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2010年3月20日土曜日

小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(42)

 彩香はこの夜も人美の部屋に泊まることにした。部屋の電気を消し、二人が横になった時、人美は尋ねた。
「ねえ、怖くない」
「何が?」
「私のこと」
「どうして?」
「だって、この前みたいになったら」
「バカねぇー、人美のことが怖いわけないじゃない」
「……」
「明日さぁ、プールで遊ぼうね」
「うん」
「おやすみ」
「おやすみ、彩香」


 八月二十四日、木曜日。プールで大騒ぎをしていた彩香は、「疲れちゃったよ」と言って午前中で帰宅した。人美はその後、異変の起こった夜に破けてしまった本を買い直そうと、葉山町で一番大きな本屋へと出かけた。
 人美とのコンタクトの機会をうかがっていた沢木のもとに、渡辺から人美は本屋に一人でいるとの連絡が入った。彼は偶然を装って接触すべく、愛車のハイラックスに乗ってその本屋へと向かった。
 沢木が本屋の隣にある広い駐車場に到着すると、黒いスカイラインがヘッドライトを点滅させた。沢木は渡辺たちから離れたところにハイラックスを止め、彼らに軽く手を上げると本屋の中に入り、店内を見回した。人美は専門書が並ぶ棚の前で立ち読みをしていた。
 沢木は彼女に近づいた。
「やあ」
「あっ! 沢木さん」
「こんにちは」
「こんにちは」
 にこっとする二人。人美は見ていた本を棚に戻した―それはサイ・パワーの本。
「どうやら最近は超能力に凝っているようだね」
「ええ、ちょっと……」
 口ごもる人美を見て取った沢木は切り出した。
「ねえ、もう用は済んだの? よかったら、お茶でも飲んでいかないかい? 海の見える素敵な喫茶店があるんだけど。音楽の話し、またしたいなぁ」
 人美は彩香の言葉を思い出した。
〈沢木さんの正体が分かるまでは油断は禁物よ〉
 でも、悪い人じゃないよ、絶対
 人美は答えた。
「はい、私でよければ」
 人美は本を一冊買って沢木とともに店を出た。
「私、自転車なんですけど」
「そう、私は車。でも、後ろに載せられるから大丈夫だよ。ほら、あれ」
 人美は沢木の指差した方を見た。
「あの赤い車?」
「そう」
「沢木さんは赤色が好き?」
「んん。そういえば、人美さんの自転車も赤だね」
「ええ、私も赤色が好きなの」
 人美は微笑みながら続けた。
「でも、友達は赤は血の色だから、赤色の好きな人は血に飢えてるって言うの」
 沢木は鼻で笑い答えた。
「なるほど、ユニークな説だ。でも、少なくとも私は血に飢えてるような危険人物じゃぁないから、安心して」
 人美はくすくすと笑った。
 沢木が人美の自転車を車の後ろに積み終わると、人美は尋ねた。
「この車って、四輪駆動なんでしょう?」
「んん、そうだよ」
「なんか、沢木さんのイメージと違う気がする」
「そうかなぁ」
「ええ。だって、この車はワイルドなイメージだもの」
 沢木はとぼけた口調で答えた。
「んーん、そう言われてみるとそうかも知れない。私は、ワイルドって感じじゃないからねー」
 人美はまたくすくすと笑った。
「でも、私はこういう車が好きなんだ。私の父は自動車修理工場をやっていてね、小さいころから車のメカには凄く興味があったんだ。まあ、それが講じて技術者になったんだけど。普通の車よりも、メカメカっとした車がいいんだ。だから、使いもしないのに電動ウインチとか補助ランプとか、エンジンも少しだけいじってるんだ」
「じゃあ、ずっと技術者になろうと思ってたんですか?」
「そう。ロボット・アニメなんかにもかなり夢中になってね。ああいう巨大ロボットや飛行機とか、いつか自分で造るんだって思ってたよ」
「へえー。じゃあ、子供のころからの夢をかなり実現したんですね」
「んん」と沢木は答え、助手席のドアを開けて「さあ、どうぞ」と言った。
 沢木の案内した喫茶店は、彼の言葉どおりの素敵な店だった。それは古い西洋風のたたずまいの大きな家をそのまま店として用い、店内もアンティークな雰囲気で一杯だった。そして、ベランダ越しの大きなガラス窓の向こうには、葉山の青い海を望むことができた。二人はそのベランダ越しの席に座り、沢木はアイスティーを、人美はアイスココアと沢木お勧めのチーズケーキを注文した。
「そういえば、さっき買った本はなんだい?」
 沢木が尋ねた。
「不思議の国のアリスの絵本です。絵が素敵で気に入ってるんです」
「んーん、そういうお話が好きなのかい?」
「ええ。でも、この本を買うきっかけは夢を見たからなんです」
「へえー、どんな?」
「“イルカの国の人美”です」
 沢木はふふっと笑った後に言った。
「それはまた楽しそうな夢だね」
 人美はにこやかに「ええ」と答えると、身ぶり手ぶりを交えながら“イルカの国の人美”を話して聞かせた。
「なるほど。それで“イルカの国の人美”なのか」
「ええ。私、この夢を見る前からイルカやシャチに興味を持ってたので、何だかとっても嬉しくて。でも、こんなお話の本はないから、それで不思議の国のアリスを買ったんです」
「そうか。人美さんは水性哺乳類に興味があるんだ。じゃあ、クジラなんかも」
「んーん、クジラは嫌なの」
「どうして?」
「だって、怖いんですもの」
「そうかな」
「そうですよ。だって、クジラって顔にふじつぼを付けたりしててちょっと不気味だわ」 沢木は笑いながらタバコに火をつけ言った。
「んー、つまりルックスの問題なわけね」
「ええ」
「じゃあ、イルカを見に行ったりしてるの?」
「ええ、この辺にイルカなんているんですか?」
「んん、いるよ。さすがに葉山の海には泳いでないけど、油壷マリンパークにはいるよ」「ああ、そうか。私バカみたい、全然気がつかなかった」
「見に行ってみるかい?」
「今から? いいんですか?」
「言ったろう、私は夏休み中で暇だって」
「じゃあ、行きましょう」
「よし、ケーキを食べたら出発しよう。たしか、イルカとアシカのショーをやってるはずだから」


