午後五時三十分。沢木のオフィスにスタッフが集まった。
沢木が言った。
「片山。PPSの取り付けのほうはどうなった」
葉山から戻ったばかりの片山が答えた。
「予定より時間はかかったけど無事完了、テスト結果も良好だ。同行したスタッフには固く口止めしておいた」
「そうか、ご苦労さん。それではまず、私のほうからの経過報告としては、見山哲司氏に一昨日会ってきた。これから配るのはその時の会話を録音したものを文書化にしたものだ。松下さんと桑原さんには既にお渡ししてあるので、残りの者に配る。よく読んでおいてくれ」
ざわざわと紙がうごめく音がやんだ後に沢木が続けた。
「それから、葉山の計画本部の場所が決まった。明日、機材の搬入及び設営を行いたいと思う。が、その件は後に回そう。ちなみに、本部となる借家は松下さんの個人名義で契約した。相模の重役という設定で」
岡林がからかうように言った。
「松下さんが重役ねー」
松下の険しい視線が岡林に飛んだ。彼はまた余計なことを言ってしまったと思った。
「岡林。観測システムのほうの経過を、簡単にみんなに説明してくれるかな」
「はい。えー、システムのほうは土曜日までには完成できると思います。何か問題が生じたり、付加する機能が望まれた時には、随時バージョン・アップで対応していきます。試算ではシステムが稼動してから六七.五時間後から、有効なデータが得られると思いますが、実際には被験者が部屋にいる時間が関係しますので、まあ、一週間くらいは必要かも知れません」
片山が苦笑しながら言った。
「どうやら今回の計画は、PPS及びASMOS初の臨床実験ということになりそうだな。一石二鳥というのかな」
松下は不機嫌そうに言った。
「まったくだな。こんな形で使うことになるとは」
秋山が言った。
「いいじゃありませんか。人美さんを観測することでASMOS用の貴重なデータが得られれば、まったくの無駄ということはなくなるんですから」
沢木が付け加えた。
「まあ、結果的にそういうことになったな。ある意味で今回の一件はタイムリーな巡り会わせだったかも知れない。もっとも、ASMOSやPPSがなかったら、この件には関わっていなかったかも知れないがな…… さてと、桑原さんは何かありますか」
「いいえ、今のところは特に報告するようなことはありません」
「そうですか。松下さんは?」
「右に同じだ」
沢木は松下の言葉にうなずいた後、視線を渡辺のほうに向けた。そして、今日二回めの言葉を心に浮かべた。
さあ、何が聞けるのか楽しみだ
沢木は言った。
「それでは渡辺さん。どんなことが分かったのか、聞かせていただきましょうか」
「では資料を配りましょう」
渡辺の作成した資料が全員に配られた。沢木はそれにパラパラっと目をとおした。その資料は奇麗にワープロで印刷されていて、新聞の切り抜きなど―スキャナーを使って取り込まれたもの―が奇麗に添付されていた。また、A4サイズの資料の左端は、ホチキスで三カ所留められていた。沢木はその几帳面な仕上がりの資料を見て、渡辺を意外に思った。沢木は彼のことをもっと粗野な人間だと思っていたのだ。
「最初のページを見てください。これは幼女連続誘拐殺人事件の犯人が逮捕された翌日の朝刊です。見てすぐに分かるように、六体の遺体が犯人の自宅の裏山から発見されています。私はこの件に関して、当時の捜査責任者に会って話しを聞いてきました。その結果、こういう事実が分かったのです」
全員が渡辺を注目する中、彼の静かな語り口の報告は続いた。
「逮捕後の取り調べに対して、犯人が犯行を認めたのは五件、残る一件については犯行を否認しています。そして、その後の裁判で刑が確定されたのも五件までで、残りの一件は宙に浮いた形となっています」
沢木が尋ねた。
「どういうことです」
