【案内】小説『エクストリームセンス』について

 小説『エクストリームセンス』は、本ブログを含めていくつか掲載していますが、PC、スマフォ、携帯のいずれでも読みやすいのは、「小説家になろう」サイトだと思います。縦書きのPDFをダウンロードすることもできます。

 小説『エクストリームセンス』のURLは、 http://ncode.syosetu.com/n7174bj/

2009年11月24日火曜日

小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(6)

白石会長の自宅は、葉山町と横須賀市の境に近い海沿いの山の中腹にあり、そこへは国道一三四号線から続く、細い急な坂道を登って行かなくてはならない。その家はとても老夫婦二人で住むには広過ぎる大きさで、二人の中年女性の家政婦がいることが、せめてもの救いだった。しかし、夜にはにぎやかな二人の女性も帰ってしまうため、家の電気はところどころしかつかず、近所の子供たちはお化け屋敷と呼んでいた。芝生が敷き詰められた庭の一角にはプールもあったが、これを利用する者はこの家にはいなかった。
プールの見える居間のソファに座り、白石夫婦は話しをしていた。
「来週の今ごろには、もう人美さんがこの家にいるんですね」
白石の妻である千寿子が、そう言って話しかけた。
「そうだな。わしは女の子が欲しかったから楽しみだよ」
「あら、父親気取りをしようというおつもりなの」
「それじゃいかんか?」
「誰がどう考えても、十八の娘さんは孫ですよ。まぁーご」
白石は憮然たる表情で言った。
「余計なことは言わんでいい」
千寿子は苦笑しながら視線を暗闇の中に浮かぶプールに移すと、溜め息混じりに言った。
「あのプールも使われなくなって何年になるでしょうね」
「んん、和哉が家に遊びに来てくれれば、孫たちが使うだろうになぁ」
和哉とは、白石夫婦の一人息子の名であった。父と息子は対立し合い、家族としての交流もあまりなかった。
白石は千寿子を見つめてつぶやくように言った。
「やはり、わしが悪かったのだろうか?」
「誰も悪くなんてありませんよ。ただちょっと、二人に辛抱がなかっただけです」
「お前にもすまないと思っているよ」
千寿子は静かにうなずくと、声を明るい調子に変えた。
「あのプール、掃除しとかなくちゃね。人美さん泳ぎが得意だそうだから、きっと夏の間中使ってくれるでしょう。あなた…… あなたそれを眺めてばかりいてはだめよ」
二人は声を出して笑った。そこへ電話がかかってきた。千寿子は電話を受け白石に告げた。
「あなた、沢木さんからお電話です」
白石は千寿子から受話器を受け取り答えた。
「もしもし、わしだ。どうした」
「今日、例の件で会議を開き明日から動き始めますので、まずはその報告を」
「そうか。メンバーは誰だ」
「秋山、片山、岡林、松下、それに総合研究所の桑原久代と情報管理室の渡辺昭寛の六人です」
「んん、申し分ないな」
「ところで会長、見山氏にお会いする機会を出発前に一度作って頂けないでしょうか。直接お伺いしたいことがあるんです。できれば早急に」
「そうか。それならちょうど明日の午後四時に見山君が家に来ることになっているから、そこへ君も来ればいい。彼にはこの後電話で伝えておくよ」
「助かります。では、明日お伺いしますので、詳細はその時に」

八月一日、火曜日。沢木はやはり午前九時に出社した。いつものように秋山がコーヒーを持って入って来たが、今日は片山と一緒だった。
「おはよう。こんなに早く出社して、体を悪くするなよ」
片山がからかうと、沢木は答えた。
「昨日も秋山さんに同じようなことを言われたよ」
秋山が笑いながら言う。
「誰だって言いますよ。いつもはお昼近くになってやっと来る人が、いきなり早く来るんですもの」
沢木はここ半年あまり、まともな時間に出社したことは一度もなかった。
「まあ、そう言うなよ。一応普段だって早く来ようとは思っているんだから……」
片山が突っ込んだ。
「思ってるだけじゃなぁ。まあ、いつまで続くか見物だな」
口をへの字に曲げる沢木を見ながら、秋山と片山が笑った。
「それはそうと沢木さん。私たちはこれから葉山に行ってきます。私は不動産屋さんをあたりますので」
「俺は白石邸の下見をしてくる」
「分かった。実は私も午後から葉山に戻るんだ。四時に会長宅で見山氏と会うことになっているんでね」
秋山は考えながら言った。
「そうなんですかぁ…… 沢木さん、私も一緒に行っていいですか?」
「それは構わないが、何かわけでも」
「特別なわけはないんですが、ただ、人美さんのことがとても気になるので、見山氏の話しに興味があるんです」
沢木は秋山の不安げな表情を見ながら、昨日の会議の後で秋山が言ったことを思い出した。
「そうか、いいよ。どこかで落ち合って一緒に行こう。場所と時間は後で僕のほうから連絡するよ」

