援策は、確かに見つけにくいものです。
「んぅーん…」と空気が淀んだ時、私はユーザーの心理を想像しながら口に出して描画してみました。
「自分の怠慢により成すべきことをやっていないことは、おそらく自分自身が一番よく知っていることでしょう… 自分は、自分の真実を知る唯一の存在なのですから… 関係者が集まった会議の場で、進捗が思わしくないと報告されれば、犯人捜しが始まるかも知れない。そうなれば言い訳を考えなければ… しかし、言い訳もそう簡単ではないと気付くはずです。開発側は、議事録や操作ログなどさまざまなデータによって武装しているので、そうしたものとの不整合を指摘されたら… 思いつきの嘘で通じる相手ではない… 困ったなぁ… どうしよう…」
私は、もしこんな立場だったら私たちに何がして欲しい? と尋ねてみました。
「やはり助け船が欲しいのでは?」
「そうですよね。では、どんな助け船?」
開発サイドの支援策は尽きている、と前段で議論しました。やはり、直球しかないのでしょうか? つまり、運用テストの重要性を説き続ける… しかし、それはもう十分にやってきたことです。
議論が尽きたかに思えた時、営業担当が口を開きました。
「グループウェアで各自の予定を把握しているのだから、空き時間に様子を見に行くとか… ダメですかね?」
これがもしもアニメだったのなら、営業担当のセリフの後に、私の頭にエクスクラメーションマークの表示と「ピンポーン」という効果音が鳴ったでしょう。ブレイクした瞬間です。
私は訪ねました。
「全業務を支援するためには何人のSE(今回のシステムのシステム化業務設計者)が必要?」
「4人です」
「来週1週間、その4人を終日我が社に待機させることは可能?」
「何とかします」
「ではこういう案はどうだろう」
私は続けました。
「まず、SEを4人、終日我が社に待機させ、すべての業務に対して支援できる体制をとる。そして、ユーザーの予定をグループウェアで確認し、空き時間になったら当人のもとを訪れる。つまり、空き時間が生じるたびに催促を受けるわけだ。これは非常に強いプレッシャーになる。まさに借金の取り立てと同じ。この取り立てから逃れるための手段はただひとつ。返済計画の作成とその確実な履行。催促がたまらないと思えば、自ら何らかの解決策を提案し、またそれを実行していくのでは? さらに、まったく資金繰りのあてがないのなら、どうしたらいいでしょう? と相談してくるはず。ないものはない、と開き直る人には法的措置、すなわち強力な業務命令(怖い部長の怒鳴り声)によって強制執行する。また、先ほどの助け船が必要なユーザーも、個別に開発サイドと対話できるので、救済されるのではないか? どうだろう?」
これがベストとは思っていません。しかし、議論の時間をそう長くとることはできません。この議論に参加したメンバー全員の合意によって、このやり方が採用されました。
翌日の午後、システム開発の関係者全員が集まる会議が始まりました。私はマイクを片手に、まず、これまでのプロセスを振り返ることから語り始めました。プレゼンテーションのストーリーはこうです。
- 事実を振り返り、開発側の正当性をアピールことによって、ユーザー側の不当性を暗に示すことで一旦、悪玉ユーザーを追い込む。
- テスト成績書から定量的な実施状況を示し、全体に危機感を醸成する。
- 本稼働のための必須条件を示すことで、 明確なゴールがあることを明らかにする。つまり、成すべきことをやりさえすれば解決する問題であることを理解させる。
- 具体的なやり方を教える。
約40分。思ったよりも早く会議は終了しました。
手応えはありました。
この施策の成否は? 答えは来週早々に出始めます…
続く…
小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(3)
次の日の日曜日、昼近くになってやっと目を覚ました沢木は、テレビのスイッチを入れるとニュースにチャンネルを合わせ、コーヒーを入れるためにやかんを火にかけた。その時、アナウンサーは次のようなニュースを読みあげていた。
