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2010年2月19日金曜日

小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(34)

「沢木さーん!―」


「―死なないでー!」
 人美は絶叫した。その途端―ガシャーン!―二つある出窓のガラスとシャンデリアの白熱球が割れた。
「きゃあー!」
 悲鳴をあげパニック状態になった彩香は闇の中で方向感覚を失い、「人美! 人美!」とわめきながらやみくもに部屋の中を歩き回った。本棚の近くにまで来た時に、そこから飛び出した何冊かの本が彩香の身体に激しく当たり、さらに地震のような揺れを感じた後、彼女は頭に激しい衝撃を受け倒れ込んだ。そして、今度は全身に衝撃―倒れた本棚が彼女の頭を襲い、次ぎに床に倒れた身体を襲ったのだ。
 意識が段々遠のいていく。
 人美、起きて、お願い……


 渡辺と進藤はガラスの割れる音に素早く反応し、車から飛び出すと一目散に白石邸を目指した。門を抜け石段を駆け上った渡辺は、庭を照らすライトの光に浮かびあがった人美の部屋の出窓を見て、ガラスが割れているのを認めた。彼は「人美の部屋だ!」と進藤に叫び、走りながらズボンのポケットから鍵を取り出した。その鍵は、いざという時のために預かっていた白石邸の玄関の鍵だった。玄関を抜け階上への階段を上り、二階を貫く長い廊下に二人が着いた時、「人美君! 泉さん!」という叫び声と、バンバンという音が鳴り響いていた。白石会長が人美の部屋のドアを叩きながら、中の二人に呼びかけていたのだ。そして、千寿子は白石の後ろで戸惑い立ちつくしていた。
 渡辺は白石に走り寄ると、「どいてっ!」と言いドアに体当たりした。二回めには進藤と二人で体当たり―しかし、ドアはあくまで強情に、微動だにしなかった。
「外だ! 窓から入るんだ!」
 渡辺がそう叫びながら廊下の突き当たりの窓を開けると、そこから進藤が先に飛び出した。進藤は屋根伝いに進み人美の部屋の出窓に着くと、その下にあるエアコンの屋外機に登り、割れたガラスの間から手を差し込み鍵を開けた。そして、中に入ろうと出窓のサッシに手を掛けた瞬間、強烈な突風が進藤を吹き飛ばした。彼は後ろに大きく舞い上がり、庭にあるプールへと落下した。
「進藤!」
 渡辺は宙を舞う彼の姿を目で追った。水しぶきが高々と上がり、それが収まった時、進藤は水面に顔を出し「ぷはぁっ!」と息をした。彼の無事を見て取った渡辺は、やはり屋外機の上に登り、突風により開かれた出窓から注意深く中のようすをうかがった。その途端、彼は血の気が引く感覚を覚えた。室内は電気が消えていて暗かったが、庭の照明が差し込み、中のようすは十分見ることができた。その光景は、これまで暴力と血しぶきが飛び交う戦いの場面を見てきた渡辺にとっても、壮絶にして信じられない光景だった。
 目覚まし時計、本、スヌーピー…… さまざまなものがまるでメリーゴーランドのように回りながら宙に浮かび、倒れた本棚の下には額を真っ赤に染めた彩香が倒れていた。そして、人美は息絶え絶えにもがき苦しんでいた。百戦錬磨の戦士である渡辺といえども、驚愕に立ちすくまずにはいられなかった。
 なぜ、どうして!
 渡辺を我に返らせたものは、彼の頭に当たって庭に落ちていったスヌーピーの縫いぐるみだった。彼はすぐさま出窓から部屋の中に入り、彩香の上に倒れた本棚を起こした。
 白石は物置から持って来た大きなハンマーで、閉ざされたドアのノブを叩き続けた。何度めかの打撃でドアのノブは壊れたが、それでもドアは開かない。彼は蝶番を叩きのめし破壊すると、今度はドアそのものを狂ったように連打した。彼の全身から汗が湧き出て手の皮がむけ、息がもうこれ以上は続かないというところまでハンマーを振った時、ドアは観念したのかようやくドスンと前に倒れた。廊下の明かりが部屋の中に差し込み、部屋の中の光景が白石と千寿子の目にも飛び込んできた。白石は手の力が抜けハンマーを床に落とし、渡辺が受けたのと同じ衝撃を味わった。そして、千寿子は大声で泣き崩れた。
 渡辺が本棚を起こした直後、部屋の中はぱっと明るくなった。彼はその理由を悟り、「会長! 人美を頼みます!」と叫び、すぐさましゃがみ込み彩香を見た。渡辺の目に映った彩香には、彼女本来の愛らしい姿はどこにもなく、額から血を流し、髪は乱れ、顔は青白く、唇は凍えそうな紫色だった。彼は彩香の額の傷を確認すると、こうした時のために常備している清潔なハンカチを取り出し、不用意に頭部を動かさないように気をつけながら傷口を圧迫止血した。さらに開いている右手で腕や脚などを軽く掴みながら、骨折や外傷がないかどうかを確認し始めた。その最中、渡辺は苦しみ悶える人美を見た。依然として苦しんでいる彼女の表情は、あの空港の帰りの電車の中で見た、微笑ましい寝顔とは似ても似つかぬ形相だった。美しい少女たちがこれほどまでに変貌してしまうとは、何が起こったのか、誰の仕業なのか、やはり人美なのか。渡辺は彩香の傷口を押さえる手が震えているのに気がついた。
 白石は、「会長! 人美を頼みます!」という声を合図に我を取り戻し、部屋の中に浮かぶさまざまなものに身体をぶつけながら、人美のいるベットの脇にたどり着いた。大声を出し、彼女の身体を揺すり、正気を取り戻すことを祈った。
 一方、渡辺は携帯電話を取り出して一一九番に通報し、救急車を手配した。その時、彩香はおぼろげな意識の中で弱々しい声音を発した。
「人美、やめて……」
 その途端、宙を舞っていたものがすとんと下に落ち、人美のうなされ声は静まった。
 人美が目を開けると、白石の疲れ切った顔があった。そして、見知らぬ男の話し声が聞こえる。どうしたのだろうと思い上半身を起こすと、目の前の床に血を流し倒れている彩香の姿が飛び込んで来た。
「彩香?」
 しばし呆然―人美は彩香のもとへと近寄りひざまずいた。そして、彩香の額に流れた赤い液体に触れ、それが確かに血だと見て取ると、絶叫とともに泣き崩れた。
「どうして、何でなの! 彩香! 彩香!」


