【案内】小説『エクストリームセンス』について

 小説『エクストリームセンス』は、本ブログを含めていくつか掲載していますが、PC、スマフォ、携帯のいずれでも読みやすいのは、「小説家になろう」サイトだと思います。縦書きのPDFをダウンロードすることもできます。

 小説『エクストリームセンス』のURLは、 http://ncode.syosetu.com/n7174bj/

2010年3月2日火曜日

小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(37)

 沢木は自分の隣に座る少女のことを、とてもかわいらしい人だと思っていた。この時、高校二年だった沢木は、四月の進級時に同じクラスになり、隣の席に座ることとなった水野美和という少女に恋していた。シャイな沢木は、既に“彼女”がいる友人たちのように振る舞うことができず、自分の気持ちをどう伝えたらよいのかと悩んでいた。
 ある五月の放課後、沢木は教室に一人残り、友人から頼まれた作業を行っていた。その作業とは、エレクトリック・ギターのピックアップを交換することだった。機械や電気の知識に長けている彼は、この種の作業をよく友人たちから依頼されていた。今日のようにピックアップを交換することやエフェクター(楽器の音にさまざまな効果を加える音響機器)の製作、あるいはバイクの修理や改造など、こうした技術を有する彼は、ロック少年やバイク少年たちからちょっとしたヒーローとして崇められていた。
 ハンダごてを片手に持ち、ピックアップから伸びるリード線をハンダ付けしていると、沢木に語りかける声があった。
「何してるの?」
 手元から顔を上げると、そこにいたのは美和だった。教室の窓から差し込む午後の陽光は美和を背後から照らし、沢木の目には逆光の中に浮かぶ彼女のシルエットが映し出されていた。光の中にたたずむ少女―それはとても美しい光景であり、美和の持つかわいらしさをより美しいものへと演出していた。ポニーテールの髪型、くりっとした二重の瞳、細くとがった顎、華奢な身体つき。沢木はしばしその光景に目と心を奪われた。
「修理?」
 その問いに我を取り戻した。
「えっ! ああ、ピックアップを交換してるんだ」
「それって、なーに?」
「弦の振動を拾うんだ。つまり、マイクみたいなものだよ」
「んんー」
 美和は感心したような素振りをみせ言葉を続けた。
「沢木君って、そういうこと得意なんだってね。友達が言ってたよ、修理や改造でひと財産築いたって」
 沢木は照れ笑いをしながら答えた。
「そんなでもないよ。でも、バイトをしなくても小遣いに困らないくらいは稼いでる」
 それを受けた美和はにこりと微笑みながら、沢木の横の椅子に腰掛けた。
 日の光が徐々に赤色に染まり始めた二人だけの教室で、沢木は作業を続けながら美和との時を楽しんだ。今までにも話しをしたことは何度かあった二人だが、会話らしい会話はこれが初めてだった。そして、沢木の仕事に対する苦情―ギター少年は言った。「おい、音が出ねえぞっ!」―が初めてきたのは、この次の日のことだった。
 こうして二人の恋の物語は始まった。この日を境に二人の会話は日を追うごとに多くなり、また、二人そろって帰宅することも多くなっていった。
 美和は帰宅の途中に沢木の家に度々立ち寄り、彼にピアノのレッスンを行った。彼女は幼いころからピアノを習っていて、その腕前はかなりのものだった。一方、沢木も音楽や演奏への興味は深く、家にあるピアノで独学ながら演奏を楽しんでいた。美和は、そんな沢木に正しい運指やペダリングの技術、音楽理論などを手解きしていたのだ。
 二人を結びつけるものはピアノのほかにもう一つあった。それは、飛行機―
 エジソンもどきの少年時代を過ごしてきた沢木のこの当時の夢は、自分一人の手で飛行機を造りあげ、大空を飛ぶことだった。彼はハングライダーと廃車になったスクーターのエンジンをもとにして、その夢をかなえるべく試行錯誤を繰り返していた。
 ある日、沢木は自分の飛行機を美和に披露した。それは、父が営む沢木自動車修理工場の片隅に置かれていた。
「これが沢木君の作ってる飛行機?」
「そう」
「凄いね。もう飛ばしてみたの?」