「昨夜の午後七時半ごろ、神奈川県三浦市の三戸海岸で、二人の男性の溺死体が発見されました。警察のこれまでの調べによりますと、二人の男性の遺体からはかなりの量のアルコール分が検出されており、酔った勢いで海に入ったために、溺れたものと考えられています」
沢木はつぶやいた。
「バカな連中だ」
七月三十一日、月曜日。沢木は幾分重い足取りでいつもより早く本社に出社した。といっても、それは普通の社員ならとっくに仕事に取りかかっている午前九時だった。彼には特に定められた出社時間などないのだ。相模重工において、このようなことが許されているのは、重役たちと沢木のみであった。
沢木は東京工業大学の工学部制御システム工学科を卒業した後、アメリカのマサチューセッツ工科大学に留学し、機械をいかにして制御するか、ということの研究にさらなる磨きをかけていた。その研究過程で、彼は経験を反映することができるコンピューター・システムの基礎論理を構築した。EFC論理と呼ばれるこのアイデアに、最初に飛びついたのはアメリカの航空機メーカーのボーイング社だった。
当時ボーイング社では、ボーイング747-400型(最新型ジャンボジェット機)の飛行制御システムの再検討を進めていた。400型は機関士を必要とせず、機長と副操縦士の二名で運行するように設計されている。しかし、機関士を搭乗させないことは危険だと、有益な市場である日本の航空会社の労働組合が、400型導入に対して猛反対していた。400型の飛行制御システムの見直しは、これへの対応の一環として検討されていた。そんなボーイング社に、沢木の研究論文が舞い込んで来たのだ。
ボーイング社は十分過ぎるほどの環境を沢木に与え、そして、SFOS(ソフォス:Sawaki's Flight Operating System)が完成された。
このシステムは、あるパイロットが行った離陸から着陸までの操縦手順と実際の機体の動作、気象データ、機体のトラブルとその対処方法などを記録し、それがある程度蓄積されたところでパターン化(学習)する。このパターン・データ(経験)を次のフライトに反映させて、パイロットの負担や事故を減らそうとする制御システムである。
例えば、離陸の際に蓄積されたパターン・データと違う操作をパイロットがしたとする。するとSFOSは直ちに与えられた条件(機体のコンディションや気象データなど)を検討し、その操作がふさわしくないと判断した時、自動的に誤操作を修正するのである。また、これらパイロット特有のパターン・データ(癖など)は、直径五インチの光磁気ディスクに保存し持ち運ぶことができるので、SFOSを搭載した別の400型に搭乗した時にも、データを読み込ませれば扱い慣れた機体に変身させることができる。しかも、SFOSはメモリーの許す限りパターン化を繰り返す。したがって、SFOSは使えば使うほど、経験を積めば積むほどに、より信頼性が向上するという画期的なシステムであった。
このSFOSにより沢木の名は世界中の関係者に知られることとなり、さまざまな企業が彼の才能を欲しがった。そんな中で彼を射止めたのが、当時の相模重工社長・白石功三だった。
沢木は鳴り物入りで相模重工に入社するやいなや、SFOSの汎用版であるSMOS(ソモス:Sagami Multiple Operating System)を完成させた。現在、SMOSは原子力発電所や船舶、F-15Jイーグル戦闘機など、ほとんどの相模製品に実装されている。
沢木が籍を置く総合技術管理部は、通称“沢木組”と呼ばれている部署で、相模重工内で開発されたさまざまな技術を、相互に応用できるように管理運営することを目的としている。もちろん、SMOSの強化改良型であるASMOS(アスモス)など、沢木組独自の研究開発も行っている。また、通称に彼の名の冠が付いていることから分かるように、この部の部長には沢木が着任している。沢木組のスタッフ数は一二〇名で、皆、沢木自身により選ばれ、白石会長の鶴の一声により集められた、精鋭中の精鋭だった。それだけに、相模内のある勢力からは強い反発もあった。
沢木は朝のあいさつをしながら自分のオフィスに入って行き、皮張りの茶色い肘掛け椅子に座ると、早速今日行うことの準備に取りかかった。