 午後十一時五十分。彩香は人美と白石千寿子が同乗した救急車で、葉山から国道一三四号線を南下し、白石邸から約七キロのところに位置する横須賀市民病院に運び込まれた。ただちに救急治療室に運ばれ治療を受けたが、出血こそ多かったものの頭部の外傷は軽傷で、応急処置後のCTスキャンやレントゲン撮影でも、頭蓋骨や脳内部、及びその他の箇所に何ら異常は認められなかった。額の髪の生え際にできた約二センチの切り傷は縫合され、病院到着から約一時間後には一般病室―千寿子の配慮により一人部屋に入れられた―に移され、白石からの連絡で駆け着けた両親と、人美と千寿子に見守られながら、すやすやと穏やかな表情で眠りについていた。
 この夜、横須賀市民病院にはもう一台の救急車が、彩香が運び込まれるおよそ五分ほど前に一人の男性を運び込んでいた。交通事故に遭ったその男性は、これといった致命的外傷が見当たらないにも関わらず、心臓の鼓動は弱まる一方で、身体の内部に重大な損傷があるのではと医師たちを当惑させた。医師たちはあらゆる可能性を考慮して治療に全力を尽くしたが、男性の心拍数は徐々に減少していき、日付が変わった八月十七日、午前十二時五分、ついに命の鼓動は鳴り止んだ。
 男の名は沢木聡。彼の心臓と呼吸は活動を停止した。

 
続く…

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