 油壷マリンパークは、三浦半島南部の相模湾側にある、世界最大規模の回遊水槽を有する水族館であり、およそ三〇〇種、六〇〇〇尾の生き物を見ることができる。このマリンパークの最大の呼び物は、〈ファンタジアム〉と呼ばれる屋内劇場で行われるイルカとアシカのショーであり、春、夏、秋、クリスマス、正月毎に出し物を替え人気を呼んでいる。
 午後二時ごろにマリンパークの着いた沢木と人美は、パンプレットでショーの時間を確認すると、まずは〈魚の国〉と名づけられた生態水族館に入り、続いて屋外に設けられた〈アシカ島〉や〈ペンギン島〉を見て回った。
 人美はペンギンを見ながら沢木に尋ねた。
「沢木さんはアメリカに留学してたんでしょう。アメリカって、どんな国なのかしら?」「そうかぁ、人美さんは来年アメリカに行くんだったね」
「ええ」
「そうだね。私が思うに、歴史に飢えた国かな」
「歴史に飢えた国? どういう意味ですか」
「アメリカっていう国は、建国からたった二百年しかたっていない新しい国でしょう。だから、アメリカ人は歴史―言い替えれば、自分たちの歩んで来た足跡をとても大事にするんだ。そして、それと同時に新しい歴史を造ることにも非常に熱心なんだ。今のアメリカは、財政赤字と貿易赤字、いわゆる双子の赤字っていうのを抱えていて、台所は火の車なんだ。ところが、一方では宇宙開発とか、膨大な資金を必要とする国家プロジェクトを推進している。これは一体何なんだろう? と私は考えたんだ。つまり、彼らは新しいものを創造したいんじゃないか、文化を築き、歴史を造りたいと。映画や音楽、そうしたエンターテイメントが盛んなのも、優秀な教育機関が数多く存在するのも、そうした欲が出発点のように思うんだ」
「んーん。沢木さんって、やっぱりものの見方が違うんですね」
「これはあくまで私の主観だから、何より自分の目で見て来るのが一番さ。人美さんの見たアメリカがどんな国か、いつか聞かせて欲しいなぁ」
 こうした会話の後、二人はショーの開演時間が近づいた〈ファンタジアム〉へと移動した。
 〈ファンタジアム〉で行われるショーは、“イルカとアシカ”という冠がついてはいても、主に“芸”を披露するのはアシカであり、イルカは時折“ジャンプ”をするくらいなのである。しかし、それだけでもイルカには十分な存在観があった。そして、人美が驚きを感じた瞬間は、『森の熊さん』を歌うイルカの芸を見た時、すなわち“知性”を感じた時だった。
 三十分に渡るショーの間中、人美は熱心に、また、感激を持って鑑賞を続け、その間一度だけ沢木に話しかけた―彼のシャツの袖を引っ張りながら「ねえ、あれ見て」と。それは、一頭のアシカがオルガンを演奏している時だった。
 アシカが弾けるように大きくした鍵盤―というよりスイッチだが―を、調教師の女性の指揮棒による合図で、アシカは指示された鍵盤を顎で弾く。だが、この時のアシカは―調子が悪かったのか、それともこれが実力なのかは分からぬが―一度に二つの鍵盤を弾いてしまったり、弾く鍵盤を間違えたりしてしまった。この時、調教師の若い女性はアシカの方に顔を近づけて、にこやかな愛情に満ちた表情でアシカに何かをつぶやいた―おそらくは、「だめよ、間違えちゃ」に類する言葉だろう。
 人美が何を感じ取って「ねえ」と話しかけたのか沢木には分からなかったが、そうした光景に注目する人美という少女が、感性の豊かな―そう、“アリス”のような少女に彼には思えた。
