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2009年12月18日金曜日

小説『エクスプロラトリー ビヘイビア』(13)

第二章 エクスプロラトリー・ビヘイビア―Exploratory Behavior

 八月七日、月曜日。人美が白石会長宅に入居する日がやって来た。
 人美は両親の旅立ちを見送るために、成田空港の第二旅客ターミナルビルにやって来ていた。彼女の両親は、午後三時三十分発マレーシア航空九三便にて、ロサンゼルスへと旅立つのだった。所要時間は約十一時間。そして、旅のパートナーを務めるのは、ボーイング747400S、SFOSを実装した機体である。
 時刻は午後二時を少し回ったところ。見山一家はターミナルビル内のとんかつ屋で、遅い昼食をとっていた。
 哲司は噛み砕いた食べ物を、お茶で喉の奥に流し込んだ後につぶやいた。
「いまさら言うのも何だが、やはり人美も連れて行くべきだったかな」
「なーに言ってるのよー、ほんとにいまさらね」
 人美はそう言った後に、とんかつを口にほうり込んだ。そして、屈託のない笑顔で口をもぐもぐ―
 母、泰恵が言った。
「人美の言うとおりですよ、あなた。それに、高校はきちんと卒業するべきだと言ったのはあなたじゃないですか。今はもう、人美を信頼してさえいればいいんですよ」
「そうだな、確かにそうだ」
 哲司は心の中で続けた。
 そして、白石夫妻と、あの沢木という男を信頼するしか……
「お父さん。私はしばらくの間、お父さんやお母さんと離れることになるけれど、彩香や白石のおじさんやおばさんもいるし、決して一人じゃない。それに、私、心配をかけるようなことはしないわ。だから、安心して行って来てちょうだい」
 人美は何も案ずることがなかった。むしろ、初めて親元を離れて生活することへの期待に、胸を膨らましていた。
「まったく人美ったら、ちょっとぐらいさびしがってくれたっていいんじゃないの」
 泰恵がおどけた口調でそう言うと、母と娘は笑った。それは、まったくもって明るい平和な家庭の一場面として、他人の目には映ったことであろう。しかし、哲司の脳裏には、その二人の笑い声、人美の輝く瞳、娘を信頼しきっている妻の笑顔、それらが自分だけが知っていることへの当てつけのように思えた。
 俺だって人美を信じてるさ。でも、人美…… いや、それを考えるのはやめよう
 哲司の脳裏に今度は沢木の顔が浮かんだ。
「どうしたの、お父さん」
「んっ、いやぁ、何でもない。お前はしっかりした子だからな、いまさら心配することなんてないな」
「うん! そのとおりよ」
 心配ない、心配なんてすることない。心配なんか……
 哲司は人美にぎこちない笑みを見せながら、胸の奥に何か異物を詰められたような圧迫感を感じていた。


「出て来ました」
 ガラス張りの壁の向こうに見える、駐機中の旅客機を眺めていた渡辺は、その声に振り返った。その声の主は渡辺の部下の一人、進藤章であった。
 進藤は二十八歳の見た目は精悍な男であったが、実際の彼はやや精神的に弱いところがあった。彼がSOPに採用されなかったのも、おそらくその辺なのだろうと渡辺は思っていた。彼の身長は一七五センチ、体格は中肉で、灰色のスーツを着込んだそのこざっぱりとした姿には、元機動隊員の匂いなど少しも漂ってはいなかった。
 そんな進藤と渡辺は、今朝、見山一家が自宅を出発した時点から、人美の監視を始めていた。
 とんかつ屋から出てきた見山一家は、エレベーターで階下に下り、出発ロビーへと向かった。渡辺たちは彼らの後を追う。
 見山哲司は旅客サービス施設利用料のチケットを自動販売機で二枚買い、そのうち一枚を妻に渡した。そして、一家三人のしばしの別れの儀式が始まった。
 出発ロビーの中央に据えつけられたたくさんのソファ群。その一つに腰を下ろして彼らを見つめていた渡辺は、この時初めて気がついた。人美のバックパックに、小さなスヌーピーが―それはキーホルダーだった―ぶら下がっていることを。
「スヌーピーね」
 渡辺はつぶやいた。


「それじゃ、先に行っているからね。くどいようだが、くれぐれも体に気をつけて、白石さんに迷惑をかけることのないように。いいね」
 哲司の言葉に人美は静かにうなずいた。
「人美、何かあったらすぐに連絡するのよ」
 人美は泰恵の言葉に答えた。
「うん、その時はそうする。お父さんとお母さんも、何かあったらすぐに連絡するのよ」 人美の冗談めかしの言葉に、哲司は自分が励まされた気になった。
「秋には一度帰ってくるから、その時会うのをお互い楽しみにしよう」
「それじゃ、人美。しばらく会えないけど元気でね」
「うん。お父さんも、お母さんも」
 見山夫婦は出国審査カウンターに向かって歩き、その前まで着いた時に後ろを振り返った。そして、二人そろって人美に向かい大きく手を振った。人美も両手を一杯に伸ばし、思いっ切り手を振った。
 人美の両親は旅だった。それは人美の旅立ち―親元を離れての新しい生活への旅立ちをも意味していた。そして、沢木たちにとっても……


 葉山の本部で待機している沢木たちのもとへ、渡辺からの電話連絡が入った。その声はスピーカーで皆が聞けるようになっていて、こちら側で発せられたすべての声は、マイクを通して相手に聞こえるようにもなっていた。
「今、両親と別れたところです、引き続き監視します。ところでコードネームのことですが、スヌーピーはどうでしょう」
 まさか渡辺の口からスヌーピーなどという言葉が出てくるとは思ってもいなかった沢木たちは、思わず笑ってしまった。
 昨日、沢木たちは今日に備えての最終的な打ち合わせをした。その時、渡辺から出された提案は、電話及び無線での通話の際に、“人美”などの固有名詞を出さないほうが機密保持に適し、それらはコードネームで呼んだほうがいいだろう、ということであった。
 沢木たちが今回使用する携帯電話機及び無線機には、特製の周波数変調装置―それは沢木組で作られたもの―がつけられているので、万が一盗聴されても、「ピーガラガラガラ」という、周波数変調独特の信号音が聞こえるだけなのだが、渡辺は念には念を入れたほうがいいと主張した。
 さまざまなネーミング案が出されたが、どれもぴったりとせず、その案は宙に浮いた形となっていた。
 沢木は笑みを浮かべながら尋ねた。
「どうしてスヌーピーなんですか?」
「目標のバックパックにぶら下がってるんですよ。スヌーピーが」
 秋山が楽しげに言った。
「それなら、スヌーピーを監視するのはウッドストック、こちらはチャーリーにしましょう」
 沢木は秋山にうなずきながら、渡辺に言った。
「よし、そうしましょう」
 渡辺が答えた。
「了解。チャーリーへ、ウッドストックは引き続きスヌーピーを監視する」
 秋山たちの間からまたしても笑いが漏れたが、沢木にはその笑い声がある種の歓声に聞こえた。エクスプロラトリー・ビヘイビア計画が開始されたことへの―

続く…

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