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2010年2月16日火曜日

小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(33)

 沢木はベットの上に寝転んだが、蒸し暑さのためになかなか寝つかれずにいた。二つある窓は両方とも開け放されていたが、なぜか今夜に限って、いつもの涼しい風はひと吹きたりともしなかった。彼は何としてでも寝てやろうと、暑さを意識から切り離すことに努めていた。しかし、頬と枕の間のじめじめとした感触が、それを許さなかった。
 暑さに耐えきれなくなった沢木は、ようやくエアコンのスイッチを入れた。そして、二つの窓を閉め、鍵をかけた。
 素直に冷房を入れるべきだったな
 しばらくすると寝室は心地よい室温に落ち着き、沢木はいまさらながら技術に感謝した。さっきまでの我慢は一体何だったんだろうか? と自問自答しているうちに、彼は眠りへと導かれていった。そしてしばらくすると、まぶたに埋もれた眼球が、ピクピクとせわしなくうごめき始めた。額には脂汗がにじみ出て、右へ左へ、あるいは一回転と、寝返りをうった。
 彼は夢を見ていたのだった。


 沢木は、さらさらとした、ほんのりと焼けて暖かい白い砂の上に立ち、迫り来る波を眺めていた。青く晴れ渡った大空からは、太陽の光がさんさんと降り注がれ、数羽のカモメたちがまるで彼をからかうかのように、つかず離れず、彼の周囲を飛び回っていた。
「いい天気だぁ。空も、海も、いつもよりずっと素晴らしい青だぁ」
 彼はそうつぶやいたが―突然、強烈な閃光が彼を襲った。
 あまりのまぶしさに、彼は両目を腕で覆った。そして、その光は彼の体をじわっと暖めた。やや遅れて激しい風、爆風―
 彼は脚を踏ん張り、なんとかそれをしのいだ。
 風が止んだ―
 沢木は腕を下ろし、遥か沖合を見つめた。そこには黒々としたキノコ雲が、もくもくと立ち昇っていた。
 あれは一体?
 その後を考える暇もなく、彼は足の裏に不快感を感じた。見ると、白い砂はヘドロのようなどろどろの物質に変わっていた。
 彼は思わず片脚を上げて叫んだ。
「何だこれは!?」
 軸となった足がぐにゅっと沈み込んだかと思うと、足の指の間にその不快な物質が、にゅるにゅると入り込むのが感じられた。
 彼はバランスを崩し倒れた。今度は体のあちらこちらに不快感―彼は素早く立ち上がった。背中の皮膚とシャツの間を、ヘドロがたらりたらりと流れ落ちていくのが分かった。その流れに沿って、首筋から入った冷気が背骨伝いに体を貫いていく。
 彼は身を震わせながら周囲を見渡した。そこは、見渡す限りをヘドロの荒野とどす黒い雲に覆われた空間だった。
「ここは一体どこなんだ。あの、あのキノコ雲は何だ!」
 彼がそう叫ぶと、それに答える声があった。
「原子力発電所が爆発したんだよ。何しろ、あの原発は相模重工製で、しかもSMOSを使用してるからねぇ。爆発したって何の不思議もありゃしない」
「何だって、そんなバカな!」
 ばりっとした紺のスーツを着た長身の中年男は沢木に言った。
「バカなのはあんただよ。あれを見てごらん」
 沢木は紺のスーツの男が指差すほうを見た。霧が掛かってよく見えなかったが、何かが積み重なってできた丘のように見えた。見つめるうちに霧は次第に晴れていき、何が積み重なっているかが見て取れるようになった。それは、焼けただれた死体が積み重なった―そう、死体の山だった。
