人間社会とは不条理であり、理不尽だ。人というものに中立などあり得ない。何がしかの主観を持って物事を捉える。しかし、私もまたそうである。であるならば、結局のところフィフティーフィフティー、あるいはゼロサムということなのだろうか?
仕事がいろいろややこしい。一方、ハミングバードがいてくれる。これらの正と負を足すとゼロなのだろうか? いや、仕事のややこしさなど、所詮はいつでも捨てられるもの。一番大切なものは残るのだ。そんな風に考えると、世の中の不条理や理不尽も大したことではないと思える。
笑ってしまおう
こんなバカバカしい世の中、真面目に考えるのがそもそもの間違いだ。そして、愛すべきものに真実の笑顔を向けよう。今の時代は、そんな生き方をしないと乗り越えられないような気がする。
太古の昔をシンプルなサイン波で表現できるとした時、おそらく西暦2011年は相当複雑な波形で示されるだろう。一つひとつはシンプルなサイン波でも、位相が異なるものが加わるとサイン波よりも複雑な波形になる。さらに振幅の違いが加わることによって、より複雑に、加算される波が増えれば増えるほどさらに複雑化していく。世の中の複雑性を抽象表現するモデルとして、このような表現は分かりやすい。
ひとりであればシンプルなサイン波であるが、ふたりになった途端に振幅や位相のずれによって合成波はサイン波より複雑になる。この状態から元のサイン波と同一の波形にするためには、位相のずれをなくし、
現実的には、複雑性を完全に除去することができないのだから、これが不条理とか、理不尽の原因なのだろう。所詮、人と人とはそういうものだ。しかし、これを乗り越えられる関係がごく稀にある。いうまでもなく、愛情であり、友情だ。これがない人間関係は複雑であり、それが故に壊れやすい。
世の中の波動をすべて合わせると、打ち消し合ってゼロになると考えたことがあるが、こんなことを考えていると、そこに自身の波動をプラスすると、最も大切な物事を表す波動が表れるのではないか? などと思えたりする。
人と人が関わることによる複雑性は、時にすばらしい波になることがある。ピアノの音やグラスに注がれるウィスキーの音などだ。つまり、意味のある、価値のある合成波が出現する時がある。それはごく一部のごく少数で希に発生する。
それは、チームワークだ。
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