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2010年4月17日土曜日

小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(49)

 おそらく自分は死ぬのだろう。男が目覚めて最初に思ったことがそれだった。しかし、恐怖を感じることはなかった。このままずっと動かずに、死の時を待つのもいいだろう―そんな思いになりかけた。だが、自分は一体何をしてきたのだろう、という疑念が浮かんだ途端に、なぜか強烈な怒りが込み上げてきた。
 長髪の男は人美のサイ・パワーに翻弄された後、事務机の上に横になっていた。多くの血液が体外に流出した彼の命が尽き果てるのは、もはや時間の問題だった。
 この怒りを持ったまま死ぬことなどできない。絶命間近に狂気の頂点に達した長髪の男は、その行き場のない怒りを銃に委ねた―ぶっ殺してやる!
 男はMP5を握り締めると事務机の上に立ちあがり、獣のような叫び声とともに銃弾を撃ち放った。蛍光灯が割れ、窓ガラスが割れ、壁に穴が開き、書類の束が吹き飛んだ。
 太った男は事務室を出たところで階段を見張っていたが、突如始まった銃声にSOPが突入して来たと思い、仲間を援護すべく事務室に戻った。だがその途端、彼の内蔵は数十発もの弾丸を浴び、すべての臓器が混ざり合い、吹き飛ぶ結果となった。
 沢木と人美は凶行が開始された直後、ソファの後ろに転がり込むように身を隠した。だが、一発の銃弾が人美の左腕をかすり、さらに太った男の断末魔の叫びを聞いた時、とてつもなく大きな恐怖感が表出し、彼女の自己防衛本能は猛烈な勢いでサイ・パワーを開放させた。
 風が吹いた―
 それは、猛烈な流れだった―
 MP5を乱射し続ける長髪の男は、風によってバランスを崩したために銃口を自分の足首に向けてしまった。彼は吹き飛んだ足とほぼ同時に、事務机の上から床に落下した。
 人美の起こした風は、書類や伝表を巻き込みながら次第に渦を形成し、窓ガラスと二つのドアを吹き飛ばし、ファイリングケースや本棚を次々となぎ倒していった。


 長髪の男による銃声が轟いた瞬間、里中はSOP13部隊に強行突入を指示した。
 資材倉庫の屋上に待機していた第一班―星たちは非常階段から、第二班は屋内の階段から、それぞれ事務室を目指して走った。
 一方、長髪の男の位置を赤外線照準器で明確に捕捉していた第五班の狙撃手は、五〇口径の銃口を天井に向けて発砲した。その途端、床に転がって悶え苦しんでいた長髪の男の身体は、強烈な爆音とともに宙に舞い上がった。資材倉庫一階から撃たれた五〇口径の弾丸は、二階の床を貫通し長髪の男を即死させた。
 五〇口径を構える狙撃手たちは、鮫島と眼鏡の男にも照準をセットしていた。が、引き金を引こうとした時、一人の隊員が叫んだ。
「天井が落ちるぞっ!」
 この時、天井には無数のひびが入り、コンクリート片がパラパラと落ち始めていた。


 眼鏡の男の位置からは、非常階段を駆け下りる星たちの姿を確認することができたが、人美によって起こされている暴風を避けるために腹這いになり、銃を構えるどころではなかった。それでも何とか体制を立て直そうと床に手を突いた時、手の下の床にひびが走るのを感じ取った。そして、何とも不気味な金属音。
 沢木は床に転がっていた人美の側に這って進み、「人美、人美!」と叫んだ。一種のトランス状態に入っていた人美は、沢木の声により常態に戻された。
「沢木さん、私……」
 そう言いかけて人美は息を飲んだ。額から血を流した鮫島が、沢木の首を閉めあげたからだ―「沢木さーん!」
 最初に窓側の壁が吹き飛んだ―
 そして、事務室の床は蟻地獄のように中央からくぼんでいった―


 絶え間なく続く資材倉庫からの破壊音に、渡辺は倉庫に向かって走り出した。秋山も同様に走り出そうとしたが、里中に腕を掴まれ阻まれた。
「彼らに任すんだ」


 吹き飛んだ壁の破片を辛うじて避けることができた星は、爆薬? と思いながらもすぐさま暗視装置を装着し、瓦礫の山となった倉庫一階を、非常階段の踊り場から見渡した。「みつけたわ」
 鉄骨に足を挟まれてしまった眼鏡の男は、もはやこれまでと観念し、腰のホルスターから短銃を抜くと自分の頭に当てた。が、銃は衝撃とともに彼の後ろへと弾かれた。彼が顔の近くにあった右手に目を映すと、手の甲には小さな赤い光が当たっていた。彼は両手を挙げ降伏の意を表した。赤い光は、星の構えるMP5のエイミング・ポイント・ジェネレーターからの光だった。


