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2010年1月27日水曜日

小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(27)

 鮫島守の頭は疑問で一杯だった。なぜSOPが? なぜあんなに早く里中が? 大平が刺したのか? いや、例えそうだとしても、一般警官ならともかく、やって来たのは里中だ。木下を殺ったのが俺の仕業とかぎつけたのか? それも違う、そんなはずない。だとしたら…… プロメテウスの情報漏れ―それならSOPが動いていることもうなずける。ならば、川崎工場は……
 鮫島は都内の雑居ビルに用意された自分の隠れ家で、そんなことを考えていた。撃たれた傷―彼にしてみればほんのかすり傷程度。事実軽傷だった―からは今も血がにじみ出ていたが、彼は長い間の経験で身に付けた精神力により、それを神経から切り離すことができた。肉体的な苦痛をコントロールすることなど、彼には容易いことだった。
 鮫島は高校を卒業すると陸上自衛隊に入隊し、そこで戦士としての基礎を学んだ。しかし、自衛隊での生活は、あらゆることに関して欲求不満のもととなった。駐屯地での生活、間抜けな上官の怒号、現実感のない戦闘訓練、不完全燃焼の肉体、愚痴ばかりこぼす同僚、あいまいな自衛隊の位置付け、偽りの平和に戯れる危機感に欠ける国民、政治の不誠実。そうした彼の不満は日を追うごとに累積し、ありあまる力を思い存分開放できる場所を求めさせた。
 数年の後、彼はフランスに渡り、そこで外人部隊への入隊を志願した。訓練を終え、初めて派遣されたのはアフリカだった。彼の戦士としての類稀なる才能は確実に開花され、水を得た魚のように生き生きと、活力にみなぎり、そして誰よりも強く勇ましかった。
 彼は戦いの中からある種の信念―政治的でもあり、宗教的でもあった―を見出した。それは、「この世の中には卑劣にして強大なる権力が存在し、多くの善良なる民を迫害、弾圧し、己の力と私腹を固持せんとしている」という観念であり、「間違った思想には力を持って対抗しなければならない」という答えだった。その確信を得てからは外人部隊を離れ、ある時は共産主義と闘う人々と、またある時は国粋主義と闘う人々と、そしてまたある時は迫害される少数民族とともに闘った。しかし、彼なりの理想の達成の道は険しく、多くの壁が立ち塞がった。また、行く度にも積み重ねられた狂気の世界―暴力と破壊、死、混沌、野心、憎しみに包まれた世界―での生活は、次第に彼の心を狂わせた。いつしか彼の信念は彼自身の手によってねじ曲げられ、金で動く殺人マシーンへと変貌していった。
 鮫島が日本に戻って来たのは四年前、一九九一年の十一月の寒い冬のことだった。久しぶりに日本を見た彼は思った。この世の中に、まだこんな陳腐な平和を携えた国があるなんて、と。
 彼が帰国したのは、日本のある組織に雇われたためだった。その組織は〈民の証〉と称する右派系テロ組織であり、“民族の独立”というスローガンのもと、天皇の立憲君主たる地位の改善、憲法の自主制定、左翼思想の非合法化、日米安保条約の解消と自衛隊の正規軍化、他民族の排除など、テロを持ってこれらを現体制に訴えた。
 〈民の証〉を形成するのはテロリストだけではなく、政治団体、企業、マスコミ、新興宗教団体などの一部も加わっていた。中でも改元党と称する政党は、〈民の証〉の後押しを受けて誕生した政党であり、一九八五年から高まりをみせたナショナリズムの波に乗って、その年の総選挙で八議席を奪ったのを皮切りに、一九八七年には十五議席を得て、さらに一九九一年には二十六議席を有する野党第二党にまで昇りつめた。その間、テロに関与していること、〈民の証〉の支援を得ていることなど、黒い噂は絶えずささやかれたが、ナショナリズムをくすぐる彼らの問いかけに、多くの有権者が票を入れていったのだ。
 このような当時の背景の中、鮫島は金に操られるがままに、与党のリベラル派の旗手である代議士と共産主義政党の党首、現体制に影響力を持つ実業家二人、計四人を暗殺し、さらに在日米軍基地に対する爆破テロ(死者十四名、重軽傷者三十一名)、有力企業の社長の誘拐など、悪の限りをし尽くしたのだった。
 しかし、鮫島や〈民の証〉、改元党の栄華も長くは続かなかった。彼らに執拗に迫ったのが、SOP第二セクションの捜査官、里中涼だった。彼の追求は鋭く的確であり、一九八七年のSOP創設以来、一九九三年までの六年間に、〈民の証〉の指導者二名をテロ対策法違犯の罪で、改元党の代議士と大手出版社の週刊誌編集委員をテロ扇動の罪で、さらにテロの実行犯数名を逮捕した。また、SOP第一セクションの活躍もあいまって、国内右派系テロ集団は壊滅に近い打撃を被り、一九九三年の総選挙では、改元党は六議席と惨敗した。が、里中の最大の目標は鮫島だった。
 里中は、SOP第一セクション一個小隊を率いて、鮫島のアジトと目される場所に踏み込んだ時、思わず絶句した。鮫島はその時既に海外へ逃亡した後だった。
 それから二年、鮫島は再び帰って来たのだ―
 鮫島はベットに横たわりながらつぶやいた。
「確かめてみるか……」
 彼は銃による傷を自ら治療した後、かつら、口髭、眼鏡を用いて変装し、相模重工川崎工場へと向かった。途中で車を一台失敬し、千鳥橋から川崎海底トンネルへと抜ける道路を走る車の車窓から、川崎工場を守るSOPの隊員を確認したのは、午後六時過ぎのことだった。
 やはり獲物はばれていたようだな。どうやらどこかに切れ者がいるらしい


 そのころ里中はというと、西岡とともに大平勇一をSOP本部に連行し、数時間に渡る取り調べを行っていた。
 プロメテウス計画は国防に関する最重要機密であり、それを漏らした大平には、“国家の安全保障に関する情報を漏洩した罪”が適応されてしかるべきだった。しかし、SOP総括委員会の意向により、彼は夕飯時には自宅に帰ることが許された。なぜなら、大平を罰するための裁判が行われれば、プロメテウス計画が公になってしまうからだ。また、相模重工も、彼を企業秘密漏洩のかどで告訴することはなかったが、理由はこれと同じである。だが、彼はその日をもって相模を解雇され、その数カ月後には一家そろって彼の生まれ故郷である岩手県に帰ったと噂された。
 中途半端な正義感を持つ者ならば、大平に対するこのような措置を許しはしなかっただろう。しかし、里中はそれを黙認し、彼を自宅まで送り届けてやった。大平は車を降りる時、里中に向かって不安げに尋ねた。奴はまた私を狙うでしょうか、と。里中は、父を迎えに飛び出して来た少女に微笑みかけながら答えた。「もう大丈夫だよ」と。そして大平に向き直ると、「奴も私と一緒でね、小者には興味がないんですよ」と言いアクセルを踏み込んだ。
 里中と西岡を乗せた車は、鮫島の陰を追って夜の街へと走り去って行った。

続く…

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