「いや、まだなんだ。この辺じゃ場所がないし…… もう少し勉強して工夫しないと、飛べないと思うんだ」
 そして彼はこう続けた。
「それにね、これを二人乗りに設計変更しようと思ってるんだ。君と一緒に飛べたらいいなぁと思って……」
 美和は満面に笑みを浮かべて答えた。
「沢木君と空の散歩かぁ……? 素敵ね。でも、私は十分な安全性が確かめられてからにするわ」
 美和は沢木をからかった。しかし、彼女自身が後に沢木に語ったところによると、この言葉が何より彼女の心を掴んだそうだ。豊かな創造力と夢を持つ沢木に、美和は共感と親しみを覚え、それは愛情へと変化していったのだ。
 そして、三カ月の月日が流れた一九八〇年の夏は、二人にとって忘れられない思い出となった。幾度かのテスト飛行の末、遂にフライトらしいフライトに成功した沢木は、いよいよ美和とのフライトを決行し、そして夢を一つ実現した。
 飛びながら沢木は美和に言った。
「僕は君といつまでも飛んでいたい」
 美和は答えた。
「ええ、私も」
 それは僅か三分間のフライトだったが、この時二人は永遠のフライトを誓い合ったのだ。
 二人が出会ってから別れが訪れるまでの間には、いくつかのエピソードがあったが、最も大きなものは沢木の父が亡くなったことだろう。彼は父から多くのことを学んだが、最も感謝していることは、父の与えてくれた環境により、創造することの喜びと有意義さを知ることができたことである。
 彼は父の死を悲しむ中で、大学進学を断念し父の工場を継ぐことを考えた。だが、その考えを美和に言った時、彼女はこう答えた。
「私、聡君にはもっと大きな舞台で活躍して欲しい。聡君にはそれだけの素質があるもの。夢はあきらめないで欲しい」
 そう願ったのは彼女だけではなかった。母も、姉も、そして、父の片腕として沢木自動車修理工場を支えた柏木という初老の男も、彼が大学に進学し、専門的かつ高度な教育を受けるべきだと主張した。彼はそうした周囲の励ましのもと、父の死のショックから立ち直り、その翌年の春、東京工業大学に合格した。一方、美和も自分の夢をかなえるべく、音楽大学へと進学した。
 沢木の創造者としての非凡な能力は大学時代に頭角を現し出し、後にEFC論理へと発展する基礎理論をこの時既に構築していた。また、その成果は口コミを通じていくつかの企業や研究機関に伝わり、これを聞き及んだ当時相模重工社長の白石功三は、沢木獲得を人事部長に指示していた。
「相模重工!」
 沢木の話しを聞いた美和は驚きの声をあげた。
「相模重工って、あの相模重工!?」
「そう。相模には相模総合研究所っていう部署があるんだけど、そこへ来ないかって」
「すごーい! 相模重工っていったら日本最大手の重工業メーカーでしょう」
「うん。飛行機、船舶、ロボットに建設機械、宇宙開発にも参入してる」
「聡の夢をかなえるにはもってこいの環境じゃない」
 相模重工人事部長じきじきの誘いを受けた沢木と美和の最初の会話がこれだった。しかし、美和はもう一度驚くことになる。沢木の恩師の一人といえる大学教授が、MITへの留学の話しを持って来たのだ。
「MITって、マサチューセッツ工科大学のことだよねぇ?」
「そう。教授が言うにはね、今は就職することよりも僕の論理を完成させることのほうが大切だって言うんだ。研究機関といえども相模総研は企業の一部所であるわけだし、そこには当然経済論理が働いてる。そういうところよりも、純粋に研究に専念できる環境のほうがいいだろうって。それに、MITで学んだとなれば技術者としても箔が付くし、将来の選択肢も増えるだろうってね」
「うーん、それもそうね。でもさぁ、相模重工にMITでしょう。聡の論理ってそんなに凄いの?」
「どうだろう? でも、これからの時代は制御システムの発達が、技術全体の発達に大きく影響してくると思うんだ。僕の頭の中にあるものが実現できれば、画期的であることは間違いないよ」
「経験を反映する、って奴ね」
 美和はそこでしばし考えた後、いたずらっぽく言った。
「凄いねー。そうなったら聡はにはたくさん仕事が来るだろうから、私にピアノをプレゼントしてね。スタインウェイのコンサート・グランドよ」
 沢木は笑いながら答えた。
「いいよ、約束するよ。でも、そのためにはアメリカに行かないと…… 美和としばらく離れ離れにならなきゃ……」
