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2010年7月28日水曜日

あるテロリストの思索

 気がつくと、生きていた。好むと好まざるとに関わらず、人はこの世に生を受け、親を持ち、人と関わり、学校に行き就職し、泣いたり笑ったり、競争に勝ったり負けたりしながら生き続ける。自ら死を選ぶというオプションはいつでも行使できるはずなのに、これが行使されることは希だ。基本的に人は生き続ける――なぜだろう?
 人は死を恐れる。死を恐れる以上、生きる以外にそれを逃れる方法はないのだが、死を自ら選ぶ者とは、死の恐怖以上に生きることが恐怖となるのだろうか? だとすれば、人は生きることと死ぬことの恐怖を計りにかけ、恐怖の少ない方を選択するといえるのか…
 子供の頃は夜が怖かった。闇の中から未知なる物が自分を襲う… 孤独で冷たく、目に見える物が少ないから妄想が頭の中を駆け巡る。怪奇現象の本や友達が話していた怖い話、色々なことが思い出したくもないのに思い出されてくる。闇は視覚などの情報を奪う代わりにイマジネーションを増幅させる。闇から生まれるイマジネーションは、そのほとんどが恐怖だ。そして朝になり、学校へ行く支度をする頃には、トイレに行くための廊下もまったく怖くはなくなっている。
 闇とは逆に、光はたくさんの情報を与える。見える、という安心感は、外部からの情報処理能力を活性化させる代わりに、イマジネーションを減少させる。そう、今の日本は光に包まれた国だ。だからそこで暮らすほとんどの人間は、イマジネーションが欠如している。恐怖に対して鈍いのだ。ならば、もう一度闇の恐怖を教えてやる必要があるのではないか。
 俺は、何のために生きるのだろう? このまま生き続けても、行き着くところは死だ。いずれは死ぬという唯一絶対の定めの中で、今日死ぬことと、10年後、20年後に死ぬこととの違いは何なのだろう? 豊かな人生? 意味が分からない… というよりも、なぜこの世には生物などというものが存在するのか? しかし、考えてみると死が訪れるのは生物だけではない。形あるものはいつか壊れる。太陽はいつか燃え尽き、地球もいつかは消えてしまうのだろう… つまり、永遠が約束されたものなどこの世にはないということだ。言い換えれば、死こそが唯一の約束なのだ。ならば、約束を果たすことに手を貸すことには正当性があるはずだ。
 人類はたくさんいる。多少の犠牲はやむを得ない。死をリアルに体感することで恐怖が蘇ることによりイマジネーションが豊かになれば、もっと死に向き合う人間が多くなるはずだ。そうなれば、生きることの意味はもっとシンプルに理解されていくだろう…

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