 ショーを見終わった後、二人は〈イルカのプール〉へと場所を移した。直径十メートル、深さ三メートルくらいのそのプールには、二頭のイルカが泳いでいた。二人はそのプールを囲む手摺りに肘を突きながら話し合っていた。
 人美は言った。
「沢木さんといると何だか不思議」
「なぜ?」
「だって、ずっと以前から知り合いだったような気がするんですもの」
「そう、実は私もそんな気がするんだ」
「本当?」
「ああ。人美さんは、“袖振り合うも多生の縁”っていう言葉の“たしょう”って、どういう字を書くか知ってる?」
 人美はしばし考えた後に答えた。
「多い少ない、かなぁ?」
「んーん、多く生まれるって書くんだよ。この言葉は仏教に由来する、つまり、輪廻転生の考え方からきてる言葉なんだ」
「へえぇー」
「私は輪廻転生を信じてはいないけど、人との出会いが時としてこうした言葉で語られるのは、それだけ、不思議な要素があるということだと思うんだ。運命的だったり、宿命的だったりね」
「沢木さんは、そういうことを私に感じる?」
 沢木はにこやかな表情で言った。
「少なくとも、君は私の新しい友人だ」
 嬉しい言葉だった。人美は小さな笑みを返すと、照れたようにうつむき、そして、イルカに視線を戻して言った。
「不思議なことって多いですよね。例えば、このイルカだってそう」
「どうしてだい?」
「だって、音波を使って障害物を見つけたり、餌を獲ったり、仲間と交信したりするでしょう。それって、超能力みたい」
「それで超能力に興味があるの?」
「ええ、それもあるんだけど…… どうしてだろう? そんな力を持ってるなんて」
「きっと、生きるために必要だからじゃないかなぁ」
「生きるため?」
「んん。私は思うんだけど、生き物っていうのは生きて行くために進化をしてきた。そして、その過程で必要な力を身に着けてきた。無駄なものって、生き物の持つ機能にはないんだよ」
 無駄なものはない、かぁ?
「だからイルカも音波を使えるんだろうし、もしかしたら、人間だって今はない力を身に着けるかも知れない。あるいは、既に持っている人もいるのかも知れない」
 そうよ、私にはあるもの
 人美は尋ねた。
「じゃあ、もしも超能力を持ってる、っていう人がいたら、沢木さんは信じる」
「私は技術者だからね、確たる根拠もなしに信じる信じないを口にしたくはない。でも、今はあるような気がするんだ」
「どうして?」
「どうしてかなぁ?」
 沢木がその先を答えようとした時、一頭のいたずら好きのイルカが、胸びれで水面をバシャンと叩いた。人美は素早くよけたが、沢木は水を頭から浴びた。けらけらと笑う人美。沢木は深い溜め息とともに笑みを浮かべ、一言つぶやいた。
「なんてざまだ」
 こうして二人のイルカ見物は終わった。沢木は人美を送るべく白石邸に向けて車を走らせた。道中、人美は疲れたのか、すやすやと眠ってしまった。その寝顔を横目で何度となく見た沢木は、この娘の力の解明など試みないほうがよいのかも知れない、そっとしておいてあげたほうがよいのかも知れない、そんなことを思うのであった。
 時刻が午後六時近くになったころ、彼らは白石邸に到着した。沢木はガレージにハイラックスを入れ、人美の自転車を下ろし、そして、助手席の窓ガラスをトントンと叩いて眠れる少女を起こした。まだ半分寝ている人美は車を降りると、しばしぼうっとした後に今日の礼を沢木に言った。その何ともいえぬ愛らしさに、彼は笑みを返した。

 
続く…

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