「捜査当局は遺体捜索の際に、五体の遺体を捜していました。なぜなら、奇怪な電話や手紙、むごたらしい被害者の写真など、同一犯の犯行を示すものは被害者宅や警察に送られ、それが五人の被害者の存在を示していたからです。ところが、犯人が遺体を埋めたと自供した場所からは、六体の遺体が発見されたわけです。このプラス1の少女は、行方不明者として警察が扱っていた少女です。当初捜査当局は、この少女についても犯行を追求しました。ですが、犯人はあくまで犯行を否定し、また、犯行を裏付ける証拠も発見されませんでした。もちろん、遺体の状態も他の被害者とは異なっています。他の被害者は皆遺体の一部が切断されたり、焼かれた跡があったりしていますが、プラス1の少女の遺体は完全な形で発見されています。直接の死因は不明ですが」
渡辺はひと呼吸、間を空けた。
「宙に浮いた一体。これに該当するのは安西真理子。見山人美をいじめていた少女です」 誰も口を開かなかった。渡辺が続けた。
「この当時見山人美は登校を拒否し自宅にいました。登校を再開したのは一九八四年九月十一日火曜日です。学校の記録で調べました。さて、新聞の日付を見てください、同じです」
岡林がつぶやいた。
「なんてこった」
ほかの者は沈黙していた。
「安西真理子については、十一年たった今も死体遺棄事件として捜査中だそうです。しかし、実態は迷宮入りでしょう」
松下が言った。
「謎が謎を呼ぶとはこういうことだな」
秋山が小さな声を出した。
「安西真理子に何があったんだろう」
渡辺はクールに一言言った。
「そこまでは分かりませんね。おそらく、誰にも」
沢木が少し大きめの声を出した。
「取り敢えず報告の続きを聞こうじゃないか。細かいことはその後で話し合おう」
沢木は渡辺の目を見てうなずいた。
「三ページめはいたずら事件の記事です。この事件が明るみになったのは、被害者の父兄が警察に訴え出たことによります。事件の明くる日、その教師は幼年者への強制わいせつ罪で逮捕されました。精神錯乱を起こしたのは拘置されて三日めのことだそうです。担当警察官の話しでは、それまではまったく異常は認められなかったそうです。四日めには舌を噛み自殺未遂を起こし、ついに精神病院に収容されました。そして一年後、極度の拒食症により衰弱死したそうです」
片山が言った。
「死者二名か」
沢木はタバコに火をつけて、ゆらゆらと揺らめく煙をぼんやりと眺めながら言った。
「次の事件は」
「自殺したのは西田純子という子です。彼女は自室の天井からロープをつるし、首をつりました。ところが遺書がなかったのです。こういう場合必ず検死解剖に回されます。そこで検死に立ち合った警察官に話しを聞いたのですが、要点は二点、一つは自殺に間違いないということ、もう一つは妊娠二カ月だったということです」
桑原が言った。
「つまり自殺の原因は二つあるわけですね。受験失敗と妊娠と」
秋山が言った。
「それなら、人美さんの関与はないんじゃありませんか。妊娠し悩んでいた、その影響による受験失敗、そして自殺。つじつまが合います」
「ところが、後日談があるんですよ」
相変わらず渡辺はクールだった。
「西田純子の宿した子の父親は山本雄二という少年です。これは当時の警察の調べで確認されています。その少年なんですが、高校進学後すぐに中退しまして、地元の自動車修理工場で働いていました。ところが事故が起こったんです。ジャッキで持ち上げられた車の下に潜って作業している時に、それが外れて車の下敷きになったんです。幸い一命は取り留めましたが、下半身不随の身になってしまったそうです。彼は現在母方の実家のほうで暮らしているとのことです」
秋山は沢木の顔を見て言った。
「山本雄二って」
沢木が答えた。
「んん、見山人美の初恋相手だ」
「そういうことです。これは私の想像なんですが、下半身不随ということはつまり男性機能の喪失ということでして…… その辺が非常に引っ掛かるんですよ」
片山がせかすように言った。
「最後の件は」