相模重工本社は横浜市中区の官庁街の一角にある。港と高速道路に囲まれたこの辺りは、横浜ベイスターズのホームグラウンドである横浜スタジアムや、山下公園、中華街などがあることで知られているが、それと同時に多くの官庁施設や公共施設が点在している。神奈川県庁、横浜地方裁判所、神奈川県警察本部、横浜税関、県立博物館、県民ホールなどなどである。そしてすぐ近くの西区では、横浜市が進めている都心臨界部総合整備計画“みなとみらい21”の名のもと大規模な開発が進められ、その一つのシンボルとして、日本最高の高さを誇るランドマークタワーがそびえ建っていた。この街は神奈川県の中枢であり、シンボルであると同時に、そこで生まれ育った相模重工のホームタウンでもあった。
山下公園道り沿いにある相模重工本社ビルは、地上三十六階建て、高さ一四七メートルの超高層ビルであり、その二十三階に沢木のオフィスはあった。この階とその下の二十二階は総合技術管理部に独占されており、例え相模の社員であっても部外の者は立ち入ることができない。といっても、規則や警備員により規制されているわけではない。部外者の行く手を阻むものは、エレベーターを降りてすぐにある鋼鉄の扉のアイID識別式電子ロックである。これにより、あらかじめ眼球の虹彩パターンが登録された人物以外は、ロックを解除することができないのである。
沢木組の中枢であるこのフロアを構成するのは、部長室―すなわち沢木のオフィス、部長秘書室、スタッフ用の広いオフィス、会議室、開発室七部屋、電算室、休憩ラウンジなどである。内装はほとんどが白で統一されているが、これは部長秘書室長の秋山美佐子の趣味により決定された。
沢木のオフィスはおよそ二十畳の広さがある。ドアを入った正面には大きな机があり、その脇にはIBMのコンピューターが置いてある。机の後ろには腰の高さから天井くらいまでの窓があり、そこからは横浜港が一望できる。その窓に沿って右手奥のほうに目を移すと、皮張りのソファに囲まれたガラス板のコーヒー・テーブルがあり、その近くには三十二インチのテレビとビデオデッキなどが置かれていた。
ノックが聞こえて扉が開くと、コーヒーの香ばしい香りが部屋の中に広がった。秋山がコーヒーを持って入って来たのである。
「今日は珍しく、お早い出社ですね」
秋山は沢木をからかうように言った。こんな時、いつもの沢木なら気の利いた冗談で言い返し、彼女を笑わすのだが、今日の彼は真剣な顔をして言った。
「これから厄介な仕事に取りかかることになる。秋山さんもたいへんになると思うからそのつもりでいてね」
沢木はスタッフを集めることから始めた。まず、沢木組の中からは部長秘書室長の秋山美佐子をはじめ、“センサーの魔術師”と異名を取る片山広平。プログラマーの岡林敦。東京大学付属病院の脳神経外科師から相模に転身した松下順一郎の四人。
外部からは、相模重工総合研究所の人間工学研究室に所属し、人間が機械に関わる時に生じるストレスの研究を専門としている桑原久代。相模重工が保有するさまざまな機密情報の外部流出を、独自に防ぐために設置された情報管理室の室長、渡辺昭寛の計六人であった。
沢木は以上の六人に連絡を取ると、午後五時から自分のオフィスで会議を行うことを告げ、皆それに同意した。
そして、午後四時五十分。沢木のオフィスに人が集まり始めた。
最初にやって来たのは松下順一郎であった。彼は五十五歳で、身長は一七〇くらい、眼鏡をかけ、ヒョロっとした風貌は、神経質そうな印象を周囲に与えた。彼は沢木が抱えているプロジェクトのひとつ、ASMOS計画を推進する上で重要な人物である。
ASMOSとは Advanced SMOSの略であり、その名の示すとおり、先進的なSMOS、次世代SMOSとして現在開発中のものである。このASMOSは、従来のSMOSに比べて処理能力が大幅に向上されていて、それだけでも十分な“売り”になるのだが、沢木はこれに思考検知システムを加えようとしていた。人が思考した命令をセンサーで検知し、それをコンピューターで処理し、機械を制御するという試みである。松下の仕事は、思考を検知する際の医学的な分野での技術開発を進めることである。