 その死体の山からは、屍からはがれ落ちた肉と血が赤紫色の泥となり、とくとくとした流れを造っていた。そして、その流れは沢木の足下に続いていた。
「こっ! このヘドロは…… うわぁあー!」
 絶叫と同時に、沢木は身体にこびりついたヘドロを、血と肉の泥を振り払おうと狂喜乱舞した。
「ひぃっひひひひ…… 愉快、愉快。あんたはダンスの才能があるよ」
 紺のスーツの男は続けた。
「しかしねぇ、まだ見せ―ちょっとあんた。ダンスはそのくらいにして人の話しをお聞き。まったくどうしようもないバカたれだね」
 沢木は制止した。しかし、顎と首と肩が、小さく細かく震えていた。
「こんなことで取り乱したりするんじゃないよ、大バカ者が。ほら、あそこも見てごらん」 紺のスーツの男が指し示した場所には、めらめらと燃え上がる巨大な炎があった。そして、その中には白い円筒状のものがあった。
「大バカ野郎の沢木さん、あれが何だか分かるかい?」
 沢木は震える声音で答えた。
「いいや」
 すると紺のスーツの男は溜め息を一つ吐き、呆れ顔で言った。
「やれやれ困ったもんだねぇ、あんたは正真正銘のバカだよ。バカで、あほで、まったく手の施しようのない愚か者だよ。自分が造ったものも分からないとは、とほほほほほ…… あれはボーイング747だよ。墜落したんだ。何しろ、あれにはSFOSが使用されているからねぇ。ひぃっひひひひひ……」
 そんなぁ、747が落ちるなんて
 沢木は呆然としていた。すると、747の残骸から小さな男の子が這い出て来た。その目は異様に血走り、白目が赤目になっていて、左右の目は別々の方向を見ていた。髪の毛はちりちりに焦げ、服はところどころに穴が開きぼろぼろだった。また、皮膚やぼろ服は、焼けたのか煤がついたのか、原因は分からぬが黒ずみ、右腕の肘から下はプラプラと不自然に揺らめいていた。
 男の子はゆっくりと、確実に沢木へと迫って来た。男の子が近づくごとに、彼はなんともいえぬ威圧感を感じ、男の子の歩調に合わせて後退りしていった。
 男の子が何歩めかに脚を踏み出した時、その振動でプラプラの腕がドサリと落ち、血肉の泥の中に溶けていった。
 男の子は血の色の涙を浮かべながら叫んだ。
「お前のせいだぁ! お前のせいで、お父さんも、お母さんも、お姉さんも、みんな、みんなぁ! みんな死んだんだよ。この大バカ野郎!」
 沢木の目からも涙が溢れ出てきた。
「そんな、そんなはずない。俺のせいなんかじゃない…… 俺のせいじゃないよぉ!」
 彼は喉がはち切れるほどの大声で叫んだ。
 男の子はいつの間にか現れたテレビのスイッチを入れた。
「未来を切り開く先進技術の相模重工……」
「未来を切り開く先進技術の相模重工……」
「未来を切り開く先進技術の相模重工……」
 それは、相模重工のPRコマーシャルだった。そして、その言葉を画面の中でしゃべっているのは、あの、紺のスーツの男だった。
「未来を切り開く先進技術の相模重工……」
「未来を切り開く先進技術の相模重工……」
「未来を切り開く先進技術の相模重工……」
 沢木はぼろ雑巾と化していた。目は腫れ上がり、涙が絶え間なくこぼれ落ち、全身には汗と血肉の泥とがこびりつき、強烈な悪臭を発していた。