時計の針がそろそろ午前十一時を指そうという時刻になって、人美は母の呼び声で目を覚ました。
「人美、人美、彩香ちゃんから電話よ。人美、起きて!」
人美はしばらくの間ベットの上で呆然としていたが、状況を理解すると急いで一階に下りて行った。そして母から受話器を受け取ると、息を切らしながらしゃべった。
「はっ、はい。人美ですけれど」
「何だー、今起きたの。相変わらずねぼすけね」
その声の主は人美の親友の泉彩香だった。人美と彩香は中学校時代からの付き合いで、進学する高校も一緒に決めた仲だった。
彩香は外見も性格も、人美とはほとんど正反対であった。彼女の髪は肩から腰の中間くらいまで伸ばされた黒く艶やかなストレートで、日本的な、なおかつ幼さの残った顔立ちをしていた。人美をボーイッシュとするならば、彩香は女の子らしい女の子といえるだろう。
「ああ、彩香か。どうしたの?」
彩香はいらいらした口調で言った。
「もう、どうしたのじゃなくて。今日は荒崎に遊びに行こうって、人美のほうから誘ってきたんじゃない」
この日、二人は荒崎海岸に遊びに行く約束をしていたのだが、人美はそれをすっかり忘れてしまっていた。その原因は、土曜日の晩から見始めた夢のせいであり、昨夜も人美はその夢を見たのだった。眠りにつきしばらくするとその夢が始まり目を覚ます。再び眠りにつくとまた同じ夢を見る。朝になるまでこれの繰り返しで寝た気がしなかった。これが土曜の晩から昨晩まで、もう三日も続いているのだった。
「ああ、そうだったね。ごめんごめん。お昼食べたらすぐ迎えに行くよ」
「だから、お昼はサンドイッチを私が用意するって―人美、変よ。何かあったの?」
彩香の感情はいらだちから心配に変わった。なぜなら、人美は今まで約束を守らなかったことなどただの一度もなかったし、ましてやそれ自体を忘れてしまうということは、考えられないことだったからだ。彩香は思った。
何かあるんだ、絶対に
「んーん、大丈夫よ、何でもない。寝惚けてただけよ。じゃあ、今すぐ行くから、待っててね」
人美は電話を切った後に、夢のことを脳裏に描きながら思った。
とはいったものの、やっぱり彩香に聞いてもらおうかな。何で同じ夢ばっかり見るんだろう。こんなこと今までなかったのに……

そのころ、渡辺昭寛は相模重工本社の近くにある神奈川県警察本部で、ある人物と会っていた。その人物とは、十一年前の幼女連続誘拐殺人事件の捜査本部長を務めていた神村県警副本部長で、当時は県警本部の捜査課長だった。渡辺はかつてのつてを通じて、彼への面会を求めたのである。
神村が言った。
「お噂はかねがね聞いてますよ。SOPの中でも相当の凄腕だったそうじゃないですか。例の東京サミットの時も作戦に参加していたんでしょう、あれは鮮やかだった。聞くところによると、米軍は特殊部隊まで出動させようとしたそうじゃないですか。何で辞めてしまったんです。SOPも惜しい人材をなくしましたよね……」
渡辺には過去の栄光を語る気はなかった。
「まあ、そこのところは勘弁してください。今は相模の番犬ですから」
渡辺は今の職場を歓迎してはいなかった。SOPを辞めた後に相模重工に拾われ、情報管理室室長の肩書と二倍近い年収を得たが、要は相模の番犬でしかないと悲観的になっていた。SOPにいたころは、自らの命をかけてテロと戦い、多くの要人や市民、仲間の命を救ってきた。それは知恵と勇気、挑戦に満ち溢れた、危険だがやりがいのある仕事だった。それに比べて今の仕事は何の緊張感もなく、ただ過ぎていく時間に溺れながら過ごしているだけだと考えていた。しかし、そうかといってほかに仕事のあてもなく、もう自分の人生は半ば終わったかのごとく、彼は日々を過ごしていた。
「相模重工とは、また変わった再就職先ですな」
「自分でもそう思いますよ。さて、そろそろ本題に入りたいのですが」
「ああ、そうですね。えーと、十一年前三浦半島地区で起きた幼女連続誘拐殺人事件のことでしたね」
神村は、まるで昨日起きたことを話すような鮮明な言葉で、事件のことを語り始めた。