笑いながら入って来たのは岡林敦だった。秘書室にいる秋山をはじめとする女性たちでもからかって来たのだろう、と沢木は思った。岡林は童顔で、背丈は一六〇と小柄なため、一見すると頼りなさそうな、おとなしそうな印象を与えるが、実は非常におしゃべりで、人を笑わそうとすることばかり考えている男である。しかし、彼はその性格によらず、地道な作業をコツコツとするタイプで、沢木の無理難題な注文をいつも鮮やかに切り抜けてきた。彼は二十七歳。プログラマーとしては一番油の乗った年齢かも知れない。
油が染み込みよれよれになったオレンジ色の作業着、それを着て入って来たのは片山広平であった。“センサーの魔術師”と異名を取る彼は、沢木組のナンバー2であり、沢木のよきパートナーであった。また、沢木と同じ年齢ということもあってか、私的部分で彼と馬が合った。片山は松下よりも少し背が高く、細面の顔はクールな印象を人に与えた。彼は今、松下と協力してASMOSの思考検知用センサーの開発に没頭している。
何で俺がこんなところに呼び出されるんだ、という顔をしてやって来たのは、渡辺昭寛であった。三十六歳の彼は、一八〇近い背丈とたくましい肉体を持つ屈強そうな男だった。 今から三年ほど前、SMOS関連の機密情報を奪取せんと、産業スパイが相模重工に送り込まれる、という事件が起きた。相模重工にはSMOS以外にも、同業者が喉から手が出るほど欲しいような先進技術がたくさんある。これらの技術の不正流出を防ぐために、事件後情報管理室が設置された。
渡辺に関して沢木はある噂を聞いていた。その噂とは、彼がかつてSOP(ソプ)の隊員であった、というものだ。
SOPとはSpecial Operation Policeの略で、テロ犯罪の抑止、鎮圧を目的として警察機構内に創設された特殊部隊であり、その監督は首相や法務大臣をはじめとするSOP総括委員会により行われている。SOP創設の理由は、八〇年代後半から相次いで起こったテロ犯罪への対抗である。外国人労働者が大量流入したことによるナショナリズムの高まりと右派勢力の拡大、それに対する国内極左及びアジア諸国の反抗。西側先進諸国の思惑を顕著に表す、日本の経済支援に対する発展途上国の反感。国内外を問わずテロの動機はいくつもあった。事態を重く見た政府はテロ対策法を制定し、その実践部隊として近代兵器と先進技術により武装されたSOPを配備した。
今回の計画では、情報管理や事件、事故の詳細な調査活動が必要になると判断し、沢木は渡辺に声をかけた。
続いて桑原久代が入って来た。彼女は沢木を見つけると歩み寄り、初対面のあいさつを始めた。彼女は若くは見えるが、おそらく四十代後半くらいの年齢だろうと沢木は思った。美人とはいえないまでも、きりりと引き締まった顔立ちは、賢そうな、いかにもキャリアウーマンといった感じだった。身長は一五五くらい、ほっそりと小柄な女性だった。
沢木は彼女と関わるのは今回が初めてだが、彼女の書いた研究報告書はいつも興味深く読ませてもらっていた。今回の計画では、人美の心理面からの考察が非常に重要になるだろうと考え、心理学を専門とする彼女に迷わず声をかけた。
最後に人数分のコーヒーを持って入って来たのは秋山美佐子である。彼女は大学で航空宇宙工学を学んだ後に相模重工へ入社し、宇宙関連事業に技術者として携わることを夢見ていた。しかし、配属されたのは期待に反して秘書室だった。彼女の夢は入社と同時に破れたのだ。だが、相模重工の重役秘書ともなれば、技術関連の知識も無駄にはならないだろうと自分を励まし、新しい目標に向かって歩み出した。その一年後に沢木が入社してきて、秋山は彼のアシスタントに抜擢された。沢木の仕事は非常に高度かつ大きなプロジェクトばかりで、当然彼女の仕事も楽しくなった。総合技術管理部創設の際にも彼女の意見は積極的に採用され、沢木のもと彼女の才能は開花された。
長い髪をバレッタで後ろに束ねた髪型と、あどけない顔立ちが印象的な彼女は現在二十八歳、聡明かつ美しい女性だった。
続く…