「そうね、それが問題ね。でもさあ、聡大事なことを忘れてるわよ」
「なあに?」
「だって、聡は英語しゃべれないじゃない」
 こんなやり取りの後、沢木は美和といろいろなことを話し合い、そして、世界最高峰の理工系教育機関、MITへの留学を決意し、英会話の猛勉強を開始した。
 アメリカへの旅立ちが一カ月後と迫ったある日、沢木はあることを心に決め美和を呼び出した。世田谷公園をふらふらと散歩しながら話しをし、今日起きたことをそれぞれが語り終えた後、二人は広場のベンチに腰掛けた。
 沢木は言った。
「スタインウェイのピアノだけどさ」
「ええ」
「あれだけのピアノなんだから、置く場所だって選ぶよね」
「そうね。専用の部屋かなんかあったら最高だね」
「うん。だからね、僕は頑張って家も建てるよ。そしたら、そこにスタインウェイを置いて、そして…… そして美和と一緒に住もうと思うんだ。ずっと、いつまでも」
 これが沢木のプロポーズの言葉だった。美和は笑みを浮かべながらも瞳を潤ませ、こう答えた。
「ピアノがなくったって、私は聡と一緒に暮らすわ。だって、聡の飛行機で飛んだあの夏に、私はあなたとずっと一緒に飛び続けると約束したもの」
 こうして二人の婚約は、一九八六年の三月に成立した。だが、運命の日はこの一年後にやって来たのだ。
 アメリカに渡ったばかりの沢木は、何より英語をマスターすることに追われていた。しかし、一年の月日が流れた時には、ほぼ言葉の障害は取り除かれていた。技術系の専門用語は元々英語のものが多いし、それに留学とはいっても、一般の学生たちのように授業を受けるといった形式のものではなく、人工知能分野で世界的に高名なマービン・ミンスキー氏の主宰する研究チームでの活動が主だった。そして、彼の論理も着々と具体化しつつあった。
 一九八七年四月。スタジオ・ミュージシャンとしてレコード会社と契約し、ピアノやシンセサイザーの演奏をする仕事―主にレコーディングで―をしていた美和は、沢木のもとへと遊びにやって来た。
 沢木が留学したMITは、アメリカ東海岸北部に位置するマサチューセッツ州のケンブリッジという街にある。州都ボストンとチャールズ川を挟んで隣接するケンブリッジは学術都市として知られ、MITのほか、アメリカで最も歴史の古いハーバード大学など、大小約六十校にものぼる大学が軒を連ねている。また、先端技術関連企業も実に七百社近く点在し、アメリカで最も進んだ学問と研究、技術開発が行われている地域といっても過言ではなかった。
 この当時沢木が住んでいたアパートは、チャールズ川河口付近の街、チャールズ・タウンという住宅街にあった。赤茶けた壁を持つ古びた五階建てアパートの住人は、沢木を含めそのほとんどが周辺の大学に通う学生たちで占められていた。そのアパートでの一週間に渡る美和との生活は、やがて訪れる夫婦としての生活を、より期待させるような幸福感に満ち溢れたものだった。
 沢木は美和の来訪に合わせて一週間の休みを取り、彼女と二人でボストンを毎日探索して回った。MITやハーバードのキャンパスを見学し、ダウン・タウンのクインシー・マーケットでのウィンドウ・ショッピングやストリート・パフォーマンスを楽しんだ。そして、アメリカの歴史を物語る数々の事物―オールド・サウス集会場、オールド・ノース教会、バンカーヒル記念碑など―を見て回った。
 美和がボストンという街で楽しみにしていたものは、ボストン交響楽団とボストン・ポップス(映画音楽で活躍している作曲家、ジョン・ウイリアムズが主宰する楽団)の公演を鑑賞することであった。ボストン・ポップスの人気は非常に高いため、チケットはなかなか手に入らないのだが、沢木と同じ研究室に属し、なおかつその筋にコネのあったアルバートの活躍により、彼は美和の望みをかなえてやることができた。念願かなった美和は終始笑みをたたえ、深い満足感を覚えるとともに創作欲を刺激され、「レコーディング・ミュージシャンでは終わらないわ」と沢木に何度も繰り返し夢を語った。
 こうして二人で過ごした最後の時は終わった。二人は再会を喜び、そして愛し合い、ボストンを探索する中でそれぞれの思いも新たにした。

続く…

0 件のコメント:

コメントを投稿