「いい眺めですね。こんな景色のいい部屋に住んでみたいですよ」
片山は窓から見える海を見ながら、白石会長に向かって感想を漏らした。二人がいるのは人美がまもなく入居する二階の角部屋だった。
片山広平が相模重工に入社したのは今から九年前、早稲田大学理工学部を卒業してすぐのことだった。入社当時の彼が籍を置いていたのは、船舶事業部システム開発室であったが、上司との馬が合わず、二年後には航空宇宙事業部飛翔体研究室に転属した。しかし、ここでも上司と折り合いがつかず、その後メカトロニクス事業部、エネルギー事業部と、まるでジプシーのように社内をさ迷い歩いた。歴代の上司たちに言わせれば、彼はトラブル・メーカーであり、協調性に欠ける人間だった。だが、彼の実績は確かなもので、その証拠に、“センサーの魔術師”という異名を同僚たちからつけられていた。
そんな彼に目をつけたのが沢木だった。沢木はSMOS開発のスタート当初から片山をスタッフとして招き入れ、二人の協力関係のもとSMOSが完成された。なぜ二人の馬が合ったのか、それは彼らにも分からないだろうが、おそらく片山は、沢木の技術者としての類稀な創造力や緻密な思考、虚勢や見栄をはらない人間性に引かれたのではないだろうか。その後、総合技術管理部が沢木のもとに創設され、その一員として片山の新たなる創造の歴史が始まった。
白石は言った。
「ならば君もせいぜい仕事に励むことだな。わしなどは君の年齢のころには寝食を忘れて設計に励んだものだ。しかも、CAD設計などという小生意気なものがない時代にだぞ。それに比べれば今は随分と便利になった……」
片山は白石を尊敬していたが、この説教癖だけはやめてもらいたいと常々思っていた。 今年で七十二歳になった白石功三は、沢木をはじめとする若い人間たちと接するのが好きで、何かと理由をつけては沢木たちを家に招き持て成していた。彼にとって、若い世代の夢や想像力に触れることは、大きな楽しみの一つなのだ。
そんな彼は、技術の分野では“YS‐11を創った男”の一人として知られている。
相模重工は彼の父が起こした会社であり、戦前は軍艦や戦闘機の製造を行っていた。少年時代の白石は飛行機が好きで、戦闘機の製造部門に出入りしているうちに、自然と技術者を目指すようになった。そして、一九五九年に国産初の旅客機開発プロジェクトが発足すると、彼は機体設計の責任者に抜擢された。一九六二年に就航し、一九七三年に一八三機の製造を持って生産を終えたYS‐11は、夢や情熱を飛行機に捧げた男たちの手によって生み出されたのだ。しかし、その後の旅客機開発はさまざまな要因のために進展せず、国内の航空機業界は冬の時代を迎えることとなる。
父が急死し、四十三歳の若さで社長に就任した彼は、相模の生き残りの道を求め、次第に兵器製造部門の比重を増やしていくこととなる。しかし、敗戦と戦後日本の移り変わりを垣間見てきた彼にとって、それは厳しい選択でもあった。
片山は、白石の説教はごめんだが、そうかといって話しを中断させるわけにもいかず困り果てていた。そこに助け舟が現れた―千寿子だった。
「お話中ごめんなさい。片山さん、お昼食べていかれるでしょう。用意しましたから、召し上がってってくださいね」
「ああ、奥さん。お手間をかけさせてしまってすみません。遠慮なくご馳走になります」 その返事を聞いた千寿子は、ニコニコしながら去って行った。
「ところで会長。この部屋にはエアコンがないですね」
「確かに、エアコンはない。何か問題があるか?」
白石は不思議そうな顔をして言った。
「ええ、少しばかり。見山人美にはなるべく体温を低く保ってもらいたいんです。それと、部屋の室温も低いほうがいいので―エアコンは私のほうで特製のものを用意しますから、それを取り付けさせてください」
「うむ、それは構わんが。なぜだ?」
「赤外線の放射量をなるべく抑えたいんですよ。つまり、ノイズを少しでも減らして、聞きたい音を聞こえやすくしたいんです」
白石はしばし考え込んだ後に言った。
「その音とは…… つまり、人美さんの心の声のことだな」
「そうです」
「で、実際PPSはどれだけやれるんだ」
片山は薄い笑みを浮かべながら答えた。
「PPSの能力はいつだって最高ですよ。問題なのは、PPSが拾った信号をどう処理するか。つまり、沢木や岡林がどこまでやれるかにかかっています。まあ、彼らのお手並み拝見といったところですね」
「そうか、どうも最近のこじゃれた技術は分からんのう?」
「それから、会長。明後日辺りに技術スタッフを連れてまた来ますので。承知しておいてください。その時にPPSとエアコンの取り付けを行いますので」
「うむ、承知した。ところで片山」
白石は満面に笑みを浮かべてその後を続けた。
「ついでにこの部屋の改装もやってくれんか。きっと人美さんも喜ぶと思うんだが……」