「昨夜の午後七時半ごろ、神奈川県三浦市の三戸海岸で、二人の男性の溺死体が発見されました。警察のこれまでの調べによりますと、二人の男性の遺体からはかなりの量のアルコール分が検出されており、酔った勢いで海に入ったために、溺れたものと考えられています」
沢木はつぶやいた。
「バカな連中だ」
七月三十一日、月曜日。沢木は幾分重い足取りでいつもより早く本社に出社した。といっても、それは普通の社員ならとっくに仕事に取りかかっている午前九時だった。彼には特に定められた出社時間などないのだ。相模重工において、このようなことが許されているのは、重役たちと沢木のみであった。
沢木は東京工業大学の工学部制御システム工学科を卒業した後、アメリカのマサチューセッツ工科大学に留学し、機械をいかにして制御するか、ということの研究にさらなる磨きをかけていた。その研究過程で、彼は経験を反映することができるコンピューター・システムの基礎論理を構築した。EFC論理と呼ばれるこのアイデアに、最初に飛びついたのはアメリカの航空機メーカーのボーイング社だった。
当時ボーイング社では、ボーイング747-400型(最新型ジャンボジェット機)の飛行制御システムの再検討を進めていた。400型は機関士を必要とせず、機長と副操縦士の二名で運行するように設計されている。しかし、機関士を搭乗させないことは危険だと、有益な市場である日本の航空会社の労働組合が、400型導入に対して猛反対していた。400型の飛行制御システムの見直しは、これへの対応の一環として検討されていた。そんなボーイング社に、沢木の研究論文が舞い込んで来たのだ。
ボーイング社は十分過ぎるほどの環境を沢木に与え、そして、SFOS(ソフォス:Sawaki's Flight Operating System)が完成された。
このシステムは、あるパイロットが行った離陸から着陸までの操縦手順と実際の機体の動作、気象データ、機体のトラブルとその対処方法などを記録し、それがある程度蓄積されたところでパターン化(学習)する。このパターン・データ(経験)を次のフライトに反映させて、パイロットの負担や事故を減らそうとする制御システムである。
例えば、離陸の際に蓄積されたパターン・データと違う操作をパイロットがしたとする。するとSFOSは直ちに与えられた条件(機体のコンディションや気象データなど)を検討し、その操作がふさわしくないと判断した時、自動的に誤操作を修正するのである。また、これらパイロット特有のパターン・データ(癖など)は、直径五インチの光磁気ディスクに保存し持ち運ぶことができるので、SFOSを搭載した別の400型に搭乗した時にも、データを読み込ませれば扱い慣れた機体に変身させることができる。しかも、SFOSはメモリーの許す限りパターン化を繰り返す。したがって、SFOSは使えば使うほど、経験を積めば積むほどに、より信頼性が向上するという画期的なシステムであった。
このSFOSにより沢木の名は世界中の関係者に知られることとなり、さまざまな企業が彼の才能を欲しがった。そんな中で彼を射止めたのが、当時の相模重工社長・白石功三だった。
沢木は鳴り物入りで相模重工に入社するやいなや、SFOSの汎用版であるSMOS(ソモス:Sagami Multiple Operating System)を完成させた。現在、SMOSは原子力発電所や船舶、F-15Jイーグル戦闘機など、ほとんどの相模製品に実装されている。
沢木が籍を置く総合技術管理部は、通称“沢木組”と呼ばれている部署で、相模重工内で開発されたさまざまな技術を、相互に応用できるように管理運営することを目的としている。もちろん、SMOSの強化改良型であるASMOS(アスモス)など、沢木組独自の研究開発も行っている。また、通称に彼の名の冠が付いていることから分かるように、この部の部長には沢木が着任している。沢木組のスタッフ数は一二〇名で、皆、沢木自身により選ばれ、白石会長の鶴の一声により集められた、精鋭中の精鋭だった。それだけに、相模内のある勢力からは強い反発もあった。
沢木は朝のあいさつをしながら自分のオフィスに入って行き、皮張りの茶色い肘掛け椅子に座ると、早速今日行うことの準備に取りかかった。