「事故が発生したのは昨年の十月二十四日、日曜日、午後十一時ごろです。事故現場はかなりの急カーブでして、そのカーブの進入口にあるガードレールに事故車は衝突しています。事故の通報は近くの住人からのもので、警察に加えて消防車も出動しています。事故車から火災が発生しているためです。消火後、事故車から三人の男性の遺体が発見されています。さて、この事故には不審点がいくつかあります。まず、事故現場にはブレーキを踏んだ痕跡がありません。たいていは道路にタイヤの摩耗した跡がつくものなんです、急ブレーキを踏んでいれば。そしてもう一点は、なぜ三人とも脱出できなかったのか、ということです。三人の直接の死因は有毒ガスによる中毒死であり、火災によるダメージのためではありません。つまり、彼らを襲った火災は爆発的なものではないわけです。事実、彼らの遺体はあまり傷んでいません―一人ぐらい脱出できてもいいはずです」
岡林が声を震わせながら言った。
「やばいよ。これって……」
片山は目を閉じ腕を組ながらささやいた。
「死者六名、身体障害一名か。確かにまずい、まずい気がするな」
松下が言った。
「しかしだ。へ理屈ではなく実際問題としてまだ確証を得たとはいえない。沢木君、そうだろう」
沢木は松下の動揺ぶりが手に取るように分かった。なぜなら、彼が前置きをし同調を求めたからだ。
「確かにそうです。状況証拠は完全にそろい、どれも人美さんにサイ・パワーがあるとするならば奇麗につじつまが合う。しかし、まだ確証がない。確証がない限り断定はできない」
片山が反発した。
「だが沢木、偶然にも限度があるぞ。十八年という間に四件の、それも不可解な出来事に遭遇する可能性は、統計学的に考えたって極めて少ないはずだし、それは偶然の域を超えているんじゃないか」
岡林が付け加えた。
「そうだよ。具体的な数値は出せないにしても、少なくとも僕らの経験則からしてこれは異常だ」
沢木は腕組みをし、溜め息を一度した後に言った。
「まあ、そう結論を急がなくてもいいだろう。まだ計画は始まったばかりなんだから」
秋山が言った。
「でも、沢木さん。仮に人美さんにサイ・パワーがあり、そして彼女が私たちの存在に気づいたとしたら、一体私たちはどうなるんでしょう」
「殺される」
岡林が青ざめた顔をしてつぶやいた。その瞬間、誰もが背筋から冷たいものが入り込むのを感じた。
しばらくの沈黙の後、桑原が言った。
「……でも、それはちょっと悲観的過ぎると思います。過去の事例では、人美さんに何らかの危害を加えた者が奇怪な出来事に遭遇しています。少なくとも私たちは彼女に危害を与えることはないはずです。この計画自体、それと悟られないように行うわけですから」
「でも!」
岡林は桑原の話しをかき消すように叫んだ。
「彼女は予知能力を持っているかも知れない。そして、彼女の正体を暴こうとしている僕らを快く思わなかったら……」
沢木が静かに言った。
「クールにいこう、みんなクールにいこうよ。今ここで想像や憶測で話しを広げたところで、何も問題は解決されない。我々は科学や技術の世界に生きる人間なんだ。確証を得るまでは中立のスタンスを崩すべきではない。そうだろう岡林」
沈黙の時間が再び流れた。それぞれの脳裏に不安、恐怖、好奇心の感情が、そして、想像や憶測の思考が駆け巡った。
「それとですね。もう一件気になる事件があるんですよ」
渡辺が口を開いた。
「まだ何かあるんですか」
桑原が驚異の眼差しで渡辺を見た。
「これは見山人美と関連があるかまでは分からないんですが、横須賀警察署をうろついてた時にこんな事故の話しが耳に入ったんです」
渡辺が沢木の顔をうかがった。沢木は言った。
「どうぞ、聞かせてください」
「先週の土曜日の午後七時半ごろ、二人の男性の溺死体が発見されました。場所は三浦市の三戸海岸、見山人美の家から三キロほどの距離です」
「ああ、それなら知っています。酔って海に入ったために溺れたとされている事故ですね」 沢木は日曜の昼に見たニュースを覚えていた。
「そうです。ところがこの事故も実に不可解でして」
「どういったことが?」
「実は、アルコールが検出されたのは二人いるうちの一人だけなんです。一人は体質的に酒が飲めなかったそうですから、当然酔っていたのは一人だけということになります。そこで考えられるのは、酔って溺れた一人を助けるためにもう一人が海に入り、結果二人とも溺れた、ということです」
