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2009年12月25日金曜日

小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(15)

 そのころ、吹き出る汗をハンカチでぬぐいながら、海水浴場を歩く男の姿があった。その男はスーツの上着を肩に引っ掛け、折り目のないズボンを履いた冴えない中年男だった。 彼の名前は相馬雄介、渡辺の部下の一人である。彼は今、三戸海岸で溺死した男たちの足取りを探るべく、地道な聞き込み調査をしているところだった。これまでの調べで、溺死した男たちの車には、濡れた水着があったことが分かっている。ということは、どこかの海水浴場に立ち寄った、と予想できる。彼は男たちの残したわずかな手がかり(衣笠インター、ファミリー・レストラン、コンビニの各領収書)と顔写真をもとに、その足取りを調査していたのだ。それは、五十二歳という年齢の彼には、決して楽とはいえない仕事だった。
「畜生、よりによって何でこんなに暑いんだ。バカ野郎」
 彼はそう毒づきながらも、革靴を砂に汚しながら調査を続けた。
 相模重工情報管理室は現在十五名のスタッフにより運営されているが、創設当時は渡辺と相馬の二人しかいなかった。彼ら二人を相模に導いたのは、某政治家秘書を務める人物であった。政治家秘書は白石会長からの要請を受け、司法関係者から適性人物を選定し、これにより渡辺と相馬が相模に招かれたのである。渡辺は元SOPの精鋭、相馬は新宿警察署捜査四課の敏腕刑事だった。
 相馬は相模への誘いがある前に、既に警察を辞めていた。いや、辞めさせられたのだ。その成り行きはざっとこんなものだった。ある情報屋からの垂れ込みで、マンションの一室に出向く。そこには肌もあらわの女が一人いて、突然叫びながら彼に抱きつく。そこへカメラを持った男が入って来て写真を撮る。それが警察署へ送られる。彼は懲戒免職処分となった。相馬は、彼を敵視する香港マフィアの陰謀に、ものの見事にはまってしまったのだ。それは彼にとって一世一代の不覚であった。
 渡辺と相馬以外のスタッフは、その後彼らにより元警察官を中心に集められた。例えば進藤は、SOPを志願したものの、厳しい訓練の前に挫折し、国へ帰ろうとしたところを渡辺に声をかけられたのだ。


 午後五時二十五分。定刻より一分遅れて、人美を乗せた電車は逗子駅に到着した。ホームに降り立った人美は、「ふわぁー」とあくびとも背伸びともつかない動作をした後、改札口に向かって歩き始めた。
「あの娘、かわいいですよね。室長はどう思います」
 渡辺は進藤の顔を見たが、冷めた視線を送るとすぐに人美の後を追って歩き出した。
 まったく、どうしたらああいう無愛想な人間ができるんだか
 進藤はそう心の中でつぶやいた。
 渡辺たちが改札口を抜けると、人美は既に葉山行きのバス停の列に並んでいた。渡辺は改札口の横に立ち、ショートホープを一本取り出すとそれに火をつけた。そして、通話距離に入った無線機のマイクに向かい、沢木たちに逗子到着の連絡をした。
 数分後、人美が並んだ列の前にバスが止まり、彼女は一番後ろの席に座った。渡辺と進藤も、それぞれバスに乗り込む時間をずらして、素早く前側の席に座った。
 さらに数分が経過した後、人美と渡辺たちを乗せたバスは、黒々とした煙を噴き出しながら発車した。