 沢木の身体には傷一つできることはなかった。落ちたという感覚はまるでなく、ふわっと舞い降りた、そんな印象だった。
 沢木は起きあがるとうつぶせに倒れた鮫島を見たが、その背中からは細い鉄骨が突き出していた。「死んだか」と小さくつぶやき、後ろを振り返り人美を捜した。
 人美もまた、床が崩れた際に怪我を追うことはなかった。彼女のサイ・パワーは、彼女自信と沢木の身を守ったのだ。
 人美は言った。
「終わったみたい」
「そうだね」
 だが、鮫島は生きていた―
 鮫島は両腕を踏ん張り、身体を串刺しにした鉄骨を抜きながら立ちあがった。
「貴様ら、ぶっ殺してやる。それで、本当の終わりだ」
 沢木と人美に逃げ道はなかった。一方には積みあげられた自動車部品の山があり、後は崩れた床の瓦礫の山だった。両手を手錠で拘束された二人には、それらは乗り越えられない壁だった。
 鮫島はじわりじわりと二人に近づいて行った。
 沢木は言った。
「人美、逃げろ、早く」
 人美は首を横に振りながら言った。
「無理よ、どうすればいいの!?」
 沢木は側にあった鉄パイプを両手で持ち、間近に迫った鮫島に挑んだ。しかし、鮫島は鉄パイプを受けるとそれを奪い取り、沢木を突き飛ばした。そして、強烈な力で彼の首を締めあげた。
 使わなきゃ。今力を使わなければ……
 人美は念じた。しかし、何も起こらない。
「どうして!? どうすればいいの!」
 沢木は必死の思いで鮫島の腹の傷を膝で蹴りあげた。「うっ」という低いうめき声、それとともに首を締める力が弱まった時、沢木は叫んだ。
「人美、自分を信じろ! 君の持つ力なんだ!」
 そうなのだろうか? でも、沢木さんが死……
「そんなのいやーっ!」
 人美は目を閉じ、沢木を救う、ただそれだけを念じた。すると、頭の中にイメージ見えてくる。鮫島が沢木を放し、そして身体が動かなくなるところが。人美はこの時確信した。
 できる、きっとできる
 人美は静かに目を開き鮫島を見つめた―
 静かに風が吹き出し、人美の前髪をなびかせた。そして、彼女のサイ・パワーは彼女の意のままに開放された。それはとても静かな、穏やかな力だった。
 鮫島の身体からは力が抜け、沢木を放すと身体をぶるぶると震わせながら後退りした。並の人間ならこれで動くことができなかったであろうが、鮫島の執拗なまでの執念は、人美のサイ・パワーに抵抗するだけの力を発揮させた。
 鮫島は震える右手を動かし、腰のホルスターから短銃―ブローニング・ハイパワーを抜くと、人美に狙いを定め引き金を引いた。
 この時、人美の目の前に渡辺が飛び出した。彼は人美を抱き抱えるようにして自らの肉体を盾とし、その結果、彼の左大腿部に弾丸が命中した。
「渡辺!」
 沢木がそう叫ぶ間にも、鮫島は二発目の狙いを沢木の頭部につけようとしていた。
 渡辺は人美を見やりながら言った。
「目をつぶってろ!」
 渡辺は人美が自分の胸元に顔を沈めたのを確認すると同時に、鮫島の額に銃口を向け、そして撃った―
 二発の銃弾が飛び交った。しかし、命中したのは一発だけだった。
 仰向けに倒れた鮫島の耳には、ジェット機の飛行音が聞こえていた。それは、彼が乗るはずのエアステーションだった。
 終わりとは、こんなものか? あっけない
 渡辺の撃った銃弾を眉間に受けた鮫島は即死に近い状態だったが、死に至るまでのごく僅かな時間に、こんな言葉をつぶやいた。
「ドゥルジの開封を……」
 鮫島守の三十八年間の人生は終わった。

 
続く…

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