 なんてことだ。俺の技術は、何の役にも立たなかったというのか
「そうだよ、当たり前じゃないか」
 男の子が言った。
「お前のようなバカでも、それに気づくことがあるんだな」
 男の子は沢木に一歩、また一歩と、徐々にその距離を詰めて来た。歩く度に、顔や腕、脚の肉がはがれ落ち、次第に白い骨が見えてきた。
 突然、男の子はうめき声をあげながら、今では白骨化した左手で、半ズボンの中からTシャツの裾を引っ張り出した。と同時に内蔵が―まるで満水になったダムが崩壊し、蓄えられた水が一気に流れ出るかのごとく―ザーっと流れ落ちた。
「おゎえぇー」
 沢木は嘔吐した。胃の壁面が収縮し底が激しく波打った。口から飛び出した流動物は、やがて乳白色の液体へ、さらに透明の液体へと変化した。
 なおも男の子は近づいて来る。そして、かがみ込んだ沢木の前にまで来た時に、男の子は崩れ落ちた。まるで、ビルの爆破解体のように。
 男の子の体は消え、その破片がヘドロの中に沈み込もうとしていた。しかし、頭が残った。頭は沢木をにらみつけていた。
「お前を殺してやぁぁぁぁぅ……」
 その言葉を最後まで言い終わらないうちに、頭は口を境にぱっくりと割れ、崩れ、そして血肉の泥に溶け合わさった。
「わあぁぁぁぁ……」
 沢木は叫び声とともに号泣し、それはむせび泣きへと変化した。
「お若いの、あんたも随分と無駄なことをしてきなすったのう。今ではみんなが死んだよ」
 いつの間にか、沢木の隣には年老いた白髪の紳士が立っていた。
「原発が吹っ飛び、みんな死んだ。おっきな飛行機が落ちて、みんな死んだ。おっきな船も沈んで、みんな死んだ。あんたのせいで、みんな、みんな死んでしもうたよ」
「父さん」
 沢木は白髪の紳士に呼びかけた。
「貴様などから父さんなどと呼ばれる覚えはないっ!」
 それでも必死に訴えた。
「みんなじゃない! まだ残ってる! プロメテウスが! プロメテウスが残っているよ!」
「この世に及んでまだそんな戯言をぬかすかぁ! 上を見てみっ!」
 沢木は言われるままに天を仰いだ。そこには、赤々と燃えるまばゆい光の塊が飛来して来ていた。それを見た彼の思考は、これまでの人生においてかつてなかったほど目まぐるしく働いた。
 この世に生を受けてから今日まで、さまざまなことを経験し、多くのことを学び取ってきた。ある時は喜び、ある時は悲しみ、希望と絶望とを垣間見てきた。その中で彼は、ものを創ること、創造すること、知を身につけることに精励し、それを咀嚼することを自己のあるべき姿と信じてきた。また、彼は深い自信を持っていた。自身の思想、行動、結果、それらがすべて正しいと―いや、正しいとはいわないまでも、かなり真理に近いと確信していた。事実、人は彼を指導者として、識者として、尊敬と羨望の眼差しを持ってこれまで見つめてきた。だが、それは今をもって崩壊した。これまで築きあげてきたすべてのものは、虚構であり、過ちであり、裏切りだった。何もかもが失われ、残ったものは虚しくもはかない己の身一つだった。
「ああ、そんなぁー。すべてが失われるなんて。そんな、そんな…… 俺の真実の姿が破壊神だなんて。嘘だぁ、嘘だぁ。嘘だ!嘘だ!嘘だぁー!」
 空気の摩擦で真っ赤に焼けたプロメテウスは、今、地表に向けて、ゆっくり、ゆっくりと落ちて来る。
「俺のしてきたことは一体なんだったんだ…… 一体…… 何だったんだよぉー!」