「そうですね。それが自然な推測です」
「ところが不自然な点がありましてね。その酒を飲めないほうの男なんですが、遺体で発見された時、衣服も靴も身に着けたままなんですよ。酔っていたほうもそれは同じです」
「なるほど。普通海に入るなら、緊急時ならなおさら、靴ぐらい脱いでもよさそうですね」
「ええ、そうなんです」
「他殺の可能性は?」
「海で溺死させたのなら、そのまま沈めておくはずです。二人の死因は窒息死、外傷はありません。警察も事故以外の可能性は否定しています」
「その二人は住居はどこですか」
「二人とも東京です」
「となると、事故当日以前に人美と関わっている可能性は少ないですね」
「ええ、私もそう考えてます。もしも見山人美と関わるならば事故当日だと」
「二人の足取りは?」
「当日は車でやって来てます。海岸近くの駐車場から車が発見されてますから。現在までに分かっているのは、横横(横浜横須賀道路)を衣笠インターで下り、コンビニとファミリー・レストランに立ち寄ったということだけです。それぞれ車内から領収書が見つかりました」
「それ以上のことも掴めそうですか」
「今は調査中としか言えないですね」
「そうですか。後は見山人美の足取りですね」
「ええ、これから調査するつもりですが、そこでお願があるんですよ。人員を増やしたいんです」
「ああ、そのことは私も相談しようと思っていたんです。人美さんが白石邸に入り次第、二十四時間体制の監視を行いたいと思っていましたから。で、何人くらい必要ですか」
「それならば私以外に四人要りますね。監視役二名にそのバックアップ二名、もう一名は調査要員です。私の部下でやりくりします」
「分かりました。お任せしましょう」
岡林は恐る恐る沢木に尋ねた。
「あのー、沢木さん。ということはまだやるんですか?」
「もちろん」
沢木は力強い口調で言った。
「私はこの目でしっかりと真実を見極めるまではとことんやるつもりだ。しかし、この考えをみんなにまで強制するつもりはない。辞退したい者は遠慮なく言って欲しい」
沢木は全員を見回した。岡林も皆を見回した。誰も辞退を申し出はしなかった。
岡林は怖かった。見山人美という少女には関わらないほうがいい、関わることは避けなければいけない、そう考えていた。しかし、ここにいるみんなはまだ続けるという。自分には勇気がないのか、自分は情けない奴なのか、それともほかのみんなは狂人なのか、恐怖という感情を持たない変人なのか。さまざまな思いが短時間のうちに駆け巡った。
でも、僕は仲間を見捨てたくない。それは卑怯なことだ。怖がりと思われるのは構わないが、卑怯者とは思われたくない。そう、松下は無愛想なおやじだがこれまで一緒に仕事をしてきた仲間だ。沢木さんは? 沢木さんはとても頭のいい人だ。きっと素晴らしいしアイデアを持っているんだ。勝算があるから怖くないんだ。秋山さんはとても奇麗だ。それは今は関係ないことだ。ああ、僕は何を考えてるんだ。でも、でも僕は仲間を大切にしたい
岡林はなんとも頼りない口調で言った。そして、それはユーモラスでもあった。
「まいったなぁ、みんなやるんだ。勇気あるよなぁ…… だったら、だったら僕もやりますよ。みんな死んで僕だけ生き残ったりするのは、僕だけ死ぬよりもっと嫌ですから。みんなの死と呪いを背負ってこれから生きていくなんて考えられないから」
沢木は思わず笑ってしまった。
秋山も、片山も、松下も、桑原も、声を出して笑った。
岡林も作り笑いをした。
渡辺はクールだった。
「岡林、そしてみんな、ありがとう」
沢木は言った。
「それではこの計画の呼称を決定する。エクスプロラトリー・ビヘイビア計画だ」
「どういう意味ですか?」
秋山が尋ねた。
「心理学用語の一つなんだが私の解釈はこうだ。“未知なるものへの探索行動”」
続く…
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