相模重工本社は横浜市中区の官庁街の一角にある。港と高速道路に囲まれたこの辺りは、横浜ベイスターズのホームグラウンドである横浜スタジアムや、山下公園、中華街などがあることで知られているが、それと同時に多くの官庁施設や公共施設が点在している。神奈川県庁、横浜地方裁判所、神奈川県警察本部、横浜税関、県立博物館、県民ホールなどなどである。そしてすぐ近くの西区では、横浜市が進めている都心臨界部総合整備計画“みなとみらい21”の名のもと大規模な開発が進められ、その一つのシンボルとして、日本最高の高さを誇るランドマークタワーがそびえ建っていた。この街は神奈川県の中枢であり、シンボルであると同時に、そこで生まれ育った相模重工のホームタウンでもあった。
山下公園道り沿いにある相模重工本社ビルは、地上三十六階建て、高さ一四七メートルの超高層ビルであり、その二十三階に沢木のオフィスはあった。この階とその下の二十二階は総合技術管理部に独占されており、例え相模の社員であっても部外の者は立ち入ることができない。といっても、規則や警備員により規制されているわけではない。部外者の行く手を阻むものは、エレベーターを降りてすぐにある鋼鉄の扉のアイID識別式電子ロックである。これにより、あらかじめ眼球の虹彩パターンが登録された人物以外は、ロックを解除することができないのである。
沢木組の中枢であるこのフロアを構成するのは、部長室―すなわち沢木のオフィス、部長秘書室、スタッフ用の広いオフィス、会議室、開発室七部屋、電算室、休憩ラウンジなどである。内装はほとんどが白で統一されているが、これは部長秘書室長の秋山美佐子の趣味により決定された。
沢木のオフィスはおよそ二十畳の広さがある。ドアを入った正面には大きな机があり、その脇にはIBMのコンピューターが置いてある。机の後ろには腰の高さから天井くらいまでの窓があり、そこからは横浜港が一望できる。その窓に沿って右手奥のほうに目を移すと、皮張りのソファに囲まれたガラス板のコーヒー・テーブルがあり、その近くには三十二インチのテレビとビデオデッキなどが置かれていた。
ノックが聞こえて扉が開くと、コーヒーの香ばしい香りが部屋の中に広がった。秋山がコーヒーを持って入って来たのである。
「今日は珍しく、お早い出社ですね」
秋山は沢木をからかうように言った。こんな時、いつもの沢木なら気の利いた冗談で言い返し、彼女を笑わすのだが、今日の彼は真剣な顔をして言った。
「これから厄介な仕事に取りかかることになる。秋山さんもたいへんになると思うからそのつもりでいてね」
沢木はスタッフを集めることから始めた。まず、沢木組の中からは部長秘書室長の秋山美佐子をはじめ、“センサーの魔術師”と異名を取る片山広平。プログラマーの岡林敦。東京大学付属病院の脳神経外科師から相模に転身した松下順一郎の四人。
外部からは、相模重工総合研究所の人間工学研究室に所属し、人間が機械に関わる時に生じるストレスの研究を専門としている桑原久代。相模重工が保有するさまざまな機密情報の外部流出を、独自に防ぐために設置された情報管理室の室長、渡辺昭寛の計六人であった。
沢木は以上の六人に連絡を取ると、午後五時から自分のオフィスで会議を行うことを告げ、皆それに同意した。
そして、午後四時五十分。沢木のオフィスに人が集まり始めた。
最初にやって来たのは松下順一郎であった。彼は五十五歳で、身長は一七〇くらい、眼鏡をかけ、ヒョロっとした風貌は、神経質そうな印象を周囲に与えた。彼は沢木が抱えているプロジェクトのひとつ、ASMOS計画を推進する上で重要な人物である。
ASMOSとは Advanced SMOSの略であり、その名の示すとおり、先進的なSMOS、次世代SMOSとして現在開発中のものである。このASMOSは、従来のSMOSに比べて処理能力が大幅に向上されていて、それだけでも十分な“売り”になるのだが、沢木はこれに思考検知システムを加えようとしていた。人が思考した命令をセンサーで検知し、それをコンピューターで処理し、機械を制御するという試みである。松下の仕事は、思考を検知する際の医学的な分野での技術開発を進めることである。