 沢木はばさっと上半身を起こした。心臓はどくどくとのたうちまわり、呼吸は荒く窒息しそうだった。
「はあ、はあ、はあ、ゆ…… はあ、夢か……」
 安堵の気持ちに包まれた。気が緩んだせいか、頭の中の血がすうっと落ちていき、頭蓋骨の中に冷水を入れられたような感覚の後、じわっと脂汗がにじみ出た。
「なんてひどい夢だ」
 膝が笑い出した―
 歯がかちゃかちゃと音を出した―
 鳥肌が立った―
 恐怖に怯えた―
 しかし、まだ終わらない―
 バシャーン!
 突然、窓ガラスが割れた。
 すさまじい炸裂音とともにガラスが飛び散り、突風がなだれ込んだ。タオルケットが舞い、枕が転がり、額が落ちそのガラスが割れ、机の上の本のページが勢いよくめくれた。「うわぁー!」
 沢木はベットから飛び降りたが、枕を踏みバランスを崩しガラスの破片の上に倒れた。「あぁー!」
 激しい苦痛が体中を駆け巡った。腕や脚―露出した部分にガラス片が食い込んだ。それでも構わず、夢中で立ち上がりドアまで走った。足の裏にめりめりとガラス片が突き刺さった。足が着地するごとに激痛―
 ドアを開け寝室を出たところで、風で押し戻されそうになるドアのノブを両手でしっかりと握り、渾身の力を振り絞って閉めた。
 風が止んだ―
 沢木はドアの前にへたり込んだ。
 何だ! 何がどうしたっていうんだ! まだ夢なのか!?
 すると、荒い呼吸音の合間を縫って、ピアノの音が聞こえてきた。しばし聞き入る―「サティだ」
 その曲は、サティの『ジムノペディ第一番』だった。彼は立ち上がってピアノのほうを見たが、それを弾く者の姿はなかった。
 静かに、穏やかに、優美に流れるサティの曲―
「美和の好きだった、サティ。よく弾いていた、サティ」
 彼は血のにじみ出た足の痛みも忘れて、美和が愛した、いつかプレゼントしてあげると約束した、スタインウェイのピアノに近づいて行った。
 沢木の目に映るハンブルグ・スタインウェイには、うっすらと靄が掛かり、境面の黒いボディは冷たく光り、白い鍵盤は曲に合わせて浮き沈みしながら、怪しく輝いていた。
 ヒタッ
 彼の頬を不意に柔らかく冷たいものが触れた。振り向くとそこには―
「み…… 美和」
 柔らかく冷たいものの正体は、かつての婚約者、水野美和の手のひらだった。
「久し振りね。元気だったぁ、聡」
「どっ、どうして君が」
「いいのよ、何も言わないで。さあ、帰りましょう」
「帰るって、どこへ」
「決まってるじゃない、私たちのお家よ」
「おうち?」
「そう、子供たちが待つ、私たちのお家」
「子供?」
「そう、最初の子は女の子、次ぎは男の子、最後の子は女の子。聡の望みどおり、女、男、女の順で生まれた私たちの子供よ」
 彼は顔をほころばした。
「そうか」
「そうよ、そしてルースンのいるお家」
「ルースン?」
「犬よ、ベタールースンアップ。聡が飼いたがっていたシェパードじゃない」
 彼の顔は完全に笑みに覆われた。
「そうか、そうかそうか」
「さあ、行きましょう」
 美和は満面に笑みを浮かべ、沢木の手を取り導いた。彼はその導きのままに歩いて行った。
 サティはまだ奏でられている―
 いつしか二人は、まぶしい光に満ち溢れる霧の中を歩いていた。そこは、白く、真っ白だった。
 そうか、美和は生きていたんだ。美和が死んだ―あれは夢だったんだ。子供たちとルースンのいる、何より美和のいる家
 彼は幸せな気持ちに包まれていた。
 夢が、望みが、やっとかなったんだ。どんなにこの日を待ち望んでいたことか―子供たちとルー……
 その時、沢木は冷たい美和の手の感触を新たに感じた。さっきよりもさらに冷たく、今では氷のようだ。
 待てよ、待て、待て。なぜ子供たちの名前が分からないんだ。犬の名が分かって、なぜ自分の子供の名が分からない。顔は? どんな顔だっけ? だめだ、思い出せない……いや、違う。思い出せないんじゃない。そんなもの、そんなもの存在しないんだ
「そうだろう、美和」
「えっ、何か言った」
 なぜ美和の手はこんなに冷たいんだ。俺の知っている美和の手はもっと、もっともっと温かかった。これはきっと
「嘘だ」
「何が?」
「これは嘘だ。なにもかもでたらめだ! 子供も犬も、そして美和、君もだ」
「いやだわぁ、どうしてそんなことを言うの?」
「君は死んだんだ、八年前の飛行機事故で。死んだ人間が生き返るなんて、僕は信じない」
「まーた始まったぁ」
 美和の口調はとても明るく穏やかだった。
「それが聡の悪い癖よ」
 美和はそう言いながら、人差し指を彼の唇に当てた。
「この世の中にはねぇ、聡。不思議なことがたくさんあるのよ。科学や技術では分からないこと、解明できないことがたくさんあるの。聡は何でも論理的に物事を考えようとするけれど、それはいけないことよ。そして、死んだ人間が生き返るようなことも、聡には不思議なことかも知れないけれど、そうしたことのほとんどは、いちいち人が知らなくていいことなの。不思議なこと、知らないこと、知らなくていいこと、そういうものが世の中にはたくさんあるのよ。分かって、聡」
「ああ、そうだね」
 美和は優しく微笑んだ。
「でも……」
「でも、なあに?」
「やっぱり君は死んだんだよ。そして、死んだ人間は生き返りはしない。決して、絶対」 沢木はきっぱりと言い切った。
 サティが止んだ―
 その瞬間、美和の手のひらが沢木の手を振り払ったかと思うと、彼の頬に強烈な平手打ちを浴びせた。彼女は目をつり上げ、きばをむき出し絶叫した。
「なんて聞き分けのないの人なの、あんたなんか死になさい!」
 美和のようなもの、それは沢木を突き飛ばした―
 まぶしい光がよろめく彼に近づく―
 けたたましいクラクションの音―
 車が彼を跳ね飛ばす―
 沢木は宙を舞った―


「沢木さーん!―」

続く…

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