荒崎海岸は三浦半島中央部の相模湾側に位置している。そこは砂浜が広がった普通の海岸とは異なり、岩が切り立つ絶壁と岩場により形成されていた。荒崎海岸の特徴は、波などの海水の運動により、この海岸を形成する貢岩と凝灰岩が浸食されてできた海飴台や海飴洞にあり、海飴とは海水の浸食作用のことを示す。
人美と彩香はそれぞれ自転車に乗り、約三十分かかって荒崎海岸に到着した。時刻は予定より遥かに遅い、午後一時ごろを示していた。二人は海岸へとつながる道の入り口にある駐車場の一角に自転車を止め、景色のいい場所に向かってテクテクと歩き始めた。
彩香が言った。
「あの場所、取られてないといいけどね」
二人は以前にも何度となくここを訪れているために、景色の奇麗な場所を知っているのだった。そのお目当ての場所には、絶壁沿いの細い獣道のような道を通って行く。しばらく登り道が続くと木々のトンネルに入るが、その内部は決して暗くはなかった。木々の葉の間からこぼれる白い光線は、葉の揺らぎに合わせて一緒に揺らめき、絶壁の一〇メートルくらい下にある海面からは、キラキラとした光の粒が飛び込んできていた。そして、そのトンネルを抜けると登り道も終わり、絶壁の頂に出る。その瞬間景色は一変し、青い空と青い海が一面に広がるのだった。
「やっぱり、ここの景色が一番奇麗だよね」
彩香が言った。
「うん。ほら見て、開いてるよ。行こう」
二人のお目当ての場所は、先客もなく二人を迎えてくれた。その場所は、今二人のいる位置から少し海側に下りたところにあり、そこは岩場に突き出した大きな岩の頂上が平になっているところだった。ここからの眺めはまさに絶品で、前方の海の奥には伊豆半島が、右手には江の島、左手には大島を一望でき、視界のよい日や日没時には、遥か彼方にそびえ立つ富士山を見ることができた。
二人は背負っていたバックパックを下ろすと、その岩の頂に“お店”を広げ、彩香が腕によりをかけて作ったサンドイッチの遅い昼食を食べ始めた。眼下に広がる岩場の波打ち際には激しい波が打ち寄せられ、白い水しぶきが延々と立ち上り、夏の強い陽光と青い空が二人を覆っていた。

続く…

1 件のコメント:

  1. 泉彩香が登場しました。実は、以前にも登場しているのですが…
    彼女のモデルはデビュー間もないころの一色紗英です。内田有紀と「その時、ハートは盗まれた」というドラマに出ていて、この影響が人美と彩香に反映されています。
    彩香はとても思い入れのあるキャラクターで、彼女を主人公にした小説も企画しています…

    返信削除