「私は田宮さんの思想の共感し、できる限りの援助をしてきたつもりです。しかし、もう余裕がないのです。ご存じのように、相模の技術力は群を抜いています。私の会社よりも優れた製品を、より安く提供でき、さらに、政治力もかなりのものを持っています。このままいけば、相模にすべて食いつくされてしまいます」
 男は落胆の表情を浮かべ、溜め息混じりの声で胸の内を語った。
 白髭の老人は答えた。
「君らしくもない、そんな弱気でどうすんだ」
「私も努力はしています。開発部門への増資、営業の強化、それにリストラ―ですが、根本的なところで力が足りないのです。今日ではあらゆるものにマイクロプロセッサーが搭載され、ソフトウェアで制御されるのです。家電製品から軍需製品にいたるまで、何もかもすべてです。つまり、ソフトの開発技術がないメーカーに、未来などないのです」
「では君の会社はどうなる?」
「メカの技術は大手に負けない自信があります。しかし、ソフトの技術がない限り、いずれは下請けに成り下がってしまうでしょう……」
 男は「はぁ」っと深い溜め息をついた後に心の中でつぶやいた。
 あの時沢木を獲得できていれば……
「何とか挽回できんのかね? 君の会社は建設機械に強いはずだ」
「ええ。ですが、秋には相模の新製品が登場します……」
 白髭の老人は立ち上がると男に歩み寄り、肩を叩いて言った。
「君の言いたいことはよく分かった、私に任せなさい」


 午後六時を過ぎたころ、人美は葉山公園前停留所でバスを降りた。渡辺たちはバスを降りずにその場を離れ、それから先を交代要員に任せた。
 ウッドストックの任をこの先引き継ぐのは、渡辺の部下である森田雄二と篠原久美の二人だった。森田は四十一歳になる小太りの男で、元は厚生省の麻薬取締官。篠原は二十六歳になる小柄な女性で、元は科学警察研究所の研究員だった。
 脇道の路肩に駐車された、ガンメタリックパール塗装のサニー4ドアセダンから降りた森田は、人美との距離を約三〇メートルおいて歩き出した。サニーの運転席に座る篠原は、ゆっくりと車を動かし始めた。
 白石邸に行くには、バス通りである国道一三四号線から、細く急な坂道を登っていかなくてはならないが、人美の足取りは軽快で、急な坂道は大した障害ではないようだった。しかし、森田には息切れの原因となった。
 約一〇〇メートルも坂を登ると、人美の視界に白石邸が映り始めた。それは、青い空に栄える真っ白な壁とブルーの屋根を持つ、家というよりは西洋風のお屋敷という印象だった。お屋敷の周りは石壁で覆われ、その壁の上には人の背丈くらいの植木が透き間なく植えられていた。石壁を繰り抜くように造られた大きなガレージには、黒いベンツと白いシビックが駐車してあり、もう一台分のスペースには、人美のマウンテン・バイクが置かれていた。
 人美はガレージ脇の門に据え付けられたインターホンのスイッチを押した。
 居間のソファに腰を下ろして、今か今かと人美の到着を待っていた白石は、家政婦の橋爪から人美の来訪を知らされると、一目散に外へと飛び出した。
 バタバタバタというせわしない足音とともに、人美の前に白石が現れた。
「やあやあ、人美君。さあさあ、中にお入りなさい」
 白石はニコニコしながら門を開け、人美を中に通した。
 門を入るとすぐに石造りの階段があり、それを数段昇りきると、道路より一段高くなった前庭に出て、そこから真直一〇メートルほど歩くと、玄関にたどり着いた。
 白石は玄関のドアを開けるなり、家の中に向かって叫んだ。
「千寿子! 千寿子!」
「はいはい、そんなに大声を出さなくてもちゃんと聞こえてますよ」
 和服姿の千寿子が姿を見せた。そして、人美の姿を認めると、品のある笑みを浮かべながら歩み寄って来た。人美は白石夫婦に向かって言った。
「白石のおじさま、おばさま、しばらくご厄介になりますが、どうぞよろしくお願いします」
 人美はペコリと頭を下げた。
 おじさまか、悪くないな
 そんなことを思いつつ白石が言った。
「今日からはここを我が家と思ってもらっていいぞ。何の遠慮もすることはない。どうせわしらはこの家では食べることと寝ることくらいしかせんからなぁ」
「ええ、そのとおりよ。私たちは人美さんが来てくれて、心から嬉しく思うわ。仲よくしましょうね」
 千寿子は優しく言った。
「ありがとうございます。おじさまも、おばさまも、私に何か問題があればすぐにおしゃってください。すぐに改めるよう努力しますから」
「人美さんは本当によくできた子だわ。ねえ、あなた」
「ああ、そうだな。まあ、堅苦しいあいさつはこのぐらいにして―とにかく、楽しくやろうじゃないか。はははははは……」
 白石の豪快な笑い声にまみれて、黒のワンピースに白いエプロンをした二人の中年女性が現れた。千寿子が言った。
「このお二人は、家の中のことを面倒みてもらってる方たちで、こちらが橋爪京子さん、こららは紺野啓子さん。二人ともとっても楽しい人たちよ」
 人美は家政婦の二人と簡単なあいさつを済ませた後、千寿子に連れられて新しい生活の場を一通り見て回った。
 玄関の右側には十六畳もある大きな居間があり、少し高くなったダイニングルームへと階段でつながっている。ダイニングルームの床はフローリングで、カウンターを挟んで広々とした明るいキッチンへと続いている。また窓からは、日本庭園風の裏庭と、横庭にあるプールを眺めることができた。キッチンを抜けたその先の廊下には、バスルームやトイレがあり、家政婦たちの居室やピアノを置いた部屋に通じている。半地下室には立派なシステム・コンポと大きなテレビなどが置いてあり、それは和哉がホビールームとして使っていた部屋だった。階段から二階に上がると、二階を真直に突き抜ける長い廊下へと出る。二階には白石の書斎、白石夫婦の寝室、客間が数室あり、西側の一番端の角部屋が人美の部屋となる場所だった。人美の部屋の近くにはバスルームとトイレがあり、それらは今後、人美専用として使われることになる。