笑いながら入って来たのは岡林敦だった。秘書室にいる秋山をはじめとする女性たちでもからかって来たのだろう、と沢木は思った。岡林は童顔で、背丈は一六〇と小柄なため、一見すると頼りなさそうな、おとなしそうな印象を与えるが、実は非常におしゃべりで、人を笑わそうとすることばかり考えている男である。しかし、彼はその性格によらず、地道な作業をコツコツとするタイプで、沢木の無理難題な注文をいつも鮮やかに切り抜けてきた。彼は二十七歳。プログラマーとしては一番油の乗った年齢かも知れない。
油が染み込みよれよれになったオレンジ色の作業着、それを着て入って来たのは片山広平であった。“センサーの魔術師”と異名を取る彼は、沢木組のナンバー2であり、沢木のよきパートナーであった。また、沢木と同じ年齢ということもあってか、私的部分で彼と馬が合った。片山は松下よりも少し背が高く、細面の顔はクールな印象を人に与えた。彼は今、松下と協力してASMOSの思考検知用センサーの開発に没頭している。
何で俺がこんなところに呼び出されるんだ、という顔をしてやって来たのは、渡辺昭寛であった。三十六歳の彼は、一八〇近い背丈とたくましい肉体を持つ屈強そうな男だった。 今から三年ほど前、SMOS関連の機密情報を奪取せんと、産業スパイが相模重工に送り込まれる、という事件が起きた。相模重工にはSMOS以外にも、同業者が喉から手が出るほど欲しいような先進技術がたくさんある。これらの技術の不正流出を防ぐために、事件後情報管理室が設置された。
渡辺に関して沢木はある噂を聞いていた。その噂とは、彼がかつてSOP(ソプ)の隊員であった、というものだ。
SOPとはSpecial Operation Policeの略で、テロ犯罪の抑止、鎮圧を目的として警察機構内に創設された特殊部隊であり、その監督は首相や法務大臣をはじめとするSOP総括委員会により行われている。SOP創設の理由は、八〇年代後半から相次いで起こったテロ犯罪への対抗である。外国人労働者が大量流入したことによるナショナリズムの高まりと右派勢力の拡大、それに対する国内極左及びアジア諸国の反抗。西側先進諸国の思惑を顕著に表す、日本の経済支援に対する発展途上国の反感。国内外を問わずテロの動機はいくつもあった。事態を重く見た政府はテロ対策法を制定し、その実践部隊として近代兵器と先進技術により武装されたSOPを配備した。
今回の計画では、情報管理や事件、事故の詳細な調査活動が必要になると判断し、沢木は渡辺に声をかけた。
続いて桑原久代が入って来た。彼女は沢木を見つけると歩み寄り、初対面のあいさつを始めた。彼女は若くは見えるが、おそらく四十代後半くらいの年齢だろうと沢木は思った。美人とはいえないまでも、きりりと引き締まった顔立ちは、賢そうな、いかにもキャリアウーマンといった感じだった。身長は一五五くらい、ほっそりと小柄な女性だった。
沢木は彼女と関わるのは今回が初めてだが、彼女の書いた研究報告書はいつも興味深く読ませてもらっていた。今回の計画では、人美の心理面からの考察が非常に重要になるだろうと考え、心理学を専門とする彼女に迷わず声をかけた。
最後に人数分のコーヒーを持って入って来たのは秋山美佐子である。彼女は大学で航空宇宙工学を学んだ後に相模重工へ入社し、宇宙関連事業に技術者として携わることを夢見ていた。しかし、配属されたのは期待に反して秘書室だった。彼女の夢は入社と同時に破れたのだ。だが、相模重工の重役秘書ともなれば、技術関連の知識も無駄にはならないだろうと自分を励まし、新しい目標に向かって歩み出した。その一年後に沢木が入社してきて、秋山は彼のアシスタントに抜擢された。沢木の仕事は非常に高度かつ大きなプロジェクトばかりで、当然彼女の仕事も楽しくなった。総合技術管理部創設の際にも彼女の意見は積極的に採用され、沢木のもと彼女の才能は開花された。
長い髪をバレッタで後ろに束ねた髪型と、あどけない顔立ちが印象的な彼女は現在二十八歳、聡明かつ美しい女性だった。
続く…
2009年11月5日木曜日
良質なブログを発見!