 白石邸の近くにサニーを止め、車中での監視に入った森田と篠原からの連絡により、沢木たちが動き出した。
「よし、システムのほうの準備はいいな」
 沢木は岡林に言った。
「はい、問題ありません」
「よーし、いよいよだ。サンプリングを開始しよう」
「了解」
 CRTの画面には、PPSがとらえた電磁波の波形が映し出されていた。それは秩序正しく揺らめいていたが、しばらくすると波形が乱れだした。
「部屋に入ったようだな」
 沢木はそう言うと、固唾を飲んで揺らめく光の線を見守った。


 部屋の真ん中に立った人美は「うわぁー」と声をあげて喜んだ。なぜなら、人美が前に見た時と、部屋の内装が一変していたからだ。
 人美は父と一緒に白石家へあいさつに訪れた時、一度だけこの部屋を見ているのだが、その時の印象は決してよいものではなかった。部屋の壁には染みが点々とあり薄気味悪く、元はアイボリーと思われる絨毯は茶色くくすんでいた。白石のおじさんは確かに改装しておくとは言っていたが、まさかここまで変わっているとは思わなかった。
 まず、床の絨毯は取り払われ、美しい木目のフローリングになっていた。壁は真っ白く塗装され、二つある出窓も木製のものからアルミ製のものに変えられていた。エアコンも据え付けられていたし、部屋の照明は無表情な蛍光灯から、おしゃれな白熱球のシャンデリアへと衣替えされていた。沢木組建築工学部門のスタッフの技術力は、少女を感動させるに十分過ぎるほどだった。
 この部屋は十二畳半もある大きな真四角の部屋で、入り口の正面北側の壁には一間(約一.八メートル)の横幅の出窓、その左側の壁には同じく一間幅の西向きの出窓があり、右側の壁には一間の押し入れと、三尺(約九〇.九センチ)の収納戸があった。そして、西向きの出窓からは、葉山の海と横庭のプールを眺めることができた。
 出窓を開け外の景色を興味津々と見渡す人美に千寿子が言った。
「ここからはね、とっても美しい夕日を眺めることができるのよ。富士山だって見えるんだから」
 だいぶ低くなった太陽を見ながら、人美は富士の裾野に沈んで行く太陽の姿を想像しながら言った。
「素敵な出窓ですねぇ」
「それから、下に見えるあのプール。人美さんのために奇麗にしておいたから、思う存分使ってちょうだいね」
「はい! ありがとうございます」
 人美の瞳はきらきらと輝いていた。千寿子は人美がそんな目をするのが嬉しくてたまらなかった。

続く…

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