自分自身がブログを始めてから、ITに関する良質なブログを探していましたが、本日やっとひとつ見つけましたので紹介します。
ken’s room ~システム開発プロジェクトマニュアルのメモ~
この方は、非常に明確な目的の下にブログを執筆されています。また、この目的から要件定義工程を中心とする、システム開発の上流工程を勉強されたい方にとってよい手引きになると思います。
私より11歳年下の方ですが、この年齢でこうした方向性を見出している点で、将来に期待を感じます(と私がいうのも生意気ですが…)。
ken’s room ~システム開発プロジェクトマニュアルのメモ~
この方は、非常に明確な目的の下にブログを執筆されています。また、この目的から要件定義工程を中心とする、システム開発の上流工程を勉強されたい方にとってよい手引きになると思います。
私より11歳年下の方ですが、この年齢でこうした方向性を見出している点で、将来に期待を感じます(と私がいうのも生意気ですが…)。
2009年11月4日水曜日
風邪のようです
ラベル:
その他
先ほど病院から帰ってきました。結論を先にいうと、検査の結果インフルエンザではありませんでした。しかし、医師曰く、「まだインフルエンザが潜んでいる可能性もあるから、熱が急に上がるようなら再検査した方がいい。油断せず、安静にするように」とのことでした。ということは、白とハッキリ断定できていないということですよね。まったく厄介です。まあ、とにかく後半日ゆっくり休んで様子を見るしかありません。
ところで、インフルエンザの検査では、細い綿棒のようなもので鼻の奥の粘膜を採取するのですが、これが恐ろしかったです。終わってしまえば大したことはないのですが、鼻の奥に異物を入れられるというのは恐怖を感じます。さらに、医師は「今奥まで入ったから、グルグルっと回すよ」というのです。グルグル!? 鈍痛が鼻の奥を駆け巡ります。健康が大切と感じる瞬間ですね…
ところで、インフルエンザの検査では、細い綿棒のようなもので鼻の奥の粘膜を採取するのですが、これが恐ろしかったです。終わってしまえば大したことはないのですが、鼻の奥に異物を入れられるというのは恐怖を感じます。さらに、医師は「今奥まで入ったから、グルグルっと回すよ」というのです。グルグル!? 鈍痛が鼻の奥を駆け巡ります。健康が大切と感じる瞬間ですね…
2009年11月3日火曜日
2009年11月2日月曜日
ジャズ
ラベル:
My Music
日曜日は『富士通コンコード・ジャズ・フェスティバル 2009』に行ってきました。
とても良かったです! 日野皓正、渡辺香津美、阿川泰子はもちろん素晴らしいミュージシャンですが、今回私が注目したのはこのふたり…
まずはベースの中村健吾。私は超絶テクニック系のミュージシャンが好きなので、彼の演奏テクニックに痺れてしまいました。
続いてテナーサックスの川嶋哲郎。この人のハイテンションなサステインはぶっ飛んでます! これにも痺れてしまいました。
久しぶりの生演奏。やはりライブはいいですね!
ちなみに私が最も好きなジャズ ミュージシャンは Marcus Miller 。この人のエレクトリック ベースは凄いですよ!
とても良かったです! 日野皓正、渡辺香津美、阿川泰子はもちろん素晴らしいミュージシャンですが、今回私が注目したのはこのふたり…
まずはベースの中村健吾。私は超絶テクニック系のミュージシャンが好きなので、彼の演奏テクニックに痺れてしまいました。
続いてテナーサックスの川嶋哲郎。この人のハイテンションなサステインはぶっ飛んでます! これにも痺れてしまいました。
久しぶりの生演奏。やはりライブはいいですね!
ちなみに私が最も好きなジャズ ミュージシャンは Marcus Miller 。この人のエレクトリック ベースは凄いですよ!
最新鋭のデータセンター
先週の金曜日は、株式会社アイネットが今年の6月に営業を開始したばかりのデータセンターを見学してきました。
場所は横浜市内の某所なので、私の会社や自宅から1時間程度でアクセスできます。また、我が社の大規模震災BCP上の想定被害地域を外れていますので、これらの点でまず良い評価ができます。
以前、富士通の館林システムセンターを見学したことがあるのですが、群馬県はさすがに遠すぎます。やはり、実機を触りたい時もありますので、今回のデータセンターのロケーションは非常に良いです。ちなみに館林システムセンターのお弁当はとてもおいしかったです。
アイネットのデータセンターは免震構造。素晴らしいのは自家発電機への給油ラインまでもが二重化されている点で、これによりデータセンターに必要な電気設備のほぼすべてが完全二重化構成なのです。PRIMEQUESTみたいですね。
その他詳細はこちらでご確認いただくとして、とにかくこんな近くにこれほど立派なデータセンターができたのは何とも心強い話です。次期ITインフラは、このようなデータセンターで動かしたいと強く思いました。
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